帝範 / 後序
故知禍福無門,惟人所召。欲悔非於既徃,惟慎禍於將来。當擇哲主為師。母以吾為前鑒。取法於上,僅得為中;取法於中,故為其下。自非上徳,不可效焉。
新字:故知禍福無門,惟人所召。欲悔非於既往,惟慎禍於将来。当択哲主為師。母以吾為前鑒。取法於上,僅得為中;取法於中,故為其下。自非上徳,不可効焉。
書き下し
故(ゆゑ)に知(し)る、禍福(かふく)に門(もん)無(な)く、惟(た)だ人(ひと)の召(まね)く所(ところ)なるを。非(ひ)を既徃(きおう)に悔(く)いんと欲(ほっ)せば、惟(た)だ禍(わざはひ)を將来(しょうらい)に慎(つつし)め。當(まさ)に哲主(てっしゅ)を擇(えら)びて師(し)と為(な)すべし。吾(われ)を以(も)って前鑒(ぜんかん)と為(な)す母(なか)れ。法(のり)を上(かみ)に取(と)れば、僅(わづ)かに中(ちゅう)為(た)るを得(え)、法(のり)を中(ちゅう)に取(と)れば、故(ゆゑ)に其(そ)の下(しも)と為(な)る。上徳(じょうとく)に非(あら)ざるよりは、效(なら)ふ可(べ)からず。
現代語訳
だから分かる。禍にも福にも決まった入り口はなく、ただ人が招くものだ、と。過ぎたことの非を悔いたいなら、ただ将来の禍を慎むことだ。賢明な主君を選んで師とせよ。私を前例の鑑としてはならない。上に手本を取ってようやく中くらいになり、中に手本を取れば下になる。最上の徳の持ち主でなければ、手本にしてはならない。
解説
「吾を以って前鑒と為す母れ」——私を手本にするな。天下を取り貞観の治を実現した皇帝が、自分の息子に向かって書いた一句である。理由は次の一文にある。「法を上に取れば、僅かに中為るを得、法を中に取れば、故に其の下と為る」。上を目標にしてやっと中に届く。中を目標にすれば下に落ちる。学ぶ側は必ず手本より下に着地する、という前提に立つなら、手本は届かないほど上に置かねばならない。だから太宗は自分を外し、堯舜のような上徳を見よという。この一節は日本でも「法を上に取る」の形で広く知られ、目標設定の原則として引かれてきた。前段の「禍福に門無く、惟だ人の召く所なり」——『春秋左氏伝』襄公二十三年の句を承けたこの一言と合わせると、結論は明快である。招くのは自分、目標は自分より上に置け。
この章句が説くこと
禍福無門法を上に取る前鑒とする母れ目標設定
関連する章句
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『韓非子』二柄第七人臣爲る者は陳べて言ひ、君は其の言を以て之に事を授け、專ら其の事を以て其の功を責む。功其の事に當たり、事其の言に當たれば、則ち賞す。功其の事に當たらず、事其の言に當たらざれば、則ち罰す。故に羣臣の其の言大にして功小なる者は則ち罰す。小功を罰するに非ず、功の名に當たらざるを罰するなり。羣臣の其の言小にして功大なる者も亦た罰す。大功を說(よろこ)ばざるに非ず、名に當たらざるの害は大功有るよりも甚だしと以爲(おも)へばなり、故に罰す。
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大学大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親(あら)たにするに在り、至善に止まるに在り。止まるを知りて而后(のち)定まる有り、定まりて而后能く静かなり、静かにして而后能く安し、安くして而后能く慮(おもんぱか)る、慮りて而后能く得。物に本末有り、事に終始有り、先後する所を知れば、則ち道に近し。
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『長短経』君徳或るひと曰く「漢の宣帝は政事明察なり。其れ光武の儔か」と。虞南曰く「漢の宣帝は閭閻より起こり、人の疾苦を知る。是を以て心を留めて政を聴き、賢良を擢用す。其の名を循ねて実を責め、法を峻しくし令を厳にするを原ぬれば、蓋し申・韓より流れ出づるなり。古語に云う、王を図りて成らずんば、弊るるも猶お覇たるに足る。覇を図りて成らずんば、弊れんこと将に如何。光武の仁義は、王を図るの君なり。宣帝の刑名は、覇を図るの主なり。今、以て相い輩せしむるは、恐らくは其の儔に非ず」と。
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文子・下德老子曰く、治世の職は守り易く、其の事は為し易く、其の礼は行い易く、其の責は賞し易し。是を以て人は官を兼ねず、官は士を兼ねず、士農工商は、郷別れ州異なる。故に農は農と蔵を言い、士は士と行を言い、工は工と巧を言い、商は商と数を言う。是を以て士に遺行無く、工に苦事無く、農に廃功無く、商に折貨無く、各おの其の性に安んず。形を異にし類を殊にするも、事を易えて悖らず。処を失えば賤しく、勢を得れば貴し。夫れ先知遠見の人は、才の盛んなるなり。而れども治世は以て人に責めず。博聞強志、口辯辞給は、人の智の溢れたるなり。而れども明主は以て下に求めず。世に傲り物を賤しみ、流俗に従わざるは、士の伉行なり。而れども治世は以て民を化するに為さず。故に高くして及ぶ可からざる者は、以て人の量と為さず、行いて逮ぶ可からざる者は、国の俗と為す可からず。故に人才は専ら用う可からずして、度量道術は世に伝う可きなり。故に国治まれば愚と与に守る可く、軍旅は法を以て同じくす可し。古の英俊を待たずして、人自ら足る者は、其の有する所に因りて並び用うるなり。末世の法は、高く量を為して罪は及ばざるに及び、重く任を為して罰は勝えざるに及び、危うく其の難を為して誅は敢えてせざるに及ぶ。民は三責に困しみ、即ち智を飾りて上を詐り、邪を犯して危うきを行う。峻法厳刑と雖も、其の姦を禁ずる能わず。獣窮すれば即ち触れ、鳥窮すれば即ち啄み、人窮すれば即ち詐る。此れ之を謂うなり。
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呂氏春秋・諭大①昔、舜は古今を旗めんと欲して成らざるに、既に以て帝と成るに足れり。禹は帝たらんと欲して成らざるに、既に以て殊俗を正すに足れり。湯は禹を繼がんと欲して成らざるに、既に以て四荒を服するに足れり。武王は湯に及ばんと欲して成らざるに、既に以て王道たるに足れり。五伯は三王を繼がんと欲して成らざるに、既に以て諸侯の長為るに足れり。孔丘・墨翟は大道を世に行わんと欲して成らざるに、既に以て顯名を成すに足れり。夫れ大義の成らざるに、既に成ること有り。夏書に曰く、「天子の德廣運にして、乃ち神、乃ち武乃ち文。」故に務は事に在り、事は大に在り。
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呂氏春秋・務大⑤昔者、舜は海外を服せんと欲して成らざるに、既に以て帝と成るに足れり。禹は帝たらんと欲して成らざるに、既に以て海內に王たるに足れり。湯・武は禹を繼がんと欲して成らざるに、既に以て通達に王たるに足れり。五伯は湯・武を繼がんと欲して成らざるに、既に以て諸侯の長為るに足れり。孔・墨は大道を世に行わんと欲して成らざるに、既に以て顯榮を成すに足れり。夫れ大義の成らざるは、既に成ること有るのみ。故に務めは大を事とせよ。
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