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論語と算盤 / 理想と迷信・発展の一大要素

さて明治が大正に移つた所で、往々世間では、最早創業の時代は過ぎた、是からは守成の時代といふ人があるけれども、お互国民は、左様に小成に安んじてはならぬ、版図は小さく人口が多く、尚ほ追々に人口が増殖して行くのだから、そんな引込思案では居られぬ、内を整ふると同時に、外に展びるといふことを工夫しなければなるまい、耕地の面積は少いけれども、農法を改良して耕地の効用を増すことが出来る、種苗を改良し、耕作法を改良し、窒素肥料、燐酸肥料等、優良な肥料を宛て行ひ、集約的の農法を改良すれば、上田五俵の所は七俵も穫れ、下田は二倍にも収穫が倍すであらう、今まで出来なかつた陸稲も、人造肥料によれば、一反歩から五俵も七俵も穫れるといふ例もある、耕地が狭いからとて、其の効用を増すことを粗畧に考へては可かぬ、又北海道或は他の新領土等にも、須要の資金労力を注入して、行届くだけ事業を成立たせなければならぬ、此くお互に努めても、さて限りあるものは限りあるのであるから、一面海外に向つて大和民族発展の途を開くことを、須臾も怠つてはならぬのである。

新字:さて明治が大正に移つた所で、往々世間では、最早創業の時代は過ぎた、是からは守成の時代といふ人があるけれども、お互国民は、左様に小成に安んじてはならぬ、版図は小さく人口が多く、尚ほ追々に人口が増殖して行くのだから、そんな引込思案では居られぬ、内を整ふると同時に、外に展びるといふことを工夫しなければなるまい、耕地の面積は少いけれども、農法を改良して耕地の効用を増すことが出来る、種苗を改良し、耕作法を改良し、窒素肥料、燐酸肥料等、優良な肥料を宛て行ひ、集約的の農法を改良すれば、上田五俵の所は七俵も穫れ、下田は二倍にも収穫が倍すであらう、今まで出来なかつた陸稲も、人造肥料によれば、一反歩から五俵も七俵も穫れるといふ例もある、耕地が狭いからとて、其の効用を増すことを粗略に考へては可かぬ、又北海道或は他の新領土等にも、須要の資金労力を注入して、行届くだけ事業を成立たせなければならぬ、此くお互に努めても、さて限りあるものは限りあるのであるから、一面海外に向つて大和民族発展の途を開くことを、須臾も怠つてはならぬのである。

書き下し

さて明治が大正に移った所で、往々世間では、もはや創業の時代は過ぎた、これからは守成の時代という人があるけれども、お互い国民は、さように小成に安んじてはならぬ。版図は小さく人口が多く、なお追々に人口が増殖して行くのだから、そんな引込思案ではおられぬ。内を整うると同時に、外に伸びるということを工夫しなければなるまい。耕地の面積は少ないけれども、農法を改良して耕地の効用を増すことが出来る。種苗を改良し、耕作法を改良し、窒素肥料、燐酸肥料等、優良な肥料を宛て行い、集約的の農法を改良すれば、上田五俵の所は七俵も穫れ、下田は二倍にも収穫が倍すであろう。今まで出来なかった陸稲も、人造肥料によれば、一反歩から五俵も七俵も穫れるという例もある。耕地が狭いからとて、その効用を増すことを粗略に考えてはいかぬ。また北海道あるいは他の新領土等にも、須要の資金労力を注入して、行き届くだけ事業を成り立たせなければならぬ。かくお互いに努めても、さて限りあるものは限りあるのであるから、一面海外に向かって大和民族発展の途を開くことを、須臾も怠ってはならぬのである。

現代語訳

さて、明治が大正に移ったところで、世間ではしばしば、もう創業の時代は過ぎた、これからは守成の時代だと言う人がいる。けれども私たち国民は、そのように小さな成功に安住してはならない。国土は小さいのに人口は多く、しかもこれからますます人口が増えていくのだから、そんな引っ込み思案ではいられない。内を整えると同時に、外へ伸びることを工夫しなければならないだろう。耕地の面積は少ないけれども、農法を改良すれば耕地の効用を増すことができる。種苗を改良し、耕作法を改良し、窒素肥料や燐酸肥料などの優良な肥料を施し、集約的な農法を改良すれば、上田で五俵のところは七俵も穫れ、下田では収穫が二倍にもなるだろう。これまでできなかった陸稲も、人造肥料を使えば一反歩から五俵も七俵も穫れるという例もある。耕地が狭いからといって、その効用を増すことをおろそかに考えてはならない。また北海道やその他の新しい領土などにも、必要な資金と労力をつぎ込んで、行き届くかぎり事業を成り立たせなければならない。しかし、こうして互いに努めても、限りあるものには限りがあるのだから、一方では海外に向けて日本民族の発展の道を開くことを、片時も怠ってはならないのである。

解説

明治から大正に移り、世間には「創業は終わり、これからは守成だ」という声があった。渋沢はこれを小成に安んじる引っ込み思案として退ける。論の運びは具体的である。まず国内で、種苗・耕作法・肥料を改良して集約農業にすれば、上田五俵が七俵に、下田は倍にもなる。北海道などにも資金と労力を入れる。限りある土地の効用をまず最大にし、それでも限りがあるから外へ出る、という順序を踏んでいる。「新領土」「大和民族発展」は当時の拡張の言葉であり、今日そのまま肯定できるものではないが、渋沢自身は武力ではなく移民と経済の道を考えていた。創業と守成の問答は唐の太宗と臣下の問答(『貞観政要』)で知られるが、渋沢はどちらかを選ぶより、守りながら攻めよと言う。成熟した事業ほど、この段の問いは重い。

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