帝王学とは、位に就いた人が、その位に潰されないための学問です。中国には、唐の太宗が皇太子のために自分で書いた『帝範』のように、君主が自ら筆を執った帝王学の書があります(帝王学とは何か)。

では、日本の帝王学はどこにあるのでしょうか。探してみると、意外なことに気づきます。日本の君主が自分で書いた帝王学の書は、ほとんど残っていません。十七条憲法は聖徳太子の作と伝わりますが、あれは役人への心得です。その代わりに日本には、君主が編ませた書があります。天武天皇が誤りの多い古い記録を正そうとして始め、和銅五年(七一二)に太安万侶が献上した『古事記』です。

その『古事記』に、日本の統治を一語で言い当てた言葉が出てきます。「しらす」です。そして、それと対になる「うしはく」。日本の帝王学を一本の筋で読むなら、この二語の違いから入るのがいちばんの近道です。この記事では、国譲りの場面の原文から始めて、北畠親房『神皇正統記』の「鏡」と「正直・慈悲・決断」まで読んでいきます。

「しらす」と「うしはく」――二つの「治める」

舞台は、天照大御神が地上の国(葦原中国)を自分の子孫に治めさせようと決めたあとの場面です。地上を治めていたのは大国主神でした。高天原から遣わされた建御雷神は、出雲の伊那佐の浜に降り、剣を逆さに波の上に突き立て、その切っ先にあぐらをかいて、大国主神にこう問います。

天照大御神、高木神の命以ちて、問ひに使はせり。汝がうしはける葦原中国は、我が御子の知らす国と言依さし賜へり。故、汝が心いかに」といひき。

現代語にすると、「天照大御神と高木神の命令で、使いとして尋ねに来た。あなたがうしはけている葦原中国は、わが御子が知らす国だと委ねられている。あなたの考えはどうか」となります。

同じ一つの国について、二つの動詞が使い分けられています。大国主神の治め方は「うしはく」、天つ神の御子の治め方は「知らす」です。

「うしはく」は、一般に「主(うし)として領(は)く」、つまり主人として自分のものにして押さえる、という意味に解かれます。土地と人を自分の持ち物として支配するあり方です。

これに対して「しらす」は、「知る」に敬いの「す」が付いた形です。古代の日本語では、国を治めることを「知る」と言いました。『古事記』は天皇の治世を書くたびに「天の下を治らしめしき」のように記しますが、これも同じ言葉です。治めるとは、まず知ることだ――言葉そのものが、そういう考え方を抱えています。

明治の憲法を起草した井上毅が、この二語の違いに注目したことはよく知られています。ただし、ここで大事なのは近代の解釈よりも、『古事記』自身がこの一場面で、二つの治め方をはっきり書き分けているという事実のほうです。

会社に置き換えると、違いは分かりやすくなります。会社を自分の持ち物として押さえる経営と、預かったものとして、社員や取引先の実情を知ったうえで治める経営。どちらも「経営」と呼ばれますが、中身は別物です。

出典:古事記 上巻・建御雷神の派遣

国は「言依さし」――委ねられて預かるもの

もう一つ、さきほどの問いの中で見落とせない言葉があります。「言依さし」です。これは国譲りの話が始まる最初の場面にも出てきます。

天照大御神の命もちて、「豊葦原の千秋長五百秋(ちあきのながいほあき)の水穂国は、我が御子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命の知らす国ぞ」と言依(ことよ)さし賜ひて、天降したまひき。

「この豊かな瑞穂の国は、わが子の天忍穂耳命が知らす国である」と、天照大御神は言葉で委ねて、天から降らせます。言依さしとは、言葉によって任せることです。

つまり、『古事記』の描く統治者は、国を自分で切り取って手に入れた人ではありません。より上の者から預かった人です。預かったものは、自分の好きにしてよいものではありません。いずれ次へ渡すものです。「しらす」と「言依さし」は、ひと組で読むと意味がはっきりします。

この場面には続きがあります。委ねられた天忍穂耳命は、天の浮橋から地上を見下ろして「ひどく騒がしい」と言い、降りずに引き返して報告します。次に遣わされた天菩比神は、大国主神に取り入ってしまい、三年たっても復命しませんでした。

任せたはずの人が報告をよこさない。派遣した先で、相手の側に取り込まれてしまう。どちらも、現代の組織でそのまま起きることです。『古事記』の統治の物語は、委任が失敗するところから始まっています。預かって治めるという理想を掲げるだけでは足りず、誰に、どんな報告を求めて任せるかまで問われている、ということです。

出典:古事記 上巻・葦原中国平定と天菩比神

譲る側の条件――大国主神の国譲り

「しらす」の国は、力で奪い取ったものとしては描かれていません。前の主が譲ったものとして書かれています。建御雷神の問いに対して、大国主神は二人の子の意見を聞き、そのうえで答えます。

僕が子等二神の白すまにまに、僕は違はじ。この葦原中国は、命のまにまに既に献らむ。ただ僕が住所は、天つ神の御子の天津日継知らしめすとだる天の御巣の如くして、(とだるの三字は音を以ちてす。下もこれに効へ)底つ石根に宮柱ふとしり、(ふとしりの四字は音を以ちてす)高天原に氷木たかしり(四字は音を以ちてす)て治め賜はば、僕は百足らず八十坰手に隠りて侍ひなむ。

国は差し出す。ただし自分の住まいだけは、天つ神の御子の宮と同じように、地の底の岩に太い柱を立て、高天原に届くほど高く造ってほしい。そうしてもらえるなら、自分は遠い片隅に退いて控えていよう――。

譲る側が最後に求めたのは、権力ではなく居場所と名誉でした。この宮は、出雲大社の起こりとして語られるのが通説です。天つ神の側は、この求めをそのまま受け入れ、多芸志の浜に宮を造ります。

事業承継でも、会社の買収でも、前の代の人をどう遇するかで、移行がうまくいくかどうかがほぼ決まります。「うしはく」の発想では、前の主は追い払う相手です。「しらす」の発想では、前の主も国の一部として祀られます。退く人に名誉ある席を用意することが、新しい治世の最初の仕事になっているのです。

出典:古事記 上巻・大国主神の国譲りと宮

知るための道具は「鏡」――神皇正統記の読み方

治めるとは知ることだとすると、次の問いが出てきます。何をもって知るのか、です。

『古事記』の天孫降臨の場面で、天照大御神は孫の邇邇芸命に鏡を授け、「この鏡は、専ら我が御魂として、吾が前を拝くが如く、いつき奉れ」と命じます。その鏡に、統治者の心得としての意味をはっきり与えたのが、南北朝時代の北畠親房です。親房は幼い後村上天皇のために書いた『神皇正統記』で、三種の神器をこう読みました。

鏡は一物をたくはへず。私の心なくして、万象をてらすに是非善悪のすがたあらはれずと云ことなし。其すがたにしたがひて感応するを徳とす。これ正直の本源なり。玉は柔和善順を徳とす。慈悲の本源也。剣は剛利決断を徳とす。智恵の本源也。

鏡は一つの物も中に貯えない。私心がないので、あらゆるものを映して、是非善悪の姿が現れないことはない。その姿に応じて感応するのが鏡の徳で、これが正直の本源である。玉は柔らかく素直なことを徳とし、慈悲の本源である。剣は鋭く断ち切ることを徳とし、智恵の本源である――。

ここで「知る」の意味が一段深くなります。統治者が民を知るには、まず統治者の側が曇っていてはいけません。好き嫌いや思い込みを抱えたままでは、映るものも歪みます。「鏡は一物をたくはへず」とは、知る側の条件のことです。

現場を知っているつもりの経営者ほど、実は自分の見たいものしか映していない、ということがよくあります。報告の数字を眺めるだけでは「知らす」になりません。自分の鏡が曇っていないかを、まず確かめる必要があるのです。

出典:神皇正統記 巻一 三種の神器

正直・慈悲・決断――親房のまとめと「人を知る」

親房は同じ書の終わり近く、後醍醐天皇の段で、政道とは結局何かを一文にまとめています。

およそ政道と云ことは所々にしるしはべれど、正直慈悲を本として決断の力あるべき也。これ天照太神のあきらかなる御をしへなり。決断と云にとりてあまたの道あり。一には其人をえらびて官に任ず。

政道の本は正直と慈悲で、そのうえに決断の力がなければならない。これは天照大御神の明らかな教えである。そして決断にもいろいろあるが、その第一は人を選んで官に任じることだ、と言います。

鏡・玉・剣の三つが、そのまま正直・慈悲・決断になっています。そして決断の最初に置かれたのが人事でした。ここでも「知る」が出てきます。ふさわしい人を選ぶには、人を知らなければならないからです。江戸時代の兵学書『武治提要』は、もっと端的に「武德を天下に敷の道、人を知を第一とす」と書いています(武治提要 知人)。

国を知り、民を知り、人を知る。日本の帝王学の言葉は、どこから読んでも「知る」に戻ってきます。

出典:神皇正統記 巻六 後醍醐天皇

古を稽へて今を照らす――なぜ古事記を読むのか

最後に、『古事記』そのものが自分を何のための書だと言っているかを見ておきます。太安万侶は序文で、歴代の天皇の治め方を振り返って、こうまとめました。

歩驟各異なり、文質同じからずと雖も、古を稽へて以て風猷を既に頽れたるに縄し、今を照らして以て典教を絶えなむとするに補はずといふことなし。

歩みはそれぞれ違い、飾りの多い治世も素朴な治世もあったけれども、どの天皇も古を考えて崩れかけた風を正し、今を照らして絶えかけた教えを補わなかったことはない。「稽古照今」という言葉のもとになった一節です。

帝王学とは、本来こういう学びなのだと思います。昔の偉い人の言葉を飾っておくことではなく、古いものに照らして今の自分の曇りを確かめることです。古事記がなぜ編まれたのかは、序文を通して読んだ記事で詳しく扱いました。

出典:古事記 序・安萬侶の序

結び――日本の帝王学は「知る」から始まる

中国の帝王学は、君主一人の徳と、人を見抜く眼を鍛えることに力を注ぎました。『帝範』も『貞観政要』も、その記録です。日本の帝王学も同じ問題を抱えていますが、入口が少し違います。

国は自分の持ち物ではなく、委ねられて預かったものである(言依さし)。預かったものは、力で押さえるのではなく、知って治める(しらす)。前の主には居場所を用意する(国譲り)。知るためには、まず自分の鏡を曇らせない(正直)。そして、知ったうえで人を選ぶ(決断)。

どれも、社員数人の会社でも、そのまま使える順序です。「うしはく」か「しらす」か。自分の会社をどちらの動詞で治めているかを確かめるところから、日本の帝王学は始まります。

日本の帝王学は、古事記の場面ごとにも読めます。危機の乗り越え方は天の岩戸の物語、任せる覚悟はうけい(誓約)とは、後継者の決め方は古事記に学ぶ後継者の決め方、歴史を残す意味は古事記はなぜ作られたのかで読んでいます。

出典の章句は、いずれも師導の『古事記』『神皇正統記』の各ページで、原文・読み下し・現代語訳と解説を通して読めます。