韓非子 / 二柄第七
明主之所導制其臣者,二柄而已矣。二柄者,刑德也。
新字:明主之所導制其臣者,二柄而已矣。二柄者,刑徳也。
書き下し
明主の其の民を導制する所の者は、二柄のみ。二柄とは、刑・徳なり。
現代語訳
優れた君主が民衆を導き統制する手段は、二つの権限(二柄)だけである。二柄とは、「刑(罰)」と「徳(賞)」である。
解説
優れた君主が民を導き従わせる手立ては、突き詰めればたった二つしかない、それが「刑」と「徳」だ、という教えです。刑とは罰を与えること、徳とは褒美を与えることです。人の上に立つ人が周りを動かす力の源は、結局のところ、良いことをしたら褒めて認める力と、悪いことをしたら正しく戒める力の二つに行き着くということを示しています。これは会社の人事権に限らず、家庭で子どもを育てるときの褒めると叱る、部活動で後輩を指導するときの認めると注意するにもそのまま当てはまります。褒めることと戒めることのどちらか一方に偏ってしまうと、相手はやる気を失うか、あるいは調子に乗ってしまいます。この二つの手立てをきちんと自分の手の中に持ち、状況に応じて使い分けることが、人をまとめる基本になるのです。
この章句が説くこと
賞罰人事権アメとムチ動機付けリーダーシップ
関連する章句
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『韓非子』老第二十一人君賞を見(あらわ)せば、人臣其の勢を用ひ、人君罰を見せば、人臣其の威に乘ず。故に曰く、「邦の利器は、以て人に示す可からず」と。越王は吴に入りて宦(つか)へ、之に齊を伐たしめて以て吳を弊(つか)らす。吳兵既に齊人に艾陵に勝ち、之を江・濟に張り、之を黄池に強くす、故に五湖に制す可かりき。
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『韓非子』外儲説右下第三十五賞罰共にすれば則ち禁令行われず。何を以て之を明らかにせん。之を明らかにするに造父・於期を以てす。
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呂氏春秋・義賞①春氣至れば則ち草木産し、秋氣至れば則ち草木落つ。産と落とは之を使しむるもの或り。自ら然るに非ざるなり。故に之を使しむる者至れば、物為さざる無く、之を使しむる者至らざれば、物為す可き無し。古の人、其の使しむる所以を審らかにす、故に物、用を為さざる莫し。賞罰の柄、此れ上の使しむる所以なり。其の以て加うる所の者義なれば、則ち忠信親愛の道彰わる。久しく彰われて愈々長ずれば、民の之に安んずること性の若し。此を之れ教成ると謂う。教成れば則ち厚賞嚴威有りと雖も禁ずること能わず。故に善く教うる者は、義以て賞罰して教成り、教成りて賞罰禁ずること能わず。賞罰を用いて當らざるも亦た然り。姦偽賊亂貪戻の道興り、久しく興りて息まざれば、民の之を讎うること性の若し。戎夷胡貉巴越の民は、是を以て厚賞嚴罰有りと雖も、禁ずること能わず。郢人の兩版を以て垣するや、吳起之を變じて惡まる。賞罰易れば民安くんぞ樂しまん。氐羌の民、其れ虜となるや、其の係纍を憂えずして、其の死するに焚かれざるを憂うるは、皆、邪に成り、且つ成りて民を賊う。故に賞罰の加うる所は、慎まざる可からず。
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孫子・行軍篇數々賞する者は、窘するなり。數々罰する者は、困しむなり。先に暴にして後に其の衆を畏るる者は、不精の至りなり。来たりて委謝する者は、休息を欲するなり。
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『韓非子』難一第三十六今赫は僅かに驕侮せざるのみにして、襄子之を賞するは、是れ賞を失うなり。明主は賞を無功に加えず、罰を無罪に加えず。
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呂氏春秋・當賞①民は道無くして天を知る。民は四時寒暑日月星辰の行を以て天を知る。四時寒暑日月星辰の行當たれば、則ち諸生の血氣有るの類、皆為に其の處を得て其の產に安んず。人臣も亦た道無くして主を知る。人臣は賞罰爵祿の加わる所を以て主を知る。主の賞罰爵祿の加わる所の者宜しければ、則ち親疏遠近賢不肖、皆其の力を盡くして、以て用を為す。