神皇正統記 / 巻六 第九十五代 後醍醐天皇
およそ政道と云ことは所々にしるしはべれど、正直慈悲を本として決断の力あるべき也。これ天照太神のあきらかなる御をしへなり。決断と云にとりてあまたの道あり。一には其人をえらびて官に任ず。官に其人ある時は君は垂拱してまします。されば本朝にも異朝にもこれを治世の本とす。二には国郡をわたくしにせず、わかつ所かならず其理のまゝにす。三には功あるをば必賞し、罪あるをば必ず罰す。これ善をすゝめ悪をこらす道なり。是に一もたがふを乱政とはいへり。上古には勲功あればとて官位をすゝむことはなかりき。つねの官位のほかに勲位と云しなをゝきて一等より十二等まであり。無位の人々なれど、勲功たかくて一等にあがれば、正三位の下、従三位の上につらなるべしとぞみえたる。又本位ある人のこれを兼たるも有べし。官位といへるは、上三公より下諸司の一分にいたる、これを内官と云、諸国の守より史生・郡司にいたる、これを外官と云ふ。
書き下し
およそ政道と云ことは所々にしるしはべれど、正直慈悲を本として決断の力あるべき也。これ天照太神のあきらかなる御をしへなり。決断と云にとりてあまたの道あり。一には其人をえらびて官に任ず。官に其人ある時は君は垂拱してまします。されば本朝にも異朝にもこれを治世の本とす。二には国郡をわたくしにせず、わかつ所かならず其理のまゝにす。三には功あるをば必賞し、罪あるをば必ず罰す。これ善をすゝめ悪をこらす道なり。是に一もたがふを乱政とはいへり。上古には勲功あればとて官位をすゝむことはなかりき。つねの官位のほかに勲位と云しなをゝきて一等より十二等まであり。無位の人々なれど、勲功たかくて一等にあがれば、正三位の下、従三位の上につらなるべしとぞみえたる。又本位ある人のこれを兼たるも有べし。官位といへるは、上三公より下諸司の一分にいたる、これを内官と云、諸国の守より史生・郡司にいたる、これを外官と云ふ。
現代語訳
およそ政道ということは所々に記してきたが、正直と慈悲を本として、決断の力があるべきである。これは天照太神の明らかなお教えである。決断ということについては多くの道がある。一つには、その人を選んで官に任じることである。官にふさわしい人がいるときは、君は衣を垂れ手をこまねいておられればよい。だから本朝でも異朝でも、これを治世の根本とする。二つには、国や郡を私物にせず、分け与えるときは必ず道理のとおりにすることである。三つには、功ある者は必ず賞し、罪ある者は必ず罰することである。これが善を勧め悪を懲らす道である。これに一つでも違うのを乱政という。上古には、勲功があるからといって官位を進めることはなかった。通常の官位のほかに勲位という等級を置いて、一等から十二等まであった。無位の人であっても、勲功が高くて一等に上がれば、正三位の下、従三位の上に列なるはずだと見える。また本来の位を持つ人がこれを兼ねることもあったろう。官位というものは、上は三公から下は諸司の一分に至るまで、これを内官といい、諸国の守から史生・郡司に至るまで、これを外官という。
解説
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