史記 / 高祖本紀
」高起、王陵對曰:「陛下慢而侮人,項羽仁而愛人。然陛下使人攻城略地,所降下者因以予之,與天下同利也。項羽妒賢嫉能,有功者害之,賢者疑之,戰勝而不予人功,得地而不予人利,此所以失天下也。
新字:」高起、王陵対曰:「陛下慢而侮人,項羽仁而愛人。然陛下使人攻城略地,所降下者因以予之,与天下同利也。項羽妬賢嫉能,有功者害之,賢者疑之,戦勝而不予人功,得地而不予人利,此所以失天下也。
書き下し
高起・王陵対へて曰く、「陛下人をして城を攻め地を略せしめ、降下する所の者は因りて以て之を予へ、天下と利を同じくす。項羽は賢を妒み能を嫉み、功有る者は之を害し、賢者は之を疑ひ、戦ひ勝ちて人に功を予へず、地を得て人に利を予へず、此れ天下を失ふ所以なり」と。
現代語訳
高起と王陵は答えた。「陛下は人に城を攻めさせ土地を攻め取らせ、降伏させた土地はそのままその者に与え、天下と利を分かち合われました。項羽は賢者を妬み、有能な者をねたみ、功のある者を害し、賢者を疑い、戦に勝っても人に功を与えず、土地を得ても人に利を与えなかった。これこそ天下を失った理由です」。
解説
「成果を上げた者に、その功と利を惜しみなく分け与える——それが人を動かし、天下を得る」——劉邦がなぜ勝ち、項羽がなぜ負けたのかを、家臣が分析した一段です。天下を統一した後、劉邦は、宴席で家臣たちに問いました。「私が天下を得られたのは、なぜか。項羽が天下を失ったのは、なぜか。ありのままに言ってくれ」と。高起と王陵という二人の家臣が、こう答えます。「陛下(劉邦)は、(正直に申せば)尊大で、人を侮るところがおありです。一方、項羽は、(人あたりが)仁愛に満ち、人を慈しみました。(人柄だけを見れば、項羽のほうが上です。)——しかし、決定的な違いは、こうです。陛下は、人に城を攻めさせ、土地を攻略させると、その手に入れた土地を、(功を立てた)その者に、そのまま与えました。すなわち、天下(の利益)を、人々と分かち合ったのです(與天下同利)。ところが項羽は、賢者をねたみ、有能な者を嫉み、功績を立てた者を、(かえって)害し、賢い者を、疑いました。戦に勝っても、その功を、人に与えず、土地を得ても、その利を、人に分け与えなかった(戰勝而不予人功、得地而不予人利)。これこそが、項羽が天下を失った原因です」と。人柄では項羽が勝っていたのに、劉邦が勝ったのは、ひとえに「成果を、人々と分かち合ったか、独り占めしたか」の違いだった、というのです。ここに、成果の分配についての教訓があります。第一に、成果を上げた者に、その功績と利益を、惜しみなく分け与えることが、人を動かし、大きな事業を成す鍵だということ(與天下同利)。人は、自分の働きが、正当に報われると分かれば、力を尽くす。成果を分かち合うリーダーのもとに、人は集まり、奮起する。第二に、逆に、いくら人柄が良くても、成果や利益を独り占めし、功を立てた者に報いなければ、人心は離れるということ(項羽のように)。功を立てた者を、ねたみ、疑い、報いない——それでは、誰も本気で働かなくなる。第三に、優れた人材を、ねたんだり嫉んだりせず、その功を正当に認めること。組織や経営で、成果を上げた者にその功と利を惜しみなく分け与えること、成果を独り占めせず人々と分かち合うこと、そして優れた人材をねたまず正当に報いること——高起・王陵の分析は、成果を分かち合うことが人を動かし事業を成す鍵だと教えます。
この章句が説くこと
漢高祖劉邦論功与天下同利成果を分かち合う功を立てた者に報いる項羽妒賢嫉能
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