経営陣が割れた会社は、ある日とつぜん崩れたように見えます。けれども、あとから振り返ると、たいていの人が「あのころから、何かがずれていた」と言います。

この記事の監修者・清水直樹は、モバイルベンチャーのスタートアップに創業メンバーとして加わった経験があります。ベンチャーキャピタルから億単位の資金を調達し、社員は二十名弱。上場を目指していました。ところが、経営陣のビジョンの違いから、組織が崩れていきます。リーダークラスが一人、また一人と会社に来なくなり、会社はそのまま解散しました。

ここで、崩れた原因を分析するつもりはありません。ただ、千年から二千年前の書物にも、人が割れていく場面が何度も出てきます。『史記』は前漢の司馬遷が書いた歴史書、『貞観政要』は唐の太宗と臣下たちの問答の記録、『管子』は斉の桓公を覇者にした宰相・管仲に仮託された論集です。いずれも、国という大きな組織の話ですが、読んでいくと、割れる前の「形」が驚くほど似ています。割れた人たちが悪人だったわけではない、という点も共通しています。

この記事では、その形を五つの兆候に切り分けます。それぞれに原典の章句を一つずつ当てました。先に言っておくと、五つ全部を気にする必要はありません。自分の組織に当てはまりそうなものを、一つか二つ見つけていただければ十分です。

兆候1 うまくいっている場所で、人の話をしなくなる

魏の武侯が、黄河の西側を船で下っていたときの話です。川の中ほどで振り返り、軍事の専門家である呉起に、こう言います。

【書き下し】武侯西河に浮かびて下り、中流にして、顧みて呉起に謂ひて曰く、「美なるかな山河の固め、此れ魏国の宝なり」と。起対へて曰く、「徳に在りて険に在らず。

出典:史記 孫子呉起列伝

「この山河の堅固さは、魏の国の宝だ」と誇る武侯に、呉起は「国の守りは君主の徳にあって、地形の険しさにあるのではありません」と答えます。続けて、三つの例を挙げます。三苗氏、夏の桀王、殷の紂王。いずれも、天然の要害に守られた国でありながら、政治に徳がなかったために滅ぼされた、という話です。そして、こう締めくくります。

【書き下し】若し君徳を修めずんば、舟中の人尽く敵国と為らん」と。

「この船の中の者たちさえ、ことごとく敵国の人になるでしょう」。いまそばにいる人でさえ、徳を失えば敵になる、という警告です。

会社に置き換えると、「要害」にあたるものは、いくつもあります。調達した資金、独自の技術、市場での有利な位置。どれも大切なものです。けれども、順調なときほど、会議の話題がそちらに寄っていき、人の話が減っていく傾向があります。最初の兆候は、ここにあります。

見分け方は単純です。この一か月の経営会議で、数字や戦略ではなく「人」の話に、どれだけ時間を使ったでしょうか。思い出せないなら、船の中の様子を見直す時期かもしれません。

兆候2 局面が変わったのに、役割と期待が変わらない

唐の太宗が、側近たちに問いかけた有名な場面があります。

【書き下し】貞観十年、太宗侍臣に謂いて曰く、「帝王の業、草創と守成と孰(いず)れか難き」と。

「帝王の事業で、創業と守成のどちらが難しいか」。守成とは、いったん築いたものを守り、保っていくことです。

房玄齢は「創業です」と答えました。群雄が争う中、攻め破り、戦って勝たなければならないからです。これに対して、魏徴はこう言います。

【書き下し】然れども既に之を得たる後、志趣は驕逸し、百姓は静かならんことを欲するも徭役は休まず、百姓は雕残(ちょうざん)するも侈務(しむ)は息(や)まず。国の衰弊、恒に此に由りて起こる。斯(これ)を以て言えば、守成は則ち難し」と。

手に入れたあとは、志が驕り、民は静かに暮らしたいのに労役は止まず、贅沢も止まらない。国の衰えは、いつもここから起こる、というのです。

太宗の裁定は、どちらが正しいとも言わないものでした。

【書き下し】今、草創の難きは、既已に往けり。守成の難き者は、当に公等と与に之を慎むことを思うべし」と。

「創業の難しさは、すでに過ぎ去った。守成の難しさこそ、諸君とともに慎むべきことだ」。

大事なのは、どちらが難しいかではなく、いま自分たちがどちらの局面にいるか、です。局面が変われば、必要な力も変わります。突破する力が求められた時期の功労者が、整える時期にも同じ役割を期待される。あるいは、本人が同じ役割を続けたがる。そのとき、周囲の期待と本人の働き方のあいだに、少しずつずれが生じます。

誰かが悪いのではなく、局面の変わり目に、役割の話し合いが行われなかっただけ、ということは珍しくありません。二つ目の兆候は、「もう創業期ではないのに、誰もそう言わない」状態です。

出典:貞観政要 君道

太宗とその臣下たちの問答は、ほかの章句は、貞観政要の名言をまとめた記事で紹介しています。創業者の次の世代の話は、「後継者選び」の記事で扱いました。

兆候3 同じ事実が、内と外で別の景色に見える

三つ目は、『史記』でもっとも痛ましい友情の話から引きます。張耳と陳餘という二人は、年下の陳餘が張耳に父のように仕え、「刎頸の交わり」を結んだ仲でした。首をはねられても悔いはない、というほどの固い友情のことです。

その二人が、秦との戦いのさなかに割れます。張耳は鉅鹿の城に立てこもり、陳餘は城の外にいました。張耳は、何度も援軍を求めます。陳餘は、自分の兵が少なく、秦に対抗できないと判断して動きません。数か月たって、張耳は使者を送り、陳餘を責めます。

【書き下し】「始め吾公と刎頸の交はりを為す。今王と耳と旦暮に且に死せんとす。而るに公は兵数万を擁し、肯へて相救はず。安くにか其の相為に死するに在らんや。

「あなたは数万の兵を持ちながら、救おうとしない。互いのために死ぬという約束はどこへ行ったのか」。陳餘の返事は、こうでした。

【書き下し】陳餘曰く、「吾度るに、前むとも終に趙を救ふ能はず、徒らに尽く軍を亡はん。且つ餘の倶に死せざる所以は、趙王・張君の為に秦に報ぜんと欲すればなり。今必ず倶に死せば、肉を以て餓虎に委ぬるが如し。何の益かあらん」と。

「進んでも趙を救えず、全軍を失うだけだ。肉を飢えた虎に投げ与えるようなもので、何の益があろうか」。

どちらの言い分にも、理があります。城の中の張耳には、陳餘の慎重さが見殺しに見え、城の外の陳餘には、張耳の要求が無謀に見えました。同じ兵力が、内側からは「持っているのに使わない戦力」に、外側からは「使えば全滅する戦力」に見えたのです。

その後、陳餘は五千の兵を出しますが全滅します。最終的に鉅鹿を救ったのは、項羽の率いる楚の軍でした。城を出た張耳は、陳餘に会うと、使者二人の行方を問いただします。

【書き下し】張耳信ぜず、以て之を殺せりと為し、数々陳餘に問ふ。陳餘怒りて曰く、「意はざりき、君の臣を望むことの深きや。

張耳は、陳餘が二人を殺したのだと思い込みます。陳餘は「あなたがこれほど深く私を恨んでいるとは思わなかった」と怒り、将軍の印綬を張耳の前に押しやって、席を立ちました。

出典:史記 張耳陳余列伝

この話は、ここで終わりません。陳餘は、のちに三県の兵を動員して張耳を襲います。

【書き下し】陳餘因りて悉く三県の兵もて常山王張耳を襲ふ。

そして最後は、こうなります。

【書き下し】漢の三年、韓信已に魏の地を定め、張耳と韓信とを遣はして趙を井陘に撃破し、陳餘を泜水の上に斬り、趙王歇を襄国に追殺す。

「刎頸の交わり」を結んだ二人の片方が、もう片方の加わった軍に討たれる結末です。

出典:史記 張耳陳余列伝

兆候として覚えておきたいのは、結末ではなく、最初の場面です。同じ状況なのに、立場によって見える景色がまるで違う。そのずれを言葉にして確かめ合わないまま、「約束」の言葉で相手を縛り始める。ここから、疑いが育ちます。立場の違う者同士が、同じ地図を見ているかどうかを、ときどき確かめる習慣が、ここでは効きます。

兆候4 役目を終えた人の居場所が、設計されていない

四つ目は、越王・句践を支えた二人の臣下の話です。句践は、范蠡と文種(大夫の種)の働きで、宿敵の呉を滅ぼし、覇者となりました。目的は達成されたのです。そこで范蠡は、栄華の絶頂で越を去ります。そして、斉から種に手紙を送りました。

【書き下し】范蠡遂に去り、斉より大夫種に書を遺りて曰く、「蜚鳥尽きて、良弓蔵せられ、狡兔死して、走狗烹らる。越王の人と為り長頸鳥喙、与に患難を共にす可し、与に楽を共にす可からず。子何ぞ去らざる」と。種書を見て、病と称して朝せず。人或いは種且に乱を作さんとすと讒す、越王乃ち種に剣を賜ふ。種遂に自殺す。

出典:史記 越王句践世家

「飛ぶ鳥が尽きれば、良い弓はしまい込まれる。すばしこい兎が死ねば、猟犬は煮られる」。有名な「狡兎死して走狗烹らる」の出どころです。范蠡は、越王のことを「ともに苦しい時を過ごすことはできるが、ともに楽しむことはできない人だ」と見ていました。種は手紙を読んだあと、病と称して朝廷に出なくなり、やがて讒言され、剣を賜って自害します。

ここで、越王を悪者にして終わらせる必要はありません。見ておきたいのは、「共通の目標」が達成されたあとの組織の形です。呉を倒すという目的があるうちは、全員が同じ方向を向いていました。目的がなくなったとき、何でつながるのか。創業期に命がけで働いた人が、次の局面でどんな役割を持つのか。それが決まっていないと、人は「居場所がない」と感じ始めます。

感じ方は人によって違います。范蠡のように自分から去る人もいれば、種のように残って疑われる人もいます。どちらにしても、目標を達成した直後や、逆に達成できないまま目標が曖昧になったとき、創業期のメンバーの居場所を言葉にして決めておく必要があります。

兆候5 任せる基準が、功績だけになる

最後は、『管子』の「立政」篇から。君主が慎むべきことを四つ挙げた段です。

【書き下し】君の慎む所の者は四。一に曰く大德にして仁に至らざれば、以て國柄を授く可からず。二に曰く賢を見て讓る能わざれば、與に尊位す可からず。三に曰く罰の親貴を避くれば、兵を主らしむ可からず。四に曰く本事を好まず、地利に務めずして賦斂を輕んずれば、與に都邑す可からず。

出典:管子 立政

四つとは、次の人たちには大きな役割を渡してはならない、という条件です。

  • 大きな徳がありながら、仁(思いやり)に至らない者に、国の権柄(重要な権限)を授けてはならない。
  • 賢者を見ても、譲れない者を、高い位につけてはならない。
  • 罰が身内や貴人に甘い者に、軍を任せてはならない。
  • 本業を好まず、土地の利に務めない者に、都邑を任せてはならない。

どの条件も、能力そのものではなく、人との関わり方を問うています。創業期に大きな功績を挙げた人は、能力もあり、実績もあります。けれども、その人が「人の上に立つ役割」にふさわしいかどうかは、別の話です。賢者を見て譲れるか。身内にも同じ基準で向き合えるか。この基準を決めないまま、功績だけで役割を渡していくと、あとで調整が効かなくなります。

『管子』は、この四つを逆から言い直してもいます。人望のない幹部、まとまらない大臣、畏れられない軍の長、自分の生業を大切にしない民。どれも「国の危うさ」だというのです。これを組織に置き換えれば、「幹部が現場の人望を得ているか」「幹部同士が同じ方向を向いているか」を日々確かめる、ということになります。

結び――全部をやろうとしなくていい

五つの兆候を、短く並べ直します。

  • 順調なときに、人の話が減る(呉起と武侯)
  • 局面が変わったのに、役割の話をしない(創業と守成)
  • 同じ事実が、立場によって別の景色に見える(張耳と陳餘)
  • 目的を達成した後の、居場所が決まっていない(范蠡と種)
  • 任せる基準が、功績だけになっている(管子)

全部をやろうとしなくて構いません。自分たちに近いものを一つか二つ選び、「うちではどうか」と一度だけ話し合ってみる。それで十分です。

五つに共通しているのは、どれも「誰かの性格」ではなく、「組織の状況」に出る、という点です。張耳も陳餘も、愚かな人ではありませんでした。むしろ有能で、だからこそ、互いの見える景色が違うことに気づけなかったのかもしれません。

割れる前に、状況を言葉にして確かめ合う。その習慣があれば、割れ方は変わりうるはずです。仕組みを現場に入れるときに起きる別の「ずれ」は、仕組みが現場に「押しつけ」になる理由で、理念と仕組みのどちらを先に置くかという問いは、徳治と法治で、それぞれ原典から読み直しています。