貞観政要 / 教戒太子諸王
貞觀十年,太宗謂房玄齡曰:「朕歷觀前代撥亂創業之主,生長人間,皆識達情偽,罕至於敗亡。逮乎繼世守文之君,生而富貴,不知疾苦,動至夷滅,朕少小以來,經營多難,備知天下之事,猶恐有所不逮。至於荊王諸弟,生自深宮,識不及遠,安能念此哉?朕每一食,便念稼穡之艱難;每一衣,則思紡績之辛苦。諸弟何能學朕乎?選良佐以為藩弼,庶其習近善人,得免於愆過爾。」
新字:貞観十年,太宗謂房玄齢曰:「朕歴観前代撥乱創業之主,生長人間,皆識達情偽,罕至於敗亡。逮乎継世守文之君,生而富貴,不知疾苦,動至夷滅,朕少小以来,経営多難,備知天下之事,猶恐有所不逮。至於荊王諸弟,生自深宮,識不及遠,安能念此哉?朕毎一食,便念稼穡之艱難;毎一衣,則思紡績之辛苦。諸弟何能学朕乎?選良佐以為藩弼,庶其習近善人,得免於愆過爾。」
書き下し
貞観十年、太宗房玄齢に謂いて曰く、「朕は歴(あまね)く前代の乱を撥(おさ)め業を創むるの主を観るに、人間に生長し、皆な情偽に識達す。敗亡に至る者は罕(まれ)なり。世を継ぎ文を守るの君に逮(およ)びては、生まれながらにして富貴、疾苦を知らず。動もすれば夷滅に至る。朕は少小より以来、経営すること多難なり。備さに天下の事を知る。猶お及ばざる所有らんことを恐る。荊王の諸弟に至りては、深宮に生まれ、識は遠くに及ばず。安くんぞ能く此を念わんや。朕は一たび食する毎に、便ち稼穡の艱難を念う。一たび衣する毎に、則ち紡績の辛苦を思う。諸弟は何ぞ能く朕に学ばんや。良佐を選びて以て藩弼と為し、庶(ちか)くは其の善人に習近し、愆過を免るるを得しめんのみ」と。
現代語訳
貞観十年、太宗が房玄齢に言った。「私はあまねく前代の、乱を治め業を創めた君主を見てきた。みな民間に育ち、人情の真偽を知り尽くしていた。滅亡に至った者はまれだ。ところが跡を継いで守る君主は、生まれながらに富貴で、苦しみを知らない。ともすれば滅ぼされる。私は幼い頃から、多くの困難を経てきた。天下の事を詳しく知っている。それでもなお、及ばないことがあるのを恐れる。荊王ら弟たちは、深い宮中に生まれ、見識は遠くに及ばない。どうしてこれを思えようか。私は食事のたびに、農作の苦労を思う。衣を着るたびに、糸を紡ぐ辛さを思う。弟たちが、どうして私に学べようか。良い補佐を選んで守りとし、善き人に親しませ、過ちを免れさせるほかない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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貞観政要・教戒太子諸王貞観七年、太宗太子左庶子于志寧・杜正倫に謂いて曰く、「卿等は太子を輔導す。常に須らく為に百姓の間の利害の事を説くべし。朕は年十八、猶お人間に在り。百姓の艱難、諳練(あんれん)せざる無し。帝位に居るに及び、商量処置する毎に、或いは時に乖疏有り。人の諫諍を得て、方(はじ)めて覚悟す。若し忠諫の者の為に説く無くんば、何に由りてか好事を行い得ん。況んや太子は深宮に生長す。百姓の艱難、都(すべ)て聞見せざらんや。且つ人主は安危の系(かか)る所なり。輒(すなわ)ち驕縦を為すべからず。但だ敕を出して云わば、諫むる者有らば即ち斬る、と。必ず知る、天下の士庶は敢えて更に直言を発する無からんことを。故に己に克ち精を励まし、諫諍を容納す。卿等常に須らく此の意を以て共に其れと談説すべし。不是の事有るを見る毎に、宜しく極言切諫し、裨益する所有らしむべし」と。
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貞観政要・教戒太子諸王貞観十八年、太宗侍臣に謂いて曰く、「古に世子を胎教する有り。朕は則ち暇あらず。但だ近ごろ太子を建立してより、物に遇えば必ず誨諭有り。其の食に臨みて将に飯せんとするを見て、謂いて曰く、『汝は飯を知るか』と。対えて曰く、『知らず』と。曰く、『凡そ稼穡(かしょく)の艱難は、皆な人力より出づ。其の時を奪わずんば、常に此の飯有らん』と。其の馬に乗るを見て、又た謂いて曰く、『汝は馬を知るか』と。対えて曰く、『知らず』と。曰く、『能く人に代わりて労苦する者なり。時を以て消息し、其の力を尽くさずんば、則ち以て常に馬有るべし』と。其の舟に乗るを見て、又た謂いて曰く、『汝は舟を知るか』と。対えて曰く、『知らず』と。曰く、『舟は人君に比する所以なり。水は黎庶に比する所以なり。水は能く舟を載せ、亦た能く舟を覆す。爾は方に人主と為らんとす。畏懼せざるべけんや』と。其の曲木の下に休むを見て、又た謂いて曰く、『汝は此の樹を知るか』と。対えて曰く、『知らず』と。曰く、『此の木は曲がれりと雖も、縄を得れば則ち正し。人君と為り、無道なりと雖も、諫を受くれば則ち聖なり。此れ傅説の言う所、以て自ら鑒(かんが)むべし』と」と。
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貞観政要・教戒太子諸王貞観十年、太宗荊王元景・漢王元昌・呉王恪・魏王泰等に謂いて曰く、「漢より已来、帝弟帝子、茅土を受け、栄貴に居る者は甚だ衆し。惟だ東平及び河間王のみ最も令名有り、其の禄位を保つを得たり。楚王瑋の徒の如きは、覆亡すること一に非ず。並びに富貴に生長し、好んで自ら驕逸するの致す所と為す。汝等は鑒誡し、宜しく熟ら之を思うべし。賢才を揀択(かんたく)して、汝が師友と為し、須らく其の諫諍を受け、自ら専らにするを得ざるべし。我聞く、徳を以て物を服す、と。信に虚説に非ず。比(このごろ)嘗て夢中に一人を見る。虞舜と云う。我は覚えず竦然として敬異す。豈に其の徳を仰ぐが為ならざらんや。向(も)し若し夢に桀・紂を見ば、必ず応(まさ)に之を斫(き)るべし。桀・紂は是れ天子なりと雖も、今若し相い喚びて桀・紂と作(な)さば、人は必ず大いに怒らん。顔回・閔子騫・郭林宗・黄叔度は、是れ布衣なりと雖も、今若し相い称賛して此の四賢に類すと道わば、必ず当に大いに喜ぶべし。故に知る、人の身を立つるに、貴ぶ所の者は惟だ徳行に在るのみ。何ぞ必ずしも栄貴を論ぜんや。汝等は位は藩王に列し、家は実封を食む。更に能く克く徳行を修めば、豈に美を具えずや。且つ君子と小人とは本と常無し。善事を行えば則ち君子と為り、悪事を行えば則ち小人と為る。当に須らく自ら克励し、善事をして日々に聞こえしめ、欲を縦(ほしいまま)にし情を肆(ほしいまま)にして、自ら刑戮に陥る勿かるべし」と。
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貞観政要・教戒太子諸王貞観七年、太宗侍中魏徴に謂いて曰く、「古より侯王の能く自ら保全する者は甚だ少なし。皆な富貴に生長し、驕逸を好尚し、多くは君子に親しみ小人を遠ざくるを解せざるに由るのみ。朕の有らゆる子弟は、前言往行を見せしめ、其の以て規範と為さんことを冀う」と。因りて徴に命じて古来の帝王子弟の成敗の事を録せしめ、名づけて『自古諸侯王善悪録』と為し、以て諸王に賜う。其の序に曰く、
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貞観政要・政体貞観十九年、太宗侍臣に謂いて曰く、「朕、古来の帝王を観るに、驕矜(きょうきょう)にして敗を取る者は、勝(あ)げて数うべからず。遠く古昔を述ぶる能わず。晋の武の呉を平らげ、隋の文の陳を伐ちて已後の如きに至りては、心は逾(いよい)よ驕奢にして、自ら諸己(もろもろ)を矜(ほこ)る。臣下は復た敢えて言わず。政道は茲(これ)に因りて弛紊(しびん)す。朕、突厥を平定し、高麗を破りて已後、兼ねて鉄勒(てつろく)を并(あわ)せ、沙漠を席巻して以て州県と為す。夷狄は遠く服し、声教は益ます広し。朕は驕矜を懐かんことを恐れ、恒に自ら抑折し、日旰(く)れて食し、坐して以て晨(あした)を待つ。毎に臣下に讜言(とうげん)直諫の、以て政教に施すべき者有るを思い、当に目を拭いて師友を以て之を待つべし。此の如くんば、時康く道泰(やす)きに庶幾(ちか)からんのみ」と。
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貞観政要・君臣鑑戒貞観十七年、太宗侍臣に謂いて曰く、「古より草創の主、子孫に至りて多く乱るるは、何ぞや」と。司空房玄齢曰く、「此れ幼主の深宮に生長し、少(わか)くして富貴に居り、未だ嘗て人間の情偽、国を理め安危するを識らざるが為なり。政を為すこと多く乱るる所以なり」と。太宗曰く、「公の意は過ちを主に推す。朕は則ち咎を臣に帰す。夫れ功臣の子弟は、多く才行無く、祖父の資蔭を藉りて遂に大官に処る。徳義修めず、奢縦是れ好む。主は既に幼弱、臣も又た不才。顛れて扶けず、豈に能く乱無からんや。隋の煬帝は宇文述の藩に在るの功を録し、化及を高位に擢(ぬきん)ず。報効を思わず、翻って弑逆を行う。此れ臣下の過ちに非ずや。朕は此の言を発するは、公等をして子弟を戒勖し、愆過無からしめんと欲すればなり。即ち家国の慶なり」と。太宗又た曰く、「化及と玄感とは、即ち隋の大臣の恩を受くること深き者の子孫なり。皆な反せり。其の故は何ぞや」と。岑文本対えて曰く、「君子は乃ち能く徳を懐き恩を荷(にな)う。玄感・化及の徒は、並びに小人なり。古人の君子を貴びて小人を賤しむ所以なり」と。太宗曰く、「然り」と。
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