武士道 / 原序・宗教無くば徳育を奈何にする
原序距今幾ど十年、予甞て、白耳義國碩學法政學泰斗故ド、ラヴエレー氏の家に客となり、逗まること數日なりき。一日氏と共に散策して談會ま宗教問題に涉るや、老教授予に問ふあり、『君の說の如くんば、日本學校に於ては、宗教教育を施すこと無き乎』と。予乃ち答ふるに其の之れ無きを以てするや、氏は愕然として、猛かに其步を停め、『噫、宗教無き乎。然らば德育を奈何にかする』と咨嗟するもの數次なりき。當時予は此質問に窮し、直ちに以て答ふるの辭を知らざりしもの、又た故無きに非らず。予の少年にして學びたる道德の教訓は、之を學校に於てせず。而して善惡邪正の自家の觀念を成せる、種々の原素を分析するの日に至りて、始めて、此觀念を予の鼻腔に吹き入れたるものゝ、實に武士道なりしことを知れり。
新字:原序距今幾ど十年、予甞て、白耳義国碩学法政学泰斗故ド、ラヴエレー氏の家に客となり、逗まること数日なりき。一日氏と共に散策して談会ま宗教問題に渉るや、老教授予に問ふあり、『君の説の如くんば、日本学校に於ては、宗教教育を施すこと無き乎』と。予乃ち答ふるに其の之れ無きを以てするや、氏は愕然として、猛かに其歩を停め、『噫、宗教無き乎。然らば徳育を奈何にかする』と咨嗟するもの数次なりき。当時予は此質問に窮し、直ちに以て答ふるの辞を知らざりしもの、又た故無きに非らず。予の少年にして学びたる道徳の教訓は、之を学校に於てせず。而して善悪邪正の自家の観念を成せる、種々の原素を分析するの日に至りて、始めて、此観念を予の鼻腔に吹き入れたるものゝ、実に武士道なりしことを知れり。
書き下し
距今ほとんど十年、予かつて、白耳義国碩学、法政学泰斗、故ド・ラヴレー氏の家に客となり、逗まること数日なりき。一日、氏と共に散策して、談たまたま宗教問題に渉るや、老教授、予に問ふあり、「君の説の如くんば、日本の学校に於ては、宗教教育を施すこと無きか」と。予、乃ち答ふるに、其の之れ無きを以てするや、氏は愕然として、にわかに其歩を停め、「ああ、宗教無きか。然らば徳育をいかにかする」と咨嗟するもの数次なりき。当時、予は此質問に窮し、直ちに以て答ふるの辞を知らざりしもの、又た故無きに非らず。予の少年にして学びたる道徳の教訓は、之を学校に於てせず。而して善悪邪正の自家の観念を成せる、種々の原素を分析するの日に至りて、始めて、此観念を予の鼻腔に吹き入れたるものの、実に武士道なりしことを知れり。
現代語訳
今からほぼ十年前、私はかつてベルギーの学者で法政学の大家である故ド・ラヴレー氏の家に客となり、数日滞在しました。ある日、氏とともに散策して、話がたまたま宗教問題に及ぶと、老教授が私に問いました。君の話のようだと、日本の学校では宗教教育を施していないのか、と。私がそれはないと答えると、氏は驚いて急に歩を止め、ああ、宗教がないのか。それでは徳育をどうするのだ、と何度も嘆きました。当時私はこの質問に窮し、すぐに答える言葉を知らなかったのですが、それには理由がありました。私が少年のころに学んだ道徳の教えは、学校で受けたものではありません。そして、善悪や邪正についての自分の観念を作っているさまざまな要素を分析する日になって、初めて、この観念を私の鼻に吹き込んだものが、実は武士道であったと知ったのです。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』上英文武士道論書・英文を以て武士道論を著す稲造、業を札幌農学校に修め、更に欧米に留学し、後、該農学校及び台湾総督府に歴任し、今や乏を京都帝国大学法科大学教授に承く。稲造の学、専ら農政殖産に在りと雖も、亦た余力もって文を学び、倫理宗教の考究に勗むること、ここに年あり。稲造かつて白耳義国碩学ラベレイレエと語る。学士、我国教育の宗教に関せざるを知り、為に徳教の基礎を疑えり。稲造、武門の末に生まれて、武士道の浸潤する所となり、我国徳教の精髄、実にここに存するを知る。因りて以為らく、斯道は独り家妻をして之に則らしむべきのみならず、又た広く外邦の人に伝うべしと。乃ち明治三十二年、北米合衆国に於て、英文を以て武士道論を著作し、これを彼国にて印行し、翌年又た我邦にて上梓せり。幾もなくして独逸語に訳せられ、次いで印度方言に訳せらる。其意、該国民の教化に資するにあり。
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『武士道』原序・愛妻の問いが動機となる予が此一小冊子を述作するに至りたる直接の動機は、愛妻のしばしば予に問ふに、日本に行はるる彼此の思想習慣の理由根拠を以てするに在りき。ド・ラヴレー氏及び愛妻に対し、満足なる解答を与へんとするに当りて、予は知りぬ、先づ封建主義と武士道の何物たるかを了知するに非ずんば、即ち現時日本の道徳思想は、一の秘本にして繙き窺ふべからざるものなることを。予の病、久しく癒えず、為に疎懶、日を銷するの止むを得ざるを機とし、かつて多次、家庭の談話に於て与へたる答解を記述したるもの、即ち此書の骨子を成し、其拠る所は主として、封建思想のなお旺盛なりし時、予が少年の日に当りて示教を受けたるものに係る。彼れには小泉八雲氏及びフレエザー夫人あり、此れには又たサー・アーネスト・サトウ及びチャンバレン教授あるの中間に立ち、英語を以て日本に関する述作を成さんは、けだし躊躇失望すべきものあり。
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『武士道』第一章 武士道の倫理系・卑怯と未練は最も醜い蔑辞『卑怯』『未練』は、健全、質朴なる人格の受くる最醜の蔑辞なりとすることや、小児は此観念を以て世に生まれ、武士も亦た然り。されど人生の拡大し、其関係の多方面に渉るに従ひ、初時の簡易なる信仰より進みて、自己の行為の是認せられ、且つ満足と発達とを与へらるべき、一層高尚なる権能の批准と、一層合理なる準拠とを求むるに至る。もし夫れ武辺の利害のみを主眼となして、之を支ふるに高き道義の有る無かりせば、武士の理想の武士道に到達せざりしこと、幾許大なるべきぞ。欧洲の基督教は騎士によりて、恣に解釈適用せられたりと雖、なお此れによりて、其武士道に供するに、霊性の因素を以てしたり。ラマルティーヌ曰く、『宗教、戦争、名誉は、円満なる基督教武士の三魂なり』と。
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『武士道』第一章 武士道の倫理系・本書の四つの問い然るに予は、今ここに泰西の史学家、論理学者に寄語す。請ふ、現代日本に於ける武士道の研究に一指を染めんことを。欧洲と日本とに於ける、封建制度並に武士道の異同を比較し、之を史学上より論考するは、趣味多方なるの問題なり。されど、是れ予が本書の目的とする所に非ず。予の目的は、第一、日本武士道の淵源。第二、其特質と教訓。第三、社会全般に及ぼせる其感化。第四、其感化の持続如何。此の四問題に就きて、之が説明を試みんとするに在り。然るに第一問の如きは、単り其梗概を略説して、直に第二問に入らん。乃ち此問題たるや、万国倫理学若くは比較品行論を研究する学者をして、日本人の思想行為の径路趨向を暁解せしめんとするに於て、稗益する所、必ずや大なるべきを以て、予はやや詳細に渉りて之を論述せんとすと雖、他の二問の如きは、単に余論として、いささか弁を加ふるに過ぎざるのみ。
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『武士道』原序・心に書かれたる律法を信ず予が同情を表する能はざるものは、即ち基督の教訓の光明を翳遮する伝道の形式なり。予は心に書かれたる律法を信じ、又た基督の教にして、新約全書を通じて吾人に伝へられたる宗教を信ず。而も亦た神は、異邦人たると、猶太人たると、基督教徒たると異教徒たるとを問はず、凡ての衆生に与ふるに、称して旧と名くべき約書を以てしたるものなるを信ず。予の神学説は此れを云ふを以て足れり、更に論じて世の倦厭を招くを要せず。明治三十二年十二月、費府郊外マルヴァーン村居にて、新渡戸稲造識。
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『武士道』第一章 武士道の倫理系・武士道は我国土に特生せる華日本武士道は、之を表象する桜花と共に、我国土に特生せるの華なり。斯花たる、今や乾枯せる古代道徳の標本として、わずかに其形骸を歴史の腊葉品彙に存するものに非らず。其力、其美、なお且つ浩然、旺盛、剛大なるものありて、我民族の心裡に生々たり。武士道は、既に形態の捕捉すべき無しと雖、遺芳なお徳界に遍く、吾人は此れが著大の薫化に浴す。けだし斯道を産み、斯道を育ひたる社会の状態は、杳として跡を歛めたりと雖、これ昔、霄漢万里に麗りし星辰の、其本体は既に消滅せるも、而も残光なお頭上に栄々たるが如く、封建の寵児たりし武士道は、此れが生みの母たる旧制度の滅後に存し、光輝遂に蔽ふべからず、吾人の道を明かにす。英国エドモンド・バークはかつて、哀々の辞を以て、既に久しく世の顧みざりし欧洲武士道の柩槨を弔せり。