- 重職心得箇条とは
- 第一条 重職の名を正す
- 第二条 部下の考えを尽くさせ、公平に裁く
- 第三条 家法と仕来り、変えるものと変えぬもの
- 第四条 まず自案、そのあとに前例
- 第五条 応機——機は前に見える
- 第六条 いったん引いて、全体を見る
- 第七条 衆人が心から従うところを心がける
- 第八条 「忙しい」と言うのは恥である
- 第九条 賞罰の権限は、下ろさない
- 第十条 軽重と緩急、そして十年の成算
- 第十一条 人を容れる気象と、物を蓄える器量
- 第十二条 定見を貫き、しかも一時に転じる
- 第十三条 抑揚と釣り合い、信と義
- 第十四条 実政と虚政——手数を省く
- 第十五条 風儀は、上から起こる
- 第十六条 隠せば、探る心を持たせる
- 第十七条 初政は、年に春があるようなもの
- まとめ——十七条を、どう使うか
- あわせて読みたい
幹部が育たない、任せたのに戻ってくる、自分だけが忙しい——多くの経営者が抱える悩みを、二百年前の儒者が十七か条にまとめています。『重職心得箇条』は、佐藤一斎が藩の要職にある者へ向けて書いた実務の心得です。抽象論はほとんどありません。全十七条を、原文と現代語訳、そして経営の現場に引き寄せた解説とともに、一条ずつ読んでいきます。
重職心得箇条とは
『重職心得箇条(じゅうしょくこころえかじょう)』は、江戸後期の儒学者・佐藤一斎が、藩の重職——家老・重臣といった要職にある者に向けて書いた、全十七条の心得書です。
特徴は、対象がはっきり絞られていることです。君主の心得でも、一般の修養でもありません。トップの下にいて、実際に組織を回す立場の人間に向けて書かれています。現代の会社でいえば、社長ではなく、役員・幹部・部門長にあたる層です。だから内容も、権限委譲、稟議の扱い、前例との付き合い方、賞罰の握り方、多忙の意味といった、きわめて実務的なものになっています。
佐藤一斎という人
佐藤一斎(さとう・いっさい/明和九年・一七七二年〜安政六年・一八五九年)は、美濃国岩村藩(現在の岐阜県恵那市岩村町)の生まれです。生家は代々藩の家老を務める家柄で、一斎自身も寛政二年(一七九〇年)から岩村藩に仕えました。
その後、林述斎のもとで学んで塾長となり、述斎の没した天保十二年(一八四一年)、七十歳で幕府の学問所である昌平坂学問所の儒官(総長)に任じられます。門下からは佐久間象山、渡辺崋山、山田方谷らが出ました。西郷隆盛が終生手放さなかった『言志四録』の著者としても知られます。
つまり一斎は、家老の家に生まれ、藩に仕え、幕府の学問の頂点に立った人です。『重職心得箇条』が机上の理想論に流れないのは、書き手自身が組織の内側を知っていたからでしょう。
いつ、誰のために書かれたか
ここは、断定を避けて書いておきます。成立年について、確定した定説はありません。
一つは、一斎が五十五歳のころ——文政九年から十年(一八二六〜二七年)ごろ——岩村藩主となった松平乗美の老臣に加えられた際に、『重職心得箇条』『御心得向存意書』を著したとする伝えです。もう一つは、幕府教学の中心にいた天保から弘化のころ(一八三〇〜四〇年代)に、出身地である岩村藩のために書いたとする説明で、こちらは各所で引かれるものの、典拠となる一次史料は示されていません。
確かに言えるのは、岩村藩の重職に向けて書かれたものと伝えられている、というところまでです。一斎の生没年(一七七二〜一八五九年)から、江戸後期の著作であることは動きません。宛先の個人名を挙げる説もありますが、原典で裏づけが取れないため、この記事では書きません。
十七条という数について
条数が十七であることから、聖徳太子の『十七条憲法』にならったものだと説明されることがよくあります。ただしこれも、一斎自身が書き残したものではなく、後世の解釈です。十七という数が偶然でない可能性は高いものの、断定はできません。
なお近代以降、この書が広く読まれるようになったのは、安岡正篤が経営者向けの講義で取り上げたことが大きいとされます。
『言志四録』との違い — 同じ人の、役割の違う二冊
佐藤一斎といえば、まず『言志四録』の名が挙がります。同じ著者の書ですから、混同されがちですが、性格はまったく違います。
| 言志四録 | 重職心得箇条 | |
|---|---|---|
| 形式 | 四十余年にわたる語録・随想(千百余条) | 十七条にまとめた心得書 |
| 読者 | 学ぶ人すべて | 藩の重職(家老・幹部) |
| 主題 | 志、学問、修養、生死——個人の内面 | 権限、決裁、前例、賞罰——組織の実務 |
ひとことで言えば、『言志四録』が個人の修養を説いた書なら、『重職心得箇条』は要職にある者の実務心得です。一斎は「一灯を提げて、暗夜を行く」と個人に語りかける一方で、「重職たるもの、勤め向き繁多と云ふ口上は恥ずべき事なり」と役職者を叱っている。同じ人の、向いている方向が違う二冊だと理解すると、両方が読みやすくなります。
『言志四録』のほうは、別の記事で詳しく扱っています。
▶ 言志四録に学ぶリーダーシップ — 佐藤一斎の言葉と、西郷隆盛の一灯
本記事の原文について(校訂方針)
『重職心得箇条』は、原本そのものではなく流布本の形で読み継がれてきた書です。本記事の原文は、現在ひろく参照されている流布本の本文によります。二つの独立した全文(ウィキペディア日本語版「重職心得箇条」、および安岡正篤『佐藤一斎「重職心得箇条」を読む』の原文・訳を掲げるサイト)を突き合わせ、全十七条の本文が一致することを確認したうえで掲げました。
そのうえで、次の三点をおことわりしておきます。
- 括弧内の読みは、流布本に付されているものをそのまま残しています。
- 第十一条の「仮令才ありてお其の用を果たさず」は、流布本のままです。文意からは「才ありても」と解されますが、参照した二つの全文はいずれも「てお」であり、原本にさかのぼって確かめることができていません。推測で直すことはせず、流布本の形のまま掲げます。
- 同じ第十一条の「大造」に流布本が添えている「(=大層)」という語釈は、転記者による注であって本文ではないため、外しました。
以下、全十七条を順に読みます。
第一条 重職の名を正す
重職と申すは、家国の大事を取り計らうべき職にして、此の重の字を取り失ひ、軽々しきはあしく候。大事に油断ありては、其の職を得ずと申すべく候。先づ挙動言語より厚重にいたし、威厳を養ふべし。重職は君に代わるべき大臣なれば、大臣重うして百事挙がるべく、物を鎮定する所ありて、人心をしづむべし、斯くの如くにして重職の名に叶ふべし。又小事に区々たれば、大事に手抜きあるもの、瑣末を省く時は、自然と大事抜け目あるべからず。斯くの如くして大臣の名に叶ふべし。凡そ政事は名を正すより始まる。今先づ重職大臣の名を正すを本始となすのみ。
現代語訳: 重職とは、家と国の大事をとりはからうべき職である。この「重」の一字を取り落として軽々しく振る舞うのはよくない。大事に油断があるようでは、その職にふさわしいとは言えない。まずは立ち居振る舞いと言葉づかいから厚みのあるものにし、威厳を養うべきである。重職とは君主に代わる大臣なのだから、大臣が重々しくあってこそ諸事は運び、物事を鎮める働きがあってこそ人心は落ち着く。そうであってはじめて「重職」の名にかなう。また、小事にこまごまと関わっていれば、大事のほうに手抜かりが生じる。瑣末を省けば、自然と大事に抜け落ちはなくなる。そうであってはじめて「大臣」の名にかなう。およそ政治は名を正すことから始まる。いまはまず、重職・大臣という名を正すことを、すべての始まりとする。
「名を正す」から始める理由
冒頭にいきなり「名を正す」が来ます。孔子が政治の第一歩に挙げたのと同じ順序です。
名正しからざれば、則ち言順わず。言順わざれば、則ち事成らず。(『論語』子路篇)
名前と実態がずれていると、言葉が筋を通さなくなり、言葉が通らなければ仕事が成らない。一斎はこれを役職に適用しました。「重職」という名を背負っているのに、軽い仕事をしている。この不一致がすべての乱れの入口である、と。
厚重と、瑣事の切り捨て
「挙動言語より厚重にいたし」の「厚重」は、一斎が別の場所でも使う語です。
人は、厚重を貴ぶ、遅重を貴ばず。真率を尚ぶ、軽率を尚ばず。(『言志四録』)
厚みがあることと、鈍いことは違う。率直であることと、軽はずみは違う。この区別は重要です。重職に求められる「重さ」は、動きの遅さではありません。判断が浅くない、言葉が軽くない、という意味の重さです。
そのうえで一斎は、瑣末を省けと言います。ここが実務的です。役職の名にふさわしい重さは、小さな仕事を手放して初めて成立する。細かい承認作業に埋もれた幹部は、どれだけ真面目でも「重職」の名には届かない、ということになります。
第二条 部下の考えを尽くさせ、公平に裁く
大臣の心得は、先づ諸有司の了簡(りょうけん)を尽くさしめて、是れを公平に裁決する所其の職なるべし。もし有司の了簡より一層能(よ)き了簡有りとも、さして害なき事は、有司の議を用いるにしかず。有司を引き立て、気乗り能(よ)き様に駆使する事、要務にて候。又些少の過失に目つきて、人を容れ用いる事ならねば、取るべき人は一人も無き之れ様になるべし。功を以て過を補はしむる事可也。又堅才と云ふ程のものは無くても、其の藩だけの相応のものは有るべし。人々に択(よ)り嫌いなく、愛憎の私心を去って用ゆべし。自分流儀のものを取り計るは、水へ水をさす類にて、塩梅を調和するに非ず。平生嫌ひな人を能(よ)く用いると云ふ事こそ手際なり。此の工夫あるべし。
現代語訳: 大臣の心得は、まず役人たちに考えを出し尽くさせ、それを公平に裁決するところにある。それがこの職である。もし役人の案より自分の案のほうが一段優れていたとしても、大した害がないことなら、役人の議を用いるにこしたことはない。役人を引き立て、気持ちよく働けるように動かすことが、肝心の務めである。また、わずかな過失に目をつけて人を受け入れて用いることができないなら、使える人は一人もいなくなる。手柄をもって過失を補わせればよい。並外れた才能というほどの者はいなくとも、その藩に見合った者はいるものだ。人を選り好みせず、好き嫌いという私心を去って用いるべきである。自分と同じ流儀の者ばかり取り立てるのは、水に水を差すようなもので、味を調えることにはならない。日ごろ嫌いな人をうまく用いる、これこそ手際というものだ。この工夫があってほしい。
「一段よい案」を持っていても、使わない
現代の会社に、そのまま持ち込める条です。
まず、部下の考えを出し尽くさせるのが先で、裁くのは後。順序が決まっています。そして、自分の案のほうが少し良くても、大差なければ部下の案を採る。理由は書かれていませんが、実務的には明白です。上が毎回自分の案に差し替えれば、部下は考えることをやめ、案を出す前に上の顔色を見るようになる。一段よい案を採り続けることで、二段悪い組織になります。
「さして害なき事は」という留保が効いています。何でも部下に譲れとは言っていません。害の大きさで線を引く、という判断基準です。
嫌いな人を使えるか
後半は人事です。「些少の過失に目つきて」人を使えなくなれば、使える人は一人もいなくなる。「功を以て過を補はしむる」——手柄で過失を埋め合わせさせればよい。
そして最も鋭いのが、「平生嫌ひな人を能(よ)く用いると云ふ事こそ手際なり」。自分と同じ流儀の者ばかり集めるのは「水へ水をさす類」で、味を調えたことにならない。異質な人材を入れて初めて組織は調味される、という料理の比喩です。
孔子も、上に立つ者の仕事を同じ方向で語っています。
君子は人の美を成し、人の悪を成さず。小人は是に反す。(『論語』顔淵篇)
耳の痛い意見を退けた組織がどうなるかは、『貞観政要』が繰り返し警告しているところです。「君暗く臣諛(へつら)わば、危亡遠からず」——上が暗く下がへつらえば、滅びは遠くない。
第三条 家法と仕来り、変えるものと変えぬもの
家々に祖先の法あり、取り失ふべからず。又仕来(しきた)り仕癖(しくせ)の習いあり、是れは時に従って変易あるべし。兎角目の付け方間違ふて、家法を古式と心得て除(の)け置き、仕来り仕癖を家法家格などと心得て守株(しゅしゅ)せり。時世に連れて動かすべきを動かさざれば、大勢立たぬものなり。
現代語訳: 家々には祖先の定めた法がある。これを失ってはならない。一方、仕来りや癖のようになった習慣もある。こちらは時代に従って変えるべきものだ。ところが往々にして目のつけどころを間違え、家法のほうを「古い形式」と見なして脇へ置き、仕来りや癖のほうを「家法だ、家格だ」と思い込んで、切り株を見張るように守っている。時代とともに動かすべきものを動かさなければ、大勢は保てない。
守るべきものと、捨てるべきものが入れ替わる
この条の切れ味は、「伝統は大事、変化も大事」という当たり障りのない話にしていないところにあります。一斎が問題にしているのは、守る対象を取り違えるという具体的な失敗です。
会社に置き換えると、こうなります。創業者が定めた理念や、その事業が存在する理由——これが「家法」です。一方、二十年前の担当者が始めた申請フォーマット、金曜午前の定例会議、稟議の押印順——これが「仕来り仕癖」です。ところが実際には、理念のほうが「精神論だ」と脇に置かれ、押印順のほうが「うちのやり方だ」として守られる。順序が逆になっている、と一斎は言っています。
「守株」という言葉
一斎はここで「守株」という語を使いました。出典は『韓非子』五蠹篇の有名な寓話です。
宋人に田を耕やす者有り。田中に株有り、免走りて株に觸れ、頸を折りて死す。……今先王の政を以て、當世の民を治めんと欲するは、皆な株を守るの類なり。
切り株にぶつかって死んだ兎を一度拾った農夫が、鍬を捨てて切り株を見張り続け、国じゅうの笑いものになった——という話です。過去に一度うまくいったやり方を、状況が変わっても手放せない。二千三百年前の警告が、そのまま江戸の心得書に引かれ、いまの会議室にも当てはまります。
第四条 まず自案、そのあとに前例
先格古例に二つあり、家法の例格あり、仕癖の例格あり、先づ今此の事を処するに、斯様斯様あるべしと自案を付け、時宜を考へて然る後例格を検し、今日に引き合わすべし。仕癖の例格にても、其の通りにて能(よ)き事は其の通りにし、時宜に叶はざる事は拘泥すべからず。自案と云ふもの無しに、先づ例格より入るは、当今役人の通病(つうへい)なるべし。
現代語訳: 先例や古い決まりには二種類ある。家法としての例と、癖としての例である。まず、いま目の前のこの件をどう処理するか、こうあるべきだと自分の案を立て、時宜を考えたうえで、そのあとに先例を調べ、今日の状況に照らし合わせるべきだ。癖としての先例であっても、そのままでよいことはそのままにし、時宜に合わないことにこだわってはならない。自分の案というものを持たないまま、まず先例から入るのは、いまの役人に共通した病である。
順序を逆にするだけで、質が変わる
第三条とセットで読む条です。第三条が「何を守るか」なら、第四条は「どの順序で考えるか」を扱います。
一斎の指示は明快です。自案が先、前例が後。前例を調べるなと言っているのではありません。調べるのは自分の案を立ててからにせよ、と言っている。順序を逆にすると、前例が思考の出発点になり、「前回こうだったので今回もこう」という結論しか出なくなります。
「自案と云ふもの無しに、先づ例格より入るは、当今役人の通病なるべし」——自分の案を持たずに前例から入るのが、いまの役人に共通する病だ。この一文が二百年前に書かれていることに、少し気が滅入るかもしれません。稟議の一行目に「前例に鑑み」と書いてある書類は、いまも毎日回っています。
第五条 応機——機は前に見える
応機と云ふ事あり肝要也。物事何によらず後の機は前に見ゆるもの也。其の機の動き方を察して、是れに従ふべし。物に拘(こだわ)りたる時は、後に及んでとんと行き支(つか)へて難渋あるものなり。
現代語訳: 機に応じるということがあり、これが肝要である。物事は何によらず、あとで来る機は、その前に兆しとして見えているものだ。その機の動き方をよく察して、それに従うべきである。何かにこだわっていると、あとになって行き詰まり、難儀することになる。
兆しは、すでに出ている
短い条ですが、内容は濃い。「後の機は前に見ゆる」——後から来る決定的な局面は、必ずその前に兆候として現れている、という認識です。だから機を「待つ」のではなく、「察して従う」。
実務では、兆しはたいてい小さく、しかも都合が悪い形で現れます。主力顧客の担当者が代わった。優秀な社員が有給を取り始めた。競合が採用ページを刷新した。どれも単独では意思決定に値しないように見えて、あとから振り返ると、そこが分岐点だったと分かります。
「物に拘りたる時は」——何かに固執しているとき、この兆しは見えません。既存の主力商品、これまでの取引条件、自分が立てた計画。こだわりの対象と、見落とす兆しは、たいてい同じ場所にあります。
決断の質については、一斎は別の場所でこう分類しています。
果断は、義より来るもの有り。智より来るもの有り。勇より来るもの有り。義と智とを併せて来るもの有り、上なり。徒に勇のみなるは殆し。(『言志四録』)
義(正しさの確信)と智(見通し)を兼ねた決断が最上で、勇気だけの決断は危うい。機を見て動くことと、勢いで動くことは違う、ということです。
第六条 いったん引いて、全体を見る
公平を失ふては、善き事も行はれず。凡そ物事の内に入ては、大体の中すみ見へず。姑(しばら)く引き除(の)きて、活眼にて惣体の体面を視て中を取るべし。
現代語訳: 公平を失っては、善いことも行われない。おおよそ物事の内側に入り込んでしまうと、全体の中ほども隅も見えなくなる。しばらく身を引いて、生きた眼で全体の様子を見わたし、ちょうどよいところを取るべきである。
当事者になると、見えなくなる
「物事の内に入ては、大体の中すみ見へず」。当事者として渦中に入ると、全体も細部も見えなくなる。だから「姑く引き除きて」——いったん距離を取れ、と。
部門間の対立を裁くとき、担当者と一緒に資料を作り込んだ案件を判断するとき、この距離が失われます。経営者が自ら手を動かした企画ほど、その企画を公平に評価できない。これは能力の問題ではなく、位置の問題です。位置を変えれば見え方は戻ります。
一斎は、公平を「行い」だけでなく「心」の側からも見ています。
公私は事に在り、又情に在り。事公にして情私なるもの之有り。事私にして情公なるもの之有り。政を為す者は、宜しく人情事理軽重の処を権衡して、以て其の中を民に用ふべし。(『言志四録』)
行いは公的でも心は私的なことがあり、その逆もある。だから為政者は、人情と事理を秤にかけて中庸を取れ。公平とは、手続きを守ることではなく、秤にかけ続けることだという捉え方です。
第七条 衆人が心から従うところを心がける
衆人の圧服する所を心掛くべし。無利押し付けの事あるべからず。苛察を威厳と認め、又好む所に私するは皆小量の病なり。
現代語訳: 多くの人が心から納得して従うところを心がけるべきである。道理に合わない押しつけをしてはならない。細かく厳しく詮索することを威厳と取り違えたり、自分の好むものに肩入れしたりするのは、みな度量の小ささという病である。
「苛察を威厳と認め」——最もよく見る誤り
十七条のなかでも、現代の管理職に刺さる一条です。
「苛察を威厳と認め」。細かく厳しく詮索することを、威厳だと思い込む。経費精算の不備を執拗に指摘する、報告の書式を細部まで直させる、失敗の原因を人にまで遡って追及する。本人は厳格に職責を果たしているつもりでも、一斎の診断は「小量の病」——度量が小さいという病です。第一条が言った「重職の重さ」とは正反対のものだと、ここで念を押しています。
「好む所に私する」もそうです。気に入った部署に予算を厚くする、好みの企画だけ会議を通す。悪意はなくても、周囲には正確に見えています。
そして最初の一句、「衆人の圧服する所」。無理に従わせるのではなく、多くの人が納得して従うところを心がけよ。一斎が政治の要をどこに置いていたかは、『言志四録』の一条がよく示しています。
政を為すの着眼は情の一字に在り。情に循うて以て情を治む、之を王道と謂ふ。(『言志四録』)
政治の着眼は「情」の一字にある。人の情に沿ってその情を治める、これを王道という——人情を無視して押し切るのは、そもそも王道ではないという立場です。
第八条 「忙しい」と言うのは恥である
重職たるもの、勤め向き繁多と云ふ口上は恥ずべき事なり。仮令(たとえ)世話敷(せわし)くとも世話敷きと云はぬが能(よ)きなり。随分の手のすき、心に有余あるに非ざれば、大事に心付かぬもの也。重職小事を自らし、諸役に任使する事能(あた)はざる故に、諸役自然ともたれる所ありて、重職多事になる勢いあり。
現代語訳: 重職にある者が「仕事が立て込んでいる」と口にするのは、恥ずべきことである。たとえ忙しくとも、忙しいと言わないほうがよい。十分な手の空きがあり、心にゆとりがなければ、大事に気づくことはできない。重職が小事を自分でやってしまい、それぞれの役に任せることができないから、各役は自然ともたれかかるようになり、重職はますます多事になっていく。
忙しさは、能力の証明ではない
十七条のなかで、経営者が最も痛いところを突かれる一条かもしれません。
一斎の論理は二段になっています。第一段は、余裕がなければ大事に気づけないということ。「随分の手のすき、心に有余あるに非ざれば、大事に心付かぬもの也」。第五条の「後の機は前に見ゆる」を思い出してください。兆しを察するには、察するだけの余白が要ります。予定表が埋まっている人には、兆しは見えません。
第二段は、その忙しさの原因は自分にあるということ。重職が小事を自分でやり、任せない。すると各部署は自然と寄りかかる。結果、重職はますます忙しくなる。忙しさは自作自演である、という診断です。任せていないから相談が来る。相談が来るから忙しい。忙しいから任せる時間がない。この輪を切るのは自分しかいません。
一斎は、余白の作り方についても書き残しています。
人は須らく忙裏に間を占め、苦中に楽を存ずる工夫を著くべし。(『言志四録』)
忙しさの中に閑を占め、苦しみの中に楽を見いだす工夫を身につけよ。ここでの「工夫」は精神論ではなく、技術という意味に近い。忙しさが消えるのを待つのではなく、忙しさの中に余白を作る技術を持て、ということです。
第九条 賞罰の権限は、下ろさない
刑賞与奪の権は、人主のものにして、大臣是れ預かるべきなり。倒(さかし)まに有司に授くべからず。斯くの如き大事に至っては、厳敷(きびし)く透間あるべからず。
現代語訳: 刑罰と褒賞、与えることと奪うことの権限は、君主のものであって、大臣がこれを預かるべきものである。逆さまに、下の役人に授けてはならない。このような大事にあっては、厳格にして、すきま(つけ入る隙)があってはならない。
委譲してよいものと、してはならないもの
第二条では「部下の案を採れ」「引き立てよ」と言い、第八条では「任せよ」と言った同じ書物が、ここでは手放してはならないものを名指しします。刑賞与奪——評価、処遇、抜擢、そして退場の判断です。
これは矛盾ではありません。一斎の委譲論には線が引かれている、ということです。業務の実行は任せる。人の評価と処遇は握る。この線を曖昧にすると、組織の中に評価の系統が複数生まれ、誰に従えばよいか分からなくなります。
同じ論点を、韓非子はもっと露骨に書いています。
明主の其の民を導制する所の者は、二柄のみ。二柄とは、刑・徳なり。(『韓非子』二柄篇)
君主が組織を動かす手段は二つしかない。罰と賞である。そして韓非子は続けて、虎が犬を従わせられるのは爪と牙を持っているからで、それを犬に貸せば虎のほうが従う側になる、と言います。評価権限を実質的に他人へ渡した瞬間、指揮系統はそちらへ移るという指摘です。
「厳敷く透間あるべからず」の「透間」は、つけ入る隙のことです。賞罰の運用に例外の隙間ができると、そこから組織全体の規律が抜けていきます。
第十条 軽重と緩急、そして十年の成算
政事は大小軽重の弁を失ふべからず。緩急先後の序を誤るべからず。徐緩(じょかん)にても失し、火急にても過つ也。着眼を高くし、惣体を見廻し、両三年四五年乃至十年の内何々と、意中に成算を立て、手順を遂(お)いて施行すべし。
現代語訳: 政治においては、大小・軽重の区別を見失ってはならない。緩急・先後の順序を誤ってはならない。ゆっくりすぎても失敗し、急ぎすぎても過つ。着眼を高く置き、全体を見わたし、二三年、四五年、さらには十年のうちにこれこれと、心のうちに成算を立て、手順を追って実行すべきである。
四つの軸で、仕事を並べ替える
一斎が挙げているのは四つです。大小(規模)、軽重(重要度)、緩急(速度)、先後(順序)。この四つで仕事を並べ替えろ、と言っています。現代の優先順位づけとほぼ同じ枠組みですが、「徐緩にても失し、火急にても過つ」——遅すぎても早すぎても失敗する、という一文が入っているところが実務的です。速さは常に善ではない。
後半はさらに具体的で、「両三年四五年乃至十年の内何々と、意中に成算を立て」。二三年、四五年、十年という三つの時間軸で、頭のなかに成算——見通しのついた計画——を持て、と言います。江戸後期に、十年スパンの計画を心得として書いているのは注目に値します。
「着眼を高くし」の「着眼」は、一斎の好んだ語です。
凡そ人事を区処するには、当さに先づ其の結局の処を慮かりて、後に手を下すべし。楫無きの舟は行る勿れ、的無きの箭は発つ勿れ。(『言志四録』)
物事を処理するには、まず結末を考えてから手をつけよ。舵のない舟を出すな、的のない矢を放つな。着手の前に着地点を決めておけ、という同じ主張です。
第十一条 人を容れる気象と、物を蓄える器量
胸中を豁大(かつだい)寛広にすべし。僅少の事を大造に心得て、狹迫なる振る舞いあるべからず。仮令(たとえ)才ありてお其の用を果たさず。人を容るる気象と物を蓄うる器量こそ、誠に大臣の体と云ふべし。
現代語訳: 胸のうちを広く大きく持つべきである。ささいなことを大げさに考えて、狭く窮屈な振る舞いをしてはならない。たとえ才能があっても、それでは用をなさない。人を受け入れる気象と、物事を蓄えておく器量こそ、まことに大臣たる者のありようというべきである。
注: 「才ありてお」は流布本のままです。文意からは「才ありても」と読むのが自然で、上の現代語訳もそう解しています。ただし原本にさかのぼって確かめられていないため、本文は直していません(本記事の原文について)。
才ではなく、容れる量
「才ありてお其の用を果たさず」。能力があっても、胸中が狭ければ役に立たない。第七条の「小量の病」と対になる条です。
「人を容るる気象」は、異なる意見や合わない人間を受け入れる度量。「物を蓄うる器量」は、すぐに処理せず抱えておける容量です。後者は見落とされがちですが、実務では効きます。すべての案件を即断即決で処理する人は、一見有能に見えて、熟すのを待つべき問題まで早々に決着させてしまう。抱えたまま持ち歩ける量が、その人の器量にあたります。
一斎はこの状態を、別の言い方でも書いています。
胸次清快なれば、則ち人事百艱亦阻せず。(『言志四録』)
胸の内が晴れていれば、あらゆる困難も行く手を阻まない。狭くて詰まっている胸中は、困難そのものより先に自分を止めます。
第十二条 定見を貫き、しかも一時に転じる
大臣たるもの胸中に定見ありて、見込みたる事を貫き通すべき元より也。然れども又虚懐公平にして人言を採り、沛然と一時に転化すべき事もあり。此の虚懐転化なきは我意の弊を免れがたし。能々(よくよく)視察あるべし。
現代語訳: 大臣たる者は胸中に定見を持ち、見込んだことを貫き通すべきである。それはもとよりのことだ。しかしまた、心を空しくし公平にして人の言葉を採り、沛然として一気に方針を転じるべきこともある。この「虚懐」と「転化」がなければ、我意の弊害を免れることは難しい。よくよく見きわめるべきである。
貫くことと、転じること
一見矛盾する二つを、一斎は並べて置きます。定見を貫け。しかも一気に転じよ。
矛盾を解く鍵は「沛然と一時に」という副詞にあります。沛然とは、雨が激しく降るさまです。転じるときは、渋々ではなく、一気に。方針転換をずるずると小出しにするのが最も悪い、ということでしょう。貫くときは貫き、変えるときは全面的に変える。中途半端に揺れているのが、いちばん組織を消耗させます。
「虚懐転化なきは我意の弊を免れがたし」——この二つがなければ、単なる我の張り合いになる。定見と我意は、外からは区別がつきません。区別するのは、人の言葉を虚心に容れられるかどうかだけです。
一斎は、意見の聞き方についても具体的に書いています。
独得の見は私に似る、人其の驟至に驚く。平凡の議は公に似る、世其の狃聞に安んず。凡そ人の言を聴くは、宜しく虚懐にして之を邀ふべし。(『言志四録』)
独創的な意見は「勝手なこと」に聞こえ、ありふれた議論は「もっともなこと」に聞こえる。聞き慣れているかどうかと、正しいかどうかは、まったく別のことだ、と。会議で通りやすい案が良い案とは限らない、という指摘として読めます。
第十三条 抑揚と釣り合い、信と義
政事に抑揚の勢いを取る事あり。有司上下に釣り合いを持つ事あり。能々(よくよく)弁(わきま)ふべし。此の所手に入て信を以て貫き義を以て裁する時は、成し難き事はなかるべし。
現代語訳: 政治には、抑えるところと揚げるところ、その勢いの取り方がある。役人の上下のあいだで釣り合いを取ることもある。よくよくわきまえるべきである。この呼吸が身につき、信をもって貫き、義をもって裁くなら、成し遂げられないことはない。
抑えるところと、揚げるところ
「抑揚の勢いを取る」は、組織運営の呼吸の話です。すべてを一定の圧で回すのではなく、押さえる局面と、持ち上げる局面を使い分ける。ある部署を立てれば別の部署が下がるので、上下の「釣り合い」も要ります。
そのうえで最後に置かれるのが、信を以て貫き、義を以て裁するという二つの原則です。日々の運用は抑揚と釣り合いという可変的なものだが、その底に固定された二本の柱がある、という構造になっています。柱が動かないから、上の運用を柔らかくできる。逆に、柱のほうを状況で動かすと、抑揚はただの気分になります。
第十四条 実政と虚政——手数を省く
政事と云へば、拵へ事繕ひ事をする様にのみなるなり。何事も自然の顕れたる儘(まま)にて参るを実政と云ふべし。役人の仕組む事皆虚政也。老臣など此の風を始むべからず。大抵常事は成るべき丈は簡易にすべし。手数を省く事肝要なり。
現代語訳: 政治というと、こしらえ事や繕い事ばかりするようになってしまう。何事も自然に現れたままで運ぶのを「実政」というべきである。役人がこしらえる仕組みは、みな「虚政」である。老臣などがこの風潮を始めてはならない。おおよそ日常の事は、できるかぎり簡易にすべきだ。手数を省くことが肝要である。
会議のための資料、報告のための報告
「拵へ事繕ひ事」——取り繕うための仕事です。一斎はこれを虚政と呼び、自然に現れたまま運ぶことを実政と呼びました。
現代の組織にも虚政は溢れています。会議のために作られ、会議が終われば誰も見ない資料。実態を正しく映すためではなく、良く見せるために整えられた数字。運用実態と乖離したまま更新され続ける手順書。どれも作業としては真面目で、成果としてはゼロです。
一斎が「老臣など此の風を始むべからず」と釘を刺しているところが重要です。虚政は上から始まる。役員が体裁の整った報告を好めば、その下では体裁を整える仕事が増えます。誰も命じていないのに、資料は毎年厚くなります。
結論は簡潔です。「大抵常事は成るべき丈は簡易にすべし。手数を省く事肝要なり」——日常の仕事は、できるだけ簡単に。手数を省け。これは第八条(忙しさは自作自演である)と裏表の関係にあります。
第十五条 風儀は、上から起こる
風儀は上より起こるもの也。人を猜疑し蔭事を発(あば)き、たとへば誰に表向き斯様に申せ共、内心は斯様なりなどと、掘り出す習いは甚だあしし。上(かみ)に此の風あらば、下(しも)必ず其の習いとなりて、人心に癖を持つ。上下とも表裏両般の心ありて治めにくし。何分此の六(むつ)かしみを去り、其の事の顕(あらわ)れたるままに公平の計(はから)ひにし、其の風へ挽回したきもの也。
現代語訳: 気風は上から起こるものである。人を疑い、陰の事情を暴き、たとえば「誰それは表向きこう言っているが、内心はこうだ」などと掘り出す習慣は、はなはだよくない。上にこの風があれば、下は必ずそれを習いとし、人の心に癖がつく。上も下も表と裏の二つの心を持つようになり、治めにくくなる。とにかくこの厄介さを取り除き、事は現れたとおりに公平にはからい、その気風へ引き戻したいものである。
「本音はこうだ」を掘り出す習慣
企業文化論として、これ以上に的確な記述はなかなかありません。
一斎が名指しするのは、上が人の裏を読む習慣です。「表向きはこう言っているが、内心はこうだろう」と勘ぐる。上にこれがあると、下は必ず同じ癖を身につけ、全員が表と裏の二つの心を持つようになる。そうなった組織は治めにくい、と。
この構造は、二千五百年前から繰り返し言われてきました。
君子の徳は風なり、小人の徳は草なり。草之に風を上うれば、必ず偃す。(『論語』顔淵篇)
上に立つ者の徳は風であり、民の徳は草である。草の上に風が吹けば、草は必ずなびく。上の姿勢が、そのまま下に伝わるという比喩です。
其の身正しければ、令せずして行わる。其の身正しからざれば、令すと雖も従われず。(『論語』子路篇)
命令の有無ではなく、命じる人間の姿勢で決まる。文化は制度で作るのではなく、上の振る舞いから漏れ出る、ということです。
一斎の処方は「其の事の顕れたるままに公平の計ひにし」——現れた事実だけで公平に処理せよ、というものです。動機の詮索をやめる。これは寛容というより、運用ルールとして読むべきでしょう。
第十六条 隠せば、探る心を持たせる
物事を隠す風儀甚だあしし。機事は密なるべけれども、打ち出して能(よ)き事迄も韜(つつ)み隠す時は却って衆人に探る心を持たせる様になるもの也。
現代語訳: 物事を隠す気風は、はなはだよくない。機密は当然秘すべきだが、公にしてよいことまで包み隠すと、かえって人々に探ろうとする心を持たせることになる。
隠す量が、詮索を生む
第十五条の続きです。隠す量と、詮索の量は比例する。
一斎は情報の全面開示を言ってはいません。「機事は密なるべけれども」——機密は秘して当然だと、はっきり認めています。問題は、出してよいものまで出さないことです。人事の理由、業績の実態、方針が変わった経緯。出せる範囲で出しておけば済むことを隠すと、社員は隠された理由のほうを推測し始め、たいてい実際より悪く推測します。
こうして第十五条の「掘り出す習い」が下から発生します。上が隠す、下が探る、上がさらに隠す。この循環の起点はどちらかといえば上にある、というのが一斎の見立てです。
第十七条 初政は、年に春があるようなもの
人君の初政は、年に春のある如きものなり。先づ人心一新して、発揚歓欣の所を持たしむべし。刑賞に至っても明白なるべし。財帑(ざいど)窮迫の処より、徒(いたず)らに剥落厳沍(げんご)の令のみにては、始終行き立たぬ事となるべし。此の手心にて取り扱いあり度(たき)ものなり。
現代語訳: 君主の最初の政治は、一年に春があるようなものである。まず人心を一新し、心を発揚させ、喜びを持たせるべきだ。刑罰と褒賞についても明白であるべきである。財政が窮迫しているからといって、ただ削減と厳しい引き締めの命令ばかりでは、結局は立ち行かなくなる。この手加減で取り扱ってほしいものである。
引き締めだけでは、立ち行かない
最後の一条は、着任直後の振る舞いについてです。新社長、新任の役員、新しい部門長——立場を引き継いだ最初の時期を、一斎は「年に春のある如きもの」と表現しました。
そして具体的な警告が続きます。財政が苦しいからといって、削減と引き締めの命令ばかり出していては「始終行き立たぬ」。これは緊縮を否定しているのではなく、緊縮だけでは続かないと言っています。削るなら、同時に人心が発揚する何かを置け、と。
「剥落厳沍」の「沍」は、凍りつくという意味です。剥がし落とし、凍りつかせる命令ばかりを出せば、組織は文字どおり凍ります。着任直後にコスト削減と規律強化から入る経営者は多く、それ自体は正しいことも多い。ただし、それだけで一年目を終えると、二年目に動かせる人が残っていません。
「刑賞に至っても明白なるべし」も見落とせません。賞罰の基準を明白にすることが、春を作る具体策として置かれています。第九条で「賞罰の権限は下ろすな」と言った一斎は、ここでは「その基準は明らかにせよ」と言っている。権限は集中させ、基準は公開する。この組み合わせが、一斎の賞罰論です。
まとめ——十七条を、どう使うか
十七条を通して読むと、いくつかの筋が浮かびます。
一つ目は、委譲の線引きです。実務は任せ(第二条・第八条・第十四条)、賞罰は握る(第九条)。この線が引けていないことが、幹部の多忙(第八条)と組織の停滞の両方を生んでいます。
二つ目は、時間の使い方です。瑣末を省き(第一条)、手数を減らし(第十四条)、余白を作り(第八条)、その余白で兆しを察し(第五条)、十年の成算を立てる(第十条)。余白は目的ではなく、大事に気づくための手段として位置づけられています。
三つ目は、気風です。上の振る舞いが下の習慣になる(第十五条)。隠せば探られる(第十六条)。細かい詮索を威厳と取り違えない(第七条)。企業文化は理念の掲示ではなく、役職者の日々の所作から生まれる、という一貫した見方です。
四つ目は、判断の順序です。まず自案、そのあと前例(第四条)。渦中から一度出てから裁く(第六条)。定見を貫き、変えるときは一気に(第十二条)。
そして全体を貫くのが第一条、「名を正す」です。重職という名にふさわしい仕事をしているか。この問いに戻れば、他の十六条はその具体例として読めます。幹部の役割定義を作るとき、後継者に何を求めるかを言葉にするとき、この十七条はそのまま下敷きになります。
同じ佐藤一斎が、個人の側から同じ問いを扱ったのが『言志四録』です。組織の役割としての自分(重職心得箇条)と、一人の人間としての自分(言志四録)。二冊を並べて読むと、一斎という人の輪郭がはっきりします。
▶ 言志四録に学ぶリーダーシップ — 佐藤一斎の言葉と、西郷隆盛の一灯