「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。
福沢諭吉の『学問のすゝめ』の書き出しで、日本の近代でいちばん有名な一行かもしれません。辞書を引くと「人間は生まれながらに平等であり、貴賤・上下の差別はない」とあります。教科書でも、そう教わった人が多いはずです。
ところが、原文をこの一行の先まで読むと、印象がかなり変わります。
まず、一行の終わりが「と言えり」になっています。「〜と言われている」。福沢は、これを自分の主張として書いていません。そして、そのすぐあとに「されども」が来ます。「しかし現実を見渡すと、賢い人も愚かな人も、貧しい人も富んだ人もいて、その差は雲と泥ほどだ。なぜか」。
つまりこの本は、平等を宣言して始まる本ではありません。平等であるはずなのに、なぜこれほど差がつくのか、という問いから始まる本です。福沢の答えは一つで、「学ぶか、学ばないかだ」。
この記事では、『学問のすゝめ』の原文をたどりながら、あの一行が本当は何を言っているのか、そして福沢がその先に何を書いたのかを読んでいきます。引用はすべて、師導に収録している原文からそのまま切り出しています。
まず、原文を最後まで読む
有名な一行を含む段落を、省かずに引きます。
【原文】「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。
現代語にすると、次のような流れです。
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、と言われている。だから天が人を生んだ趣旨は、みな同じ位で、生まれながらの上下はなく、それぞれが自分の体と心を働かせて安らかに暮らせるように、ということだ。しかし現実を見ると、賢い人も愚かな人も、貧しい人も富んだ人も、身分の高い人も低い人もいて、雲と泥ほど違う。なぜか。理由ははっきりしている。『実語教』に「人は学ばなければ智がない。智のない者は愚か者だ」とある。賢い人と愚かな人の違いは、学ぶか学ばないかでできる。
段落の重心は、前半ではなく後半にあります。前半は「そう言われている」という前提で、後半が福沢の主張です。そして主張の根拠として引かれるのが、『実語教』。平安時代の末ごろに成ったと伝わり、江戸時代の寺子屋で誰もが最初に習った教科書です。
明治の新しい本の書き出しで、福沢はいちばん古い教科書の一句を答えに持ってきました。読者の誰もが子どものころ暗唱した言葉です。「知っていたはずのことを、知っているだけで終わらせていないか」という問いかけにもなっています。
出典:学問のすゝめ 初編
「と言えり」 ― 誰の言葉なのか
では、「と言えり」の「と言われている」は、誰が言ったのでしょうか。
福沢は本文で出どころを書いていません。よく知られているのは、アメリカ独立宣言の「すべての人は平等に造られている(all men are created equal)」を踏まえた言い方だという見方です。福沢はこれより前、『西洋事情』(慶応二年・一八六六)でアメリカの独立宣言を訳して日本に紹介しています。「天が人を造る」という言い回しは、日本の伝統的な言葉づかいというより、造り主が人を造るという西洋の発想に近いものです。
ただ、確かなのは一点だけです。福沢はこれを伝聞の形で置いた。自分の言葉として断言しなかった。
これには理由があったと考えられます。この一文を言い切ってしまうと、すぐに反論が来るからです。「そうは言っても、現に殿様と人足は違うではないか」。福沢はその反論を自分で先に書きました。それが「されども」以下です。理念を掲げたうえで、現実とのずれを自分から認め、そのずれがどこから来るのかを説明する。宣言の文ではなく、説明の文として組まれています。
一行目だけが独り歩きしたことで、この構造がまるごと抜け落ちました。
「天は富貴を人の働きに与う」 ― 差はどこから来るのか
初編は、このあと差の由来をさらに詰めていきます。
【原文】身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々の者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本を尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。諺にいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。
身分の重い人の家が富んでいて、下から見れば及びもつかないように見える。しかしその元をたどれば、学問の力があるかないかでできた違いにすぎず、天が定めた約束ではない。諺に言う。「天は富貴を人に与えるのではなく、その人の働きに与える」。
ここで「天」が二度目に出てきます。一度目の「天は人の上に人を造らず」では、天は人を平等に造った。二度目の「天は富貴を人の働きに与う」では、天は差をつける。ただし人にではなく、働きに。
同じ「天」を使って、平等と格差の両方を説明しているわけです。生まれで差はつけない。働きで差はつく。
書かれたのは明治四年の暮れ、廃藩置県の年です。何百年も続いた身分の仕組みが、制度のうえでは一気に外れた直後でした。その読者に福沢は、「これからは生まれではなく学問が地位を決める」と告げています。平等の宣言というより、競争の開始の告知に近い。
出典:学問のすゝめ 初編
学問とは、帳合いと算盤のこと
では「学問」とは何か。ここで福沢は、読者の予想を裏切ります。
【原文】されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬えば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合いの仕方、算盤の稽古、天秤の取扱い等を心得、なおまた進んで学ぶべき箇条ははなはだ多し。
学問とは、難しい字を知り、古文を読み、和歌や漢詩を作ることではない、と福沢は直前の段で言い切っています。そういう学問をする息子を見て、町人や百姓の親が「身代を潰すのではないか」と心配するのも無理はない、とまで書く。
代わりに挙げるのが、いろは四十七文字、手紙の書き方、帳合い(帳簿のつけ方)、算盤、天秤の扱い。そこから地理、物理、歴史、経済、修身へ広がっていく。順番が下から上に組まれていて、高尚なものからは入らせません。
二編では、さらに踏み込みます。
【原文】文字は学問をするための道具にて、譬えば家を建つるに槌・鋸の入用なるがごとし。……わが国の『古事記』は暗誦すれども今日の米の相場を知らざる者は、これを世帯の学問に暗き男と言うべし。
文字は学問の道具であって、学問そのものではない。槌と鋸の名前を知っていても、家を建てられなければ大工ではない。古事記を暗唱できても今日の米相場を知らない者は、暮らしの学問に暗い男だ。
「学ぶか学ばないかで差がつく」と聞くと、学歴の話に聞こえます。しかし福沢が言う学問は、学校の成績のことではありません。今日の米相場を知っているか。帳簿がつけられるか。 経営者にとっては、耳の痛い基準です。
平等なのは「有様」ではなく「権理通義」
それでも、福沢が平等を言っていないわけではありません。二編で、何が平等なのかをはっきり定義しています。
【原文】ただしその同等とは有様の等しきを言うにあらず、権理道義の等しきを言うなり。
人と人は同等だ。ただしその同等とは、有様(暮らしぶり、境遇)が等しいことではなく、権理が等しいことだ。
この「権理」を、福沢は次の段で「権理通義」と言い換えます。英語の right を訳すために工夫した言葉です。中身として挙げられるのは三つ。命を重んじること、財産を守ること、面目と名誉を大切にすること。
そして、その説明がとても具体的です。
【原文】大名の命も人足の命も、命の重きは同様なり。豪商百万両の金も、飴やおこし四文の銭も、己がものとしてこれを守るの心は同様なり。
大名の命も人足の命も、命の重さは同じ。豪商の百万両も、飴やおこしの四文も、自分のものとして守りたい気持ちは同じ。さらに福沢は、「泣く子と地頭には勝てない」という諺を、有様と権理を取り違えた言葉だとして退けます。地頭が百姓より強いのは有様の話であって、百姓の権理が地頭より軽いわけではない。百姓の体に痛いことは、地頭の体にも痛いはずだ、と。
ここまで来ると、冒頭の一行の意味がようやく定まります。
- 権理は、生まれながらに等しい。これは「天は人の上に人を造らず」。
- 有様は、等しくない。そしてその差は、働きと学問で動く。これが「されども」以下。
今日の言葉でいえば、「機会や権利の平等」と「結果の平等」の区別です。福沢は前者を言い、後者ははっきり否定しています。一行目だけを切り取ると、この区別が消えてしまいます。
一身独立して一国独立す ― 「客分」の組織は弱い
『学問のすゝめ』で、冒頭の一行の次に有名なのが、三編の「一身独立して一国独立す」です。
【原文】わが日本国人も今より学問に志し気力を慥かにして、まず一身の独立を謀り、したがって一国の富強を致すことあらば、なんぞ西洋人の力を恐るるに足らん。道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。一身独立して一国独立するとはこのことなり。
一人一人が独立しなければ、国は独立できない。これは国家論ですが、福沢の説明は、そのまま組織論として読めます。
独立とは何か。福沢は二つに分けます。自分で物事の理非を判断できること(他人の知恵によらない独立)と、自分で生計を立てられること(他人の財によらない独立)。そして、論語泰伯篇の「民はこれに由らしむべし、これを知らしむべからず」——民には従わせればよく、理由を知らせる必要はない——を名指しで取り上げ、「この議論は孔子様の流儀なれども、その実は大いに非なり」と退けます。
【原文】子曰:民可使由之,不可使知之。
福沢が挙げる例が鮮やかです。桶狭間で今川義元が討たれると、数万の駿河勢は戦いもせずに逃げ散り、今川家は一朝で消えた。 一方、普仏戦争(執筆の二、三年前の出来事です)では、皇帝ナポレオン三世がプロイセンの捕虜になったのに、フランスの人々はかえって奮い立ち、数か月の籠城を戦い抜いた。
【原文】駿河の人民はただ義元一人によりすがり、その身は客分のつもりにて、駿河の国をわが本国と思う者なく、フランスには報国の士民多くして国の難を銘々の身に引き受け、人の勧めを待たずしてみずから本国のために戦う者あるゆえ、かかる相違もできしことなり。
違いは兵力でも指揮官でもない。駿河の人々は自分を「客分」だと思っていた。 国は義元のもので、自分はそこに置いてもらっているだけ。だから義元がいなくなれば、守る理由がなくなる。
社長が倒れたら止まる会社と、社長が倒れても回る会社の違いが、ここにそのまま書かれています。そして三編は、こう締めくくられます。
【原文】概してこれを言えば、人を束縛してひとり心配を求むるより、人を放ちてともに苦楽を与にするに若かざるなり。
人を縛って自分ひとりで心配を抱えるより、人を放って、苦楽をともにするほうがよい。全部を自分で握っている経営者は、実は「客分」の社員を量産している。 百五十年前の本が、そう指摘しています。
出典:学問のすゝめ 三編/学問のすゝめ 三編/論語 泰伯篇/学問のすゝめ 三編/学問のすゝめ 三編/学問のすゝめ 三編
心事の棚卸し ― 経営者がいちばん使える編
全十七編のなかで、商売をしている人にいちばん直接効くのは、十四編だと思います。題は「心事の棚卸し」。
福沢はまず、人は思うよりも悪をなし、思うよりも愚かを働き、企てるほどには成果を上げないものだ、と言います。そのうえで対策を一つだけ挙げます。
【原文】事業の成否得失につき、ときどき自分の胸中に差引きの勘定を立つることなり。商売にて言えば棚卸しの総勘定のごときものこれなり。
反省しろ、とは言いません。胸の中で差し引きの勘定を立てろ、と言う。商家の帳簿の言葉です。
そして、なぜ棚卸しが要るのかを、商売の実感で説明します。
【原文】あるいは売買繁劇の際にこの品につきては必ず益あることなりと思いしものも、棚卸しにできたる損益平均の表を見れば案に相違して損亡なることあり。……ゆえに商売に一大緊要なるは平日の帳合いを精密にして、棚卸しの期を誤らざるの一事なり。
忙しい最中には「この品は必ず儲かっている」と思っていたものが、棚卸しで損益表を見れば損だった。仕入れが足りないと思っていたものが、残品を見れば多すぎた。手応えと数字は、しばしば逆を向く。 だから日々の帳合いを精密にして、締める時期を外すな。
福沢はこれを、人生と仕事の全体に当てはめます。この十年で何を得て何を失ったか。いま自分の心の店には、どんな品が並んでいるか。締めてみないと分からない、というのが十四編の芯です。
初編で「学問とは帳合いと算盤だ」と言った人が、十四編では「生き方にも帳合いと棚卸しが要る」と言っている。一冊の本として、筋が通っています。
批評したければ、自分でやってみよ
もう一つ、十六編の結びも引いておきます。
【原文】試みに告ぐ、後進の少年輩、人の仕事を見て心に不満足なりと思わば、みずからその事を執りてこれを試むべし。人の商売を見て拙なりと思わば、みずからその商売に当たりてこれを試むべし。
人の仕事に不満があるなら、自分でその仕事をしてみよ。人の商売が拙いと思うなら、自分でその商売をやってみよ。著書を批評したければ書け、学者を批評したければ学者になれ。
冒頭の「学ぶか学ばないか」は、ここで「やるかやらないか」に変わっています。福沢にとって学問は、読むことで終わるものではありませんでした。五編には「読書は学問の術なり、学問は事をなすの術なり」という一句もあります。読むのは学ぶための手段、学ぶのは事を成すための手段。 読書が目的になった瞬間に、学問は止まります。
結び――「信の世界に偽詐多し」
十五編の書き出しは、次の一句です。
【原文】信の世界に偽詐多く、疑いの世界に真理多し。
信じる世界には偽りが多く、疑う世界には真理が多い。福沢は続けて、ガリレオもニュートンもワットも、誰もが見過ごしていたものを疑ったところから真理に達した、と書きます。
『学問のすゝめ』の冒頭の一行は、まさにこの「信の世界」で読まれてきました。「福沢諭吉は人間の平等を説いた」。一行目だけを覚え、二行目以降を読まずに信じてきた。
しかし原文を開くと、福沢は一行目を「と言えり」と伝聞で置き、「されども」で現実を突きつけ、その差の原因を学問に求め、平等なのは有様ではなく権理だと定義し直していました。あの一行を疑ってかかることこそ、この本が読者に求めていたことでした。
古典の有名な一句は、たいてい前後が切り落とされて流通しています。切り落とされた部分に、書いた人がいちばん言いたかったことが残っている。『学問のすゝめ』は、そのいちばん分かりやすい例だと思います。
この記事で引いた段は、いずれも師導に原文・現代語訳と解説つきで収録しています。『学問のすゝめ』は初編から十七編まで、全文を章句に分けて読めます。
同じ明治の時代に、同じ問題——身分が外れた社会で、人は何を拠りどころに働くのか——を扱った人たちの記事もあります。
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