人を採る、任せる、評価する。そのたびに「性善説でいくか、性悪説でいくか」という言い方が出てきます。性善説は「人を信じて任せる」、性悪説は「人を疑って縛る」。たいていは、そういう意味で使われています。
この二つの言葉のもとは、中国の戦国時代を生きた二人の儒者です。「性善(せいぜん)」は孟子(もうし)、「性悪(せいあく)」は荀子(じゅんし)。ところが二人の本を開くと、話はだいぶ違います。
たとえば、孟子は「人は放っておいても善くなる」とは言っていません。荀子も「人は信用できない」とは言っていません。それどころか、二人は同じ一点ではっきり一致しています。どちらも「道を行く誰でも聖人になれる」と書き、「生まれつき善い人と悪い人がいる」という説を退けているのです。
この記事では、性善説と性悪説の違いを、孟子と荀子の原文で読んでいきます。何が同じで、何が違うのか。後の人はこの対立をどう折り合わせたのか。最後に、人を預かる立場でこの二つをどう使えばよいかまで考えます。
引用は、師導が収録する各書の底本から、読みの欄をそのまま切り出しています。
先に結論 ― 性善説と性悪説の違い
長くなるので、先に要点を置いておきます。
- 性善説(孟子):人の内には善の「芽」がある。芽は放っておけば伐られ、踏まれて消える。だから育て、広げなければならない。
- 性悪説(荀子):人は生まれつきの欲に任せると争いに行き着く。善い振る舞いは、学びと礼で後から作った「人為(偽)」である。だから外から型を当てなければならない。
- 一致する点:どちらも「誰でも聖人になれる」と言う。どちらも学ぶことを欠かせないと言う。
- 違う点:善がどこから来るか。孟子は内から育つと言い、荀子は外から作ると言う。
「信じるか、疑うか」の違いではありません。「人の善さは、どこから来るのか」の違いです。以下、原文で確かめていきます。
一、孔子は、決めなかった
二人はどちらも孔子の教えを継ぐ儒者です。では孔子本人は、人の本性をどう言ったのか。『論語』で「性」の字が出てくる章は、二つしかありません。
【書き下し】子曰わく、性相近くして、習い相遠し。
出典:論語 陽貨篇
生まれつきは互いに近い。差をつけるのは、その後の習いだ。孔子が言ったのはここまでです。善とも悪とも言っていません。
もう一つの章は、弟子の子貢(しこう)の証言です。
【書き下し】子貢曰く、「夫子の文章は、得て聞く可きなり。夫子の性と天道とを言うは、得て聞く可からざるなり。」
出典:論語 公冶長篇
先生の学問の話は聞くことができた。けれども、人の本性と天の道について語るのは聞けなかった。孔子は、人の本性について多くを語らなかった人でした。
ですから、性善も性悪も、孔子の言葉ではありません。孔子が「近い」とだけ言って空けておいた場所を、百年あまり後の孟子と、さらに数十年後の荀子が、それぞれの答えで埋めた。そう見るのが正確です。
二、「性善」の二字は、『孟子』に二度しか出てこない
意外なことに、『孟子』のなかで「性善」の二字が出てくるのは二か所だけです。師導は『孟子』の本文を全二百七十七の章句に収めていますが、その全文で数えて二か所でした。しかも、どちらも孟子本人の台詞ではありません。
一つ目は、地の文です。
【書き下し】滕の文公、世子為りしとき、將に楚に之かんとし、宋に過ぎりて孟子を見る。孟子、性善を道い、言えば必ず堯舜を稱す。
出典:孟子 滕文公章句上
小国・滕(とう)の太子が孟子に会った。孟子は性善を説き、話すたびに堯(ぎょう)と舜(しゅん)を引き合いに出した。記録した側が、孟子の話をそうまとめたのです。
二つ目は、弟子の公都子(こうとし)の問いのなかに出てきます。ここは、当時どんな説が並んでいたかが分かる大事な章です。
【書き下し】公都子曰く、「告子曰く、『性は善も無く不善も無きなり。』或ひと曰く、『性は以て善を為す可く、以て不善を為す可し。是の故に文武興れば、則ち民善を好み、幽厲興れば、則ち民暴を好む。』或ひと曰く、『性善なる有り、性不善なる有り。
出典:孟子 告子章句上
公都子が挙げた説は三つです。告子(こくし)の「本性には善も不善もない」。「善にも不善にもなりうる。名君が出れば民は善を好み、暴君が出れば暴を好む」。「生まれつき善い者もいれば、悪い者もいる」。そこへ孟子の「性は善」が加わって、四つ。
つまり性善説は、白紙の上に唱えられた説ではありません。いくつもの説が並ぶなかで、論争を通して形になった説です。荀子の性悪説は、さらにその後から出てきます。
三、孟子 ― 水が低いほうへ流れるように
性善説の筋道がいちばんよく見えるのは、告子との問答です。告子は、人の本性を渦を巻く水にたとえました。
【書き下し】告子曰く、「性は猶ほ湍水のごときなり。諸を東方に決すれば、則ち東流し、諸を西方に決すれば、則ち西流す。人性の善不善を分かつこと無きは、猶ほ水の東西を分かつこと無きがごときなり。」孟子曰く、「水は信に東西を分かつこと無きも、上下を分かつこと無からんや。人性の善なるや、猶ほ水の下に就くがごときなり。人、善ならざること有る無く、水、下らざること有る無し。
出典:孟子 告子章句上
東の堤を切れば東へ、西を切れば西へ流れる。人の本性に善も不善もないのは、水に東西の区別がないのと同じだ、と告子は言います。孟子は同じ水のたとえで返しました。東西の区別はなくても、上下の区別はあるだろう。水が低いほうへ流れるように、人の本性は善へ向かう。
では、人が悪いことをするのはなぜか。孟子は続けて、水を打てば額より高く跳ね、せき止めれば山の上にも押し上げられる、と言います。
【書き下し】是れ豈に水の性ならんや。其の勢い則ち然るなり。
それは水の性ではない。外から加わった勢いがそうさせているのだ。孟子にとって悪は、本性の側ではなく、外から加わる力の側にあります。
では、善へ向かう本性があるとして、それはどこに見えるのか。孟子がいちばん有名な例を出したのは、公孫丑(こうそんちゅう)篇です。
【書き下し】今、人乍(たちまち)ち孺子の將に井に入らんとするを見れば、皆怵惕惻隱の心有り。交わりを孺子の父母に内るる所以に非ざるなり。
出典:孟子 公孫丑章句上
幼い子が井戸に落ちかけているのを見れば、誰でもはっとして、かわいそうにと思う。子の親と近づきになりたいからではない。褒められたいからでも、悪く言われたくないからでもない。考える前に心が動く。孟子はそこに善の証拠を見ました。
大事なのは、その先の言い方です。
【書き下し】惻隱の心は、仁の端なり。羞惡の心は、義の端なり。辭讓の心は、禮の端なり。是非の心は、智の端なり。
「端(たん)」は、糸口、芽生えの意味です。憐れむ心は仁の芽、恥じる心は義の芽、譲る心は礼の芽、是非を分ける心は智の芽。これを「四端(したん)」と呼びます。
孟子は「人はみな仁者だ」とは言っていません。人には仁の「芽」があると言ったのです。そして芽は、燃え始めたばかりの火、湧き出したばかりの泉のようなものだから、広げて満たさなければならない、と続けます。広げれば天下を保てるが、広げなければ父母に仕えることさえできない、と。
四、性善説は、放っておく説ではない
性善説を「人は善いのだから、任せておけばいい」と読むと、孟子のいちばん有名な比喩の一つと合わなくなります。牛山(ぎゅうざん)の木の話です。
【書き下し】孟子曰く、「牛山の木、嘗て美なりき。其の大國に郊なるを以て、斧斤之を伐る。以て美と為す可けんや。
出典:孟子 告子章句上
斉の都の近くにある牛山は、かつて木が美しく茂っていた。都に近いので斧で伐られた。それでも雨露を受けて新しい芽は出る。ところがそこへ牛や羊を放すので、芽は食われ、山はつるつるになった。
【書き下し】人、其の濯濯たるを見て、以て未だ嘗て材有らずと為す。此れ豈に山の性ならんや。
はげ山を見た人は、この山にはもともと木がなかったのだと思う。しかしそれは山の本性ではない。人も同じで、毎日のように良心を伐られていれば、やがて獣と変わらなくなる。それを見て「人にはもともと善い心などない」と言うのは誤りだ、と孟子は言います。そして、こう結びます。
【書き下し】故に苟くも其の養いを得れば、物として長ぜざる無く、苟くも其の養いを失えば、物として消せざる無し。
養われれば育たないものはなく、養いを失えば消えないものはない。
ここに性善説のもう一つの顔があります。善の芽は弱い。伐られもするし、踏まれもする。孟子は人間の悪い姿を知らなかったのではなく、それを毎日見たうえで、「それは本性ではなく、伐られた結果だ」と言ったのです。公都子への答えでも、孟子はこう述べていました。
【書き下し】仁義禮智は、外由り我を鑠(シャク)するに非ざるなり。我之を固有するなり。思わざるのみ。故に曰く、『求むれば則ち之を得、舍つれば則ち之を失う。』
出典:孟子 告子章句上
仁義礼智は、外から金メッキのように貼りつけたものではない。もともと自分のなかにある。ただ、思わないだけだ。求めれば得られ、放っておけば失う。性善説は、努力を要らないとする説ではなく、努力の向かう先は自分のなかにあるという説です。
五、荀子 ― 「其の善なる者は偽なり」
孟子より数十年後、戦国時代の末に、荀子がこの説に真っ向から反対しました。『荀子』性悪篇の冒頭です。
【書き下し】人の性は悪にして、其の善なる者は偽(ぎ)なり。今(いま)人の性、生まれながらにして利を好むこと有り、是(これ)に順(したが)う、故に争奪生じて辞讓(じじょう)亡(ほろ)ぶ。
出典:荀子 性悪篇
人の性は悪であり、善いところは「偽」である。人は生まれながらに利を好む。それに従えば奪い合いが起きて、譲り合いが消える。
ここで二つの字に注意が要ります。
一つは「悪」。荀子の言う悪は、生まれつきの罪や邪悪さのことではありません。性悪篇は別の段で、善を「正理平治(道理が行われ、世が治まること)」、悪を「偏険悖乱(偏って危うく、乱れること)」と定義しています。放っておけば乱れに行き着く、という結果の話です。
もう一つは「偽」。これは「いつわり」ではありません。人偏に為と書くとおり、人が為したこと、つまり人為です。唐の時代に『荀子』に注をつけた楊倞(ようりょう)も「偽は為なり」と注しています。善い振る舞いは、生まれつき備わったものではなく、学んで作り上げたものだ。これが性悪説の芯です。
荀子はこれを、職人の比喩で言い表しました。
【書き下し】故に枸木(こうぼく)は必ず將に檃栝(いんかつ)・烝矯(じょうきょう)を待ちて然る後に直(なお)からんとす。鈍金(どんきん)は必ず將に礱厲(ろうれい)を待ちて然る後に利(と)からんとす。
出典:荀子 性悪篇
曲がった木は、矯め木(ためぎ)を当て、蒸して曲げ直してはじめてまっすぐになる。なまくらな刃物は、砥石で研いではじめて切れるようになる。人も、師と規範に就き、礼義を得てはじめて正しくなる。
この比喩をよく見ると、荀子の見方がはっきりします。曲がった木は、捨てられていません。矯め木を当てれば、まっすぐになる。荀子は、木がまっすぐになれることを少しも疑っていないのです。
六、荀子は、孟子をどう斬ったか
性悪篇は、孟子を名指しで何度も批判しています。なかでも鋭いのは、思考実験を持ち出す段です。
荀子はまず言います。もし人の本性がもともと正しく治まるものなら、聖王も礼義も要らないはずだ。現に人がそれを必要としてきたのは、本性がそうではないからだ。そのうえで、こう続けます。
【書き下し】今当(こころ)みに試みに君上の埶を去り、礼義の化無く、法正の治を去り、刑罰の禁無くして、倚(よ)りて天下の民人の相(あい)与(くみ)するを観ん。是の若くんば、則ち夫の彊(つよ)き者は弱きを害して之を奪い、衆(おお)き者は寡(すく)なきを暴(しいた)げて之を譁(さわ)がす。天下悖乱して相亡ぶこと、頃(しばらく)をも待たざらん。
出典:荀子 性悪篇
試しに、君主の権威も、礼義の教化も、法の統治も、刑罰の禁止も取り去って、人々のやりとりを脇から眺めてみよ。強い者は弱い者から奪い、数の多い者は少ない者を虐げ、天下はたちまち乱れて滅ぼし合うだろう。
もう一つの批判は、「その説は使えるのか」という問いです。
【書き下し】故に坐して之を言えば、起ちて設(もう)くべく、張りて施行すべし。今孟子曰く、「人の性は善なり」と。辨合符験無く、坐して之を言い、起ちて設くべからず、張りて施行すべからず。
出典:荀子 性悪篇
座って語ったことは、立ち上がればそのまま形にでき、広げれば施行できなければならない。孟子の性善説には、筋道の合致(辨合)も現実での裏づけ(符験)もない。座って言うことはできても、制度として施行できない。
荀子の物差しは、はっきりしています。正しいかどうかは、施行できるかどうかで測る。孟子が一人ひとりの心を見ていたのに対し、荀子は国と制度を見ていました。
ただ、一つ付け加えておきます。荀子が性悪篇で引く孟子の言葉、たとえば「人の学ぶ者は、其の性善なればなり」は、いま読める『孟子』にはこの形では見当たりません。師導が収める『孟子』の全文を検索しても出てきませんでした。荀子が別の伝えに拠ったのか、孟子の説を自分の言葉でまとめ直したのかは分かりません。性悪篇に出てくる孟子は、荀子の目を通した孟子だということは、頭に置いておいてよいでしょう。
七、二人が一致するところ ― 誰でも聖人になれる
ここまで読むと、二人は正反対に見えます。ところが、それぞれの本を先まで読むと、驚くほどよく似た一節に出会います。
まず孟子です。曹交(そうこう)という人が尋ねました。
【書き下し】曹交問いて曰く、「『人皆以て堯舜為る可し』と。諸れ有りや。」孟子曰く、「然り。」
出典:孟子 告子章句下
人はみな堯や舜になれると聞くが、本当か。孟子は「その通りだ」と答えます。身長も力も関係ない。堯の服を着て、堯の言葉を口にし、堯の行いをすれば、それが堯だ。そして言います。
【書き下し】夫れ人豈に勝えざるを以て患と為さんや。為さざるのみ。
できないことを悩む必要はない。やらないだけだ。
次に荀子です。性悪篇の後半に、こうあります。
【書き下し】「塗(みち)の人も以て禹(う)と為るべし」とは、曷(なに)の謂(い)いぞや。
出典:荀子 性悪篇
道を行くふつうの人でも、治水の聖王・禹になれる。それはどういう意味か。荀子の答えはこうです。禹が禹であったのは、仁義と正しい規範を実行したからだ。それを知る素質と、行う備えは、誰にでもある。だから学びに身を入れ、心を一つにし、日を重ねて善を積み続ければ、誰でもそこに届く。
【書き下し】故に聖人なる者は、人の積みて致(いた)す所なり。
聖人とは、人が積み上げて到る場所だ。
孟子は「人皆以て堯舜為る可し」。荀子は「塗の人も以て禹と為るべし」。文の形までほとんど同じです。
そして荀子も、孟子と同じ疑問に同じ答えを返しています。誰でも聖人になれるなら、なぜ皆そうならないのか。
【書き下し】故に小人は以て君子と為るべくして、君子と為るを肯(がえん)ぜず。
出典:荀子 性悪篇
小人は君子になれるのに、なろうとしない。孟子の「為さざるのみ」と、ほとんど同じことを言っています。
もう一つ、二人が一致して退けている説があります。公都子が挙げた三番目の説、「生まれつき善い者もいれば、悪い者もいる」です。孟子はこれを退けて、不善をなすのは素質の罪ではないと言いました。荀子も、はっきり書いています。
【書き下し】凡そ人の性なる者は、堯舜(ぎょうしゅん)の桀跖(けつせき)と与(とも)にする、其の性は一なり。君子の小人と与にする、其の性は一なり。
出典:荀子 性悪篇
聖王の堯・舜も、暴君の桀(けつ)や大盗賊の跖(せき)も、生まれつきの性は同じである。君子も小人も、性は同じである。
性善説と性悪説は、「人の本性は善か悪か」では対立しています。しかし、「生まれで人が決まる」という考えには、二人そろって反対しているのです。孔子の「性相近し」を、二人とも守っているとも言えます。
八、では、何が違うのか ― 善は内から来るか、外から来るか
一致するところを確かめると、違いがかえってはっきりします。
孟子にとって、善は内から来ます。仁義礼智は「外由り我を鑠するに非ざるなり」、外から貼りつけたものではない。芽はもう自分のなかにある。学ぶとは、それに気づき、伐られないように守り、広げることです。
荀子にとって、善は外から来ます。性悪篇には、陶工が粘土をこねて器を作る話が繰り返し出てきます。器は陶工の生まれつきから出てきたものではなく、陶工が作ったものだ。礼義も同じで、聖人が考えを積み、工夫を重ねて作ったものだ。学ぶとは、その作られた型に自分をはめ、作り変えることです。
たとえるなら、孟子は庭師で、荀子は木工の職人です。庭師は、木がもともと伸びようとする力を信じ、その邪魔をするもの、斧や牛や羊を遠ざけます。職人は、木がそのままでは使いものにならないと知っていて、矯め木を当て、削り、形を与えます。どちらも木を捨てません。違うのは、手を入れる場所です。
この違いは、そのまま後の歴史に響きました。荀子の門下からは、韓非(かんぴ)と李斯(りし)が出たと『史記』は伝えます。韓非は、人の善意を当てにしない法家の理論をまとめ、李斯は秦の丞相として始皇帝の天下統一を支えました。外から形を与える思想は、国を動かす仕組みの思想へと進んでいったのです。
九、後の人は、どう折り合わせたか
二人の論争は、その後も長く続きました。前漢の末には揚雄(ようゆう)が、人の性には善と悪が混じっているとする「善悪混」の説を立てています。やがて宋の朱子学が『孟子』を「四書」の一つに据えると、性善説は儒学の正統になりました。子どもが最初に習う『三字経』が「人の初め、性本善。性相近く、習い相遠し」と始まるのは、孟子と孔子の言葉をつないだものです。
それでも、荀子の問いが消えたわけではありません。明の王陽明(おうようめい)は、弟子に「古人の性の説はそれぞれ違うが、どれが定論なのか」と問われて、こう答えています。
【書き下し】孟子の性を説くは、直だ源頭の上より説き来たる。亦た是れ個の大概、此くの如しと説く。荀子の性悪の説は、是れ流弊の上より説き来たる。也た未だ尽くは他を是ならずと説くべからず。只だ是れ見得ること未だ精ならざるのみ
出典:伝習録 黄省曾録
孟子は源から説いた。荀子は、流れた先の弊害から説いた。荀子を全部間違いとは言えない。ただ見方がまだ精しくないだけだ。陽明はその前に、目のたとえを出しています。喜ぶときの目も、怒るときの目も、同じ一つの目だ。怒った目だけを見て「喜ぶ目はない」と言えば誤りになる、と。原文では、このあと問う者が「孟子は源のところで工夫させるが、荀子は流れた先で正そうとするので骨が折れる」と言い、陽明が「然り」と答えています。
同じ明の呂坤(りょこん)は、『呻吟語(しんぎんご)』でもっと短く言い切りました。
【書き下し】性善を論ずる者は、純ら理を以て言ふなり。性惡と善惡混とを論ずる者は、氣を兼ねて言ふなり。故に經傳の性を言ふは各各同じからず、惟だ孔子のみ病無し。
出典:呻吟語 内篇・性命
性善を言う者は、理(ことわり)の面だけで言っている。性悪や善悪混を言う者は、気(生身の働き)まで含めて言っている。だから古典の説は食い違う。ただ孔子だけに難がない。
呂坤の言う「孔子だけに難がない」は、第一節の「性相近し」のことです。善とも悪とも決めず、差をつけるのは習いだと言うにとどめた。二千年の論争を経て、議論はまた孔子の一句に戻ってきた、とも読めます。
十、組織で使うなら ― 芽を守るか、型を当てるか、仕組みで縛るか
人を預かる立場で、この論争から何を持ち帰れるか。「性善説で任せるか、性悪説で管理するか」という二択は、原典から見るとずれています。二人とも人を見限っていないし、二人とも学びと手入れを欠かせないと言っているからです。問うべきは、どこに手を入れるかです。
孟子の側から見ると、問いは「部下の芽を伐っているのは何か」になります。牛山の木は、伐られ、牛羊に食われて、はげ山になりました。はげ山を見て「もともと木のない山だ」と言うのは誤りだ、と孟子は言います。やる気のない部下を見て「そういう人だ」と決める前に、その人の芽を毎日伐っているものがないかを見る。手柄を上が取る、意見を言えば潰される、正直に報告すれば責められる。そうした斧が並んでいれば、どんな人でも濯濯(たくたく)とした山になります。
荀子の側から見ると、問いは「その人に当てる矯め木はあるか」になります。曲がった木を責めても、まっすぐにはなりません。師、型、手本、手順、振り返り。人が育つのは、外から当てる形があるときです。荀子の「坐して言い、起ちて設くべし」も、そのまま使えます。立派な理念を掲げても、明日の手順に落ちないなら、それは座って言っているだけです。
荀子の弟子の韓非は、さらに先へ進みました。
【書き下し】夫れ聖人の國を治むるは、人の吾が為に善なるを恃まずして、而して其の非を為すを得ざるを用うるなり。
出典:韓非子 顯學第五十
聖人が国を治めるときは、人が自分のために善をなすことを当てにしない。人が悪をなせないようにする仕組みを用いる。
荀子は外から型を当てて、人を作り変えようとしました。韓非は、人が変わらなくても回る仕組みを作ろうとしました。お金の扱い、権限の分け方、二重の確認。人の善意に頼ってはいけない場所は、どの組織にもあります。
整理すると、こうなります。
- 孟子の手当て:芽を伐る斧を取り除き、育つ場を守る(任せる、認める、潰さない)
- 荀子の手当て:型と師を当てて作り変える(教える、手本を示す、振り返らせる)
- 韓非の手当て:悪をなせない仕組みにする(権限、監査、二重確認)
三つは、どれか一つを選ぶものではありません。お金の出入りには韓非の仕組みを、新人の育成には荀子の型を、一人前になった人には孟子の信頼を。場所ごとに使い分ける道具だと考えると、「性善説か性悪説か」という問いそのものが要らなくなります。
経営学にも、よく似た議論があります。一九六〇年にアメリカのマグレガーが示した「X理論・Y理論」です。人は本来仕事を嫌うので命令と管理が要るとするX理論と、条件が整えば人は自ら働くとするY理論。これも性悪説と性善説になぞらえて語られます。ただ、孟子と荀子を原文で読んだあとなら分かるはずです。二人の対立は「管理するか、任せるか」の手前にある、「人の善さはどこから来て、どうすれば育つのか」という問いでした。
結び ― 放っておいて育つ人はいない
性善説と性悪説は、正反対の説として覚えられています。けれども原文を並べると、二人は同じ地面の上に立っていました。
生まれで人は決まらない。誰でも聖人になれる。けれども、放っておけばそうはならない。孟子はそれを「芽が伐られるから」と言い、荀子は「木が曲がっているから」と言いました。どちらの言い方をとっても、答えは同じ方向を向いています。人は手を入れて育てるものだ、ということです。
違うのは、手の入れ方です。芽を守るか、矯め木を当てるか。部下を見て「あの人は性善説では無理だ」と思ったときは、その人を見限る前に、その人に何を当て、何を取り除いたかを見直してみる。孟子と荀子の論争は、二千三百年たったいまも、その点検に使えます。
関連する章句と記事
この記事で引いた句は、いずれも師導に原文・現代語訳と解説つきで収録しています。
二人の生涯は、それぞれ別の記事でたどっています。
→ 孟子の生涯 ― 王に会い続け、一度も用いられなかった人。孟母三遷の出どころと性善説
→ 荀子の生涯 ― 性悪説の本当の意味と、秦を作った弟子・韓非と李斯
性悪説を統治の仕組みにまで進めた、韓非の言葉です。
→ 韓非子の名言12選 — 原文・現代語訳と、人の善意を当てにしない組織設計
この記事の出典について
『論語』『孟子』『荀子』『伝習録』『呻吟語』『韓非子』の引用は、師導が収める各書の底本から読みの欄を切り出しました。『孟子』で「性善」の二字が出てくるのが二か所だけであること、荀子が引く孟子の言葉がいまの『孟子』にその形で見えないことは、師導が収める『孟子』の全文(二百七十七章句)を検索して確かめたものです。
楊倞の注「偽は為なり」、揚雄の「善悪混」(『法言』修身篇)、『三字経』の冒頭、マグレガーの「X理論・Y理論」(一九六〇年『企業の人間的側面』)は、師導に章句として収めていないため、要旨で示しました。孟子と荀子の生没年は定まっておらず、「数十年後」は目安です。