論語 / 為政篇
子曰、由、誨女知之乎、知之為知之、不知為不知、是知也。
書き下し
子曰く、由よ、女(なんじ)に之を知るを誨えんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す、是れ知るなり。
現代語訳
仲由よ、教えてやろう。本当に知っていることを「知っている」と言い、知らないことを「知らない」と言える。これが知るということだ。
解説
孔子は弟子の由(子路)に「お前に本当に知るということを教えよう。知っていることは知っていると言い、知らないことは知らないと言う。これこそが知るということだ」と言いました。知ったかぶりをして体裁を取り繕うより、素直に「知らない」と認めることのほうがずっと大切だという教えです。これは会社での立場だけでなく、親としての姿や、地域での役割でも同じです。分からないことを分からないと言えずに知ったふりを続けると、間違った思い込みのまま物事を進めてしまい、後で大きな失敗につながります。分からないことは素直に認めて人に尋ねる。その方が、かえって周りから頼りにされ、物事を正しく見極める力にもつながっていきます。
この章句が説くこと
知識謙虚智慧
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