学問のすゝめ / 二編・人は同等なること・大名の命も人足の命も
大名の命も人足の命も、命の重きは同様なり。豪商百万両の金も、飴やおこし四文の銭も、己がものとしてこれを守るの心は同様なり。世の悪しき諺に、「泣く子と地頭には叶わず」と。またいわく、「親と主人は無理を言うもの」などとて、あるいは人の権理通義をも枉ぐべきもののよう唱うる者あれども、こは有様と通義とを取り違えたる論なり。地頭と百姓とは、有様を異にすれどもその権理を異にするにあらず。百姓の身に痛きことは地頭の身にも痛きはずなり、地頭の口に甘きものは百姓の口にも甘からん。痛きものを遠ざけ甘きものを取るは人の情欲なり他の妨げをなさずして達すべきの情を達するはすなわち人の権理なり。この権理に至りては地頭も百姓も厘毛の軽重あることなし。ただ地頭は富みて強く、百姓は貧にして弱きのみ。貧富、強弱は人の有様にてもとより同じかるべからず。
書き下し
大名の命も人足の命も、命の重きは同様なり。豪商百万両の金も、飴やおこし四文の銭も、己がものとしてこれを守るの心は同様なり。世の悪しき諺に、「泣く子と地頭には叶わず」と。またいわく、「親と主人は無理を言うもの」などとて、あるいは人の権理通義をも枉ぐべきもののよう唱うる者あれども、こは有様と通義とを取り違えたる論なり。地頭と百姓とは、有様を異にすれども、その権理を異にするにあらず。百姓の身に痛きことは地頭の身にも痛きはずなり、地頭の口に甘きものは百姓の口にも甘からん。痛きものを遠ざけ甘きものを取るは人の情欲なり。他の妨げをなさずして達すべきの情を達するは、すなわち人の権理なり。この権理に至りては、地頭も百姓も厘毛の軽重あることなし。ただ地頭は富みて強く、百姓は貧にして弱きのみ。貧富、強弱は人の有様にて、もとより同じかるべからず。
現代語訳
大名の命も人足の命も、命の重さは同じです。豪商の百万両の金も、飴やおこしの四文の銭も、自分のものとして守ろうとする心は同じです。世の悪い諺に、泣く子と地頭には勝てない、と言います。また、親と主人は無理を言うものだ、などと言って、人の権利まで曲げてよいもののように唱える者がいますが、これは有様と権利を取り違えた議論です。地頭と百姓は有様は異なりますが、その権利が異なるのではありません。百姓の身に痛いことは地頭の身にも痛いはずであり、地頭の口に甘いものは百姓の口にも甘いでしょう。痛いものを遠ざけ甘いものを取るのは人の情です。他人の妨げをせずに満たすべき情を満たすこと、それが人の権利です。この権利に至っては、地頭も百姓も少しの軽重もありません。ただ地頭は富んで強く、百姓は貧しくて弱いだけです。貧富と強弱は人の有様であって、もともと同じであるはずがありません。
解説
この章句が説くこと
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『学問のすゝめ』二編・人は同等なること・権理通義の等しきを言うなりゆえに今、人と人との釣合いを問えば、これを同等と言わざるを得ず。ただしその同等とは有様の等しきを言うにあらず、権理道義の等しきを言うなり。その有様を論ずるときは、貧富、強弱、智愚の差あることはなはだしく、あるいは大名華族とて御殿に住居し美服、美食する者もあり、あるいは人足とて裏店に借屋して今日の衣食に差しつかえる者もあり、あるいは才智逞しゅうして役人となり商人となりて天下を動かす者もあり、あるいは智恵分別なくして生涯、飴やおこしを売る者もあり、あるいは強き相撲取りあり、あるいは弱きお姫様あり、いわゆる雲と泥との相違なれども、また一方より見て、その人々持ち前の権理通義をもって論ずるときは、いかにも同等にして一厘一毛の軽重あることなし。すなわちその権理通義とは、人々その命を重んじ、その身代所持のものを守り、その面目名誉を大切にするの大義なり。天の人を生ずるや、これに体と心との働きを与えて、人々をしてこの通義を遂げしむるの仕掛けを設けたるものなれば、なんらのことあるも人力をもってこれを害すべからず。
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『学問のすゝめ』二編・人は同等なること・レシプロシチまたはエクウオリチかかる悪風俗の起こりし由縁を尋ぬるに、その本は人間同等の大趣意を誤りて、貧富強弱の有様を悪しき道具に用い、政府富強の勢いをもって貧弱なる人民の権理通義を妨ぐるの場合に至りたるなり。ゆえに人たる者は常に同位同等の趣意を忘るべからず。人間世界にもっとも大切なることなり。西洋の言葉にてこれをレシプロシチ、またはエクウオリチと言う。すなわち初編の首に言える万人同じ位とは、このことなり。
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『学問のすゝめ』二編・人は同等なること・切捨て御免などの法また右の議論を世の中のことに当てはめて言わん。旧幕府の時代には士民の区別はなはだしく、士族はみだりに権威を振るい、百姓・町人を取り扱うこと目の下の罪人のごとくし、あるいは切捨て御免などの法あり。この法によれば、平民の生命はわが生命にあらずして借り物に異ならず。百姓・町人は由縁もなき士族へ平身低頭し、外にありては路を避け、内にありて席を譲り、はなはだしきは自分の家に飼いたる馬にも乗られぬほどの不便利を受けたるは、けしからぬことならずや。
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『学問のすゝめ』二編・人は同等なること・人は同等なること初編の首に、人は万人みな同じ位にて、生まれながら上下の別なく自由自在云々とあり。今この義を拡めて言わん。人の生まるるは天の然らしむるところにて人力にあらず。この人々互いに相敬愛して、おのおのその職分を尽くし、互いに相妨ぐることなき所以は、もと同類の人間にして、ともに一天を与にし、ともに与に天地の間の造物なればなり。譬えば一家の内にて兄弟相互に睦しくするは、もと同一家の兄弟にして、ともに一父一母を与にするの大倫あればなり。
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『学問のすゝめ』二編・人は同等なること・力士が隣の人の腕を捻り折るしかるに今、富強の勢いをもって貧弱なる者へ無理を加えんとするは、有様の不同なるがゆえにとて他の権理を害するにあらずや。これを譬えば、力士がわれに腕の力ありとて、その力の勢いをもって隣の人の腕を捻り折るがごとし。隣の人の力はもとより力士よりも弱かるべけれども、弱ければ弱きままにてその腕を用い、自分の便利を達して差しつかえなきはずなるに、いわれなく力士のために腕を折らるるは、迷惑至極と言うべし。
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『学問のすゝめ』初編・天は富貴を人の働きに与う身分重くして貴ければ、おのずからその家も富んで、下々の者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本を尋ぬれば、ただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。諺にいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。