『古事記』は、和銅五年(七一二)正月に、太安万侶が元明天皇に献上した、日本に現存するいちばん古い歴史の書です。上・中・下の三巻で、天地の始まりから推古天皇の時代までを記しています。

では、古事記はなぜ作られたのか。答えは、本文の前に置かれた序文に書かれています。序文は、安万侶が天皇に宛てて書いた上表文の形をとっていて、そこには、天武天皇が何を憂えてこの事業を始めたのか、誰が何を覚え、誰が何を書いたのか、そしてどんな苦心があったのかが、はっきり記されています。

この記事では、古事記の序文を四つの段に分けて、原文と現代語訳で読みます。歴史を記録するとは何をすることなのか。それは、組織の歴史を残そうとするときにも、そのまま当てはまる問いです。古事記を軸にした日本の帝王学のまとめは日本の帝王学とはにあります。

序文の組み立て

序文はおおよそ次の四つの段でできています。

  1. 天地の始まりから歴代の天皇までを一息に見渡し、天皇たちは古を考え今を照らして治めてきた、とまとめる段
  2. 天武天皇が壬申の乱に勝って即位し、誤りの多い記録を正すよう命じ、稗田阿礼に誦み習わせた段
  3. 時が移って事業が止まっていたのを、元明天皇が安万侶に命じて完成させた段。表記の苦心もここで語られる
  4. 三巻の区分と、献上の日付を記して結ぶ段

順に見ていきます。

古を稽へて今を照らす――序文の第一段

序文は、天地がまだ形を持たなかった時代から書き起こし、神々の物語、神武天皇の東征、仁徳天皇の民のかまどなどを、ごく短い句で次々に振り返ります。そして、それぞれの天皇の治め方をこうまとめます。

歩驟各異なり、文質同じからずと雖も、古を稽へて以て風猷を既に頽れたるに縄し、今を照らして以て典教を絶えなむとするに補はずといふことなし。

歩みは天皇ごとに違い、飾りの多い治世も素朴な治世もあった。けれども、どの天皇も古を考えて崩れかけた風俗を正し、今を照らして絶えかけた教えを補わなかったことはない――。

「稽古照今」の四字は、この一節から取られた言葉です。古事記は、昔のことを珍しい話として集めた書ではありません。昔に照らして今を正すための書だと、序文の最初で宣言しているのです。

出典:古事記 序・安萬侶の序

天武天皇の危機感――序文の第二段

第二段は、天武天皇の物語です。天皇は即位前、吉野に身を隠し、やがて東国から兵を挙げて勝ち、清原の大宮で即位します。壬申の乱です。そのうえで、天皇はこう命じました。

「朕聞く、諸家の賷てる帝紀及び本辞、既に正実に違ひ、多く虚偽を加ふと。今の時に当りて、其の失を改めずは、未だ幾年をも経ずして、其の旨滅びなむとす。斯れ乃ち邦家の経緯、王化の鴻基なり。故、惟れ帝紀を撰録し、旧辞を討覈して、偽りを削り実を定め、後の葉に流へむと欲ふ」

「聞くところでは、諸家が持ち伝えている帝紀(天皇の系譜)と本辞(古い伝え)は、すでに真実と違い、多くの偽りが加わっている。いまこの誤りを改めなければ、幾年もたたないうちに、その本旨は滅びてしまうだろう。これは国家の根本であり、教化の大いなる基である。そこで帝紀を撰び記し、旧辞を調べ尽くして、偽りを削り、真実を定めて、後の世に伝えたい」。

ここに、古事記が作られた理由が、天皇自身の言葉で書かれています。記録が家ごとにばらばらに伝わり、それぞれに都合のよい書き換えが重なっていた。放っておけば、何が本当だったのか、誰にも分からなくなる。その危機感が出発点でした。

天武天皇が、この記録を「邦家の経緯、王化の鴻基」、つまり国の縦糸と横糸、統治の土台と呼んでいることに注目してください。歴史の記録は、飾りでも趣味でもなく、統治の基盤そのものだという認識です。

出典:古事記 序・天武天皇と稗田阿礼

稗田阿礼――覚える人を選ぶ

天武天皇は、この事業を誰に託したか。序文は続けます。

時に舎人あり、姓は稗田、名は阿礼、年は是れ廿八。人と為り聡明にして、目に度れば口に誦み、耳に払るれば心に勒す。

そのとき一人の舎人がいた。姓は稗田、名は阿礼、年は二十八。生まれつき聡明で、目に触れたものはすぐに口で誦み、耳に触れたものは心に刻んだ。天皇はこの阿礼に命じて、帝皇日継と先代旧辞を誦み習わせた――。

文字にする前に、まず正しく覚えて語れる人を選んでいます。古い伝えは、文字よりも口で語られることで受け継がれてきました。その語りを正しく引き継げる人がいなければ、どれほど立派な書物を作っても、中身は空になります。

組織でも、創業の事情や、なぜこのやり方になったのかを本当に知っている人は、たいてい数人しかいません。その人がいなくなれば、理由は消え、形だけが残ります。記録を残すには、まず「誰が覚えているか」を見極め、その人の言葉を確かに引き継ぐことから始めなければなりません。

出典:古事記 序・天武天皇と稗田阿礼

一代では終わらなかった――序文の第三段

ところが、天武天皇の事業は、天皇の存命中には完成しませんでした。

然れども運移り世異りて、未だ其の事を行ひたまはず。

時勢が移り世が替わって、その事業はまだ行われないままだった――。そして年月がたち、元明天皇が「和銅四年九月十八日を以て、臣安萬侶に詔りして、稗田阿礼の誦む所の勅語の旧辞を撰録して献上せよ」と命じたことで、事業が動き出します。安万侶が書き上げて献上したのは、その翌年の正月でした。

大事な事業ほど、一代では終わりません。始めた人の志を、次の人が引き取って仕上げる。古事記はそうして生まれた書です。言い換えれば、天武天皇が阿礼に覚えさせておいたからこそ、代が替わっても事業は途切れずに済みました。始めた人が途中でいなくなっても続けられる形にしておくことが、事業を始める人の責任の一部だということが分かります。

出典:古事記 序・元明天皇の詔と撰録の苦心

書き方の苦心――「本に随ひて改めず」

第三段の後半で、安万侶は表記の苦労を正直に打ち明けています。古い日本語を、漢字という外国の文字で書き表さなければならなかったからです。

然れども上古の時は、言と意と並びに朴にして、文を敷き句を構ふること、字に於いては即ち難し。已に訓に因りて述ぶれば、詞は心に逮ばず、全く音を以て連ぬれば、事の趣更に長し。

上古の言葉も心も素朴で、それを漢字で文章にするのはたいへん難しい。すべてを漢字の意味(訓)で書けば、言葉が心に届かない。すべてを漢字の音で連ねれば、記事がさらに長くなる――。

そこで安万侶は、一句の中に音と訓を交ぜ、分かりにくい所には注を付け、分かりやすい所には付けないことにしました。そして、姓の「日下」を「くさか」と読み、名の「帯」を「たらし」と読むような古い読み方について、こう書いています。「此の如き類は、本に随ひて改めず。」――このような類は、元のままに改めなかった、と。

ここに、記録を預かる者の誠実さが表れています。読みにくくても、元の言い方を勝手に直さない。分かりやすさを求めて書き換えれば、その瞬間に、天武天皇が嫌った「偽りの加わった記録」に一歩近づくからです。読み手のための工夫はする、しかし元の言葉はいじらない。これは、社史や理念の文書を作るときにも、そのまま守るべき線です。

出典:古事記 序・元明天皇の詔と撰録の苦心

三巻に分けて献上する――序文の結び

序文は、全体の区分と日付を示して結ばれます。

故、天御中主神以下、日子波限建鵜草葺不合尊以前を上巻とし、神倭伊波礼毘古天皇以下、品陀の御世以前を中巻とし、大雀皇帝以下、小治田大宮以前を下巻とし、并せて三巻を録して、謹みて以て献上る。臣安萬侶、誠に惶れ誠に恐み、頓首頓首。和銅五年正月二十八日、正五位上勲五等太朝臣安萬侶、謹みて上る。

天之御中主神から鵜草葺不合尊までを上巻、神武天皇から応神天皇までを中巻、仁徳天皇から推古天皇までを下巻とし、三巻にまとめて献上する。和銅五年正月二十八日、太朝臣安萬侶、謹んで奉る――。

神々の時代、建国から国の形が整うまで、そして聖帝・仁徳天皇から推古天皇まで。長い内容を三つに区切って全体像を先に示すのは、読む人のための構成です。仕事は区切って構造を示し、完成を報告するところまでが任務だと、千三百年前の報告書が教えてくれます。

出典:古事記 序・三巻の区分と奏上

千年後の読み手――本居宣長

こうして作られた古事記は、その後長いあいだ、正史である『日本書紀』の陰に隠れ、あまり読まれない書になりました。独特な表記が読みにくかったうえに、漢籍の物差しで見ると、神々が嫉妬し、怒り、失敗する人間くさい物語は、教えの書には見えなかったからです。

それを江戸時代に読み解いたのが本居宣長でした。宣長はおよそ三十五年をかけて『古事記伝』を書き上げます。そのやり方は、安万侶の「本に随ひて改めず」に呼応するように、先入観を捨てて原文の一字一句に当たるというものでした。そして自分の弟子たちには、こう言い残しています。

わが後に、また善き考えのいできたらむには、必ずわが説にななづみそ。わが悪しき故を云いて、善き考えをひろめよ。

私の後に、もっと良い考えが出てきたら、決して私の説にこだわってはならない。私の説の悪いところを言って、良い考えを広めよ――。

天武天皇は偽りを削って実を定めようとし、安万侶は元の言葉を改めずに書き留め、宣長は原文に当たって読み直し、しかも自分の説さえ乗り越えよと言った。古事記をめぐる千年は、「本当のところを確かめ続ける」という一本の態度でつながっています。

出典:玉勝間 二の巻 わがをしへ子にいましめおくやう

結び――会社の「古事記」を編む

古事記の序文を、組織の歴史を残す話として読み直すと、手順がはっきり見えてきます。

まず、記録が家ごと・部署ごとにばらばらになり、都合よく書き換えられていないかを点検すること(天武天皇の危機感)。次に、本当のところを覚えている人を見極め、その人の言葉を引き継ぐこと(稗田阿礼)。一代で終わらなくても続けられる形にしておくこと(元明天皇と安万侶)。分かりやすくする工夫はしても、元の言葉は改めないこと(本に随ひて改めず)。そして、残したものを後の人が読み直し、正していけるようにしておくこと(宣長)。

創業者が何を思い、どんな困難を越え、どこで失敗したのか。それを確かめて書き残すことは、過去を飾ることではありません。天武天皇の言葉を借りれば、それは組織の「経緯」、縦糸と横糸を張り直す仕事です。古を稽へて、今を照らす。日本の帝王学は、自分たちの歴史を正しく知るところから始まっています。

日本の帝王学のシリーズは、日本の帝王学とは、天の岩戸の物語、うけい(誓約)とは、古事記に学ぶ後継者の決め方、そしてこの記事の五本です。