学問のすゝめ / 三編・一身独立して一国独立すること・その身は客分のつもりにて
駿河の人民はただ義元一人によりすがり、その身は客分のつもりにて、駿河の国をわが本国と思う者なく、フランスには報国の士民多くして国の難を銘々の身に引き受け、人の勧めを待たずしてみずから本国のために戦う者あるゆえ、かかる相違もできしことなり。これによりて考うれば、外国へ対して自国を守るに当たり、その国人に独立の気力ある者は国を思うこと深切にして、独立の気力なき者は不深切なること推して知るべきなり。
書き下し
駿河の人民はただ義元一人によりすがり、その身は客分のつもりにて、駿河の国をわが本国と思う者なく、フランスには報国の士民多くして、国の難を銘々の身に引き受け、人の勧めを待たずしてみずから本国のために戦う者あるゆえ、かかる相違もできしことなり。これによりて考うれば、外国へ対して自国を守るに当たり、その国人に独立の気力ある者は国を思うこと深切にして、独立の気力なき者は不深切なること、推して知るべきなり。
現代語訳
駿河の人民はただ義元一人に寄りかかり、自分は客分のつもりで、駿河の国を自分の本国と思う者がなく、フランスには国に報いる人々が多く、国の難儀をそれぞれ自分の身に引き受け、人に勧められるのを待たずに自ら本国のために戦う者がいたので、このような違いが生じたのです。これによって考えれば、外国に対して自国を守るにあたって、その国の人に独立の気力がある者は国を思うことが切実で、独立の気力のない者は切実でないことが、推して知られるでしょう。
解説
対比の答えが示されます。違いは兵力でも指揮官でもなく、人民が当事者か客分かだった。人の勧めを待たずに自ら戦う、という一句が要で、動員されたのではなく自発だった点が強調されています。第一条の証明がこれで完了し、次の段から第二条へ移ります。歴史の事例を論証の材料として使う手つきが、この編では一貫しています。
この章句が説くこと
客分自発当事者比較証明
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