「帝王学を叩き込まれた二代目」「経営者の帝王学」。帝王学という言葉は、いまも後継者教育やトップの心得を指して気軽に使われます。けれども、その中身を原典で確かめた人は多くありません。帝王学とは何を学ぶ学問なのか。どの本に、誰が、誰のために書いたのか。

中国では、帝王のための学問は実際に一冊の形をとっていました。唐の太宗・李世民は、死の前年、皇太子に『帝範』という十二篇の書を与えています。宋の范祖禹は、歴代の皇帝が講義を受けた先例を集めて『帝学』八巻を編み、皇帝に献上しました。太宗と臣下の問答を記録した『貞観政要』は、宋の宮廷でも日本の鎌倉・江戸でも、上に立つ者の座右に置かれました。

この記事では、その『帝範』を軸に、『大学』『孟子』『韓非子』『貞観政要』の原文で、帝王学の中身を読んでいきます。先に結論を言えば、帝王学はリーダーシップの技術論ではありません。位がすでに決まっている人が、その位に潰されないための学問です。

帝王学とは何か――父が息子の弱さを見て書いた本

帝王学の出発点を最もよく示すのは、『帝範』の序文です。太宗はここで、皇太子に向かってこう書いています。

【白文】汝以㓜年,偏鍾慈愛,義方多闕,庭訓有乖。……未辨君臣之禮節,不知稼穡之艱難。朕每思此為憂,未嘗不廢寢忘食。

【書き下し】汝㓜年を以って、偏へに慈愛を鍾め、義方闕くること多く、庭訓乖くこと有り。……未だ君臣の禮節を辨へず、稼穡の艱難を知らず。朕每に此を思ひて憂ひと為し、未だ嘗て寢を廢し食を忘れずんばあらず。

おまえは幼いころから慈愛ばかりを集め、正しい道を教えられることが少なかった。君臣の礼節もわきまえず、農事の苦労も知らない。私はこれを思うたびに、寝るのも食べるのも忘れる。だから史書を広く読み、要となる言葉を集めて、身近な戒めとした――。

ここに帝王学の性格がすべて出ています。対象は、実力で選ばれた人ではなく、生まれや指名ですでに選ばれてしまった人です。しかも書き手は、その人の弱点を誰よりもよく知っている親です。能力を伸ばすための教材というより、欠けたものを見据えたうえでの処方箋に近い。

現代のリーダーシップ論は、「優れたリーダーになるには何が要るか」を問います。帝王学の問いは逆です。「すでに上に立ってしまった者が、どうすれば国を滅ぼさずに済むか」。後継者、創業家の二代目、昇進したばかりの管理職。位が人より先に来る場面で、帝王学はいまも生きています。

出典:帝範 序

根は修身にある――『大学』の八条目

では、位に就いた人はまず何を学ぶのか。帝王学の土台に置かれてきたのが、四書の一つ『大学』です。

【白文】自天子以至於庶人,壹是皆以修身為本。其本亂而末治者否矣。

【書き下し】天子より以て庶人に至るまで、壹(いつ)に是れ皆身を修むるを以て本となす。其の本乱れて而も末治まる者は否(あら)ず。

天下を平らかにしたい者はまず国を治め、国を治めたい者はまず家を整え、家を整えたい者はまず自分の身を修める。有名な「修身・斉家・治国・平天下」の連鎖です。そして『大学』は念を押します。天子から庶民まで、例外なく修身が根本である。根本が乱れて末端が治まることはない、と。

「天子から」とわざわざ書いてあるところが要点です。上に立つ人ほど、自分は仕組みを作る側であって、修める対象ではないと考えがちです。制度を変え、人を入れ替え、方針を出す。それでも組織が変わらないとき、『大学』の答えは冷ややかです。根が乱れているのに、枝葉だけが整うことはない。

経営に置き換えれば、トップの時間の使い方、怒り方、約束の守り方は、組織図よりも速く下に伝わるということです。帝王学が技術論ではなく「在り方」の学問だと言われるのは、この順序のためです。

出典:大学

王道と覇道――力で従わせた者は、力が尽きたとき去られる

修めた身で、どう人を従えるのか。ここで孟子は、統治を二つに分けました。

【白文】以力假仁者霸。霸必有大國。以德行仁者王。王不待大。……以力服人者、非心服也。力不贍也。

【書き下し】力を以て仁を假る者は霸たり。霸は必ず大國を有つ。德を以て仁を行う者は王たり。王は大を待たず。……力を以て人を服する者は、心服に非ざるなり。力贍らざればなり。

力で支配しながら仁の看板を借りる者が覇者です。覇者には大国が要る。力の量で勝負しているからです。徳によって仁を行う者が王者で、王者は大きさを必要としない。殷の湯王は七十里四方、周の文王は百里四方から天下の王になりました。

鍵は後半の一句です。力で従わせた相手は、心から従っているのではない。手向かう力が足りないから従っているだけだ、と孟子は言います。だから覇者は、力を保ち続けなければなりません。報酬、ポスト、恐れ。それが途切れた瞬間に、人は離れていきます。

組織でいえば、待遇だけで人を引き止めている会社は、より良い待遇を出す会社が現れた日に崩れます。孟子の王道は理想論に聞こえますが、実際には「どちらの支配がより安上がりで長持ちするか」という計算でもあります。

出典:孟子 公孫丑章句上

裏の帝王学――韓非子の二柄と、太宗の「威と恵」

ただし、帝王学は徳だけでは語れません。徳で人が動くなら苦労はない、と考えた人々がいます。法家の韓非です。

【白文】明主之所導制其臣者,二柄而已矣。二柄者,刑德也。

【書き下し】明主の其の臣を導制する所の者は、二柄のみ。二柄とは、刑徳なり。

明主が臣下を動かす手段は、二つの柄だけだ。刑(罰)と徳(賞)である。柄とは道具の握りのことです。韓非は同じ篇で、虎が犬を従えられるのは爪と牙があるからで、それを犬に渡せば虎が犬に従うことになる、とたとえました。賞罰の権を臣下に握られた君主は、名前だけの君主になる。

儒家と法家は、人間観も統治観も正反対です。けれども歴代の王朝は、どちらか一方を選んだわけではありませんでした。表では儒家の徳を掲げ、裏では法家の賞罰で締める。「外儒内法」と呼ばれる組み合わせです。

その実例が、ほかならぬ太宗の『帝範』に出てきます。

【白文】必湏威恵並馳,剛柔兩用,畫刑不犯,移木無欺。

【書き下し】必ず湏らく威恵並び馳せ、剛柔兩つながら用ゐ、刑を畫きて犯さず、木を移して欺くこと無かるべし。

威と恵を並べて走らせ、剛と柔を両方用いよ。刑罰は地面に線を描くだけで誰も犯さないようにし、約束は木を移した者に褒美を与えたときのように決して破るな。後半の「木を移す」は、法家の商鞅が法の信用を示すために行った故事です。儒家の言葉で書かれた帝王の教科書に、法家の信賞必罰がそのまま織り込まれている。

帝王学が教えるのは、徳か仕組みかの二択ではありません。人を動かす二つの手段を、両方とも自分の手に握っておくこと。評価と処分の最終権限を手放したトップは、どれほど人格者でも、組織を動かせなくなります。

出典:韓非子 二柄第七/帝範 務農第十

聞く仕組みを持つ――兼聴と「三つの鏡」

上に立つ人が最も失いやすいものは何か。『貞観政要』の答えははっきりしています。情報です。

【白文】君之所以明者,兼聽也;其所以暗者,偏信也。

【書き下し】君の明なる所以の者は、兼ね聴けばなり。其の暗なる所以の者は、偏り信ずればなり。

明君と暗君の違いは何かと問われて、魏徴はこう答えました。多くの声を兼ね聴けば明るくなり、一人を偏って信じれば暗くなる。そして、滅んだ君主を三人挙げます。秦の二世は趙高だけを信じ、梁の武帝は朱異だけを、隋の煬帝は虞世基だけを信じた。反乱が起きても、三人とも知ることさえできなかった。

太宗はこの言葉を、制度にしました。そのことがいちばんよく分かるのが、魏徴が死んだときの話です。

【白文】夫以銅為鏡,可以正衣冠;以古為鏡,可以知興替;以人為鏡,可以明得失。朕常保此三鏡,以防己過。今魏徵殂逝,遂亡一鏡矣!

【書き下し】夫れ銅を以て鏡と為せば、以て衣冠を正すべし。古を以て鏡と為せば、以て興替を知るべし。人を以て鏡と為せば、以て得失を明らかにすべし。朕常に此の三鏡を保ち、以て己が過ちを防ぐ。今、魏徴殂逝(そせい)し、遂に一鏡を亡えり。

有名な「三鏡」の言葉ですが、見逃せないのはその後に出した詔です。魏徴が死んでから、私の過ちを指摘する者がいなくなった。だが私が急に正しくなったはずはない。周りが黙っただけだ。「言いて用いざるは、朕の甘心する所なり。用いて言わざるは、誰の責ぞや」――進言を用いないのは私の責任として引き受ける。だが用いるつもりでいるのに言わないのは、誰の責任か。

魏徴はもともと、太宗が討った兄・李建成の側近でした。自分を殺す策を練っていた人を、自分を映す鏡に据えた。そして鏡を失ったあと、周囲の沈黙を自分の正しさと取り違えなかった。帝王学の核心の一つはここにあります。耳の痛いことが聞こえなくなったとき、それを平穏と受け取るか、危険信号と受け取るか。

出典:貞観政要 君道/貞観政要 任賢

創業より守成――手に入れた後に崩れる

太宗は、帝王学の最大の問いをこう立てました。

【白文】帝王之業,草創與守成孰難?

【書き下し】帝王の業、草創と守成と孰(いず)れか難き。

創業と守成、どちらが難しいか。ともに戦場を駆けた房玄齢は創業だと答え、魏徴は守成だと答えました。帝王が立つときは、前の王朝が乱れているので民は喜んで従う。だが手に入れた後は、志が驕り、民が休みたがっても労役をやめず、民が疲れても贅沢をやめない。国が衰えるのは、いつもここからだ、と。

太宗の裁定は、どちらが正しいかを決めるものではありませんでした。玄齢は創業の苦しみを見てきたから創業が難しいと言い、魏徴は驕りの兆しを憂えているから守成が難しいと言う。「今、草創の難きは、既已に往けり」――創業の難しさはもう過ぎた。これからは守成の難しさを、諸君とともに慎みたい。

帝王学が「継ぐ者の学問」である理由が、ここで見えてきます。後継者が受け取るのは、すでに勝った後の組織です。敵ははっきりせず、成果は前任者が作ったもので、周りはみな従順です。危機が見えにくいこの局面こそが、いちばん難しい。帝王学は、この見えにくい危機のための学問です。

出典:貞観政要 君道

「私を手本にするな」――『帝範』の結び

最後に、もう一度『帝範』に戻ります。十二篇で帝王の要点を説き終えた太宗は、後序で思いがけないことを書きました。

【白文】當擇哲主為師。母以吾為前鑒。取法於上,僅得為中;取法於中,故為其下。

【書き下し】當に哲主を擇びて師と為すべし。吾を以って前鑒と為す母れ。法を上に取れば、僅かに中為るを得、法を中に取れば、故に其の下と為る。

賢明な君主を選んで師とせよ。私を手本にしてはならない。上を手本にしてようやく中くらいになり、中を手本にすれば下になる。

そして太宗は、自分の過ちを四つ数え上げます。珍しい衣服や珠玉を身の回りから絶やさなかった。これは欲を防いだとは言えない。宮殿を飾り、高い台や深い池を造るたびに工事を起こした。これは倹約の志ではない。犬や馬や鷹を遠くからでも取り寄せた。これは心を節したとは言えない。たびたび行幸して人を疲れさせた。これは自分を抑えたとは言えない。「斯の事は、吾が深き過ちなり」。

そのうえで、こう続けます。

【白文】况汝無纎毫之功,直縁基而履慶?……且成遲敗速者,國基也;失易得難者,天位也。可不惜哉?

【書き下し】况んや汝は纎毫の功無く、直に基に縁りて慶を履むをや。……且つ成ること遲く敗るること速やかなる者は、國基なり。失ひ易く得難き者は、天位なり。惜しまざる可けんや。

天下を平定した私でさえ、これだけ恥じることがある。ましておまえには毛筋ほどの功もなく、ただ私の築いた基に乗って位を踏むだけではないか。国の基は築くのが遅く、崩れるのは速い。天子の位は失いやすく、得がたい。惜しまずにいられようか。

「貞観の治」を築いた名君が、息子に宛てた帝王学の書の最後に、自分の失敗の目録を置いたのです。自分を手本にするなと書ける人は多くありません。とりわけ、成功した創業者にとっては。

後継者に何かを遺すとき、成功の型を渡したくなるのは自然なことです。けれども太宗が渡したのは、型ではなく「どこで自分が崩れたか」でした。帝王学の最後の教えは、学ぶ側ではなく、教える側の在り方を問うものだったとも言えます。

出典:帝範 後序(師を択べ)/帝範 後序(吾が深き過ち)

結び――帝王学は、位に就いた人の「自己防衛」である

ここまでの原典を並べ直すと、帝王学の骨組みが見えてきます。

一つめは、根を修めること。『大学』は、天子であっても修身が根本だと言いました。二つめは、心服と賞罰の両方を握ること。孟子の王道と韓非子の二柄は、太宗の「威恵並び馳せ」の中で一つになっていました。三つめは、聞く仕組みを持つこと。兼聴と三鏡は、権力者の耳が塞がれていく力学に対する備えでした。四つめは、手に入れた後こそ慎むこと。創業より守成が難しいのは、危機が見えなくなるからです。

昭和の陽明学者・安岡正篤が説いたとして、「帝王学の三原則」がよく引かれます。原理原則を教えてくれる師を持つこと、直言してくれる側近を持つこと、よき幕賓(外部の助言者)を持つこと。三つとも、太宗が『帝範』で「哲主を擇びて師と為すべし」と書き、魏徴を鏡に据えたことと重なります。どれも、自分の外に自分を正すものを置く工夫です。

宋の曾肇は皇帝に『貞観政要』を薦めるとき、「之を座右に置き、神を留めて省覽し、言を發し事を行うに之を以て準と爲せ」と言いました。通読して終わる本ではなく、判断のたびに当てて使う本だということです。帝王学の古典は、そういう読み方をされてきました。

帝王学とは、偉くなるための学問ではありません。偉くなってしまった人が、自分の位に負けないための学問です。位は人を守りもしますが、耳を塞ぎ、驕りを育て、周りを黙らせもする。その力学を二千年前から見抜いていた人々の言葉が、いまも原文のまま残っています。

太宗がどの息子に位を継がせ、その選択がどう転んだかは、後継者をどう決めるかで読めます。『貞観政要』のほかの言葉は貞観政要の名言12選にまとめています。

出典:宋名臣言行録 後集巻九・曾肇