東洋哲学と西洋哲学の違いを調べると、たいてい次のような対比表が出てきます。
- 西洋は論理、東洋は直観
- 西洋は分析、東洋は全体
- 西洋は言葉で詰める、東洋は言葉を信用しない
- 西洋は世界とは何かを問い、東洋はどう生きるかを問う
分かりやすい表です。そして、半分は当たっていて、半分は外れています。
この記事では、この対比を一つずつ、原典で確かめます。東洋の側は師導が収める原文を開き、西洋の側はよく知られた古典の一節と照らし合わせます。結論を先に書くと、こうなります。
| よく言われる違い | 原典で確かめると |
|---|---|
| 東洋には論理学がない | 外れ。墨子・荀子・名家に、言葉と推論の精密な議論がある |
| 東洋は議論をしない | 外れ。荘子と恵子、孟子と荀子は正面から論争している |
| 東洋は言葉を信用しない | 半分当たり。ただし禅の内部にも、その態度への批判がある。西洋にも同じ系譜がある |
| 東洋は生き方を問い、西洋は世界を問う | おおむね当たり。ただし重心の違いであって、有無の違いではない |
| 西洋の道徳は宗教から、東洋は? | 本当の違いはここにある。東洋の道徳は、宗教より先に「学ぶこと」に置かれた |
以下、順に見ていきます。
一、「東洋には論理学がない」― 外れ
墨子:弁論とは何のためにあるか
いちばん強い反証が、墨家の文献です。『墨子』のなかの「経」「経説」「大取」「小取」の諸篇は、中国古代の論理学として研究されてきました。
小取篇は、弁論の目的の定義から始まります。
【書き下し】夫れ辯なる者は、将に以て是非の分を眀らかにし、治亂の紀を審らかにし、同異の處を眀らかにし、名實の理を察し、利害に處り、嫌疑を决せんとするなり。
弁論とは、是と非の分かれ目を明らかにし、同と異のありどころを明らかにし、名と実の道理を調べ、疑わしいところを決するためのものである。
そして方法が続きます。
【書き下し】名を以て實を舉げ、辭を以て意を抒べ、説を以て故を出だす。類を以て取り、類を以て予う。
名で実を挙げ、言葉で意を述べ、説明で理由を出す。類によって取り、類によって与える。
「故(理由)を出す」「類(同じ種類)によって推す」――これは、主張には根拠を示せ、類推は同じ種類のあいだで行え、という推論の規則そのものです。このあとに「或(すべてではない)」「仮(いまはそうでない)」「効(基準に当たるかどうか)」といった概念の定義が並びます。
出典:墨子 小取
経説下篇には、「そもそも議論が成立しているか」を見分ける定義まであります。
【書き下し】同じければ則ち或いは之を狗と謂い、其れ或いは之を犬と謂うなり。
一方が「狗」と言い、他方が「犬」と言っている。これは同じものを別の名で呼んでいるだけで、弁(議論)ではない。弁とは、一方が是と言い、他方が非と言う、真正面から食い違う争いのことで、「当たっているほうが勝つ」。
会議で延々と噛み合わない議論をしているとき、まず「私たちは同じものを別の名で呼んでいるだけではないか」と確かめよ――。二千四百年前の、議論の交通整理のルールです。
出典:墨子 経説下
荀子:名は約束である
儒家の荀子も、言葉について驚くほど近代的なことを書いています。
【書き下し】名に固宜無し、之を約して以て命づく。約定まり俗成る、之を宜と謂い、約に異なれば則ち之を不宜と謂う。
名には、もともとこれでなければならないという必然性はない。人々が取り決めて名づけるのである。取り決めが定まり慣習になったものを「正しい呼び方」と言う。「約定俗成(やくていぞくせい)」という四字熟語の出典です。
言葉と物のあいだに必然的な結びつきはない、という指摘は、西洋では二十世紀の言語学で本格的に論じられるテーマです。荀子は紀元前三世紀に、それを統治の問題として書いていました。
出典:荀子 正名篇
名家:白馬は馬に非ず
さらに中国には、言葉と論理そのものを専門にした学派がありました。「名家」です。代表の公孫龍の命題を、『列子』が伝えています。
【書き下し】龍魏王を誑きて曰く、意有るも心あらず、指有るも至らず、物有るも盡きず、影有るも移らず、髮は千鈞を引き、白馬は馬に非ず、孤犢は未だ嘗て母有らず、と。
「白馬は馬ではない」「影は移らない」「髪の毛一本が千鈞を引く」。詭弁に聞こえますが、公孫龍に心酔していた公子牟は、これに一つずつ説明を付けています。「白馬の馬に非ざるは、形と名と離るればなり」――「白」は色の名、「馬」は形の名で、二つを合わせた「白馬」は「馬」と同じ概念ではない、と。
「影は移らず」は、古代ギリシアのゼノンの「飛ぶ矢は止まっている」を思い出させます。時代もそう遠くない東と西で、似た問いが立っていたわけです。
出典:列子 仲尼篇
では、なぜ「東洋には論理がない」と言われるのか。理由の一つは、墨家と名家が、秦・漢の統一以降に途絶えてしまったことです。儒家が正統になり、論理学の系譜は長く読まれなくなりました。「なかった」のではなく、「あったが、主流にならなかった」。これが正確な言い方です。
二、「東洋は議論をしない」― 外れ
荘子と、その論敵であり友人でもあった恵子(恵施、名家の人物です)の問答を見てください。川の橋の上での会話です。
【書き下し】荘子曰く、「儵魚(しゅうぎょ)出でて遊ぶこと従容(しょうよう)たり。是れ魚の楽しみなり」と。恵子曰く、「子は魚に非ず。安(いず)くんぞ魚の楽しみを知らんや」と。荘子曰く、「子は我に非ず。安くんぞ我の魚の楽しみを知らざるを知らんや」と。
「魚が楽しそうに泳いでいる」「君は魚じゃない。なぜ魚の楽しみが分かる」「君は私じゃない。なぜ私が分かっていないと分かる」。
恵子はさらに詰めます。「私は君ではないから君のことは分からない。同じく君は魚ではないのだから、君が魚の楽しみを分からないのは完全に確かだ」。論理としては、恵子のほうが筋が通っています。
荘子の最後の返しは、こうです。
【書き下し】荘子曰く、「請う、其の本に循(したが)わん。子曰く『汝安くんぞ魚の楽しみを知らん』と云う者は、既已(すで)に吾の之を知るを知りて我に問えるなり。我は之を濠上(ごうじょう)に知れるなり」と。
「話の初めに戻ろう。君は『どうして分かるのか(安くんぞ知らん)』と聞いた。それは、私が分かっていることを前提に聞いたのだ。私はそれを、この橋の上で知ったのだよ。」
「安くんぞ」は「どうして」とも「どこで」とも読める語で、荘子はその両義性で切り返しています。屁理屈だと言う人もいれば、論理では届かない知り方を示したと言う人もいます。どちらに立つにせよ、これは紛れもなく議論です。言葉の定義を争い、相手の前提を突いている。
出典:荘子 秋水
人間の本性をめぐる孟子の性善説と荀子の性悪説も、同じ儒家のなかの正面からの論争でした。その原文は、別の記事に並べています。
三、「東洋は言葉を信用しない」― 半分当たり
ここは、当たっている部分があります。
老子は冒頭で「道たる可く道も、常の道に非ず」――言葉にした道は本当の道ではない、と書きました。禅は「不立文字(ふりゅうもんじ)」を掲げます。その出どころとされる話が、『無門関』第六則です。
【書き下し】世尊、昔靈山會上に在りて、花を拈じて眾に示す。是の時眾皆な默然たり。惟だ迦葉尊者のみ破顏微笑す。
釈尊が説法の座で、黙って花を一本つまみ上げた。誰も意味が分からず黙っているなか、迦葉だけがにっこり笑った。そこで釈尊は、「文字を立てず、教外別傳」の法を迦葉に託した。「拈華微笑」「以心伝心」の出典です。
ところが、面白いのはここからです。この話を収めた無門慧開自身が、この美談を持ち上げていません。評のなかで「羊頭を懸けて狗肉を売る」――看板に偽りあり、とまで言い、こう問い詰めます。もしあのとき全員が笑っていたら、法はどう伝わったのか。迦葉が笑わなかったら、どうなったのか。
言葉によらない伝達を美談にした瞬間、それは「分かる人にだけ分かる」という特権の話になってしまう。禅の内部に、「言葉を信用しない」という態度そのものへの批判が組み込まれているのです。
出典:無門関 第六則 世尊拈花
そして、「言葉の限界」を論じたのは東洋だけではありません。二十世紀のウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』を「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」という一文で閉じました。西洋の論理学を極めた人が、最後に言葉の限界に行き着いている。
言葉を疑う伝統は、東にも西にもあります。違いがあるとすれば、東洋ではそれが修行の中心に置かれ、西洋では論理の果てに置かれた、という位置の違いでしょう。
四、「東洋は生き方を問い、西洋は世界を問う」― おおむね当たり
この対比は、かなり当たっています。孔子のこの問答が典型です。
【書き下し】季路、鬼神に事うるを問う。子曰く、「未だ人に事うること能わず、焉んぞ能く鬼に事えん。」「敢えて死を問う。」曰く、「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。」
弟子が霊について尋ねると、「まだ人に仕えることもできていないのに、どうして霊に仕えられようか」。死について尋ねると、「まだ生のことも分からないのに、どうして死が分かろうか」。
孔子は、答えの検証ができない問いから、今日から取り組める問いへと、問いそのものを差し替えています。世界の成り立ちや死後を論じる前に、目の前の人との関係を問う。儒家の重心は、はっきりこちら側にあります。
出典:論語 先進篇
ただし、これは重心の違いであって、有無の違いではありません。
西洋にも、古代ギリシア・ローマのストア派のように、「どう生きるか」を中心に置いた哲学がありました。ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの『自省録』は、その代表です。逆に東洋にも、易経の陰陽論や仏教の縁起説のように、世界の成り立ちを正面から論じた思想があります。
面白いのは、「知る」とは何かについては、東西の古典がほとんど同じことを言っている点です。
【書き下し】子曰く、由よ、女(なんじ)に之を知るを誨えんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す、是れ知るなり。
知っていることを知っているとし、知らないことを知らないとする。それが知るということだ。
プラトンの『ソクラテスの弁明』で、ソクラテスは「自分は知らないことを、知っているとは思っていない。その点でだけ、自分は少し賢いらしい」と語っています(日本では「無知の知」と呼ばれています)。孔子が没してまもなくソクラテスが生まれていますから、二人はほぼ同じ時代の人です。
出典:論語 為政篇
五、本当の違いは、道徳の置き場所にある
では、東洋哲学と西洋哲学の違いは、どこにあるのか。
一つの手がかりを、明治の日本人が残しています。新渡戸稲造は、英語で書いた『武士道』の序文で、この本を書いたきっかけを明かしました。
【書き下し】一日、氏と共に散策して、談たまたま宗教問題に渉るや、老教授、予に問ふあり、「君の説の如くんば、日本の学校に於ては、宗教教育を施すこと無きか」と。予、乃ち答ふるに、其の之れ無きを以てするや、氏は愕然として、にわかに其歩を停め、「ああ、宗教無きか。然らば徳育をいかにかする」と咨嗟するもの数次なりき。
ベルギーの法学者ド・ラヴレーと散歩をしていたとき、「日本の学校では宗教教育をしないのか」と聞かれた。しないと答えると、老教授は驚いて足を止め、「宗教がないのか。では道徳はどうやって教えるのだ」と何度も嘆いた。
新渡戸はその場で答えられませんでした。そして十年後、自分の善悪の観念を分析してみて、それを吹き込んだのが武士道――儒学と禅と神道が混ざり合って形づくられた、武士の生活規範――だったと気づき、それを英語で書いた、というのです。
出典:武士道 原序
ここに、東西の違いがよく出ています。
ラヴレーの驚きが示しているのは、当時のヨーロッパの教育では道徳の土台が宗教に置かれていたということです。善悪は、まず信仰を通じて教わるものだった。一方、東アジアでは、道徳の土台は宗教より先に「学ぶこと」に置かれていました。論語の最初の一句が「学びて時に之を習う」であり、荀子の書が「勧学篇」から始まるのは偶然ではありません。善は、天から与えられるより先に、学んで身につけるものだった。
「東洋は直観、西洋は論理」という対比より、「道徳を支えるのは信仰か、学習か」という対比のほうが、原典の実感に近いと私は考えます。
六、違いを語るときの注意 ― 百二十年前の警告
最後に、「東洋と西洋の違い」を語ること自体の危うさについて。
岡倉天心は1906年、英語で書いた『茶の本』の冒頭で、西洋の読者にこう問いかけました。
【原文】いつになったら西洋が東洋を了解するであろう、否、了解しようと努めるであろう。
そして、西洋が東洋について語ってきた言葉を並べます。インドの精神性は「無知」と言われ、中国の謹直は「愚鈍」と言われ、日本の愛国心は「宿命論の結果」と嘲られた。美点を、そのまま欠点に言い換える語り方です。
出典:茶の本 第一章 人情の碗
ただし天心は、西洋を責めて終わりにしません。
【原文】お互いに違った方面に向かって発展して来ているが、しかし互いに長短相補わない道理はない。諸君は心の落ちつきを失ってまで膨張発展を遂げた。われわれは侵略に対しては弱い調和を創造した。
西洋は落ち着きを失ってまで膨張した。東洋は、侵略に弱い調和をつくった。自分の側の弱さも、はっきり書いています。違いは優劣ではなく、補い合う長短だ、と。
出典:茶の本 第一章 人情の碗
一方、天心とは逆の方向から、同じ時代に警告を発した人がいます。福沢諭吉です。『学問のすゝめ』で、西洋の学問を学んだ当時の知識人たちを、こう批判しました。
【原文】畢竟、漢学者流の悪習を免れざるものにて、あたかも漢を体にして洋を衣にするがごとし。
「中身は漢学者のままで、西洋を衣として着ているだけだ。」横文字を読み、訳書を読んでも、官を目指し、政府の上に立つことしか考えない。知識の中身を東から西に入れ替えても、考え方の型は変わっていない、と。
出典:学問のすゝめ 四編
天心は「西洋は東洋を分かっていない」と言い、福沢は「東洋は西洋を着ているだけだ」と言った。東西の違いを語るとき、私たちはたいてい、どちらかの型で相手を見ています。
「東洋は直観、西洋は論理」という対比表も、その型の一つです。便利ですが、原典を開くと、墨子の論理学が、荘子と恵子の論争が、無門の自己批判が、その表からこぼれ落ちます。
違いを知りたければ、対比表ではなく、両方の原典を一冊ずつ開くのがいちばん確実です。東洋の側から始めるなら、次の記事が入口になります。
→ 東洋哲学とは何か ― わかりやすく、原典で描く地図
→ 東洋哲学の本おすすめ ― 入門書ではなく原典から選ぶ十冊
組織の運営で、儒家の「徳」と法家の「法」がどう対立してきたかは、こちらに書きました。
本記事の出典について
引用した東洋の原文・書き下し文は、すべて師導が収録する底本の値をそのまま使っています。長い段は途中から引いていますが、残した部分は一字も変えていません。各節末のリンクから、その段の全文・現代語訳・解説をご覧いただけます。『武士道』は桜井鴎村による最初の邦訳(1908年)、『茶の本』は村岡博訳です。
西洋の哲学者の言葉(プラトン『ソクラテスの弁明』、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』、ゼノンの逆説、マルクス・アウレリウス『自省録』)は、師導に収録していないため、一般に知られた訳の趣旨で紹介しています。
「影は移らず」とゼノンの逆説の類似、墨家・名家が秦漢以降に途絶えたこと、「安くんぞ」の両義性についての記述は、一般的な思想史の理解に拠っており、学説によって異なる見方があります。「道徳を支えるのは信仰か、学習か」という整理は、本記事の見解です。