創業者は、いずれ「馬上」から降りなければなりません。会社を立ち上げた人が、自分の手で売上を作り、人を集め、危機を越えてきた。そのやり方が、会社が大きくなったあとには通用しなくなる。創業者本人にとっても、後を継ぐ人にとっても、避けて通れない場面です。

この場面を、二千年前の人々は「創業と守成」という一組の言葉で考えていました。創業は事業を興すこと、守成は興した事業を保ち、成したものを守り続けることです。そして古くから、こう問われてきました。創業と守成、どちらが難しいのか。

答えは、実は一つに決まっていません。唐の太宗が側近に尋ねたとき、答えは二つに割れました。漢の高祖に説いた陸賈、曹参の政治を評した司馬光、江戸の二宮尊徳、明治の渋沢栄一も、それぞれ違う角度から答えています。この記事では、その答えを原典で読み比べます。結論を先に言うと、どちらが難しいかという勝ち負けより、創業者の次の仕事は「創業のやり方を手放す」ことだ、というのが本稿の読みです。

一、問いの原点 ― 貞観十年、太宗が側近に尋ねた

問いの出どころは『貞観政要』です。貞観十年(636年)、太宗は側近を前に、こう尋ねました。

貞観十年、太宗侍臣に謂いて曰く、「帝王の業、草創と守成と孰(いず)れか難き」と。

草創は創業と同じ意味です。答えたのは、太宗とともに天下を平らげた房玄齢と、諫言役の魏徴でした。

尚書左僕射房玄齢対えて曰く、「天地草昧(そうまい)にして、群雄競い起こる。攻め破りて乃ち降し、戦い勝ちて乃ち克つ。此に由りて之を言えば、草創を難しと為す」と。魏徴対えて曰く、「帝王の起こるや、必ず衰乱を承(う)く。彼の昏狡(こんこう)を覆し、百姓は推すを楽しみ、四海は命に帰す。天授け人与う。乃ち難しと為さず。然れども既に之を得たる後、志趣は驕逸し、百姓は静かならんことを欲するも徭役は休まず、百姓は雕残(ちょうざん)するも侈務(しむ)は息(や)まず。国の衰弊、恒に此に由りて起こる。斯(これ)を以て言えば、守成は則ち難し」と。

房玄齢は、戦って勝たなければ何も始まらない、創業が難しいと言います。魏徴は逆です。創業は衰えた世を継ぐのだから民が味方してくれる。本当に難しいのは、手に入れたあとに驕りが生まれ、民が静かな暮らしを望んでいるのに労役も贅沢も止まらなくなることだ、と。

太宗の裁きが見事です。

太宗曰く、「玄齢は昔、我に従いて天下を定む。艱苦を脩(あまね)く嘗(な)め、万死に出でて一生に遇う。所以に草創の難きを見るなり。魏徴は我と天下を安んず。驕逸の端を生ずるを慮り、必ず危亡の地を践まんとす。所以に守成の難きを見るなり。今、草創の難きは、既已に往けり。守成の難き者は、当に公等と与に之を慎むことを思うべし」と。

どちらも正しい、と太宗は言います。ただし、立っている場所が違う。玄齢は修羅場をくぐった人として、魏徴は驕りの芽を見張る人として語っている。そのうえで、創業の難しさはもう過ぎた、これからは守成の難しさを皆で慎もう、と話を締めます。

ここに、この問いの要点が出ています。創業の難しさと守成の難しさは、種類が違う。創業は外の敵との戦い、守成は自分の内側に生まれる驕りとの戦いです。会社でいえば、創業メンバーが「あの頃の苦労」を語るのも、後から来た管理職が「この規模になったらこれが危ない」と言うのも、どちらも本当のことです。難しいのは、片方だけを見て、もう片方を切り捨てることです。

出典:貞観政要 君道

二、馬上から降りる ― 陸賈が高祖に言ったこと

「馬上」という言葉は、漢の高祖(劉邦)と陸賈のやりとりから来ています。『史記』が伝える場面です。

陸生時時前みて説くに詩書を称す。高帝之を罵りて曰く、「乃公(だいこう)は馬上に居りて之を得たり、安くんぞ詩書を事とせん」と。陸生曰く、「馬上に居りて之を得るも、寧んぞ馬上を以て之を治むべけんや。

「おれは馬上で天下を取った。詩だの書だのが何の役に立つ」と高祖は怒鳴ります。陸賈は、馬上で得たものを馬上で治められますか、と返しました。創業の腕力と、守成の技術は別物だ、という指摘です。

陸賈の言葉は、さらに続きます。

且つ湯武は逆取して順を以て之を守る。文武並び用ふるは、長久の術なり。昔者呉王夫差・智伯は武を極めて亡び、秦は刑法に任じて変ぜず、卒に趙氏を滅ぼす。

殷の湯王や周の武王も、武力で天下を取りました。しかし、取ったあとは道に従って守った。文と武を併せ用いることが、長く続く術だ。武力だけを極めた呉王夫差や智伯は滅び、秦は刑法一本やりで、やり方を変えなかったために滅びた、と陸賈は言います。

高祖は不機嫌になりつつも、恥じる色を見せました。ここが肝心です。高祖は陸賈を退けず、「秦が天下を失った理由、わしが得た理由を書いてみよ」と命じました。

乃ち陸生に謂ひて曰く、「試みに我が為に秦の天下を失ひし所以、吾の之を得し所以の者は何ぞ、及び古の成敗の国を著せ」と。陸生乃ち粗ぼ存亡の徴を述べ、凡そ十二篇を著す。

創業者が、自分のやり方への批判を一度は拒み、そのあと「理由を書いて持ってこい」と命じた。この切り替えが、漢という国が長く続いた最初の分かれ目だったと読めます。そうして出来上がったのが、十二篇の『新語』です。

出典:史記 酈生陸賈列伝

同じ時期の『史記』には、もう一つ、守成の話があります。叔孫通の登場です。天下を統一した高祖は、秦の煩わしい儀礼をすべて取り払って簡素にしました。すると、どうなったか。

群臣酒を飲みて功を爭ひ、醉ひて或いは妄りに呼び、劍を拔きて柱を擊つ。高帝之を患ふ。

創業の仲間たちは、宴会で手柄を争い、酔って剣を抜いて柱を斬りつけるありさまでした。叔孫通は、高祖がこれを嫌がっているのを見て、こう進言します。

夫れ儒者は與に進取し難きも、與に守成すべし。臣願はくは魯の諸生を徵し、臣の弟子と共に朝儀を起こさん」と。

儒者は、ともに天下を取りに行く仲間には向かないが、取ったものを守る仕事には役に立つ、と。高祖の返事も、記憶に残ります。

上曰く、「試みに之を為すべし。知り易からしめ、吾が能く行ふ所を度りて之を為せ」と。

「分かりやすくしろ。わしが実行できる範囲で作れ」。これは、仕組みづくりの条件として今でも通用します。創業者が自分で実行できないほど複雑な制度は、守成の役に立たないのです。

出典:史記 劉敬叔孫通列伝

三、『新語』の処方 ― 締めるほど乱れる、人を杖にする

陸賈が書いた『新語』には、高祖が知りたがった「秦はなぜ失敗したか」への答えが書かれています。たとえば無為篇の一節です。

秦の始皇は刑罸を設け、車裂の誅を為し、以て姦邪を歛む。長城を戎境に築き、以て胡・越に備え、大を征し小を吞み、威は天下を震わし、将帥横行し、以て外国を服す。蒙恬は乱を外に討ち、李斯は法を内に治む。事愈々煩にして天下愈々乱れ、法愈々強くして奸愈々熾んに、兵馬益々設けて敵人愈々多し。

事を増やすほど乱れ、法を強めるほど悪がはびこり、兵馬を増やすほど敵が増えた、と陸賈は書きます。続けて、秦は治めようとしなかったのではない、振る舞いが乱暴で、刑の用い方が極端だったから失敗したのだ、と言います。

ここで言う「無為」は、何もしないことではありません。陸賈は、舜が琴を弾いて南風の詩を歌っていただけで天下が治まった例を挙げ、「無為なる者は乃ち有為なり」と言います。仕組みが整い、人が自分で動くようになれば、上に立つ人が手を出す場面は減る。そこへ至るまでの準備こそが、本当の仕事だ、という意味でしょう。

もう一つ、輔政篇の「巣と杖」の比喩も、守成の話によく合います。

夫れ高きに居る者は自ら処ること安からざる可からず、危うきを履む者は杖に任ずること固からざる可からず。自ら処ること安からざれば則ち墜ち、杖に任ずること固からざれば則ち仆る。

高い所にいる者は、居場所が安定していなければならない。危うい所を歩く者は、頼る杖が確かでなければならない。陸賈は、堯は仁義を巣とし、舜は稷と契を杖とした、と書きます。逆に秦は、刑罰を巣とし、李斯と趙高を杖とした。だから巣がひっくり返り、杖が折れて倒れたのだ、と。

秦は刑罰を以て巣と為す。故に覆巣破卵の患有り。李斯・趙高を以て杖と為す。故に頓仆跌傷の禍有り。何となれば、任ずる所の者非なればなり。

会社に置き換えれば、巣は理念や規範、杖は任せる人です。規則で締めつけるだけの会社は、規則が崩れたときに全部が崩れます。人に任せるなら、任せる相手を見誤ってはいけません。

出典:新語 無為 新語 輔政 書全体は『新語』の章句一覧

四、継ぐ者の盲点 ― 苦労を知らない二代目

守成が難しい理由の一つは、継ぐ人が創業の苦労を知らないことです。太宗は、深い宮中で育った弟たち(荊王ら)の教育を考えながら、こう言いました。

朕は歴(あまね)く前代の乱を撥(おさ)め業を創むるの主を観るに、人間に生長し、皆な情偽に識達す。敗亡に至る者は罕(まれ)なり。世を継ぎ文を守るの君に逮(およ)びては、生まれながらにして富貴、疾苦を知らず。動もすれば夷滅に至る。

乱を治めて業を創めた君主は、民間で育ち、人情の真偽を知り尽くしている。だから滅びる者は少ない。ところが、世を継いで守る君主は、生まれながらに富貴で、人の苦しみを知らず、ともすれば滅びに至る、と。

同じことを別の角度から言ったのが、侍御史・馬周です。貞観十一年に太宗へ上疏した、時政を論じる文の一節です。

良に創業の君の恩化を広むるに務めず、当時は僅かに能く自ら守るも、後に遺徳の思うべき無きに由る。故に伝嗣の主は政教少しく衰え、一夫大呼して天下土崩す。

創業の君が恩と教化を広めることに努めず、当時はかろうじて自分で守れても、後に慕うべき徳を残さなかった。だから跡継ぎの代で政治が少し衰えると、一人の男が大声を上げただけで天下が崩れた、と。

二つの言葉が示しているのは、創業者に向けた宿題です。自分がいなくなっても会社が崩れない状態を、創業者の代のうちに作っておく。後継者が苦労を知らないことを嘆くより、苦労を知らなくても守れる仕組みと、徳(信頼)の蓄えを残すことが、創業者の最後の仕事になります。この点は、当サイトの別の記事でも掘り下げました。

→ 後継者をどう決めるか ― 名君・唐の太宗が失敗した事業承継を、『貞観政要』で読む
→ 組織が空中分解する前の5つの兆候――創業メンバーが割れるとき、史記は何を書いたか

出典:貞観政要 教戒太子諸王 貞観政要 奢縦(馬周の上疏)

五、守成とは「変えない」ことか

ここで、よくある誤解に触れておきます。守成は、いまあるものを一切変えずに守ることだ、と考えがちです。曹参の逸話を、司馬光は次のように読みました。

邇英に蕭何・曹參の事を進讀す。公曰く、參は何の法を變ぜずして守成の道を得たり。故に孝惠・髙后の時、天下晏然として衣食滋殖すと。

曹参は、前任の蕭何が作った法を変えずに守りました。そのおかげで、孝恵帝・高后の時代は、天下が落ち着き、衣食が増えた、と司馬光は言います。司馬光はさらに、漢の武帝が高祖の法をかき回して盗賊が天下の半ばに及び、元帝が宣帝の政を改めて漢が衰え始めた例を挙げ、「祖宗の法は變ず可からざるなり」と結論しました。

ところが、同じ「守成」の語を、江戸の儒者・佐藤一斎は違うふうに使っています。『言志晩録』の一条です。

創業守成の称は、泛く開国継世を言ふのみ。其の実は則ち創業の中に守成有り、守成の中に創業有り。唯だ能く守成す、是を以て創業す。唯だ能く創業す、是を以て守成す。

創業と守成という呼び名は、大まかに国を開くことと世を継ぐことを言っているにすぎない。実際には、創業の中に守成があり、守成の中に創業がある、と一斎は言います。湯王が禹の旧来の法典を受け継いだのは「創業の守成」、周の成王が時勢に合わせて政を改めたのは「守成の創業」だ、と例を添えています。

二つを並べると、見え方が変わります。司馬光が守ろうとしたのは、前代が築いた「法」、つまり仕組みの骨格でした。一斎が言うのは、守る営みの中にも新しく作る営みがある、ということです。両方を矛盾なく読む物差しを、本稿の見解として一つ提案します。目的と原則は変えない。やり方は時代に合わせて変える。曹参が蕭何の法を変えなかったのは、その法が目的に合っていたからであり、成王が政を改めたのは、風俗が変わったからでした。

『呉子』には、この守成という語の定義に近い一節があります。

要なる者は、業を保ち成を守る所以なり。

要、つまり肝心なこととは、築いた業を保ち、成したものを守るためのものだ、と。守るべき「業」と「成」とは何か。それを言葉にして、社内で共有できていることが、変えてよいものと変えてはいけないものを分ける前提になります。

出典:宋名臣言行録 後集巻七・司馬光 言志四録 言志晩録 第百二十八条 呉子 図国篇

六、満ちたものを平らに持つ ― 二宮尊徳と渋沢栄一

守成が楽だと思っている人に向けた言葉を、二宮尊徳は残しています。『二宮翁夜話』の一話です。

翁曰く、創業は難し、守るは安しと、守るの安きは論なしといえども、満(み)ちたる身代(しんだい)を、平穏に維持(いじ)するも又難き業なり、譬(たと)えば器(うつわ)に水を満(み)てて、之(これ)を平(たいら)に持て居(お)れと、命ずるがごとし、

器に水を満たして、これを平らに持っていろと命じられるようなものだ、と尊徳は言います。器は心を持たないから傾かないが、持つ人の手が疲れるか、腹が減るかして、長く平らには保てない。満ちた状態を保つには至誠と推譲の道があるが、心が正しく平らでなければ、いざ行う段階で手違いが生じ、せっかくの誠意も水の泡になる、と続きます。

守成は、水を満たした器を持ち続ける仕事です。成功したあとの会社は、注がれた水がすでに満杯で、足すことはできず、こぼさないことが仕事になります。そこで必要になるのは、手が疲れたとき、腹が減ったときにも傾けない、持ち手の側の構えだ、という指摘です。

もう一つ、明治から大正に移った頃の渋沢栄一の言葉も紹介します。

さて明治が大正に移つた所で、往々世間では、最早創業の時代は過ぎた、是からは守成の時代といふ人があるけれども、お互国民は、左様に小成に安んじてはならぬ、

世間は、もう創業の時代は終わって守成の時代だと言う。しかし、そんな小さな成功に安住してはならない、と渋沢は言います。渋沢の主張は、国の発展についての話ですが、「創業は終わった」と宣言した瞬間に、守成が内向きの安住に変わりかねない、という注意として読めます。

出典:二宮翁夜話 巻之四 論語と算盤 理想と迷信・発展の一大要素
→ 二宮尊徳の愛読書 ― 「道徳なき経済は犯罪」は本人の言葉ではない。では何と言ったか

七、現代の経営に引き直す ― 創業者と二代目の宿題

ここまでの原典の答えを、会社の場面に引き直してみます。

創業者への宿題

  1. 自分のやり方を、仕組みにして残す。叔孫通の礼のように、「分かりやすく、自分が実行できる範囲で」作ることが条件です。
  2. 「あの頃の苦労」を、後から来た人の物差しにしない。苦労を知らないのは、後から来た人の落ち度ではなく、会社が成功した証でもあります。
  3. 耳の痛い意見を、聞く窓口を持つ。高祖は陸賈を一度罵りましたが、そのあと「理由を書け」と命じました。一度怒っても、聞く姿勢に戻れるかどうかが問われます。
  4. 創業メンバーの役割を、守成に合わせて見直す。叔孫通が言ったように、「ともに取りに行く人」と「ともに守る人」は、必ずしも同じ人ではありません。

後を継ぐ人への宿題

  1. 創業者が築いた「目的と原則」を、先に言葉にする。何を守り、何なら変えてよいのかを区別できなければ、曹参のように変えない守成も、成王のように時勢に合わせた守成も選べません。
  2. 規則を増やす前に、任せる人を選ぶ。秦は法を強めて乱れました。巣と杖の比喩のとおり、任せる相手を誤ると、規則では支えきれません。
  3. 満杯の状態が続いても、傾けない。成功した直後ほど、驕りと浪費が入り込みます。二宮尊徳の水の器を、毎期の決算のたびに思い出す価値があります。

結び ― 馬上から降りた先の仕事

創業と守成はどちらが難しいか。この問いに、原典は一つの答えを出していません。房玄齢は創業を、魏徴は守成を選びました。太宗はどちらも正しいと認め、そのうえで「創業の難しさはもう過ぎた。これからは守成の難しさを慎もう」と言いました。陸賈は、馬上で得たものを馬上で治められるか、と創業者に問いました。二宮尊徳は、満ちた器を平らに持つ難しさを語りました。

どの言葉にも共通するのは、創業のやり方に居座らない、ということです。取るための力と、守るための力は違う。高祖が陸賈に「理由を書け」と命じたとき、漢は馬上から降りる第一歩を踏みました。いまの経営者も、会社が次の段階に入ったと感じたときに、同じ問いの前に立つのだと思います。

この記事の原典は、いずれも師導で全文を読めます。気になった一句があれば、出典のリンクから前後の章句へ進んでください。『新語』全体の章句はこちら、『貞観政要』の名言を12句に絞った記事はこちら、帝王学の原典を俯瞰した記事はこちらです。