「論語読みの論語知らず」という言葉があります。文句をそらんじていても、生き方が変わらなければ意味がない——そうした皮肉が生まれるほど、論語は繰り返し読まれ、暗誦されてきました。孔子とその弟子たちの言葉を記したこの古典は、東洋でもっとも長く読み継がれてきた一冊です。

なぜ二千五百年も残ったのか。答えは単純です。書かれているのが、学び方でも人付き合いでも、いつの時代の人間にも当てはまる「変わらないところ」だからです。技術は移り変わっても、人が学び、迷い、人と関わるという営みそのものは、少しも変わりません。

このページでは、論語のなかでも特に有名な名言・格言を20句選び、原文(白文)・書き下し文・やさしい現代語訳とともに紹介します。気になった一句は、リンク先で詳しい解説まで読めます。まずは、今日の自分にひびく一句を探すつもりで読んでみてください。

学びの姿勢についての名言

孔子は、生涯にわたる学び手でした。晩年に至っても「自分はまだ学び足りない」と語り続けた人です。だからこそ「どう学ぶか」を説いた言葉には、綺麗事ではない実感がこもっています。

学びて時に之を習ふ ——『学而』

學而時習之、不亦說乎。有朋自遠方來、不亦樂乎。人不知而不慍、不亦君子乎。

書き下し: 学びて時に之を習ふ、亦説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)有り遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。

学んだことを折にふれて復習し、少しずつ自分のものにしていく。その手ごたえほど、静かに嬉しいものはありません。志を同じくする友が遠くから訪ねてくる喜び。そして、人に認められなくても腐らない強さ。論語はこの三つの喜びから始まります。冒頭にこれを置いたところに、この書物の性格がよく表れています。学びとは、誰かに評価されるためではなく、それ自体が喜びなのだ、と。

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学びて思わざれば則ち罔し

學而不思則罔、思而不學則殆。

書き下し: 学びて思はざれば則ち罔(くら)し、思ひて学ばざれば則ち殆(あや)ふし。

知識をいくら詰め込んでも、自分の頭で考え直さなければ、身につかないまま宙に浮きます。逆に、考えるばかりで学ばなければ、独りよがりの思い込みに陥って危うい。学ぶことと考えること。孔子はそのどちらかに偏ることを、はっきり戒めました。片方だけでは足りない——インプットとアウトプットという今風の言い方は、二千五百年前にすでに言い尽くされています。

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之を知るを之を知ると為す

由、誨女知之乎。知之為知之、不知為不知、是知也。

書き下し: 由(いう)よ、女(なんぢ)に之を知るを誨(をし)へんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す、是れ知るなり。

知っていることを知っているとし、知らないことは知らないと正直に認める。それが本当の「知」だ——孔子は、血気盛んな弟子の子路に、そう語りかけます。知ったかぶりは、学びの入り口をふさぎます。知らないと認めた瞬間にだけ、次の一歩が始まる。単純ですが、大人になるほど言えなくなる一言です。

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三人行けば、必ず我が師有り

三人行、必有我師焉。擇其善者而從之、其不善者而改之。

書き下し: 三人行けば、必ず我が師有り。其の善き者を択(えら)びて之に従ひ、其の善からざる者にして之を改む。

三人いれば、その中に必ず自分の師がいる。よい点は見習い、よくない点は「自分にも同じところはないか」と省みて正す。ここには、相手を選ばない学びの構えがあります。優れた人からだけ学ぶのではありません。欠点のある人すら、自分を映す鏡になる。そう思えたとき、世界のすべてが教材に変わります。

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敏にして学を好み、下問を恥じず

敏而好學、不恥下問。

書き下し: 敏(びん)にして学を好み、下問(かもん)を恥ぢず。

頭がよく回るのに、なお学ぶことを好む。そして、目下の者にものを尋ねることを恥じない。この二つは、両立しそうで両立しない資質です。能力に自信のある人ほど、「知らない」と言えず、下の者に聞けなくなるからです。地位や年齢を脇に置いて素直に問える人だけが、伸び続ける。伸びる人の条件を、たった八文字が言い当てています。

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自分を修めることについての名言

論語の視線は、いつも外ではなく内に向きます。他人をどう変えるかではなく、自分をどう正すか。そこにこの書物の一貫した重心があります。

吾日に三たび吾が身を省みる

吾日三省吾身。為人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。傳不習乎。

書き下し: 吾(われ)日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀(はか)りて忠ならざるか。朋友と交はりて信ならざるか。習はざるを伝ふるか。

一日に何度も、わが身を省みる。人のために真心を尽くしたか。友に誠実であったか。よく身につけていないことを、わかった顔で人に伝えていないか。弟子の曾子の言葉です。注目すべきは、反省の矛先がすべて自分に向いていることです。誰かを責める点検ではなく、自分を鍛える点検。この向きの違いが、伸びる人とそうでない人を分けます。

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過ちて改めざる、是れを過ちと謂う

過而不改、是謂過矣。

書き下し: 過ちて改めざる、是れを過ちと謂ふ。

過ちを犯すこと自体は、過ちではない。それを改めないことこそが、本当の過ちだ。孔子は、失敗そのものを責めません。人は必ず間違えるからです。問われるのはその後——間違いを認め、正せるかどうか。同じ失敗を「仕方なかった」で終わらせた瞬間に、はじめてそれは取り返しのつかない過ちに変わります。

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人の己を知らざるを患えず

不患人之不己知、患不知人也。

書き下し: 人の己を知らざるを患(うれ)へず、人を知らざるを患ふ。

他人が自分を認めてくれない。そのことに気を病む必要はない、と孔子は言います。気にかけるべきは逆で、自分が他人を正しく理解できているかどうかだ、と。評価されないと焦るとき、人の意識は「認めてほしい」で埋まります。その向きをくるりと反転させる一句です。認められたいと嘆く暇があれば、まず相手を知れ。

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君子は諸を己に求む

君子求諸己、小人求諸人。

書き下し: 君子は諸(これ)を己に求め、小人は諸を人に求む。

立派な人は、問題の原因をまず自分のなかに探す。つまらない人は、まわりのせいにする。両者を分けるのは、能力ではありません。うまくいかないとき、矢印をどちらに向けるか——その一点です。他人と環境に原因を求めているかぎり、自分が変わる余地は生まれません。責任を自分に引き受けた人からだけ、成長が始まります。

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古の学者は己の為にす

古之學者為己、今之學者為人。

書き下し: 古(いにしへ)の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。

昔の学ぶ者は、自分自身を高めるために学んだ。今の学ぶ者は、人に見せるために学ぶ。孔子の時代にすでに、この嘆きがありました。学びが「他人からどう見えるか」に乗っ取られると、資格やスコアは集まっても、肝心の中身が育ちません。何のために学ぶのか。動機のこの一問が、同じ努力の値打ちを丸ごと変えてしまいます。

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仁と人格についての名言

論語がくり返し立ち返るのが「仁」です。人を思いやる心と、それに裏打ちされた人格。孔子は、才能よりもこの一点を重く見ました。

巧言令色、鮮なし仁

巧言令色、鮮矣仁。

書き下し: 巧言令色、鮮(すく)なし仁。

言葉を飾り、表情をつくろって人に取り入る。そういう相手には、仁の心が乏しい。孔子は、愛想のよさそのものを疑えとは言いません。ただ、うわべの巧みさに人が引き寄せられやすいことを、よく知っていました。滑らかな言葉ほど、その裏を一度立ち止まって見る。人を見る目の、いちばん最初の関門です。

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剛毅木訥、仁に近し

剛毅木訥、近仁。

書き下し: 剛毅木訥(ごうきぼくとつ)、仁に近し。

意志が強く、飾り気がなく、口数が少なく、実直である。そういう人は、仁の徳に近い。先の「巧言令色」のちょうど裏返しです。弁が立つことは、それ自体は徳ではありません。むしろ、言葉が少なく不器用なほうが、人柄の芯は伝わることがある。口のうまさで人を測る癖に、静かに釘を刺す一句です。

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君子は器ならず

君子不器。

書き下し: 君子は器(うつわ)ならず。

君子は、一つの用途しかない器のようではない。器は、皿は皿、壺は壺と、決まった使い道しか持ちません。人がそうなってはいけない、と孔子は言います。一つの専門に閉じこもらず、広く見わたし、応用の利く見識と徳を備える。専門性が細分化した今こそ、この短い四文字は重く響きます。

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君子は和して同ぜず

君子和而不同、小人同而不和。

書き下し: 君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。

君子は、人と調和しながらも、無批判には同調しない。小人は、まわりに合わせるだけで、本当の調和には至らない。「和」と「同」は似て非なるものです。異なる意見を持ったまま協力できるのが和。反論を飲み込んで表面をそろえるのが同。会議が静かにまとまったとき、それが和なのか同なのか——問う価値のある違いです。

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君子は人の美を成す

君子成人之美、不成人之惡。小人反是。

書き下し: 君子は人の美を成し、人の悪を成さず。小人は是に反す。

君子は、他人のよい点を伸ばし、実を結ぶよう助ける。悪いほうへは手を貸さない。小人は、その逆をする。人の成功を喜べるか、それとも足を引っ張りたくなるか。ここには、器の大きさがそのまま出ます。他人の長所に素直に目を向けられる人のまわりには、自然と人が育っていきます。

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志と生き方についての名言

最後は、人生の軸を定めてくれる言葉です。日々の判断に迷ったとき、立ち返る場所になります。

利を見ては義を思う

見利思義。

書き下し: 利を見ては義を思ふ。

目の前に利益があらわれたとき、それが道義にかなうかを、まず考える。利は、人の判断を一瞬で曇らせます。だからこそ、飛びつく前のその一呼吸が効いてきます。得か損かではなく、正しいかどうか。順番を間違えないだけで、後で悔いる選択はずいぶん減ります。

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賢を見ては斉しからんことを思う

見賢思齊焉、見不賢而內自省也。

書き下し: 賢を見ては斉(ひと)しからんことを思ひ、不賢を見ては内に自ら省みる。

優れた人を見たら、あの人に近づこうと努める。劣った人を見たら、自分にも同じ欠点がないかと省みる。人を見て羨むのでも、見下すのでもありません。どちらの相手も、自分を磨く材料に変えてしまう。出会う人すべてが鏡になるという点で、先の「三人行けば必ず我が師有り」と一本の線でつながっています。

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朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり

朝聞道、夕死可矣。

書き下し: 朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆふべ)に死すとも可なり。

朝に真理を悟ることができたなら、その日の夕方に死んでも悔いはない。論語のなかでも、とりわけ張りつめた一句です。孔子にとって「道」を知ることは、命の長さと引き換えにできるほどの価値でした。長く生きることより、深く分かること。その優先順位の付け方に、この人の生き方の全部が凝縮されています。

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吾十有五にして学に志す

吾十有五而志於学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲不踰矩。

書き下し: 吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)ふ。七十にして心の欲する所に従ひて、矩(のり)を踰(こ)えず。

十五で学に志し、三十で自立し、四十で迷わなくなり、五十で天命を知り、六十で人の言葉を素直に聞け、七十で思うままに振る舞っても道を外さなくなった。孔子が自らの生涯を振り返った言葉です。「而立(三十)」「不惑(四十)」「知命(五十)」——年齢を表すお馴染みの言葉の多くは、ここに由来します。完成された聖人ではなく、七十年かけて少しずつ仕上がっていった一人の人間の記録として読むと、この一句は急に身近になります。

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徳は孤ならず、必ず隣有り

德不孤、必有隣。

書き下し: 徳は孤ならず、必ず隣有り。

徳のある人は、決して孤立しない。必ず、それに共鳴して寄り添う人が現れる。正しくあろうとする毎日は、しばしば孤独で、報われないように感じられます。この一句は、そこに静かに手を添えます。すぐに理解されなくても、まっとうな在り方は、時間をかけて必ず人を引き寄せる。焦らず続けよ、という励ましです。

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おわりに

論語の名言は、暗記するためではなく、使うためにあります。二十句を読み通しても、生き方が一つも変わらなければ、それこそ「論語読みの論語知らず」です。

だから、全部を覚えようとしなくてかまいません。今日いちばん心に残った一句を、明日の選択にひとつだけ当てはめてみる。それを続けたとき、二千五百年前の言葉が、はじめて自分のものになります。

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