- 十七条憲法とは
- 第一条 和を以て貴しと為し
- 第二条 篤く三宝を敬え
- 第三条 詔を承りては必ず謹め
- 第四条 礼を以て本と為せよ
- 第五条 明に訴訟を弁えよ
- 第六条 悪を懲らし善を勧むる
- 第七条 人各任有り、掌ること宜しく濫れざるべし
- 第八条 早く朝り晏く退でよ
- 第九条 信は是れ義の本なり
- 第十条 人の違ふことを怒らざれ
- 第十一条 功過を明察にして、賞罰必ず当てよ
- 第十二条 百姓に斂ること勿れ
- 第十三条 同じく職掌を知れ
- 第十四条 嫉み妬むこと有る無かれ
- 第十五条 私に背き公に向く
- 第十六条 民を使ふに時を以てする
- 第十七条 必ず衆と与に宜しく論ふべし
- 十七条憲法はそのまま経営の原則になる
- あわせて読みたい
十七条憲法は、そのまま経営十七カ条としても使える内容です。役人に向けて書かれた条文を会社に置き換えると、理念、人事、評価、会議、育成——現代の経営者が悩んでいることのほとんどが並んでいます。全十七条を、原文(白文)・書き下し・現代語訳とともに、経営の視点で一条ずつ読み直してみましょう。
十七条憲法とは
十七条憲法は、604年に聖徳太子が制定した日本最初の憲法的な法典です。この法典は、役人に対する心構えと行動規範を示したものです。
当時は豪族同士の権力争いが絶えず、中央集権的な統治が求められていました。十七条憲法は、天皇を中心とした国家体制の確立を目指す聖徳太子(推古天皇の摂政)の理念を反映したものだと考えられています。
十七条憲法と冠位十二階の関係
十七条憲法制定の前年603年に、聖徳太子は冠位十二階制度を設けています。これは役人の位を個人の能力で判断するもので、優秀な人材が出自に関わらず登用できるようになりました。
冠位十二階と十七条憲法は、ともに聖徳太子が進めた中央集権化と役人登用制度改革の一環として位置づけられます。前者が人材登用の改革なら、後者は理想の役人像や統治の在り方を示したものです。

冠位十二階は、現代におきかえると社内での人事制度や評価制度に例えられます。役人の位を個人の能力で判断する制度でしたから、社員の昇進や昇格は、出身校や出身地、家柄ではなく、個人の実力と業績で判断される制度に相当します。優秀な人材を適材適所で登用し、活かすことができる。能力主義に基づく公平な人事評価制度と言えるでしょう。
一方、十七条憲法は、企業の経営理念や行動規範、社員教育に例えられます。役人に求められる心構えと行動規範を定めたものですから、会社に例えると、経営理念や企業文化、従業員に求められる価値観や行動指針を明文化したものとなります。
例えば「和を尊重」する協調性の重視や、「多衆に諮る」という民主的意思決定は、現代の組織運営にも不可欠な要素です。三宝を敬う精神性は、経営理念や倫理観の重要性を示唆しています。
この2つの制度により、個人の能力主義と天皇中心の集権体制の確立が同時に促進され、中央集権国家の基盤が整えられていったのです。
十七条憲法が経営に役立つ理由
十七条憲法が現代の経営に役立つのは、その先進的な精神や原則が今なお通用するからです。
出自に捉われず個人の能力を重んじる姿勢は、人材育成・登用の原則となります。さらに法の下の平等という観点から、公正な人事評価の必要性も窺えます。
このように、十七条憲法に凝縮された理念や原則は、現代の経営におけるさまざまな課題に通底するものがあり、我々に多くの示唆を与えてくれるのです。
以下、全十七条を順に見ていきます。白文と書き下し、現代語訳は師導に収録した十七条憲法から引いています。
第一条 和を以て貴しと為し
一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有党、亦少達者。是以、或不順君父、乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。
書き下し: 一に曰わく、和を以って貴しと為し、忤(さから)うこと無きを宗と為せよ。人は皆党(たむら)有り、亦達(さと)れる者少なし。是を以て、或は君父に順わず、乍(あるい)は隣里に違う。然れども、上和ぎ下睦びて、事を論うに諧うときは、則ち事理自ら通ず。何事か成らざらん。
現代語訳: 人と人が心を通わせて暮らすことを最も大切にし、不毛な争いを起こさぬように。人は群れて生きる生き物である一方で、すべての者が物事の筋道をきちんと考えられるわけではない。そのため、ときには主人や親の言うことを守らず、隣の村とも争いを起こすような者が現れる。しかし、上に立つ者が穏やかで、下の者と気持ちが通い合っていれば、互いに膝を突き合わせて語り合う中で、自然と道理は明らかになる。そうなれば、この世に成し遂げられないことなど何一つない。
「和を以て貴しと為し、忤ふこと無きを宗と為す」から学べる経営の教訓
十七条憲法といえば、"和を以って貴し"ですね。いまでも日本文化に根付いている考え方です。一方で、その後の文章はあまり知られていないかもしれません。「忤(さから)ふこと無きを宗と為す」の「忤ふ」とは、悪にさからって、自分を守るという意味があります。つまり、会社経営において「和を以て貴しと為し、忤ふこと無きを宗と為す」とは、組織内にそのような悪が生じないように調和や平和を保つと解釈出来るでしょう。
「人皆党有りて、亦達者少し。是を以て或は君父に順はずして、乍ち隣里に違ふ」から学べる経営の教訓
党とは、そのまま組織内の派閥のようなものと解釈できますが、それだと「亦達者少し」と意味がつながらないので、"人はみな自己本位に考えがちであるが"と解釈することが出来るそうです。経営リーダーとしては、組織内には立派な人だけがいるわけではなく、みんな私欲もある普通の人だと認識することが大事であると言えます。
ちなみに松下幸之助氏は、社員が50人くらいになったころ、一人悪いことをする社員が出てきて非常に困ったそうです。その時、天皇は悪い人がいても刑務所に入れるだけで、日本から追放したりはしていないということにヒントを得て、人が増えてくれば、悪いことをする人も出てくるものだ、と開き直ったそうです。それから人を大胆に活用することが出来、事業を拡大させていったそうです。
まさに「亦達者少し」ということに気が付いて開眼したのですね。
「然れども上和ぎ下睦びて、事を論ふに諧へば、則ち事理自ら通ず、何事か成らざらむ」から学べる経営の教訓
これは分かりやすいですね。上司部下、よく話し合って物事を進めれば、何事も実現できるということです。再び松下氏の例で言うと、氏は何かを部下に伝える際、常に相談的に話をしていたそうです。つまり、「こう考えたほうが良いと思うんだがどうだろう」という感じで問いかけるのです。普段から上司部下の関係性が出来ていれば、部下も「それは良いですね。そうしましょう」となるのだと言います。
第二条 篤く三宝を敬え
篤敬三宝。三宝者仏法僧也。則四生之終帰、万国之極宗。何世何人、非貴是法。人鮮尤悪。能教従之。其不帰三宝、何以直枉。
書き下し: 篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり。則ち四生(ししょう)の終帰、万国の極宗なり。何れの世、何れの人か、是の法を貴ばざらん。人尤(はなは)だ悪しきもの鮮(すく)なし。能く教うれば之に従う。それ三宝に帰せずんば、何を以てか枉(まが)れるを直さん。
現代語訳: 篤く三宝を敬え。三宝とは仏と法と僧(教え、真理、指導者)である。これらはすべての生き物が最終的に帰依すべきところであり、あらゆる国々の究極の教えである。どんな時代、どんな人であっても、この法を尊ばないことがあろうか。極悪人は少ない。よく教えれば正しい道に従うものだ。しかし、もし三宝という絶対的な規範に頼らなければ、どうやって曲がった心を正すことができようか。
「篤く三宝を敬へ」から学べる経営の教訓
聖徳太子は仏教を日本に広めたことでも知られていますが、この第二条にその影響が出ています。ただし、聖徳太子は伝来した仏教をそのまま日本に持ち込み、十七条を作ったわけではありません。それより前に入ってきた儒教、そしてもともと日本に根付いている神道。これらを統合させる形で十七条を作ったのです。
ここでいう仏・法・僧とは、文字通り釈迦、仏教の法典、修行僧のことです。当時、これら三者は自らに生きる指針を与えてくれる存在だったことでしょう。そこで現代の経営に置き換えれば、指針を与えてくれる師匠や原理原則、助け合う友人を敬おうということになると思います。
ちなみに続く「四生」ですが、これは生き物の事です。仏教では生物の生まれ方を胎生、卵生、湿生、化生の4つに分類していました。
- 胎生は哺乳類のように母体内で胎児として育つ生まれ方です。
- 卵生は鳥類や爬虫類のように卵から孵って生まれる方法です。
- 湿生は昆虫などが湿った環境から発生する場合です。
- 化生は天界や地獄界、極楽浄土の衆生が直接姿を現すことを指します。
つまり、世の生き物はすべからく三宝を拠り所としているということです。
「人尤だ悪しきもの鮮し。能く教ふるをもて従ふ」から学べる経営の教訓
この部分は、基本的に人間は善良だが、時々悪い人もいるということを言っています。しかし、きちんと教育や指導をすれば、人は素直に従うものだと言っているのです。
つまり、経営者は次のことを心がける必要があります。
- 従業員を基本的に善良な人間だと信頼すること
- しっかりと従業員を教育・指導する制度を用意すること
なぜなら、従業員を信頼し、適切な教育を行えば、従業員は自ずと良い方向に導かれるからです。
また、「三宝に帰せずんば、何を以てか枉れるを直さむ」とは、仏・法・僧という三宝が人々の拠り所になっていたことを言っています。つまり、経営においても、従業員の拠り所となる理念や行動指針を明確に示すことが大切だということです。理念があれば、従業員が迷った時の指針になり、組織を正しい方向へ導くことができます。
簡単に言えば、従業員を信頼する、従業員を教育する制度をつくる、従業員の拠り所となる理念を持つ。これらが、健全な経営を行う上で重要なポイントになるということです。
第三条 詔を承りては必ず謹め
三曰、承詔必謹。君則天之、臣則地之。天覆地載、四時順行、萬氣得通。地欲覆天、則致其懐。是以、君言臣承。上行下靡。故承詔必愼。不謹自敗。
書き下し: 三に曰わく、詔を承りては必ず謹め。君をば則ち天と為し、臣をば則ち地と為せよ。天は覆い地は載せ、四時順い行り、萬気通うことを得。地、天を覆わんと欲すれば、則ち其れ懐(やぶ)るることを致す。是を以て、君言れば臣承る。上行えば下靡く。故に詔を承りては必ず慎め。謹まずんば自ら敗れん。
現代語訳: 君主から詔が示されたときには、決して軽んじず、心して受け止めなければならない。君主は天であり、臣下は地にたとえられる。天が広く覆い、地がそれをしっかり支えているからこそ、春夏秋冬は巡り、万物がのびやかに育つ。しかしもし地が天を覆そうとすれば、秩序は壊れ、世界は成り立たない。これと同じく、上が示した道を下がまっすぐに受け取り、上が動けば下がそれに応じて動くことで、政治は乱れずに進み、国は安らかになる。だからこそ、上から出された命や方針は、必ず慎重に受け止めよ。軽く扱えば、やがて自らの身を滅ぼし、組織も乱れる。
「詔を承けては必ず謹め」から学べる経営の教訓
詔は天皇からの命のことです。言い方を変えれば、天皇の想いの事だと言えます。当時(推古天皇)は豪族が地方にあり、無用な争いをしないように天皇中心の国家を築くために詔に従うことを条文に入れたものと考えられます。
さて会社においてトップは社長です。まず社長が天皇の詔のような、想いを明確にすることが欠かせません。これは理念や方針といった形で示されるでしょう。
「天覆ひ地載す」から学べる経営の教訓
これは自然の法則に沿った役割分担を意味していると考えられます。「君は天のようなもの」であれば、その詔は天地の自然の法則に沿ったものであり、その通りにやれば物事は間違いがないということでしょう。同様に、会社のリーダーが示す理念や方針は、私心や私欲から生まれるものではなく、天地の法則に沿ったものであることが大切です。
簡単に言えば、社長は天の理に沿った思いを持ち、命を発する。そして、部下はそれに素直に従う。互いの役割分担を守り、決定事項を慎重かつ正確に実行する。このような社長と部下の関係性を大切にすることが、経営を成功に導く秘訣であるということでしょう。
第四条 礼を以て本と為せよ
四曰、群臣百寮、以礼爲本。其治民之本、要在乎礼。上不礼而下不齊。下無礼以必有罪。是以、群臣有礼、位次不乱。百姓有礼、国家自治。
書き下し: 四に曰わく、群臣(まえつきみ)百寮(もものつかさ)、礼を以て本と為せよ。其れ民を治むるの本、要は礼に在り。上礼無くんば下斉わず。下礼無くんば以て必ず罪有り。是を以て、群臣礼有れば、位次乱れず。百姓礼有れば、国家自ら治まる。
現代語訳: 天皇のそばに仕える高い位の者も、実務にあたる多くの役人も、何より礼を正すことを根本としなければならない。民を治める要は、まず自分を慎み、相手を敬うという礼の心にある。もし上に立つ者が礼を欠けば、その姿勢はすぐに下の者へ広がり、やがて礼を失った言動が組織の中に当たり前のように現れる。こうした乱れが積み重なれば、いずれ必ず罪や問題が生まれる。反対に、下の者に礼があれば、立場の違いによる無用の対立は生じず、秩序は自然に保たれる。庶民の間に礼が行き渡っていれば、国は自ずと安定し、争いも少なくなる。
「礼を以て本と為せよ」から学べる経営の教訓
礼とは儒教で大切にされている仁義礼智信の一つです。御礼や礼儀に使われる「礼」という言葉ですが、そもそもは神への拝礼=祭祀を表すとされています。その本質は、自分が畏れるものを敬うことを通じて、自らの人間性や人格を清めることといえます。会社経営においても相手を敬うことを通じて、人としての道を歩むことが大切だと言えます。
「是を以て君臣礼有るときは、位の次乱れず」から学べる経営の教訓
ここの件は、まずは何より組織の上層部から礼を大事にせよ。それによって、あらゆる組織階層の人たちも礼を大事にし、全体が治まるということを意味しています。
第五条 明に訴訟を弁えよ
五曰、絶餮棄欲、明辨訴訟。其百姓之訟、一日千件。一日尚爾、況乎累歳。頃者、治訟之人、常以利心、受財行察。便見財人之訟、如水投石。貧者之訴、似石投水。是以貧民、則不知所由。臣道亦於焉闕。
書き下し: 五に曰わく、餮(むさぼり)を絶ち欲を棄てて、明に訴訟を弁えよ。其れ百姓の訟、一日に千件なり。一日尚爾るを、況や歳を累ねんをや。頃、訟を治むる者、常に利を心と為し、財を受けて察を行う。便ち財有る人の訟は、石を水に投ぐるが如く、貧しき者の訴は、水を石に投ぐるに似たり。是を以て貧しき民は、則ち由る所を知らず。臣の道も亦焉に闕けぬ。
現代語訳: 訴えごとを扱う者は、まず自らの欲を断ち、心を澄ませて、公平に物事の筋道を見極めなければならない。庶民の訴えは一日に千件にもなるという。一日でそれほどなのだから、年を重ねればどれほどの数になるかは想像に難くない。ところが近ごろは、訴えを裁く者が私利を優先し、賄賂を受け取って判断を下すことが常となっている。財のある者の訴えは、石を水に投げ込めばすぐ沈むように、すんなりと通る。反対に、貧しい者の訴えは、水の上に石を投げても沈まないように、いくら訴えても届かず、泣き寝入りするほかない。こうした有り様では、貧しい民は頼る先を失い、訴えを裁く立場の者は人として守るべき道を踏み外していると言わざるをえない。
「饗を絶ち、欲を棄て、明に訴訟を弁へよ」から学べる経営の教訓
役人が贈収賄や私利私欲に走ってはいけないと教えています。経営者も同じく、不正な利益追求に走ってはいけません。公正さを保つことが大切です。訴訟(トラブル)を公平・公正に裁く判断力が経営者に求められています。事実に基づき、偏りのない公正な判断をする必要があります。
「乏しき者の訟は、水をもて石に投ぐるに似たり」から学べる経営の教訓
裕福な人と貧しい人を差別してはいけません。経済力の有無で判断を分けるのは公正さを欠きます。会社において貧富の差で社員を差別することはないと思いますが、社長の個人的な好き嫌いで公正さを欠いてはいけないということでしょう。
第六条 悪を懲らし善を勧むる
懲悪勧善、古之良典。是以無匿善人、見悪必匡。其諂詐者、則為国家之利器、為人民之鋒剣。亦佞媚者、対上則好説下過、逢下則誹謗上失。其如此人、皆無忠於君、無仁於民。是大乱之本也。
書き下し: 悪を懲らし善を勧むるは、古の良典なり。是を以て善人を匿すこと無く、悪を見ては必ず匡(ただ)せ。それ諂詐(てんさ)する者は、則ち国家の利器、人民の鋒剣なり。亦佞媚(ねいび)する者は、上に対いては則ち好んで下の過を説き、下に逢いては則ち上の失を誹謗す。それ此くの如き人は、皆君に忠無く、民に仁無し。是れ大乱の本なり。
現代語訳: 悪を懲らしめて善を勧めるのは、古くからの良いしきたりである。だから善行は隠すことなく表彰し、悪行を見れば必ず正さなくてはならない。へつらい欺く者は、国家を覆す鋭利な武器であり、人民を傷つける剣のようなものだ。また、こびへつらう者は、上の者には下の者の過失を言いふらし、下の者には上の者の失敗を悪く言う。このような人はみな、君主に対する忠誠心がなく、人々に対する思いやりもない。これこそが国家の大乱の原因となる。
「悪を懲らし善を勧むる」から学べる経営の教訓
いわゆる勧善懲悪です。人材を適切に評価することです。社員の良い業績や行いをしっかりと評価し、表彰することが大切です。人事の仕組みのことです。また、社員の間違いや不正行為があれば、毅然とした態度で指導・是正することが求められていると言えます。甘い対応ではなく、厳しく注意をする必要があります。
「亦侫媚者は、上に対ひては則ち好みて下の過を説き、下に逢ては則ち上の失を誹謗る」から学べる経営の教訓
組織内での悪事は数あれど、その中でも人に媚びたり、阿ったりする人は悪影響が大きいです。彼らは上司や部下に偽りの言動をし、信頼関係を損ないます。率直で健全な人間関係を大切にすべきです。
第七条 人各任有り、掌ること宜しく濫れざるべし
人各有任、掌宜不濫。其賢哲任官、頌音則起、姦者有官、禍乱則繁。世少生知、尅念作聖。事無大少、得人必治、時無急緩、遇賢自寛。因此国家永久、社稷勿危。故古聖王、為官以求人、為人不求官。
書き下し: 人各(おのおの)任有り、掌ること宜しく濫れざるべし。其れ賢哲を官に任ずれば、頌むる音則ち起こり、姦しき者官を有てば、禍乱則ち繁し。世に生まれながらにして知る者少なく、尅く念いて聖と作る。事に大少と無く、人を得れば必ず治まり、時に急緩と無く、賢に遇えば自ずから寛かなり。此れに因りて国家永久にして、社稷危うきこと勿し。故に古の聖王、官の為に以て人を求め、人の為に官を求めず。
現代語訳: 人にはそれぞれ与えられた役目があり、その任務には誠意を込めて取り組まなければならない。人を登用するにあたっては、才気と深い学びを備えた人物を要職につければ、難しい問題でも自然と収まり、周囲からの信頼も厚くなる。だが、ただ小賢しいだけの者を重い役につければ、かえって混乱を招き、批判の声が上がることになる。そもそも、生まれつき才知に恵まれた者は多くない。日々の努力と学びを積み重ねてこそ、任せるに足る人物となる。だからこそ、昔の賢明なリーダーは、重要な役目にふさわしい人物を探し求め、適性のない者を無理に要職につけるようなことは決してしなかった。
「人各任掌ること有り」から学べる経営の教訓
組織において社員一人一人に明確な役割と責任を割り当てることが重要です。これにより、無秩序や混乱を避け、効率的な業務遂行が可能になります。日本史上、人材登用の方法を体系化したのが冠位十二階です。聖徳太子は、これによってその職に相応しい人物を登用しようと考えたのです。今考えれば当たり前のようですが、封建主義の考えでは血筋や家柄などで位が決まり、必ずしも正しい人物が正しい職についているとは言えなかったわけですね。現代社会においても、学歴が良いから、社長の親戚だから、という理由で同じようなことが起こっている会社もあるでしょう。そうならないようには、明確な組織図とそれに応じた等級の設計が欠かせないと言えるでしょう。
「故れ古の聖王、官の為に以て人を求む、人の為に官を求めたまはず」から学べる経営の教訓
聖王を経営者として考えてみましょう。彼らは最初に会社が必要とする仕事の内容を明確にし、その仕事にふさわしい人材を見つけていました。つまり、人がいるから仕事を作るのではなく、必要な仕事から逆算して、その仕事に最適な人物を選任していたのです。会社の発展のために不可欠な役割を設計し、その役割を全うできる資質の人材を適所に配置することを心がけていました。
一方で、個人的な理由で役職を作ることはしませんでした。人気や名誉のために役割を設けるのはNGで、会社の実際のニーズに基づいてのみ役割を設計し、その役割にぴったりの人物を配属していたのです。人材一人一人の長所や得意分野を見極め、その力を十分に発揮できる仕事を任せることで、人材の能力を最大限に生かしていました。
この教訓は「人に仕事を付けるのではなく、仕事に人を付ける」ことの重要性を説いています。会社の実需から出発し、必要な役割を設計し、その役割にふさわしい人材を徹底的に探し出し、適材適所に配置し続けることが、賢明な経営の基本理念なのです。これは先ほど申し上げた正しい組織図の作り方と同じことを言っています。
第八条 早く朝り晏く退でよ
群卿百寮、早朝晏退。公事靡盬、終日難尽。是以遅朝不逮于急、早退必不尽其功。
書き下し: 群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)、早に朝りて晏(おそ)く退け。公事盬(しお)きこと靡く、終日にも尽くし難し。是を以て遅く朝れば急に逮ばず、早く退けば必ずその功を尽くさず。
現代語訳: 役人たちは朝早く出仕し、夜遅く退出しなさい。公務はうわべだけ適当に済ませてよいものではなく、一日中かけても終えるのが難しいほどだ。だから、朝遅く出勤したのでは緊急の用件に間に合わず、早く退出したのでは必ずその業務を全うできない。
「早く朝り晏く退でよ」から学べる経営の教訓
ここでいう早い朝とは、一般の始業時間よりも早い時間、そして、晏(おそ)くというのは、昼頃までを指すそうです。午前中で重要な仕事を終わらせよ、ということですね。私の場合、基本は5時に起き、8時くらいまでは勉強と目標設定、計画づくりに充てています。この条項通りに一般的な人の始業時間前に頭と集中力を要する仕事を終わらせるようにしているのです。そうすることで、昼間は突発的な仕事や人との面談にゆっくり時間を使えるようにしています。
参考:社長の時間管理術
第九条 信は是れ義の本なり
九曰、信是義本。毎事有信。其善悪成敗、要在於信。群臣共信、何事不成。群臣無信、萬事悉敗。
書き下し: 九に曰わく、信は是れ義の本なり。事毎に信有れ。其れ善悪成敗は、要ず信に在り。群臣共に信有らば、何事か成らざらん。群臣信無くんば、萬事悉く敗れん。
現代語訳: 人から信用されることこそが、人として歩むべき正しい道の根本である。物事が良い結果になるか悪い結果に終わるかは、結局のところ、その行いに誠意と正しさが込められていたかどうかで決まる。何事においても、信用・信頼を大事にすること。上に立つ者も、支える者も、互いにまっすぐに向き合い、信じ合う気持ちを持てば、どんなことでも成し遂げられないものはない。だが、この心が欠ければ、信用も信頼も生まれず、取り組むことはすべて失敗に終わってしまう。
「信は義の根本である」から学べる経営の教訓
信と義はともに、儒教の重要な考えである「仁義礼智信」から来ています。ただし、聖徳太子は大陸から来た儒教をそのまま受け入れるのではなく、順序を変えました。儒教では信は最後に付加されているのに対し、聖徳太子は、「徳仁礼信義智」としたのです。つまり、儒教では信より義が先に来ているのに対して、聖徳太子は信を義より先に持ってきたのです。
信とは信用ということで、義とは人の道です。論語には、「信義に近ければ、言復むべきなり」とあり、これを逆に解釈すれば、人の道に外れていれば、信(約束)を破っても良しとなります。聖徳太子は信と義を入れ替え、そもそも信があるからこそ義が成り立つと考えたのでしょう。
現代社会においても、取引先や顧客との約束は守らなければなりません。約束を守ることで信頼は醸成され、良好な関係が維持できます。安易に約束を破れば、信頼は一気に失墜します。
第十条 人の違ふことを怒らざれ
絶忿棄瞋、不怒人違。人皆有心、心各有執。彼是則我非、我是則彼非。我必非聖、彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理、誰能可定。相共賢愚、如環無端。是以彼人雖怒、還恐我失。我独雖得、従衆同挙。
書き下し: 忿を絶ち瞋(いか)りを棄て、人の違うを怒らざれ。人皆心有り、心各執れること有り。彼是なれば則ち我非なり、我是なれば則ち彼非なり。我必ずしも聖に非ず、彼必ずしも愚に非ず。共に是れ凡夫のみ。是非の理、誰か能く定むべき。相共に賢愚なること、環(たまき)の端無きが如し。是を以て彼の人怒ると雖も、還って我が失を恐れよ。我独り得たりと雖も、衆に従いて同に挙え。
現代語訳: 心の中の憤りをなくし、怒りの表情を捨て、他人が自分と異なるからといって怒ってはならない。人には皆それぞれの心があり、それぞれの主張がある。彼が正しいとすれば自分は間違っており、自分が正しいとすれば彼は間違っている(という相対的なものだ)。自分が必ずしも聖人ではなく、彼が必ずしも愚か者ではない。共にただの凡人なのだ。正邪の道理を誰が完全に定められようか。お互いに賢くもあり愚かでもあるのは、指輪に切れ目がないようなものである。それゆえ、相手が怒っていても、むしろ自分に過ちがないか反省せよ。自分の考えが正しいと思っても、独断せず周囲の意見に従って行動せよ。
「人の違ふことを怒らざれ」から学べる経営の教訓
本条は人として非常に大切なことがカバーされていますね。特に多様性が重視される昨今の社会では特に当てはまるのではないかと思います。
経営においては、自分とは異なる価値観や視点を持つ人々と協力し、成功を収めていく必要があります。チームメンバー、顧客、取引先など、様々な関係者と付き合う中で、意見の食い違いや軋轢が生じるのは避けられません。しかし、そういった場合でも、相手の立場に立って考え、その違いを尊重する姿勢が何より重要です。むしろ、多様な視点を受け入れ、活かしていくことで、新しいアイデアや発想が生まれ、ビジネスは発展を遂げていくのです。
一方で、経営者自身も冷静な判断力と柔軟性を身に付ける必要があります。相手の意見に耳を傾け、その都度適切に対応していくことが求められます。怒りや排他的な態度では、関係が損なわれ、ビジネスが停滞してしまう恐れがあります。経営者は常に自己省察を怠らず、過ちがあれば素直に認め、改善に努める姿勢が不可欠といえるでしょう。
第十一条 功過を明察にして、賞罰必ず当てよ
明察功過。必当賞罰。日者賞不在功。罰不在罪。執事群卿。宜明賞罰。
書き下し: 明らかに功過を察て、必ず賞罰を当てよ。日者(このごろ)、賞功に在らず、罰罪に在らず。執事群卿、宜しく賞罰を明らかにすべし。
現代語訳: 人に報いを与えたり、罰を下したりするときは、その人に実際に功績があったのか、あるいは過ちがあったのかをよく見極め、その内容に応じて正しく行わなければならない。ところが最近は、功績のない者に賞を与えたり、罪のない者を罰したりする不当なことが目に付くようになってきた。賞罰をつかさどる者は、功ある者には必ず賞を与え、罪ある者には必ず罰を下すという原則を明確にし、誤りが起こらぬよう心して取り組むべきである。
「賞罰必ず当てよ」から学べる経営の教訓
信賞必罰・論功行賞について触れられています。これは現代社会の会社経営においても経営者が頭を悩ますところですね。大切なのは評価基準を明確にすることです。評価基準には様々なものがあり、年功序列や勤続年数、成果主義、行動主義、能力主義など複数の基準を設けて総合的に判断するのが一般的です。なお聖徳太子も取り入れた儒教では、徳と才の2軸を基準にすることがベースになっています。これは会社経営にも多いに適用できると思います。詳しくは聖人、君子、小人、愚人の違いと、幹部や後継者に求められる資質をご覧ください。
第十二条 百姓に斂ること勿れ
国司国造。勿斂百姓。国無二君。民無両主。率土兆民。以王為主。所任官司。皆是王臣。何敢与公。賦斂百姓。
書き下し: 国司国造(くにのみやつこ)、百姓に斂(おさ)めとること勿かれ。国に二君無く、民に両主無し。率土の兆民は、王を以て主と為す。任ずる所の官司は、皆是れ王の臣なり。何ぞ敢えて公と与に、百姓に賦斂せん。
現代語訳: 地方官たちは、勝手に民から税を取り立ててはならない。国に二人の君主はおらず、民に二人の主人はいない。国中のあらゆる民は天皇を主人とする。任じられた役人たちは皆、天皇の臣下である。どうして公(天皇)と並んで、勝手に民から徴税などができようか。
「百姓に斂ること勿れ」から学べる経営の教訓
これは特に最近の政府に言いたい人もいるのではないでしょうか。財政がひっ迫したとき、政府が取る方法は二つあります。一つは税を重くすることです。この方法しかないように思えますが、実は歴史を見れば民に重税を課して繁栄し続けた国はあまりありません。
そこでもう一つの方法があります。それは税を軽くし、民の経済活動を活発にすることで徴収できる税の総額を増やす方法です。仁徳天皇はこの方法で民と国を富ましたとされています。会社経営においてもこの二つの方法のどちらを採るかは経営者の重要な判断になるでしょう。給与を下げて人件費を下げ、会社の利益を増やすか。または、給与を上げて社員の活動を活発にして会社の売り上げを上げることで利益を増やすか。このどちらかです。
第十三条 同じく職掌を知れ
諸任官者。同知職掌。或病或使。有闕於事。然得知之日。和如曾識。匪以與無。妨於公務。
書き下し: 諸の官に任ずる者は、同じく職掌を知れ。或いは病み或いは使して、事に闕くること有らん。然れども知ることを得る日は、和うこと曾て識れるが如くせよ。与かり無しと以て、公務を妨ぐること匪かれ。
現代語訳: それぞれの役職についている者は、互いの職務を理解しておかなければならない。人は病気になったり、出張に出たりして、一時的にその場を離れることもある。しかし、当人が復帰したときには、まるで途中で穴が空いていなかったかのように、仕事がきちんと進んでいなければならない。「自分は担当ではない」という理由で、仕事の流れを止めることがあってはならない。
「同じく職掌を知れ」から学べる経営の教訓
ここでは組織力や仕組みの力が語られています。会社の中では、みんなの役割と仕事内容をはっきりさせることが大切です。病気や異動があっても、前から仕事をしているかのように、きちんと仕事を続けなければなりません。「自分は関係ない」と言って、仕事を放り出したりするのはいけません。個人の理由で会社の仕事に支障を来すことは避けるべきです。自分の都合ではなく、会社全体のためを考えて、しっかりと仕事に取り組む姿勢が求められます。
特に仕事がブラックボックス化、属人化しているとこの条文を実現することはできないでしょう。そのため、現代では業務のマニュアル化や属人性の排除などが必要になります。
第十四条 嫉み妬むこと有る無かれ
群臣百寮。無有嫉妬。我既嫉人。人亦嫉我。嫉妬之患。不知其極。所以智勝於己則不悦。才優於己則嫉妬。是以五百之賢。乃今遇一。千載難待一人。其不得賢。何以治国。
書き下し: 群臣百寮、嫉妬有ること無かれ。我既に人を嫉めば、人亦我を嫉む。嫉妬の患いは、その極みを知らず。所以に智己に勝れば則ち悦ばず、才己に優れば則ち嫉妬す。是を以て五百の賢に、乃ち今一りに遇う。千載にも一人を待つこと難し。それ賢を得ざれば、何を以てか国を治めん。
現代語訳: 多くの役人たちは、嫉妬の心を持ってはならない。自分が他人を妬めば、他人もまた自分を妬む。嫉妬の弊害は際限がない。自分より知恵が優れていれば面白くなく、才能が優れていれば嫉妬する。それでは五百年に一人の賢人に出会うのがやっとで、千年に一人の聖人を待つのは難しい。優れた人材を得られなくては、どうして国を治めることができようか。
「嫉み妬むこと有る無かれ」から学べる経営の教訓
ここでは組織内の嫉妬や妬みについて戒めるように書かれています。会社内でこのような状態を避けるにはどうすればいいでしょうか。ひとつの方法としては、適材適所ということだと思います。
適材適所が実現できれば、自分の長所や得意分野を活かせる仕事に就くことができるので、「自分の役割が果たせている」と実感でき、満足感が得られます。また、周りの人もそれぞれの長所を発揮できる環境にあるので、「自分はこの仕事が向いていないが、あの人はあの仕事が本当に上手だな」と思えます。自分の実力が過小評価されたりしないので、不満や不平等感がありません。
要するに、個人の強みが発揮でき、互いを認め合える環境があれば、妬む理由がなくなり、チームワークも生まれやすくなるのです。
第十五条 私に背き公に向く
背私向公。是臣道也。凡人有私必有恨。有恨必非同。非同則以私妨公。以情違制。害法損公。故第一章云。上下和諧。其亦是情歟。
書き下し: 私に背き公に向うは、是れ臣の道なり。凡そ人に私有れば必ず恨み有り。恨み有れば必ず同ぜず。同ぜざれば則ち私を以て公を妨ぐ。情を以て制に違い、法を害ない公を損なう。故に第一章に云わく、上下和諧せよと。それ亦是の情か。
現代語訳: 私心を捨てて公務に向かうのが、臣下(組織人)の道である。人には私心があるため、どうしても他人への恨みや妬みが生じる。恨みがあれば協調できず、私情で公務を妨げることになる。私情でルールに背き、法を犯して公を損なう。だから第一条で「和をもって貴しとなす」と言ったのは、この私情を排するためである。
「私を背いて公に向く」から学べる経営の教訓
ここでは私心を取り去ることが重要であると書かれています。これは経営リーダーにとって最も重要な資質ともいえることでしょう。別の事で言えば、利他の心とも言えます。東洋的な思想では、人はすべからく私心のない純真な心を持っていると考えられています。ところが、そこに余計な人欲が混ざることで純真な心が隠れてしまうのです。そうなると、我欲に染まって経営をすることになり、長期的な繁栄が難しくなります。
利他心を育むには、日頃からそれを心がけ、行動に移すことです。脳には可塑性という特徴があり、利他的な行動を毎日続けていけば、それが習い性となっていきます。
第十六条 民を使ふに時を以てする
導民以時、古之良典。故冬月有暇、以可使民。従春至秋、農桑之節、不可使民。其不農何食。不桑何服。
書き下し: 民を導くには時を以てするは、古の良典なり。故に冬月に暇有らば、以て民を使うべし。春より秋に至るまでは、農桑の節なり、民を使うべからず。それ農らずば何をか食わん。桑とらずば何をか服ん。
現代語訳: 人民を使役するには時期を選べというのは、古くからの良いしきたりである。農閑期である冬に余裕があるならば、民を使役してよい。しかし春から秋までは、農業や養蚕の忙しい時期であるから、民を使ってはならない。農業をしなければ何を食べるのか。養蚕をしなければ何を着るのか。
「民を使ふに時を以てする」から学べる経営の教訓
ここでは間接的に、民のことを良く知ることの大事さが説かれています。民の生活を良く知らなければ、彼らを上手く使役させることが出来ないわけです。
そもそも日本は天皇が知らす国です。天皇は国民のことを良く知るように日々努めてらっしゃいます。国民を知るとどうなるか。その安寧を祈らずにはいられなくなります。そのため天皇の最大の役割の一つが日々の祈りだとされているのです。そして、祈りが形に現れたものが"和歌(御製)"です。
ちなみに松下幸之助氏も、社員がどんどん増えてくると、自分の目が行き渡らなくなり、社員数が1万人を超えると、もう祈るような気持ちしかわかなかったと発言しています。
同じように、経営者は、社員のことを良く知り、彼らが働きやすいように環境を整えることが大切でしょう。社員に余計な負荷を与えるのではなく、彼らがラクに成果を出せるような仕組みを創ることがリーダーの役割です。
第十七条 必ず衆と与に宜しく論ふべし
夫事不可独断。必与衆宜論。少事是軽。不可必衆。唯逮論大事。若疑有失。故与衆相辨。辞則得理。
書き下し: 夫れ事は独断すべからず。必ず衆と与に宜しく論ずべし。少事は是れ軽し、必ずしも衆とすべからず。唯だ大事を論ずるに逮びては、若し失有らんことを疑う。故に衆と相辨うれば、辞則ち理を得。
現代語訳: 重大な物事は一人で独断してはならない。必ず多くの人と議論しなさい。些細なことは軽々しいので必ずしも衆議にかける必要はない。ただ重大な事を論議する際には、過ちがあることを恐れる。だから多くの人と議論を尽くして検討すれば、おのずと道理にかなった結論が得られる。
「必ず衆と与に宜しく論ふべし」から学べる経営の教訓
ここでは衆知を集め、議論をして決定することの大事さが書かれています。これはそのまま五箇条の御誓文に引き継がれています。五箇条の御誓文は明治天皇が布告されたものです。口語訳としては以下のようになっています。
- 広く人材を集めて会議を開き議論を行い、大切なことはすべて公正な意見によって決めましょう。
- 身分の上下を問わず、心を一つにして積極的に国を治め整えましょう。
- 文官や武官はいうまでもなく一般の国民も、それぞれ自分の職責を果たし、各自の志すところを達成できるように、人々に希望を失わせないことが肝要です。
- これまでの悪い習慣をすてて、何ごとも普遍的な道理に基づいて行いましょう。
- 知識を世界に求めて天皇を中心とするうるわしい国柄や伝統を大切にして、大いに国を発展させましょう。
この第一条は第十七条の内容が引き継がれていることが分かると思います。
会社経営においても、経営者が独断で判断するのではなく、衆知を集めて決定していくことが経営者に依存せず運営していくカギといえます。衆知を集める方法は数あると思いますが、なによりも、日頃から社員の声に耳を傾ける姿勢を取り、発言しやすい雰囲気を作り、自然と衆知が集まってくるようにすることが大事だと言えるでしょう。
十七条憲法はそのまま経営の原則になる
以上、十七条憲法について見てきました。御覧の通り、これはそのまま経営の原則としても使えるものといえます。あなたの会社にも経営理念や行動指針などがあると思いますが、ぜひ十七条憲法を見直し、より良いものにされてみてください。
なお、十七条憲法は「上が徳を示せば下は自ずと治まる」という徳治の立場に立っています。これは孔子から続く考え方で、法によって組織を治める法治とは対になるものです。会社経営ではどちらか一方では足りず、両方を組み合わせることになります。