史記 / 張耳陳余列伝
張耳數使人召前陳餘,陳餘自度兵少,不敵秦,不敢前。數月,張耳大怒,怨陳餘,使張黶、陳澤往讓陳餘曰:「始吾與公爲刎頸交,今王與耳旦暮且死,而公擁兵數萬,不肯相救,安在其相爲死!茍必信,胡不赴秦軍倶死?且有十一二相全。」陳餘曰:「吾度前終不能救趙,徒盡亡軍。且餘所以不倶死,欲爲趙王、張君報秦。今必倶死,如以肉委餓虎,何益?」張黶、陳澤曰:「事已急,要以倶死立信,安知後慮!」陳餘曰:「吾死顧以爲無益。必如公言。」乃使五千人令張黶、陳澤先嘗秦軍,至皆沒。當是時,燕、齊、楚聞趙急,皆來救。張敖亦北收代兵,得萬餘人,來,皆壁餘旁,未敢撃秦。項羽兵數絶章邯甬道,王離軍乏食,項羽悉引兵渡河,遂破章邯。章邯引兵解,諸侯軍乃敢撃圍鉅鹿秦軍,遂虜王離。渉閒自殺。卒存鉅鹿者,楚力也。於是趙王歇、張耳乃得出鉅鹿,謝諸侯。張耳與陳餘相見,責讓陳餘以不肯救趙,及問張黶、陳澤所在。陳餘怒曰:「張黶、陳澤以必死責臣,臣使將五千人先嘗秦軍,皆沒不出。」張耳不信,以爲殺之,數問陳餘。陳餘怒曰:「不意君之望臣深也!豈以臣爲重去將哉?」乃脱解印綬,推予張耳。張耳亦愕不受。陳餘起如廁。客有説張耳曰:「臣聞『天與不取,反受其咎』。
新字:張耳数使人召前陳余,陳余自度兵少,不敵秦,不敢前。数月,張耳大怒,怨陳余,使張黶、陳沢往譲陳余曰:「始吾与公為刎頸交,今王与耳旦暮且死,而公擁兵数万,不肯相救,安在其相為死!苟必信,胡不赴秦軍倶死?且有十一二相全。」陳余曰:「吾度前終不能救趙,徒尽亡軍。且余所以不倶死,欲為趙王、張君報秦。今必倶死,如以肉委餓虎,何益?」張黶、陳沢曰:「事已急,要以倶死立信,安知後慮!」陳余曰:「吾死顧以為無益。必如公言。」乃使五千人令張黶、陳沢先嘗秦軍,至皆没。当是時,燕、斉、楚聞趙急,皆来救。張敖亦北収代兵,得万余人,来,皆壁余旁,未敢撃秦。項羽兵数絶章邯甬道,王離軍乏食,項羽悉引兵渡河,遂破章邯。章邯引兵解,諸侯軍乃敢撃囲鉅鹿秦軍,遂虜王離。渉閒自殺。卒存鉅鹿者,楚力也。於是趙王歇、張耳乃得出鉅鹿,謝諸侯。張耳与陳余相見,責譲陳余以不肯救趙,及問張黶、陳沢所在。陳余怒曰:「張黶、陳沢以必死責臣,臣使将五千人先嘗秦軍,皆没不出。」張耳不信,以為殺之,数問陳余。陳余怒曰:「不意君之望臣深也!豈以臣為重去将哉?」乃脱解印綬,推予張耳。張耳亦愕不受。陳余起如廁。客有説張耳曰:「臣聞『天与不取,反受其咎』。
書き下し
張耳数々人をして前みて陳餘を召さしむ。陳餘自ら兵少なく、秦に敵せずと度り、敢て前まず。数月、張耳大いに怒り、陳餘を怨み、張黶・陳沢をして往きて陳餘を讓めしめて曰く、「始め吾公と刎頸の交はりを為す。今王と耳と旦暮に且に死せんとす。而るに公は兵数万を擁し、肯へて相救はず。安くにか其の相為に死するに在らんや。茍くも必ず信ならば、胡ぞ秦軍に赴きて倶に死せざる。且つ十に一二の相全うする有らん」と。陳餘曰く、「吾度るに、前むとも終に趙を救ふ能はず、徒らに尽く軍を亡はん。且つ餘の倶に死せざる所以は、趙王・張君の為に秦に報ぜんと欲すればなり。今必ず倶に死せば、肉を以て餓虎に委ぬるが如し。何の益かあらん」と。張黶・陳沢曰く、「事已に急なり。要するに倶に死して以て信を立てん。安くんぞ後の慮りを知らん」と。陳餘曰く、「吾死すとも顧って以て益無しと為す。必ず公の言の如くせん」と。乃ち五千人をして張黶・陳沢に令して先づ秦軍を嘗みしむ。至りて皆没す。是の時に当り、燕・斉・楚、趙の急なるを聞き、皆来たり救ふ。張敖も亦北のかた代の兵を収め、万余人を得て、来たる。皆餘の旁に壁し、未だ敢て秦を撃たず。項羽の兵数々章邯の甬道を絶ち、王離の軍食に乏し。項羽悉く兵を引きて河を渡り、遂に章邯を破る。章邯兵を引きて解く。諸侯の軍乃ち敢て鉅鹿を囲む秦軍を撃ち、遂に王離を虜にす。渉間自殺す。卒に鉅鹿を存する者は、楚の力なり。是に於て趙王歇・張耳乃ち鉅鹿を出づるを得て、諸侯に謝す。張耳陳餘と相見え、陳餘を責讓するに趙を救ふを肯ぜざるを以てし、及び張黶・陳沢の所在を問ふ。陳餘怒りて曰く、「張黶・陳沢は必死を以て臣を責む。臣将をして五千人を将ゐて先づ秦軍を嘗みしむ。皆没して出でず」と。張耳信ぜず、以て之を殺せりと為し、数々陳餘に問ふ。陳餘怒りて曰く、「意はざりき、君の臣を望むことの深きや。豈に臣を以て将を去るを重んずと為さんや」と。乃ち印綬を脱解し、推して張耳に予ふ。張耳も亦愕きて受けず。陳餘起ちて廁に如く。客に張耳に説く有りて曰く、「臣聞く『天与ふるに取らずんば、反って其の咎を受く』と。
現代語訳
張耳はたびたび人をやって陳餘に進軍を求めた。陳餘は自分の兵が少なく秦に対抗できないと考え、あえて進まなかった。数か月たって、張耳は大いに怒って陳餘を恨み、張黶と陳沢を送って陳餘を責めさせた。「はじめ私はあなたと刎頸の交わりを結んだ。いま王と私は今日明日にも死のうとしているのに、あなたは数万の兵を擁しながら救おうとしない。互いのために死ぬという約束はどこへ行ったのか。本当に信義を守るつもりなら、なぜ秦の軍に突っ込んで一緒に死なないのか。それでも十に一つ二つは、ともに生き残る望みがあるだろう」。陳餘は言った。「私が考えるに、進んでも結局は趙を救えず、いたずらに全軍を失うだけだ。しかも私が一緒に死なないのは、趙王と張君のために秦に仇を報いたいからだ。いま必ず一緒に死ぬというのは、肉を飢えた虎に投げ与えるようなもので、何の益があろうか」。張黶と陳沢は言った。「事はもう差し迫っている。要は一緒に死んで信義を立てることだ。後のことなど考えている場合ではない」。陳餘は言った。「私は死んでもかえって無益だと思うが、どうしてもと言うならあなたがたの言うとおりにしよう」。そこで五千人の兵を張黶と陳沢に率いさせて、まず秦軍に当たらせてみた。彼らは秦軍に突入して全滅した。このころ、燕・斉・楚は趙の危急を聞いて、みな救援に来た。張敖もまた北で代の兵を集め、一万余人を率いてやって来た。しかしみな陳餘の陣のそばに塁を築くだけで、秦を攻めようとはしなかった。項羽の軍がたびたび章邯の補給路を断ったので、王離の軍は食糧が乏しくなった。項羽は全軍を率いて黄河を渡り、ついに章邯を破った。章邯が兵を引いて包囲を解くと、諸侯の軍はようやく鉅鹿を囲む秦軍を攻め、ついに王離を捕らえた。秦の将軍渉間は自殺した。最後に鉅鹿を救ったのは、楚(項羽)の力であった。こうして趙王歇と張耳はようやく鉅鹿の城を出ることができ、諸侯に礼を述べた。張耳は陳餘と会うと、趙を救おうとしなかったことを責め、張黶と陳沢の行方を尋ねた。陳餘は怒って言った。「張黶と陳沢は、必ず死ねと私を責めた。私は彼らに五千人を率いさせて先に秦軍に当たらせたが、みな全滅して戻らなかった」。張耳は信じず、陳餘が二人を殺したのだと思い、何度も陳餘を問い詰めた。陳餘は怒って言った。「あなたがこれほど深く私を恨んでいるとは思わなかった。私が将軍の地位を手放すのを惜しんでいるとでも思っているのか」。そして印綬を解いて、張耳の前に押しやった。張耳も驚いて受け取らなかった。陳餘は立ち上がって厠へ行った。ある客人が張耳に説いた。「私は『天が与えるものを取らなければ、かえってその咎めを受ける』と聞いている。
解説
この章句が説くこと
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史記 張耳陳余列伝章邯兵を引きて邯鄲に至り、皆其の民を河内に徙し、其の城郭を夷ぐ。張耳、趙王歇と走りて鉅鹿城に入る。王離之を囲む。陳餘北のかた常山の兵を収め、数万人を得て、鉅鹿の北に軍す。章邯鉅鹿の南の棘原に軍し、甬道を筑きて河に属け、王離に餉す。王離の兵食多く、急に鉅鹿を攻む。鉅鹿城中食尽き兵少なし。
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史記 張耳陳余列伝陳餘因りて悉く三県の兵もて常山王張耳を襲ふ。張耳敗走し、諸侯に帰すべき者無きを念ひて曰く、「漢王は我と旧故有り。而るに項羽は又彊く、我を立つ。我楚に之かんと欲す」と。甘公曰く、「漢王の関に入るや、五星東井に聚まる。東井は、秦の分なり。先に至る者必ず霸たらん。楚彊しと雖も、後必ず漢に属せん」と。故に耳は漢に走る。漢王も亦還りて三秦を定め、方に章邯を廃丘に囲む。張耳漢王に謁す。漢王厚く之を遇す。陳餘已に張耳を敗り、皆復た趙の地を収め、趙王を代に迎へ、復た趙王と為す。趙王陳餘を徳とし、立てて以て代王と為す。陳餘、趙王弱く、国初めて定まるを為て、国に之かず、留まりて趙王に傅たり、而して夏説をして相国を以て代を守らしむ。漢の二年、東のかた楚を撃つ。使をして趙に告げしめ、与に倶にせんと欲す。陳餘曰く、「漢張耳を殺さば乃ち従はん」と。是に於て漢王人の張耳に類する者を求めて之を斬り、其の頭を持ちて陳餘に遺る。陳餘乃ち兵を遣はして漢を助く。漢の彭城の西に敗るるや、陳餘も亦復た張耳の死せざるを覚り、即ち漢に背く。漢の三年、韓信已に魏の地を定め、張耳と韓信とを遣はして趙を井陘に撃破し、陳餘を泜水の上に斬り、趙王歇を襄国に追殺す。漢張耳を立てて趙王と為す。
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史記 張耳陳余列伝今陳将軍君に印を与ふるに、君受けずんば、天に反きて不祥なり。急ぎ之を取れ」と。張耳乃ち其の印を佩び、其の麾下を収む。而して陳餘還り、亦張耳の譲らざるを望み、遂に趨り出づ。張耳遂に其の兵を収む。陳餘独り麾下の善くする所の数百人と河上の沢中に之きて漁猟す。此に由りて陳餘・張耳遂に卻有り。趙王歇復た信都に居る。張耳項羽・諸侯に従ひて関に入る。漢の元年二月、項羽諸侯王を立つ。張耳雅より游び、人多く之が為に言ふ。項羽も亦素より数々張耳の賢を聞く。乃ち趙を分かちて張耳を立てて常山王と為し、信都に治めしむ。信都更めて襄国と名づく。陳餘の客多く項羽に説きて曰く、「陳餘・張耳一体にして趙に功有り」と。項羽、陳餘の従ひて関に入らざるを以て、其の南皮に在るを聞き、即ち南皮の旁の三県を以て之を封じ、而して趙王歇を徙して代に王たらしむ。張耳国に之く。陳餘愈々益々怒りて曰く、「張耳と餘とは功等しきなり。今張耳は王にして、餘独り侯たり。此れ項羽の不平なり」と。斉王田栄楚に畔くに及び、陳餘乃ち夏説をして田栄に説かしめて曰く、「項羽天下の宰と為りて不平なり。尽く諸将を善地に王とし、故の王を徙して悪地に王とす。今趙王乃ち代に居る。願はくは王臣に兵を仮せ。請ふ南皮を以て捍蔽と為さん」と。田栄党を趙に樹てて以て楚に反かんと欲し、乃ち兵を遣はして陳餘に従はしむ。
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史記 張耳陳余列伝夫れ臣と主と豈に日を同じくして道ふべけんや。顧だ其の勢初めて定まり、未だ敢て参分して王たらず。且く少長を以て先づ武臣を立てて王と為し、以て趙の心を持す。今趙の地已に服す。此の両人も亦趙を分かちて王たらんと欲するも、時未だ可ならざるのみ。今君乃ち趙王を囚ふ。此の両人名は趙王を求むと為すも、実は燕の之を殺さんことを欲す。此の両人趙を分かちて自ら立たん。夫れ一趙を以てするすら尚ほ燕を易しとす。況んや両賢王の左提右挈して、王を殺すの罪を責むるをや。燕を滅ぼすは易し」と。燕将以て然りと為し、乃ち趙王を帰す。養卒御と為りて帰る。李良已に常山を定め、還りて報ず。趙王復た良をして太原を略せしむ。石邑に至る。秦兵井陘を塞ぎ、未だ前む能はず。秦将詐りて二世の使と称し、人をして李良に書を遺らしむ。封ぜずして曰く、「良嘗て我に事へて顕幸を得たり。良誠に能く趙に反きて秦の為にせば、良の罪を赦し、良を貴くせん」と。良書を得て、疑ひて信ぜず。乃ち還りて邯鄲に之き、益々兵を請はんとす。未だ至らずして、道に趙王の姊の出でて飲むに逢ふ。従ふこと百余騎。李良望み見て、以て王と為し、道の旁に伏謁す。王の姊酔ひ、其の将を知らず、騎をして李良に謝せしむ。李良素より貴し。起ちて、其の従官に慚づ。従官に一人有りて曰く、「天下秦に畔き、能ある者先づ立つ。且つ趙王は素より将軍の下に出づ。今女児乃ち将軍の為に車を下らず。請ふ追ひて之を殺さん」と。李良已に秦の書を得て、固より趙に反かんと欲するも、未だ決せず。此に因りて怒り、人を遣はして追ひて王の姊を道中に殺さしめ、乃ち遂に其の兵を将ゐて邯鄲を襲ふ。邯鄲知らず、竟に武臣・邵騒を殺す。趙人多く張耳・陳餘の耳目為る者あり。故を以て脱出するを得たり。其の兵を収め、数万人を得。客に張耳に説く有りて曰く、「両君は羈旅にして、趙に附かんと欲するは難し。独り趙の後を立て、扶くるに義を以てせば、功を就すべし」と。乃ち求めて趙歇を得、立てて趙王と為し、信都に居らしむ。李良兵を進めて陳餘を撃つ。陳餘李良を敗る。李良走りて章邯に帰す。
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史記 張耳陳余列伝人をして陳王に報ぜしむ。陳王大いに怒り、尽く武臣等の家を族し、而して兵を発して趙を撃たんと欲す。陳王の相国房君諫めて曰く、「秦未だ亡びずして武臣等の家を誅せば、此れ又一秦を生ずるなり。因りて之を賀し、急ぎ兵を引きて西のかた秦を撃たしむるに如かず」と。陳王之を然りとし、其の計に従ひ、武臣等の家を宮中に徙系し、張耳の子敖を封じて成都君と為す。陳王使者をして趙を賀せしめ、趣やかに兵を発して西のかた関に入らしむ。張耳・陳餘武臣に説きて曰く、「王の趙に王たるは、楚の意に非ず。特だ計を以て王を賀するのみ。楚已に秦を滅ぼさば、必ず兵を趙に加へん。願はくは王西に兵する毋く、北のかた燕・代を徇へ、南のかた河内を収めて以て自ら広くせよ。趙南に大河に拠り、北に燕・代有らば、楚秦に勝つと雖も、必ず敢て趙を制せず」と。趙王以て然りと為し、因りて西に兵せず、而して韓広をして燕を略し、李良をして常山を略し、張黶をして上党を略せしむ。韓広燕に至る。燕人因りて広を立てて燕王と為す。趙王乃ち張耳・陳餘と北のかた地を燕の界に略す。趙王間に出で、燕軍の得る所と為る。燕将之を囚へ、与に趙の地の半ばを分かたんと欲し、乃ち王を帰さんとす。使者往けば、燕輒ち之を殺して以て地を求む。張耳・陳餘之を患ふ。廝養の卒有りて其の舎中に謝して曰く、「吾公の為に燕に説き、趙王と載せて帰らん」と。舎中皆笑ひて曰く、「使者往くこと十余輩、輒ち死す。若何を以て能く王を得ん」と。乃ち燕の壁に走る。燕将之を見る。燕将に問ひて曰く、「臣が何をか欲するを知るか」と。燕将曰く、「若は趙王を得んと欲するのみ」と。曰く、「君は張耳・陳餘の何如なる人なるかを知るか」と。燕将曰く、「賢人なり」と。曰く、「其の志の何をか欲するかを知るか」と。曰く、「其の王を得んと欲するのみ」と。趙の養卒乃ち笑ひて曰く、「君は未だ此の両人の欲する所を知らざるなり。夫れ武臣・張耳・陳餘は馬箠を杖つきて趙の数十城を下す。此れ亦各々南面して王たらんと欲す。豈に卿相と為りて己を終へんと欲せんや。
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史記 張耳陳余列伝張耳は、大梁の人なり。其の少き時、魏の公子毋忌に及びて客と為る。張耳嘗て亡命して外黄に游ぶ。外黄の富人の女甚だ美なり。庸奴に嫁し、其の夫を亡げて去り、父の客に抵る。父の客素より張耳を知り、乃ち女に謂ひて曰く、「必ず賢夫を求めんと欲せば、張耳に従へ」と。女聴き、乃ち卒に為に決を請ひ、之を張耳に嫁す。張耳是の時身を脱して游ぶ。女家厚く張耳に奉給す。張耳故を以て千里の客を致す。乃ち魏に宦して外黄の令と為る。名此に由りて益々賢とせらる。陳餘は、亦大梁の人なり。儒術を好み、数々趙の苦陘に游ぶ。富人公乗氏其の女を以て之に妻す。亦陳餘の庸人に非ざるを知ればなり。餘年少く、張耳に父事し、両人相与に刎頸の交はりを為す。秦の大梁を滅ぼすや、張耳外黄に家す。高祖布衣為りし時、嘗て数々張耳に従ひて游び、客たること数月。秦魏を滅ぼして数歳、已に此の両人の魏の名士なるを聞き、購ひ求めて張耳を得る者有らば千金、陳餘は五百金とす。張耳・陳餘乃ち名姓を変じ、倶に陳に之き、里の監門と為りて以て自ら食ふ。両人相対す。里吏嘗て過ち有りて陳餘を笞つ。陳餘起たんと欲す。張耳之を躡み、笞を受けしむ。吏去る。張耳乃ち陳餘を引きて桑の下に之き、之を数めて曰く、「始め吾公と言ひしこと何如。今小辱を見て一吏に死せんと欲するか」と。陳餘之を然りとす。
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