「五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)」。
少しの違いはあっても、本質的には大した差がないこと。「どちらの案も五十歩百歩だ」のように使います。
出典は『孟子』の最初の篇、「梁恵王(りょうのけいおう)」の章です。戦場で逃げた兵士のうち、五十歩逃げた者が百歩逃げた者を「臆病者」と笑ったらどうか——という、あのたとえ話です。
意味そのものは、辞書のとおりで間違っていません。ただ、原文を読むと、このたとえ話には笑われる相手がいたことが分かります。孟子がこの話をしたのは、目の前の王に向けてでした。五十歩の兵士は、王自身だったのです。
この記事では、『孟子』の原文から五十歩百歩の場面を読み、孟子がこのたとえで何を突いたのかを確かめます。
梁の恵王とはどんな王か
先に、話の相手を紹介しておきます。
梁の恵王は、戦国時代の魏(ぎ)の王です。都を大梁(だいりょう、今の河南省開封)に移したので「梁の恵王」と呼ばれます。魏は戦国の初めには最強国の一つでしたが、恵王の代に大きく傾きました。『孟子』のなかで、恵王自身がこう嘆いています。
【書き下し】寡人の身に及び、東は齊に敗られ、長子は死せり。西は地を秦に喪うこと七百里。南は楚に辱めらる。寡人、之を恥づ。
私の代になって、東では斉に敗れて長男が死に、西では秦に七百里の土地を奪われ、南では楚に辱められた。恥ずかしい。
東の敗戦は、孫子の子孫とされる軍師・孫臏(そんぴん)が魏軍を破った戦いとして知られます。西で土地を奪ったのは、法家の商鞅(しょうおう)の改革で強くなった秦です。四方から押されて、恵王は人材を集めようとしていました。そこへやってきたのが孟子です。
出典:孟子 梁惠王章句上
最初の一言は「何ぞ必ずしも利と曰わん」
二人の最初の対面は、『孟子』全体の書き出しになっています。
【書き下し】孟子、梁の惠王に見ゆ。王曰く、「叟、千里を遠しとせずして來たる。亦た将に以て吾が國を利する有らんとするか。」孟子對えて曰く、「王何ぞ必ずしも利と曰わん。亦た仁義有るのみ。
王は言います。「ご老人、千里の道を遠しとせずに来られた。わが国を利する策があるのでしょうね」。孟子の答えは、「王はどうして利などとおっしゃるのですか。ただ仁義があるだけです」。
初対面の一言で、王の問いそのものを退けています。王が利と言えば、大臣は自分の家の利を言い、役人や民は自分の身の利を言う。上から下まで利を奪い合えば国は危うい。そういう理屈です。
この時点で、二人の噛み合わなさは明らかです。王は即効性のある策が欲しい。孟子は、策を求める姿勢そのものを変えろと言う。五十歩百歩の話は、このすれ違いの延長線上にあります。
出典:孟子 梁惠王章句上
五十歩百歩の場面を、原文で読む
ある日、恵王は孟子に、自分の政治について胸を張ります。
【書き下し】梁の惠王曰く、「寡人の國に於けるや、心を盡くすのみ。河内凶なれば則ち其の民を河東に移し、其の粟を河内に移す。河東凶なるも亦た然り。鄰國の政を察するに、寡人の心を用うるが如き者無し。鄰國の民少きを加えず、寡人の民多きを加えざるは、何ぞや。」
私は国のために心を尽くしている。河内が凶作なら民を河東に移し、穀物を河内に送る。河東が凶作でも同じようにする。隣の国の政治を見ても、私ほど心を砕いている者はいない。それなのに、隣国の民は減らず、わが国の民は増えない。なぜか。
当時、民は領地に縛られておらず、よい政治をする国へ移り住むことができました。民が増えることは、そのまま国力が増えることです。恵王は、自分は隣国より頑張っているのに、結果が出ないと不満を言っているわけです。
孟子の答えが、五十歩百歩のたとえです。
【書き下し】王戰いを好む。請う戰いを以て喻えん。填然として之に鼓し、兵刃既に接す。甲を棄て兵を曳きて走る。或いは百步にして而る後に止り、或いは五十步にして而る後に止まる。五十步を以て百步を笑わば、則ち何如。
王は戦がお好きですから、戦で喩えましょう。太鼓がドンと鳴って、刃と刃がぶつかった。兵が鎧を捨て、武器を引きずって逃げ出した。ある者は百歩逃げて止まり、ある者は五十歩逃げて止まった。五十歩逃げた者が、百歩逃げた者を笑ったら、どうでしょう。
王は答えます。「いけない。百歩でなかっただけで、逃げたことに変わりはない」。
孟子はすかさず言います。
【書き下し】王如し此を知らば、則ち民の鄰國より多きを望むこと無かれ。
それがお分かりなら、民が隣国より多くなることは望みなさいますな。
王は、自分で自分に判決を下してしまいました。凶作のたびに民と穀物を右から左へ動かす政治は、隣国より五十歩ましなだけで、同じく「逃げている」、と。
出典:孟子 梁惠王章句上
何が「逃げている」のか ― 対症療法と仕組み
では、五十歩も百歩も逃げていない政治とは何か。孟子は、たとえ話のすぐあとで具体的に答えています。
【書き下し】農時に違わざれば、穀は勝げて食う可からず。數罟(ソク・コ)洿池(オ・チ)に入らずんば、魚鼈も勝げて食う可からず。斧斤時を以て山林に入れば、材木勝げて用う可からず。
農繁期に民を徴用しなければ、穀物は食べきれないほど穫れる。目の細かい網を池に入れなければ、魚やスッポンは食べきれないほど増える。斧を持って山に入る時期を決めておけば、材木は使いきれないほどになる。
恵王の政策と比べると、違いがはっきりします。
- 恵王:凶作が起きてから、民と穀物を移す。
- 孟子:凶作が起きにくいように、農時を守り、資源を取り尽くさない仕組みを作る。
恵王の「心を尽くしている」は嘘ではありません。凶作のたびに、確かに手を打っています。しかしそれは起きた問題への対処であって、問題が起きにくい状態を作ることではない。そして隣国も、程度の差はあれ同じことをしている。だから差がつかない。
孟子はこの仕組みを「王道の始め」と呼び、その先に、桑を植えれば五十歳の者が絹を着られ、家畜の繁殖期を守れば七十歳の者が肉を食べられる、という暮らしの姿を並べていきます。
経営に置き換えると、身につまされます。クレームが来るたびに担当者を入れ替える。売上が落ちるたびに値引きをする。手を打っていることと、問題が起きにくい仕組みを作ることは、別のことです。 そして競合と比べて「うちはまだ対応が早いほうだ」と安心しているなら、それは五十歩で百歩を笑っているのと同じです。
「我に非ざるなり、歳なり」 ― 天候のせいにする王
五十歩百歩の段は、たとえ話で終わりません。最後に、もっと厳しい一撃が来ます。
【書き下し】狗彘、人の食を食らいて檢するを知らず。塗に餓莩(ガ・ヒョウ)有りて發するを知らず。人死すれば、則ち曰く、『我に非ざるなり、歳なり。』是れ何ぞ人を刺して之を殺して、我に非ざるなり、兵なり、と曰うに異ならんや。王、歳を罪する無くんば、斯に天下の民至らん。
犬や豚が人の食べる穀物を食べていても取り締まらず、道に餓死者が倒れていても倉を開かない。人が死ねば「私のせいではない、歳(とし)のせいだ」と言う。これは、人を刺し殺しておいて「私ではない、刃物が殺したのだ」と言うのと、どこが違うのか。
「歳」は、その年の作柄、つまり天候のことです。凶作を天候のせいにするな。 王がそれをやめたとき、天下の民は集まってくる。
恵王の最初の問いは「隣国より頑張っているのに、なぜ民が増えないのか」でした。孟子の答えを一言にすれば、「頑張っていることを、隣国と比べるな。天候のせいにするな」です。
「景気が悪いから」「業界全体が厳しいから」。業績が振るわないとき、経営者の口からいちばん出やすい言葉です。孟子なら、それを「歳なり」と呼ぶでしょう。
出典:孟子 梁惠王章句上
次の対話 ― 刃で殺すのと、政治で殺すのと
恵王は、このあと孟子に「落ち着いて教えを受けたい」と申し出ます。孟子は、今度は問答で詰めていきます。
【書き下し】人を殺すに梃(テイ)を以てするは刃もてすると、以て異なる有るか。」曰く、「以て異なる無きなり。」「刃を以てすると政もてすると、以て異なる有るか。」曰く、「以て異なる無きなり。」
棒で人を殺すのと、刃物で殺すのと、違いはありますか。——ない。刃物で殺すのと、政治で殺すのと、違いはありますか。——ない。
王に二度「違いはない」と言わせてから、孟子は王の厨房には肥えた肉があり、厩には肥えた馬がいるのに、野には餓死者がいる、と指摘します。獣を引き連れて人を食わせているのと同じだ、と。
五十歩百歩と同じ手法です。先に一般論で王に判断させ、その判断を王自身に当てはめる。王は自分の言葉に縛られて、逃げ場がありません。
出典:孟子 梁惠王章句上
その後の梁 ― 「之を望むに人君に似ず」
恵王は、孟子の言葉を最後まで採用しませんでした。梁恵王章句上の最後の段は、恵王の死後、跡を継いだ子の襄王(じょうおう)に孟子が会ったときの話です。
【書き下し】孟子、梁の襄王に見ゆ。出でて人に語げて曰く、「之を望むに人君に似ず。之に就くに畏るる所を見ず。
会って出てきた孟子は、人にこう漏らしました。「遠くから見ても、君主らしく見えない。近づいても、畏れを感じさせるところがない」。
孟子はまもなく魏を去ります。そして魏は、恵王の嘆いた「西の秦」に、のちに滅ぼされることになります。
五十歩百歩の段で恵王が求めていたのは、隣国に勝つための即効薬でした。孟子が差し出したのは、何十年もかかる仕組みの話でした。王は即効薬を求め続け、国は細っていった。後継者が「人君に似ず」だったのも、同じ話の続きとして読めます。
出典:孟子 梁惠王章句上
結び――五十歩の側に立っていないか
「五十歩百歩」を使うとき、私たちはたいてい、外から二つを見比べる側に立っています。「A案もB案も五十歩百歩だ」。
しかし孟子の原文では、この言葉は外から評価する言葉ではありませんでした。自分は五十歩で済んでいる、と思っている人に向けた言葉です。恵王は「隣国よりは心を尽くしている」と本気で思っていました。だからこそ、たとえ話で王自身に判決を言わせる必要があったのです。
五十歩百歩の段から、問いを三つ取り出しておきます。
- 比べる相手が間違っていないか。 隣国(競合)と比べて安心していないか。
- 起きたことへの対処と、起きにくくする仕組みを混同していないか。
- 「歳なり」と言っていないか。 景気や業界のせいにして、自分の打ち手を点検することをやめていないか。
笑っている五十歩の兵士が自分だと気づくのは、なかなか難しいことです。孟子が戦のたとえを使ったのは、王が戦好きだったからだけではないでしょう。逃げた兵士が逃げたことに気づかないのは、隣に自分より遠くまで逃げた兵士がいるからです。
この記事で引いた句は、いずれも師導に原文・書き下し文・現代語訳と解説つきで収録しています。『孟子』は全篇を通して読めます。
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