学問のすゝめ / 三編・一身独立して一国独立すること・今川義元とナポレオン
昔戦国の時、駿河の今川義元、数万の兵を率いて織田信長を攻めんとせしとき、信長の策にて桶狭間に伏勢を設け、今川の本陣に迫りて義元の首を取りしかば、駿河の軍勢は蜘蛛の子を散らすがごとく、戦いもせずして逃げ走り、当時名高き駿河の今川政府も一朝に亡びてその痕なし。近く両三年以前、フランスとプロイセンとの戦いに、両国接戦のはじめ、フランス帝ナポレオンはプロイセンに生け捕られたれども、仏人はこれによりて望みを失わざるのみならず、ますます憤発して防ぎ戦い、骨をさらし血を流し、数月籠城ののち和睦に及びたれども、フランスは依然として旧のフランスに異ならず。かの今川の始末に比ぶれば日を同じゅうして語るべからず。そのゆえはなんぞや。
書き下し
昔戦国の時、駿河の今川義元、数万の兵を率いて織田信長を攻めんとせしとき、信長の策にて桶狭間に伏勢を設け、今川の本陣に迫りて義元の首を取りしかば、駿河の軍勢は蜘蛛の子を散らすがごとく、戦いもせずして逃げ走り、当時名高き駿河の今川政府も一朝に亡びてその痕なし。近く両三年以前、フランスとプロイセンとの戦いに、両国接戦のはじめ、フランス帝ナポレオンはプロイセンに生け捕られたれども、仏人はこれによりて望みを失わざるのみならず、ますます憤発して防ぎ戦い、骨をさらし血を流し、数月籠城ののち和睦に及びたれども、フランスは依然として旧のフランスに異ならず。かの今川の始末に比ぶれば、日を同じゅうして語るべからず。そのゆえはなんぞや。
現代語訳
昔、戦国の時代に駿河の今川義元が数万の兵を率いて織田信長を攻めようとしたとき、信長の策によって桶狭間に伏兵を置き、今川の本陣に迫って義元の首を取りました。すると駿河の軍勢は蜘蛛の子を散らすように、戦いもせずに逃げ去り、当時名高かった駿河の今川政府も一朝にして滅び、跡形もありません。近く二、三年前、フランスとプロイセンの戦いで、両国が戦い始めたときフランスの皇帝ナポレオンはプロイセンに生け捕られましたが、フランス人はこれによって望みを失わないばかりか、ますます奮起して防ぎ戦い、骨をさらし血を流し、数か月の籠城の後に和睦に至りましたが、フランスは依然として元のフランスと変わりません。あの今川の顛末と比べれば、同列に語ることはできません。その理由は何でしょうか。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
尚書・咸有一德七世の廟は、以て徳を観るべし。万夫の長は、以て政を観るべし。
-
『墨子』公孟二三子、子墨子に復して曰く、「告子は仁を為すに勝えたり」と。子墨子曰く、「未だ必ずしも然らざるなり。告子の仁を為すは、譬うれば猶お跛にして以て長しと為し、隠にして以て廣しと為すがごとし。久しかる可からざるなり」と。
-
『呻吟語』内篇・存心・千金の子の盜を防ぐがごとし千日義を集むるも、一刻も心に慊らざるを禁じ得ず。是を以て君子は瞬存息養し、一刻も道義の上に在らざること無し。其の不義を防ぐや、千金の子の盜を防ぐがごとし、餒うるを懼るるの故なり。
-
論語・顔淵篇子張、政を問う。子曰く、「之に居りて倦むこと無く、之を行うに忠を以てす。」
-
『後世への最大遺物』第一回・上から掘れ、おれは下から掘る「われわれのような貧乏人で、貧乏人には何も大事業を遺して逝くことはできない」というと、弟が兄に向っていうには、「この山をくり抜いて湖水の水をとり、水田を興してやったならば、それが後世への大なる遺物ではないか」というた。兄は「それは非常に面白いことだ、それではお前は上の方から掘れ、おれは下の方から掘ろう。一生涯かかってもこの穴を掘ろうじゃないか」といって掘り始めた。それでどういうふうにしてやりましたかというと、そのころは測量器械もないから、山の上に標を立てて、両方から掘っていったとみえる。それから兄弟が生涯かかって何もせずに……たぶん自分の職業になるだけの仕事はしたでございましょう……兄弟して両方からして、毎年毎年掘っていった。
-
『囲炉夜話』第百三十則・川は海を學びて海に至る川は海を學びて海に至る、故に道を謀る者は、止心有るべからず。 莠は苗に非ずして苗に似たり、故に理を窮むる者は、真見無かるべからず。