学問のすゝめ / 初編・人間普通日用に近き実学
されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬えば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合いの仕方、算盤の稽古、天秤の取扱い等を心得、なおまた進んで学ぶべき箇条ははなはだ多し。地理学とは日本国中はもちろん世界万国の風土道案内なり。究理学とは天地万物の性質を見て、その働きを知る学問なり。歴史とは年代記のくわしきものにて万国古今の有様を詮索する書物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。修身学とは身の行ないを修め、人に交わり、この世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり。
書き下し
されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬えば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合いの仕方、算盤の稽古、天秤の取扱い等を心得、なおまた進んで学ぶべき箇条ははなはだ多し。地理学とは日本国中はもちろん世界万国の風土道案内なり。究理学とは天地万物の性質を見て、その働きを知る学問なり。歴史とは年代記のくわしきものにて、万国古今の有様を詮索する書物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。修身学とは身の行ないを修め、人に交わり、この世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり。
現代語訳
ですから今、そのような実のない学問はまず後回しにして、もっぱら励むべきは、人が普段の日常に近いところで使う実学です。たとえば、いろは四十七文字を習い、手紙の書き方、帳簿のつけ方、そろばんの稽古、天秤の扱い方などを心得ること。さらに進んで学ぶべき項目は非常に多くあります。地理学とは日本国内はもちろん世界各国の風土の案内です。究理学とは天地万物の性質を見てその働きを知る学問です。歴史とは年代記を詳しくしたもので、世界の古今の有様を調べる書物です。経済学とは一人の身、一つの家のやりくりから天下のやりくりまでを説いたものです。修身学とは身の行いを整え、人と交わり、この世を渡るべき自然の道理を述べたものです。
解説

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『新論』國體下今夫れ天下米穀の賤くして貨幣の乏しきを患ふ。米穀乃ち賤きに非ざるなり、貨幣乃ち乏しきに非ざるなり、而して百物の甚だ貴きなり。設し斗米の価銀五銭にして、一衣裘も亦五銭ならしめば、則ち斗米以て一衣裘に易ふべし。今木綿の裘と雖も、六七斗を鬻ぐに非ざれば則ち其の直を償ふ能はず。是れ衣裘の貴きにして、穀の賤きに非ざるなり。穀なる者は取りて以て腹に充つるのみ。之を銷すこと限り有り。百物は新を競ひ奇を闘はせ、愈々出でて愈々窮まり無し。乃ち一婦の首飾にして中農一家の産に当たるに至る。銷すこと限り有る者を以てして、愈々出でて窮まり無き者を逐ふ。百物の皆貴き所以にして、米穀の独り賤き所以なり。
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『新論』國體下夫れ天下の米穀未だ嘗て多からざるなり。而して甚だ多きが如き者は、其の勢之をして然らしむるのみ。凡そ物散じて之を各所に蔵すれば、其の数多しと雖も、未だ其の甚だ多きを見ること有らず。聚めて之を一所に陳ぬれば、寡しと雖も亦猶多きがごとし。是れ自然の勢なり。故に一石の米を家に蔵するは、未だ以て多しと為すに足らざるも、万家にして之を鬻ぎ、万石を市に陳ぬれば、未だ嘗て視て以て夥しと為さずんばあらず。而して武士都城に聚処し、終歳の俸を尽くして、以て口腹に奉じ婦女を悦ばしめ、甲兵を繕ひ徒卒を養ふを得ず。故に米穀家に蔵せず、挙げて之を市に鬻ぐ。農民困乏して奢惰なるも、亦歳収を挙げて之を鬻ぐ。鬻ぐ所愈々多ければ、則ち米価愈々賤し。賤しければ則ち其の鬻ぐこと多からざるを得ず。之を鬻ぐこと愈々多くして、直を得ること旧に益さず。是を以て民流亡して地余り有り。地余り有りて租賦減ぜず。其の税其の鬻、一家の産を傾くと雖も、猶且つ足らず。故に之を鬻ぐこと日に多くして、天下の穀日に耗る。天下の穀日に耗りて、都会の穀日に盈つ。都会の盈つるを見れば、則ち天下の虚知るべきなり。
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『新論』國體下古者百事簡易にして、四民勤動し、其の営求する所の者は、功を通じ事を易ふるに過ぎず。之を生ずること甚だ広くして、用途甚だ狭し。朝廷漸く奢靡を尚ぶに及び、国家の用を貶して、以て婦女の玩好に供し、異化の徒横肆して、天下の財を傾けて、以て堂宇を造り、天下の穀を糜して、以て浮冗を食はしむ。藤氏権を専らにして、権勢の家、私儲を営み私人を蓄へ、荘園天下に遍く、其の正税を出だして以て王事に供する者幾ばくも無し。而して権勢の私人、所謂守護地頭なる者、又財穀を私儲して富厚世を累ね、国郡に拠有して、天下の富遂に武人に移る。然れども兵なる者は民社を鎮むる所以なり。天下の武士各々私卒を養ふ、亦未だ冗食と為さず。故に古者天下乱ると雖も、而も未だ甚だしくは貧に苦しまざるなり。今天下治平にして、上下皇皇として、唯だ貧を是れ患ふる者は何ぞや。天下の財を理むること其の道を得ざればなり。
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『新論』國體下夫れ武人土を離るれば、其の勢多く卒を養ふを得ず。故に間民を市井に雇ひて、以て騶従に充て工役に供す。間民都城に充斥し、緩急用ゐるべからずして、坐して粱肉に飽く。其の冗為るや大なり。天下の仏寺殆ど五十万、僧尼及び奴隷を通計すれば、其の幾百万なるを知らず。(唐の傅奕高祖に上書して言ふ、僧尼をして匹配せしめば、即ち十余万戸と云云。武宗仏寺を廃し、其の上都及び東都は二寺を留め、節鎮は各々一寺を留め、寺四千六百余区、招提蘭若四万余区を毀ち、僧尼の帰俗する者二十六万五百人、良田数千万頃、奴婢十五万人を収む。之に拠れば則ち唐国の土地の大にして、其の仏寺の多き、神州の十分の一に及ばず。然るに時人尚ほ以て夥しと為す。則ち神州の仏寺も亦盛んなりと謂ふべし。)
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『新論』國體下且つ夫れ都会も亦多く無用の穀を儲ふる能はず。故に都会の穀と雖も、亦以て都会の人を食はしめて稍余り有るに過ぎざるのみ。其の実は甚だしくは多からざるなり。凡そ盈縮の数、其の実は甚だしくは相遠からずして、其の勢は相霄壌たるが如き者有り。之を啖ひて飽く者に譬ふ。既に腹に充つれば、稍一分を多くすれば、則ち甚だ余り有るが如し。未だ飽くに及ばざれば、一分を少なくすれば、則ち大いに足らざるが如し。是れ其の過不及の差為ること眇少なるのみ。然れども其の足らざる者を取りて、之を余り有る者に比すれば、盈虚の相去ること、大いに相懸たるが如き者は勢なり。故に曰く、天下の穀未だ嘗て多からず、而して都会の穀も亦未だ甚だしくは多からざるなりと。
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『新論』國體下凡そ天下の物偏重有れば、則ち其の軽からざる者も亦猶軽きがごとし。故に百物の偏重にして、貨幣の偏軽、百物の偏貴にして、米穀の偏賤なる、是れ其の勢の尤も見易き者なり。而して武士都会に聚処し、終歳用ゐる所、一毫と雖も市に資らざるを得ず。愈々賤き穀を以て、愈々軽き金に易へ、愈々軽き金を以て、愈々貴き物を償ふ。其の費固より給せず。而して其の養ふ所の倍卒も、亦皆奢侈に習ひ、養ふに薄俸を以てすべからず。陪卒を罷めて歳々奴隷を買ふ。(俚語に所謂年季なる者是れなり。)奴隷も亦奢り、亦多く之を畜ふを得ず。故に時に臨みて之を市井に傭ふ。市井も亦奢り、雇銭日に貴く、亦其の給し難きを患ふ。而して其の居家の冗費、妻妾の奉、玩好の用、日に一日より厚く、終歳の入、出づる所を償はず。富人に就きて乞貸し、習ひて以て俗を成す。邦を有ち土を有つと雖も、亦富民に仰給せざる莫し。豪姦大猾、貨財の権を操り、王公を股掌の上に愚弄す。是に於てか天下の富遂に市人に帰す。