十七条憲法 / 第八条
群卿百寮、早朝晏退。公事靡盬、終日難尽。是以遅朝不逮于急、早退必不尽其功。
書き下し
群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)、早(つと)に朝(まい)りて晏(おそ)く退(しりぞ)け。公事(くじ)盬(しお)きこと靡(な)く、終日(ひねもす)にも尽(つ)くし難(がた)し。是(ここ)を以(もっ)て遅(おそ)く朝(まい)れば急(きゅう)に逮(およ)ばず、早く退(しりぞ)けば必(かなら)ずその功(こう)を尽(つ)くさず。
現代語訳
役人たちは朝早く出仕し、夜遅く退出しなさい。公務はうわべだけ適当に済ませてよいものではなく、一日中かけても終えるのが難しいほどだ。だから、朝遅く出勤したのでは緊急の用件に間に合わず、早く退出したのでは必ずその業務を全うできない。
解説
第八条は「役人は朝早く出て夜遅く退け」と説きますが、これは現代における長時間労働の推奨ではなく、「職務に対する責任感(コミットメント)」と解釈すべき箇所です。公務はうわべだけで済ませられるものではなく、一日かけても終わらないほど奥が深いという前提があります。だからこそ、遅く出勤すれば急な用件に対応できず、早く退出すればその日の務めを果たせないというのです。リーダー層が率先垂範して業務に向き合う姿勢がなければ、組織全体の士気は下がります。時間にルーズであることは信用を失う第一歩であり、いざという時の対応力を欠く原因にもなります。
この章句が説くこと
率先垂範タイムマネジメントコミットメント職業倫理規律
関連する章句
-
論語・顔淵篇子張、政を問う。子曰く、「之に居りて倦むこと無く、之を行うに忠を以てす。」
-
論語・衛霊公篇子曰わく、身をもって厚くし、人を責むること薄ければ、すなわち怨み遠し。
-
『春秋左氏伝』襄公二十一年 上の為す所は民の帰なり二十一年春、公晉に如きて師を拜し、及び邾の田を取るを拜するなり。邾の庶其漆・閭丘を以って來奔す。季武子公の姑姊を以って之に妻はせ、皆其の從者に賜有り。是に於いて魯に盜多し。季孫臧武仲に謂ひて曰く、「子盍ぞ盜を詰めざる」と。武仲曰く、「詰むべからざるなり。紇も又能はず」と。季孫曰く、「我に四封有りて、其の盜を詰む。何の故に可ならざる。子は司寇為り。將に盜を是れ務めて去らんとす。之を若何ぞ能はざらん」と。武仲曰く、「子外盜を召して大いに之に禮す。何を以ってか吾が盜を止めん。子は正卿為りて、外盜を來たす。紇をして之を去らしむるも、將た何を以ってか能くせん。庶其は邑を邾に竊みて以って來る。子姬氏を以って之に妻はせて、之に邑を與へ、其の從者も皆賜有り。若し大盜には之に禮するに、君の姑姊と其の大邑とを以ってし、其の次は皁牧輿馬、其の小なる者は衣裳劍帶ならば、是れ盜を賞するなり。賞して之を去る、其れ或いは難からん。紇や之を聞く、上位に在る者は其の心を洒濯し、壹にして以って人を待ち、其の信を軌度して、明らかに徵すべくして、而る後に以って人を治むべしと。夫れ上の為す所は、民の歸なり。上の為さざる所にして、民或いは之を為す。是を以って刑罰を加へて、敢へて懲りざる莫し。若し上の為す所にして民も亦た之を為すは、乃ち其の所なり。又禁ずべけんや。夏書に曰く、『茲を念ふも茲に在り、茲を釋くも茲に在り、名言するも茲に在り、允に出だすも茲に在り。惟れ帝功を念ふ』と。將に己に由りて壹なるを謂ふなり。信、己に由りて壹にして、而る後に功念ふべきなり」と。庶其は卿に非ざるなり。地を以って來る。賤しと雖も必ず書す。地を重んずるなり。
-
説苑・臣術晏子朝す、敝車に乗り駑馬に駕す。景公之を見て曰く、「嘻、夫子の禄寡なきか、何ぞ乗ること任えざるの甚だしきや」と。晏子対えて曰く、「君の賜に頼りて、以て三族及び国の交遊を寿からしめ皆生を得しむ。臣暖衣飽食を得、敝車駑馬、以て其の身を奉ずるは、臣に於いて足れり」と。晏子出づ。公梁丘拠をして輅車乗馬を遺らしむ。三たび返して受けず。公悦ばず、趣ぎて晏子を召す。晏子至る。公曰く、「夫子受けざれば、寡人も亦た乗らじ」と。晏子対えて曰く、「君臣をして百官の吏に臨ましめ、其の衣服飲食の養を節して、以て斉国の人に先んぜしむ。然れども猶お其の侈靡にして其の行いを顧みざらんことを恐る。今輅車乗馬、君之に上に乗り、臣も亦た之に下に乗らば、民の義無くして、其の衣食を侈にして其の行いを顧みざる者は、臣以て之を禁ずる無し」と。遂に譲りて受けず。
-
説苑・善說魏の文侯大夫と酒を飲み、公乘不仁をして觴政と爲さしめて曰く、「飲みて釂さざる者は大白を以て浮せ。」文侯飲みて釂を盡くさず。公乘不仁擧げて君を浮すと曰う。君視て應えず。侍者曰く、「不仁退け、君已に醉えり。」公乘不仁曰く、「周書に曰く、『前車覆り、後車戒む。』蓋し其の危きを言うなり。人臣爲ること易からず、君爲ること亦た易からず。今君已に令を設くるに、令行われずんば可ならんや。」君曰く、「善し。」白を擧げて飲み、飲み畢りて曰く、「公勝不仁を以て上客と爲さん。」
-
『春秋左氏伝』昭公元年 魏舒、車を毀つ鄭游楚の亂の故を為(もっ)て、六月、丁巳、鄭伯其の大夫と公孫段氏に盟ふ。罕虎・公孫僑・公孫段・印段・游吉・駟帶、閨門の外に私盟す、實に薰隧なり。公孫黑強ひて盟に與り、大史をして其の名を書かしめ、且つ七子と曰はしむ。子產討ぜず。晉の中行穆子、無終及び群狄を大原に敗る、卒を崇べばなり。將に戰はんとするに、魏舒曰く、「彼は徒、我は車、遇ふ所又阨(せま)し。什を以って車に共へば、必ず克たん。諸を阨に困しめば、又克たん。請ふ皆卒とせん、我より始めん」と。乃ち車を毀ちて以って行と為し、五乘を三伍と為す。荀吳の嬖人卒に即くを肯ぜず、斬りて以って徇(とな)ふ。五陳を為して以って相離れ、兩は前に於いてし、伍は後に於いてし、專は右角と為り、參は左角と為り、偏は前拒と為り、以って之を誘ふ。翟人之を笑ふ。未だ陳せざるに之に薄(せま)り、大いに之を敗る。莒の展輿立ちて、群公子の秩を奪ふ。公子去疾を齊より召す。秋、齊の公子鉏去疾を納れ、展輿吳に奔る。叔弓師を帥ゐて鄆の田を疆(さかひ)す、莒の亂に因るなり。是に於いて莒の務婁・瞀胡及び公子滅明、大厖と常儀靡とを以って齊に奔る。君子曰く、「莒展の立たざるは、人を棄つればなるかな。人棄つ可けんや。詩に曰く、『競(つよ)きこと維れ人より無し』と。善し」と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る