史記 / 劉敬叔孫通列伝
漢五年、已并天下、諸侯共尊漢王為皇帝於定陶。高帝悉去秦苛儀法、為簡易。群臣飲酒争功、酔或妄呼、抜剣撃柱、高帝患之。叔孫通知上益厭之也、説上曰、夫儒者難与進取、可与守成。臣願徴魯諸生、与臣弟子共起朝儀。叔孫通曰、五帝異楽、三王不同礼。礼者、因時世人情為之節文者也。臣願頗采古礼与秦儀雑就之。上曰、可試為之、令易知、度吾所能行為之。漢七年、長楽宮成、諸侯群臣皆朝十月。竟朝置酒、無敢讙譁失礼者。於是高帝曰、吾乃今日知為皇帝之貴也。乃拝叔孫通為太常、賜金五百斤。
書き下し
漢の五年、已に天下を并せ、諸侯共に漢王を尊びて皇帝と為す。高帝悉く秦の苛なる儀法を去り、簡易と為す。群臣酒を飲みて功を争ひ、酔ひて或いは妄りに呼び、剣を抜きて柱を撃つ、高帝之を患ふ。叔孫通上の益ます之を厭ふを知り、上に説きて曰く、「夫れ儒者は与に進取し難く、与に守成す可し。臣願はくは魯の諸生を徴し、臣が弟子と共に朝儀を起こさん」と。叔孫通曰く、「五帝は楽を異にし、三王は礼を同じくせず。礼とは、時世人情に因りて之が節文を為す者なり。臣願はくは頗る古礼と秦儀を采りて雑へて之を就さん」と。上曰く、「試みに之を為し、知り易からしめ、吾が能く行ふ所を度りて之を為せ」と。漢の七年、長楽宮成り、諸侯群臣皆十月に朝す。朝を竟へ酒を置くに、敢て讙譁し礼を失する者無し。是に於て高帝曰く、「吾乃ち今日皇帝の貴きを為すを知れり」と。乃ち叔孫通を拝して太常と為し、金五百斤を賜ふ。
現代語訳
「原理原則を、その時代・現場の実情に合わせて設計し直し、実際に機能させる」——実務家肌の儒者・叔孫通の、現実的な制度づくりを描いた一段です。天下統一後、高帝(劉邦)は、秦の煩雑な礼法を廃止し、簡素にしました。ところが今度は、家臣たちが宴会で功を争って酔って騒ぎ、剣を抜いて柱を叩くありさまで、高帝はこれに手を焼きます。叔孫通は、皇帝がこの無秩序を嫌っているのを見抜き、朝廷の儀礼を作ることを進言しました。その際、彼が語った礼の本質は、注目に値します。「五帝も三王も、それぞれ礼楽は異なっていました。礼とは、その時代と人々の実情に合わせて、ふさわしい形を定めるものです。ですから私は、古の礼と秦の儀礼を適度に取り混ぜて作ります」と。彼は、古礼をそのまま復元するのではなく、高帝が「自分に実行できる範囲で」と言った通り、現実に運用できる形に設計しました。そして完成した儀礼のもとで諸侯・群臣が整然と朝廷に参列すると、あれほど騒がしかった家臣たちが、誰一人礼を乱さない。高帝は「私は今日はじめて、皇帝であることの尊さを知った」と感嘆し、叔孫通を厚く遇したのです。ここに、制度づくりについての教訓があります。第一に、原理原則は、そのまま持ち込むのではなく、時代と現場の実情に合わせて設計し直すべきだということ。「礼とは時世人情に因りて節文を為すもの」——叔孫通のこの言葉は、仕組みが、抽象的な理想ではなく、生きた現実に適合してこそ機能することを示す。第二に、運用する当事者が「実行できる範囲」を見極めて設計すること。叔孫通は、高帝ができる範囲に合わせて礼を作った。理想的でも実行不可能な制度は、絵に描いた餅にすぎません。第三に、無秩序を嘆くのではなく、機能する仕組みによって秩序を生み出すこと。組織づくりで、原則を現場の実情に合わせて設計し直すこと、運用する人が実行できる範囲を見極めること、そして機能する仕組みで秩序をつくること——叔孫通の朝儀は、現実に効く仕組み化の要諦を、鮮やかに教えます。