帝範 / 序
汝以㓜年,偏鍾慈愛,義方多闕,庭訓有乖。擢自維城之居,屬以少陽之任,未辨君臣之禮節,不知稼穡之艱難。朕每思此為憂,未嘗不廢寢忘食。自軒昊已降,迄至周隋,以經天緯地之君,纂業承基之主,興亡治亂,其道煥焉。所以披鏡前蹤,博覽史籍,聚其要言,以為近誡云耳。
新字:汝以幼年,偏鍾慈愛,義方多闕,庭訓有乖。擢自維城之居,属以少陽之任,未弁君臣之礼節,不知稼穡之艱難。朕毎思此為憂,未嘗不廃寝忘食。自軒昊已降,迄至周隋,以経天緯地之君,纂業承基之主,興亡治乱,其道煥焉。所以披鏡前蹤,博覧史籍,聚其要言,以為近誡云耳。
書き下し
汝(なんぢ)㓜年(ようねん)を以(も)って、偏(ひと)へに慈愛(じあい)を鍾(あつ)め、義方(ぎほう)闕(か)くること多(おほ)く、庭訓(ていきん)乖(そむ)くこと有(あ)り。維城(いじょう)の居(きょ)より擢(ぬ)きんでて、屬(しょく)するに少陽(しょうよう)の任(にん)を以(も)ってす。未(いま)だ君臣(くんしん)の禮節(れいせつ)を辨(わきま)へず、稼穡(かしょく)の艱難(かんなん)を知(し)らず。朕(ちん)每(つね)に此(これ)を思(おも)ひて憂(うれ)ひと為(な)し、未(いま)だ嘗(かつ)て寢(しん)を廢(はい)し食(しょく)を忘(わす)れずんばあらず。軒昊(けんこう)より已降(いこう)、周隋(しゅうずい)に迄(いた)るまで、天(てん)を經(けい)し地(ち)を緯(い)する君(きみ)、業(ぎょう)を纂(つ)ぎ基(もとゐ)を承(う)くる主(しゅ)を以(も)って、興亡治亂(こうぼうちらん)、其(そ)の道(みち)煥(あき)らかなり。所以(ゆゑ)に前蹤(ぜんしょう)を披鏡(ひきょう)し、史籍(しせき)を博覽(はくらん)し、其(そ)の要言(ようげん)を聚(あつ)めて、以(も)って近誡(きんかい)と為(な)すのみ。
現代語訳
おまえは幼い年から、ただ慈愛ばかりを一身に集め、正しい道を教える面が欠け、家庭の訓えにも行き届かぬところがあった。一族の中から抜き出して皇太子の任に就けたが、まだ君臣の礼節をわきまえず、農事の苦労も知らない。私はいつもこれを憂いとし、そのたびに寝るのをやめ食事を忘れずにはいられなかった。黄帝・伏羲の昔から周・隋に至るまで、天下を経営した君主、家業を継いだ主君について、その興亡治乱の道理は明らかである。だから前人の跡を鏡にかけ、史書を広く読み、その要となる言葉を集めて、身近な戒めとしたのだ。
解説
太宗が皇太子に本書を与えた動機が、ここに率直に書かれている。「偏へに慈愛を鍾め、義方闕くること多く」——甘やかしすぎた、教えるべきことを教えていない、という自己批判である。この皇太子は、兄・李承乾の廃太子を経て立てられた李治(のちの高宗)で、太宗が最も気を揉んだ後継者だった。注目すべきは、太宗が本書を「近誡」と呼んでいることである。遠大な理想ではなく、身近にある戒め。しかもその内容は自分の考えではなく「史籍を博覽し、其の要言を聚めて」つくったものだと断る。跡を継ぐ者に何を渡すかという問いに、太宗は自分の武勇伝ではなく、歴史から抜き出した要点集を選んだ。事業承継の教材の作り方として、いまも参考になる態度である。
この章句が説くこと
義方庭訓近誡事業承継
関連する章句
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史記 伯夷列伝夫れ学ぶ者には載籍(書籍)極めて博きも、猶ほ信を六芸に考ふべし。詩・書は缺くると雖も、然れども虞・夏の文は知る可きなり。尭の将に位を遜らんとするや、虞舜に譲り、舜・禹の間は、岳牧咸な薦めて、乃ち之を位に試み、職を典ること数十年、功用既に興り、然る後に政を授く。天下は重器たる、王者の大統たる、天下を伝ふるの斯くの如く之れ難きを示せるなり。而るに説く者は曰く、尭、天下を許由に譲るも、許由は受けず、之を恥ぢて逃げ隠る。夏の時に及びて、卞随・務光なる者有り。此れ何を以てか称す。太史公曰く、余、箕山に登りしに、其の上に蓋し許由の冢有り、と云ふ。孔子、古の仁聖賢人を序列して、呉の太伯・伯夷の倫の如きは詳らかにす。余以へらく、聞く所の由・光の義は至高なるに、其の文辞の少しくも概見せざるは、何ぞや。
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中庸子曰く、「憂い無き者は、其れ惟(た)だ文王か。王季を以て父と為し、武王を以て子と為す。父之を作(な)し、子之を述ぶ。武王は大王(たいおう)・王季・文王の緒(しょ)を纘(つ)ぎ、壹(ひと)たび戎衣(じゅうい)して天下を有(たも)ち、身は天下の顕名(けんめい)を失わず。尊きこと天子と為り、富は四海の内を有つ。宗廟之を饗け、子孫之を保つ。武王末(おく)れて命を受け、周公は文・武の徳を成し、大王・王季を追王(ついおう)し、上(かみ)先公を祀るに天子の礼を以てす。斯(こ)の礼や、諸侯・大夫及び士・庶人に達す。父大夫と為り、子士と為れば、葬るに大夫を以てし、祭るに士を以てす。父士と為り、子大夫と為れば、葬るに士を以てし、祭るに大夫を以てす。期(き)の喪は大夫に達し、三年の喪は天子に達す。父母の喪は、貴賤と無く一なり」と。
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荀子・正論篇国を擅(ゆず)ること有るも、天下を擅ること無きは、古今一なり。夫の「堯舜擅讓す」と曰うは、是れ虚言なり。是れ浅き者の伝、陋(いや)しき者の説なり。逆順の理、小大・至不至の変を知らざる者なり。未だ与に天下の大理に及ぶべからざるなり。
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荀子・正論篇曰く、死して之を擅る、と。是れ又た然らず。聖王上に在れば、徳を決して次を定め、能を量りて官を授け、皆な民をして其の事を載せて各々其の宜しきを得しむ。義を以て利を制する能わず、偽を以て性を飾る能わざれば、則ち兼ねて以て民と為す。聖王已に没し、天下に聖無ければ、則ち固より以て天下を擅るに足る莫し。天下に聖有りて、後子に在らば、則ち天下離れず、朝位を易えず、国制を更めず、天下厭然として、郷と以て異なる無きなり。堯を以て堯に継ぐ、夫れ又た何の変か之れ有らんや。聖後子に在らずして三公に在らば、則ち天下帰するが如く、猶お復して之を振うがごとし。天下厭然として、郷と以て異なる無きなり。堯を以て堯に継ぐ、夫れ又た何の変か之れ有らんや。唯だ其の朝を徙し制を改むるを難しと為すのみ。故に天子生けば則ち天下一隆、順を致して治まり、徳を論じて次を定め、死すれば則ち能く天下に任ずる者必ず之れ有らん。夫れ礼義の分尽きたり、擅譲悪くんぞ用いんや。
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『神皇正統記』巻三 器にあらざれば仁徳さしも聖徳ましまししに、此皇胤こゝにたえにき。「聖徳は必百代にまつらる。」とこそみえたれど、不徳の子孫あらば、其宗を滅すべき先蹤甚おほし。されば上古の聖賢は、子なれども慈愛におぼれず、器にあらざれば伝ことなし。堯の子丹朱不肖なりしかば、舜にさづけ、舜の子商均又不肖にして夏禹に譲られしが如し。
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葉隠・聞書第十一御両殿様(ごりょうとのさま)の時は、年寄役(としよりやく)立ち兼ね申し候。下々(しもじも)も世忰(せがれ)成長し候えば中悪(なかあ)しき事有り。心持(こころもち)これ有るべき事に候なり。