史記 / 酈生陸賈列伝
陸生時時前說稱詩書。高帝罵之曰:「乃公居馬上而得之,安事詩書!」陸生曰;「居馬上得之,寧可以馬上治之乎?且湯武逆取而以順守之,文武并用,長久之術也。昔者吳王夫差、智伯極武而亡;秦任刑法不變,卒滅趙氏。鄉使秦已并天下,行仁義,法先聖,陛下安得而有之?」高帝不懌而有慚色,乃謂陸生曰:「試為我著秦所以失天下,吾所以得之者何,及古成敗之國。」陸生乃粗述存亡之徵,凡著十二篇。每奏一篇,高帝未嘗不稱善,左右呼萬歲,號其書曰「新語」。
新字:陸生時時前説称詩書。高帝罵之曰:「乃公居馬上而得之,安事詩書!」陸生曰;「居馬上得之,寧可以馬上治之乎?且湯武逆取而以順守之,文武并用,長久之術也。昔者呉王夫差、智伯極武而亡;秦任刑法不変,卒滅趙氏。郷使秦已并天下,行仁義,法先聖,陛下安得而有之?」高帝不懌而有慚色,乃謂陸生曰:「試為我著秦所以失天下,吾所以得之者何,及古成敗之国。」陸生乃粗述存亡之徴,凡著十二篇。毎奏一篇,高帝未嘗不称善,左右呼万歳,号其書曰「新語」。
書き下し
陸生時時前みて説くに詩書を称す。高帝之を罵りて曰く、「乃公(だいこう)は馬上に居りて之を得たり、安くんぞ詩書を事とせん」と。陸生曰く、「馬上に居りて之を得るも、寧んぞ馬上を以て之を治むべけんや。且つ湯武は逆取して順を以て之を守る。文武並び用ふるは、長久の術なり。昔者呉王夫差・智伯は武を極めて亡び、秦は刑法に任じて変ぜず、卒に趙氏を滅ぼす。郷(さき)に秦をして已に天下を并せ、仁義を行ひ、先聖に法らしめば、陛下安くんぞ得て之を有たんや」と。高帝懌ばずして慚づる色有り、乃ち陸生に謂ひて曰く、「試みに我が為に秦の天下を失ひし所以、吾の之を得し所以の者は何ぞ、及び古の成敗の国を著せ」と。陸生乃ち粗ぼ存亡の徴を述べ、凡そ十二篇を著す。一篇を奏する毎に、高帝未だ嘗て善しと称せずんばあらず、左右万歳を呼ぶ。其の書を号して「新語」と曰ふ。
現代語訳
陸賈はことあるごとに高帝(劉邦)の前に進み出て、『詩経』や『書経』を引いて説いた。高帝は彼を罵って言った。「このおやじは馬上で天下を手に入れたのだ。どうして詩や書など相手にしていられるか。」陸賈は言った。「馬上で天下を得たとしても、馬上で天下を治められましょうか。それに殷の湯王や周の武王は、道に逆らって(臣下の身で主君を討って)天下を取りながら、道に従ってそれを守った。文と武を併せ用いることこそ、国を長く保つ術である。昔、呉王夫差や智伯は武力を極めて滅び、秦は刑罰と法律ばかりに頼って改めなかったために、ついに趙氏(秦王室)は滅びた。もし秦が天下を統一したあと、仁義を行い、古の聖人を手本としていたなら、陛下はどうして天下を手に入れられたでしょうか。」高帝は不機嫌になったが、恥じ入った顔色も見せ、陸賈に言った。「ためしに私のために、秦が天下を失った理由、私が天下を得た理由は何か、それに古の国々の成功と失敗について書いてみよ。」陸賈はそこで国家存亡の兆しをおおよそ論じ、全部で十二篇を著した。一篇を奏上するたびに、高帝は必ず「よし」と褒め、左右の者は万歳を唱えた。その書は『新語』と名づけられた。
解説
この章句が説くこと
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史記 礼書故に堅革利兵は以て勝つと為すに足らず、高城深池は以て固しと為すに足らず、厳令繁刑は以て威と為すに足らず。其の道に由れば則ち行はれ、其の道に由らざれば則ち廃る。楚人は鮫革犀兕、以て甲と為す所、堅きこと金石の如し。宛の鉅鉄の施、鉆きこと蜂蠆の如く、軽利剽遬、卒かなること熛風の如し。然れども兵は垂涉に殆く、唐昧死す。荘蹻起こり、楚分かれて四参と為る。是れ豈に堅革利兵無からんや、其の之を統ぶる所以の者其の道に非ざるが故なり。汝潁以て険と為し、江漢以て池と為し、之を阻むに鄧林を以てし、之を縁らすに方城を以てす。然れども秦師鄢郢に至り、挙ぐること槁を振るふが若し。是れ豈に固塞険阻無からんや、其の之を統ぶる所以の者其の道に非ざるが故なり。紂は比干を剖き、箕子を囚へ、炮格を為り、無辜を刑殺し、時の臣下懍然として、其の命を必する莫し。然れども周師至りて、令下に行はれず、其の民を用ふる能はず。是れ豈に令厳ならず、刑陖ならざらんや、其の之を統ぶる所以の者其の道に非ざるが故なり。古者の兵は、戈矛弓矢のみ、然れども敵国試みるを待たずして詘す。城郭集めず、溝池掘らず、固塞樹てず、機変張らず、然れども国晏然として外を畏れずして固き者は、他の故無し、道を明らかにして之を均分し、時に使ひて誠に之を愛すれば、則ち下之に応ずること景響の如し。命に由らざる者有りて、然る後に之を俟つに刑を以てすれば、則ち民罪を知る。故に一人を刑して天下服す。罪人其の上を尤めず、罪の己に在るを知ればなり。是の故に刑罰省きて威行はるること流るるが如し、他の故無し、其の道に由るが故なり。故に其の道に由れば則ち行はれ、其の道に由らざれば則ち廃る。古者帝堯の天下を治むるや、蓋し一人を殺し二人を刑して天下治まる。伝に曰く、「威厲しくして試みず、刑措きて用ひず」と。
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説苑・說叢王者、下に臨みて衆を治むる所以を知れば、則ち群臣畏服す。言を聽き事を受くる所以を知れば、則ち蔽欺せられず。萬民を安利する所以を知れば、則ち海內必ず定まる。忠孝もて上に事うる所以を知れば、則ち臣子の行備わる。凡そ劫殺せらるる所以の者は、道術を知りて以て其の臣下を御せざればなり。凡そ吏其の職に勝れば則ち事治まり、事治まれば則ち利生ず。其の職に勝えざれば則ち事亂れ、事亂るれば則ち害成る。
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『呻吟語』外篇・品藻・人の自然の情を得るは難し人の不敢不然の情を得るは易く、人の自然の情を得るは難し。秦・漢而後は皆な人の不敢不然の情を得る者なり。
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『政談』武家旅宿の境遇を改むる事偖田舎の締りなく成たり、田舎の締りと云ふは昔は在々に武家満ち〳〵たれは百姓共我儘ならす、百年以来地頭知行所に住まさる故かしらをさるゝもの無くて、百姓特の外に我儘になりたり、御旗本の武士小身なれは自身住まずしては江戸より知行所の仕置することならす、代官なと遣はすにも小身者の家来若とう風情のものなれは何の用にも立たす、自から私領をも公儀より治むるやうになりて、弥々地頭を軽することに今はなりたり、人殺なとあるときも江戸へ申し来り、江戸より詮議する故日数延ひて詮議手延になり、実否も知れぬことになれるもの多し、又盗人なと捕へても江戸へ連れ参れは途中の物入り多く、江戸にて詮議六ケ敷く手間取る故物入多く、又作の時節農業の邪魔になる故其の儘になして申し出です、又博奕うち三笠付けなとの御触有ても右の仔細なれば仇をさるゝことを厭ひて申出てす、又目あかしなと云ふやうなるたくひも田舎へ行きて様々の悪事をすれとも、之をも右の仔細にて申し出てす、何事も公儀の御仕置は江戸はかりのやうにて田舎へは行きわたらぬ事みな武家のすまぬ故なり、
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『墨子』號令國を安んずるの道は、道、地に任ずるより始まる。地、其の任を得れば則ち功成り、地、其の任を得ざれば則ち勞して功無し。人も亦た此を為す。備え、先に具えざる者は以て主を安んずる無し。吏卒民、多く心の一ならざる者は、皆な其の将長に在り。諸そ賞罰を行い及び治むること有る者は、必ず公より出づ。王、數しば人をして行き勞わしめ、邉城關塞を守り、蠻夷に備うるの勞苦なる者に賜い、其の守率の財用の餘り有ると足らざるとを舉げ、地形の當に邉を守るべき者、其の器備の常に多き者を舉ぐ。邉の縣邑は、其の樹木の惡しきを視れば、則ち用を少なくす。田、辟けざれば、食を少なくす。大屋・草盖無ければ、乗を用うるを少なくす。財多ければ、民、食を好む。内堞を為り、内に行棧し、器備を其の上に置く。城上の吏・卒・養は、皆な舍を道の内に為り、各おの其の隔部に當たる。養は十二人。符を為る者を養吏一人と曰い、諸門を辦護す。門者及び守禁有る者は、皆な事無き者をして其の旁らに稽留するを得しむる無かれ。令に従わざる者は戮す。敵人、但だ至らば、千丈の城は、必ず郭、之に近づき、主人、利し。千丈を盡くさざる者は迎うる勿かれ。敵の居曲、衆少を視て之に應ず。此れ守城の大體なり。其の此の中に在らざる者は、皆な心術と人事と之を參う。
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