理念が先か、仕組みが先か。人を動かす立場に立つと、一度はこの問いにぶつかります。理念を掲げても現場は動かない。かといって、ルールや制度だけを整えると、今度は「決められたことしかやらない」組織になってしまう。どちらから手を付ければよいのか、と。
この問いは、現代の経営書が発明したものではありません。中国の古典では、人の徳と礼で導く「徳治」と、法と賞罰で整える「法治」の対立として、二千年以上前から議論されてきました。二つの言葉そのものの整理は、徳治主義と法治主義。ルールか人徳か?に譲ります。この記事では「経営の場面で、何をどの順番で置くか」に絞り、論語・老子・孟子・韓非子・商君書・管子の六つの書から、順番を考える手がかりを拾っていきます。
この記事を監修する清水直樹は、仕組み経営を体系化する過程で、松下幸之助や稲盛和夫をはじめとする日本の経営者に学びました。松下は「社員も経営者である」と説き、稲盛は創業当時、工場の現場で働き、事務所に戻って改善を考え、また現場に戻ることを繰り返したと語っています。稲盛が実践した京セラフィロソフィとアメーバ経営は、理念と仕組みを高度に融合させた例です。日本の長寿企業にも、長年改善され続けた仕組みと、創業者や経営者の理念の両方が受け継がれている、と清水は見ています。理念か仕組みか、ではなく、両方をどの順番でつなぐか。古典の言葉を、その視点で読みます。
一 論語――罰で整えると、「見つからなければいい」になる
「徳治」の源流は孔子です。有名な一節から入ります。
【書き下し】子曰く、之を道びくに政を以てし、之を斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民免れて恥無し。之を道びくに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有り且つ格(いた)る。
出典:論語 為政篇
前半と後半は、文の形がそろっています。「導く」と「整える」という二つの動詞があり、それぞれに使う道具が違う。前半は政(法令)と刑(罰)、後半は徳と礼です。そして結果が分かれます。前半では民は「免れて恥無し」、罰さえ逃れればよいと考え、恥を感じなくなる。後半では「恥有り且つ格る」、恥を知り、自分から正しい行いに至るというのです。
孔子は、決まりを捨てよとは言っていません。徳と並んで「礼」、つまり行いの型や作法を置いています。徳という中身に形を与えるのが礼、と読むこともできるでしょう。言っているのは、同じ「整える」でも、罰を主な道具にした組織では、人が罰を避けることに知恵を使い始める、という点です。
職場で言えば、細かい規則を作り、破れば処分する、というやり方だけでは、「ばれなければいい」という空気が育ちます。それよりも先に、なぜそれを大切にするのかという理由と方向を示す。そのうえで、行動の型を整える。この一節は、文の並びそのものが「導く、そして整える」という順番になっています。
ただ、理由を伝えたつもりでも、現場には「上から降ってきたもの」に見えることがあります。その仕組みについては、仕組みが押しつけになる理由を扱った記事で別に書きました。
二 老子――標語が叫ばれるのは、実態が失われたあと
徳治の側にも、冷や水を浴びせた人がいます。老子です。
【書き下し】大道廃れて、仁義有り。智慧出でて、大偽有り。六親和せずして、孝慈有り。国家昏乱して、忠臣有り。
出典:老子 第18章
老子は、仁義も孝行も忠義も、「それが説かれるようになったのは、本来の姿が失われたから」だと言います。家族の仲が良ければ、孝や慈をことさら唱える必要はない。国が安泰なら、忠臣がもてはやされることもない。声高に叫ばれる美徳は、その裏で何かが欠けていることの印だという、皮肉な見方です。
これを会社に重ねてみます。理念を額に入れて掲げ、朝礼で唱和する。それ自体は悪いことではありません。ただ、唱和されることと、日々の判断に表れていることは別です。理念が壁の標語になっているとき、現場では何が起きているのか。老子の問いは、掲げることより先に、実態を見よ、というものです。
徳治を採るなら、理念を「言う」ことよりも、仕事の場面に「出ているか」を確かめる。順番の話でいえば、掲げたら終わりにせず、実態で確かめ直すところまでが一組になります。
三 孟子――善意だけでも、決まりだけでも足りない
孔子の流れをくむ孟子は、徳治の立場にいながら、仕組みの必要を正面から説きました。
【書き下し】離婁の明、公輸子の巧も、規矩を以てせざれば、方員を成すこと能わず。
【書き下し】徒善は以て政を為すに足らず、徒法は以て自ら行わるること能わず。
【書き下し】既に耳力を竭くし、之に繼ぐに六律を以てす。
出典:孟子 離婁章句上
離婁は目が非常によい人、公輸子は名工、師曠は耳のよい楽師として知られた人物です。孟子はこう言います。そういう才能の持ち主でも、コンパスや定規がなければ正確な円や四角は描けず、六つの音律の笛がなければ音階は正せない。同じように、仁の心があるだけでは政治にならない。法があるだけでも、それは自分では動かない。「徒善(善意だけ)」と「徒法(決まりだけ)」の、どちらも足りないというのです。
注目したいのは、最後の文の「継ぐ」です。聖人は、まず自分の耳の力を尽くした。そのうえで、六律に継いだ。順番は、自分の力を尽くすのが先で、道具で継ぐのが後です。
稲盛和夫が、工場の現場で働き、事務所に戻って改善を考え、また現場に戻ることを繰り返した、という話を思い出します。まず自分の目と耳を尽くして現場を知り、そこで見えたことを仕組みに落とす。孟子の「尽くして、継ぐ」と重ねて読むと、理念を語る人が現場から離れてはいけない理由が見えてきます。善意だけで終わらせず、かといって、現場を知らないまま決まりだけ先に作らない。
四 韓非子――人の力量に頼らず、決まりに運用させる
法治の側の代表が、法家の韓非です。法家は、法による統治を重んじた学派で、戦国時代の末に韓非がそれを集大成しました。徳治に対し、人の善意を当てにしない、という立場に立ちます。
【書き下し】法を奉ずる者強ければ則ち國強く、法を奉ずる者弱ければ則ち國弱し。
出典:韓非子 有度第六
【書き下し】故に明主は法をして人を擇ばしめ、自ら舉げざるなり。法をして功を量らしめ、自ら度らざるなり。
出典:韓非子 有度第六
【書き下し】故に己の能を舎てて、法數に因り賞罰を審らかにす。
出典:韓非子 有度第六
三つの句は、どれも属人的な運営への処方として読めます。国の強弱は決まっているのではなく、法を預かる人が公平に運用するかで変わる(884)。上に立つ人が好き嫌いで人を引き立て、自分の物差しで手柄を量れば、周りは「結局は好みで決まる」と感じて意欲を失う。だから、法に人を選ばせ、法に功を量らせる(888)。そして、自分ひとりの能力に頼るのをやめ、決まりに基づいて賞罰をはっきりさせる(890)。ある人の力量だけに頼った運営は、その人がいなくなった途端に回らなくなるからです。
ここで、孔子の言葉に戻ってみてください。罰を主な道具にすると、人は罰を避けることに知恵を使う。韓非の「法に基づく賞罰」は、孔子が批判した側の道具そのものです。それでも韓非が説くのは、公平であることの強さです。社長の気分で評価が変わる会社より、物差しが誰にも見える会社のほうが、人は安心して働ける。徳治が見落としやすいのは、この点でしょう。人の善意に頼る組織は、善意を示す人の人柄に寄りかかります。
韓非の想定は、君主が法を定め、民がそれに従う形です。ただ、清水直樹が日本の企業を見て行き着いた結論は、少し違います。日本では現場で働く人の質が高く、社長が方向を定め、仕組みは社員自身が自分たちの手で作ったほうがうまく回る、というものでした。「誰が作るか」の問題は、仕組みが押しつけになる理由を扱った記事に書いています。韓非の言葉を読みたい方は、韓非子の名言12選もどうぞ。
五 商君書――仕組みを変えるとき、何が起きるか
決まりを作るのと同じくらい難しいのが、決まりを変えることです。商君書の更法篇は、秦の孝公の前で、公孫鞅(商鞅)が旧来の法を改めるべきだと論じ、反対派と議論する場面を伝えています。「変法」、つまり法を変えるかどうかの議論です。
まず、公孫鞅が反対派に答える言葉から。
【書き下し】公孫鞅曰く、「子の言う所は、世俗の言なり。夫れ常人は故習に安んじ、學者は聞く所に溺る。この兩者は官に居り法を守る所以にして、法の外に論ずる所に非ざるなり。三代は禮を同じくせずして王たり、五霸は法を同じくせずして霸たり。故に知者は法を作り、而して愚者はこれに制せられ、賢者は禮を更め、而して不肖者はこれに拘わる。禮に拘わるの人は、與に事を言うに足らず、法に制せらるるの人は、與に變を論ずるに足らず。君疑うこと無かれ」と。
出典:商君書 更法
公孫鞅は、決まりを守らせるのに向いた人と、決まり自体を作り替える議論に向いた人は違う、と区別します。配置を間違えるな、という趣旨だと読めます。ただ、前者を「愚者」と呼び捨てている点には注意が必要です。区別は必要でも、そこに軽蔑が混ざった瞬間に、相手は敵になります。商鞅はのちに、自らも非業の最期を迎えました。仕組みを変える側が、変わることに抵抗する人をどう扱うかは、古今を通じて難しい問題です。
次に、反対派の杜摯の言葉です。
【書き下し】杜摯曰く、「臣これを聞く、利百ならざれば、法を變えず、功十ならざれば、器を易えず、と。臣聞く、古に法るは過ち無く、禮に循うは邪無し、と。君それこれを圖れ」と。
出典:商君書 更法
「利が百倍にならないなら法は変えない。効果が十倍にならないなら道具は替えない」。かなり乱暴な基準ですが、思想としては筋が通っています。制度を変えるには、見込める効果のほかに、移行の費用と失敗の危険がかかります。変えない基準を持たない組織は、小さな改善のたびに全体を作り替えて疲弊します。杜摯の言葉は、変更にも物差しが要る、という指摘として読めます。
公孫鞅の再反論は、こうです。
【書き下し】公孫鞅曰く、「前世は教えを同じくせず、何の古をかこれ法らん。帝王は相い復せず、何の禮をかこれ循わん。伏羲・神農は教えて誅せず、黃帝・堯・舜は誅して怒らず、文武に至るに及びては、各々時に當りて法を立て、事に因りて禮を制す。禮法は時を以て定まり、制令は各々その宜しきに順い、兵甲器備は各々その用に便なり。臣故に曰く、『治世は一道ならず、國を便にするに必ずしも古に法らず』と。湯武の王たるや、古に循わずして興り、殷夏の滅ぶるや、禮を易えずして亡ぶ。然れば則ち古に反する者は未だ必ずしも非とすべからず、禮に循う者は未だ多とするに足らざるなり。君疑うこと無かれ」と。
出典:商君書 更法
前例は、それだけでは正しさの根拠にならない。殷や夏は、礼を変えないまま滅びたではないか、と。「これまでこうやってきた」という理由で続いている手順は、成功の原因だったのか、たまたま一緒にあっただけなのか。仕分けを迫る言葉です。
ここで、理念と仕組みの関係にもう一度つなげます。清水直樹が日本の長寿企業に見たのは、長年改善し続けられた仕組みと、受け継がれる創業者の理念が、融合している姿でした。仕組みは時に応じて改め、理念は受け継ぐ。公孫鞅の「礼法は時を以て定まる」と、杜摯の「変える基準を持て」は、対立するのではなく、両方を使う余地があります。変えるものと、変えないものを分けておくこと。それが、仕組みを更新し続ける組織の前提になります。
六 管子――決まりの値打ちは、運用で決まる
最後に、管仲の名を冠した『管子』の権修篇です。法の使いみちを四つに分けて説く箇所の、前半から。
【書き下し】爵服不義に加われば、則ち民其の爵服を賤しむ。民其の爵服を賤しめば、則ち人主尊からず。人主尊からざれば、則ち令行われず。
出典:管子 権修
後半の一つは、官を授けることについてです。
【書き下し】官を授くること審らかならざれば、則ち民其の治を間う。民其の治を間えば、則ち理上に通ぜず。理上に通ぜざれば、則ち下其の上を怨む。下其の上を怨めば、則ち令行われず。
出典:管子 権修
立派な決まりがあっても、その運用がふさわしくないと、決まりの値打ち自体が下がる、というのがこの二つの句の骨格です。功のない者に禄賞を与えれば、民は禄賞そのものを軽んじる。官の授け方がはっきりしなければ、民は政治を疑い、筋道が上に通じなくなり、下は上を怨み、やがて命令が行われなくなる。値打ちを下げるのは、与える側だという指摘です。
会社に置き換えれば、評価、昇進、報酬の運用がこれにあたります。成果と関係なく人が引き上げられる、基準が人によって変わる。そうした運用が続くと、どんなに優れた理念も制度も、現場には届かなくなります。韓非子の「法を預かる人の公平さ」と同じ線上にある話です。
結び――理念と仕組みの「順番」
六つの書を並べると、一本の順番が見えてきます。これは章句が直接そう言っているというより、読み比べたうえでの、この記事の整理です。
一つ目は、整える前に導くこと。理由と方向を先に示し、そのあとで行動の型を整える(論語)。二つ目は、掲げたら終わりにせず、実態で確かめること(老子)。三つ目は、自分の目と耳を尽くして現場を知り、その上で規矩に継ぐこと(孟子)。四つ目は、仕組みを人の力量や好き嫌いに頼らず、公平に運用すること(韓非子・管子)。五つ目は、変えるときに、基準と理由を示すこと(商君書)。
「理念か、仕組みか」は、どちらかを選ぶ問いではありません。孟子の言う「継ぐ」は、理念を尽くしたうえで、それを仕組みに受け渡すことでした。清水直樹が松下や稲盛から学んだ、両方を正しい順番でつなぐという考え方は、数千年前の議論に、いまも通じています。
順番を誤ったまま進んだ組織がどう割れていくのかは、組織が割れる前の兆候を扱った記事で別に読み解いています。