十七条憲法 / 第四条
四曰、群臣百寮、以礼爲本。其治民之本、要在乎礼。上不礼而下不齊。下無礼以必有罪。是以、群臣有礼、位次不乱。百姓有礼、国家自治。
新字:四曰、群臣百寮、以礼為本。其治民之本、要在乎礼。上不礼而下不斉。下無礼以必有罪。是以、群臣有礼、位次不乱。百姓有礼、国家自治。
書き下し
四に曰わく、群臣(まえつきみ)百寮(もものつかさ)、礼を以て本(もと)と為(せ)よ。其れ民を治むるの本、要(かなめ)は礼に在り。上(かみ)礼無くんば下(しも)斉(ととの)わず。下(しも)礼無くんば以て必ず罪有り。是(ここ)を以て、群臣礼有れば、位次(くらい)乱れず。百姓(ひゃくせい)礼有れば、国家(こっか)自(おのずか)ら治まる。
現代語訳
天皇のそばに仕える高い位の者も、実務にあたる多くの役人も、何より礼を正すことを根本としなければならない。 民を治める要は、まず自分を慎み、相手を敬うという礼の心にある。 もし上に立つ者が礼を欠けば、その姿勢はすぐに下の者へ広がり、やがて礼を失った言動が組織の中に当たり前のように現れる。 こうした乱れが積み重なれば、いずれ必ず罪や問題が生まれる。 反対に、下の者に礼があれば、立場の違いによる無用の対立は生じず、秩序は自然に保たれる。 庶民の間に礼が行き渡っていれば、国は自ずと安定し、争いも少なくなる。
解説
会社を動かすうえで、役職の高い人ほど、まず自分の態度やふるまいを正し、相手をきちんと敬う姿勢を持たなければならない。
それが組織をまとめるうえでの根本になる。
上に立つ人が乱暴な言葉を使ったり、横柄な態度を取れば、その空気はすぐに部下へ広がる。
やがて現場でも礼を欠いた振る舞いが当たり前になり、いずれ必ず問題や対立を生む。
反対に、下の人たちが互いに礼をもって接していれば、立場の違いから不要な衝突が起きることもなく、仕事の流れは自然と整う。
職場に礼が行き渡れば、上から細かく管理しなくても、組織は自律して動くようになる。
この章句が説くこと
礼儀規範コンプライアンス率先垂範規律組織秩序
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