史記 / 張耳陳余列伝
陳餘因悉三縣兵襲常山王張耳。張耳敗走,念諸侯無可歸者,曰:「漢王與我有舊故,而項羽又彊,立我,我欲之楚。」甘公曰:「漢王之入關,五星聚東井。東井者,秦分也。先至必霸。楚雖彊,後必屬漢。」故耳走漢。漢王亦還定三秦,方圍章邯廢丘。張耳謁漢王,漢王厚遇之。陳餘已敗張耳,皆復收趙地,迎趙王於代,復爲趙王。趙王德陳餘,立以爲代王。陳餘爲趙王弱,國初定,不之國,留傅趙王,而使夏説以相國守代。漢二年,東撃楚,使使告趙,欲與倶。陳餘曰:「漢殺張耳乃從。」於是漢王求人類張耳者斬之,持其頭遺陳餘。陳餘乃遣兵助漢。漢之敗於彭城西,陳餘亦復覺張耳不死,即背漢。漢三年,韓信已定魏地,遣張耳與韓信撃破趙井陘,斬陳餘泜水上,追殺趙王歇襄國。漢立張耳爲趙王。
新字:陳余因悉三県兵襲常山王張耳。張耳敗走,念諸侯無可帰者,曰:「漢王与我有旧故,而項羽又彊,立我,我欲之楚。」甘公曰:「漢王之入関,五星聚東井。東井者,秦分也。先至必覇。楚雖彊,後必属漢。」故耳走漢。漢王亦還定三秦,方囲章邯廃丘。張耳謁漢王,漢王厚遇之。陳余已敗張耳,皆復収趙地,迎趙王於代,復為趙王。趙王徳陳余,立以為代王。陳余為趙王弱,国初定,不之国,留傅趙王,而使夏説以相国守代。漢二年,東撃楚,使使告趙,欲与倶。陳余曰:「漢殺張耳乃従。」於是漢王求人類張耳者斬之,持其頭遺陳余。陳余乃遣兵助漢。漢之敗於彭城西,陳余亦復覚張耳不死,即背漢。漢三年,韓信已定魏地,遣張耳与韓信撃破趙井陘,斬陳余泜水上,追殺趙王歇襄国。漢立張耳為趙王。
書き下し
陳餘因りて悉く三県の兵もて常山王張耳を襲ふ。張耳敗走し、諸侯に帰すべき者無きを念ひて曰く、「漢王は我と旧故有り。而るに項羽は又彊く、我を立つ。我楚に之かんと欲す」と。甘公曰く、「漢王の関に入るや、五星東井に聚まる。東井は、秦の分なり。先に至る者必ず霸たらん。楚彊しと雖も、後必ず漢に属せん」と。故に耳は漢に走る。漢王も亦還りて三秦を定め、方に章邯を廃丘に囲む。張耳漢王に謁す。漢王厚く之を遇す。陳餘已に張耳を敗り、皆復た趙の地を収め、趙王を代に迎へ、復た趙王と為す。趙王陳餘を徳とし、立てて以て代王と為す。陳餘、趙王弱く、国初めて定まるを為て、国に之かず、留まりて趙王に傅たり、而して夏説をして相国を以て代を守らしむ。漢の二年、東のかた楚を撃つ。使をして趙に告げしめ、与に倶にせんと欲す。陳餘曰く、「漢張耳を殺さば乃ち従はん」と。是に於て漢王人の張耳に類する者を求めて之を斬り、其の頭を持ちて陳餘に遺る。陳餘乃ち兵を遣はして漢を助く。漢の彭城の西に敗るるや、陳餘も亦復た張耳の死せざるを覚り、即ち漢に背く。漢の三年、韓信已に魏の地を定め、張耳と韓信とを遣はして趙を井陘に撃破し、陳餘を泜水の上に斬り、趙王歇を襄国に追殺す。漢張耳を立てて趙王と為す。
現代語訳
陳餘はそこで三県の兵をすべて動員し、常山王張耳を襲った。張耳は敗走したが、身を寄せられる諸侯がいないことを思い、言った。「漢王(劉邦)とは古くからのなじみがある。しかし項羽は強く、私を王に立ててくれた。私は楚へ行こうと思う」。甘公が言った。「漢王が関中に入ったとき、五つの惑星が東井の星宿に集まった。東井は秦の地に当たる星宿だ。先に関中に入った者が必ず覇者となる。楚は今は強くても、最後は必ず漢に従うだろう」。そこで張耳は漢に逃げた。漢王もちょうど引き返して三秦を平定し、章邯を廃丘で包囲していたところであった。張耳が漢王に拝謁すると、漢王は手厚くもてなした。陳餘は張耳を破ると、趙の地をすべて取り戻し、趙王歇を代から迎えて再び趙王とした。趙王は陳餘に恩を感じ、陳餘を代王に立てた。陳餘は、趙王が弱く、国が定まったばかりであることから、自分の国には行かず、趙王のもとにとどまって補佐し、夏説に相国として代を守らせた。漢の二年、漢は東へ向かって楚を討とうとし、使者を趙に送って一緒に攻めようと誘った。陳餘は「漢が張耳を殺すなら従おう」と言った。そこで漢王は張耳に似た者を探して斬り、その首を陳餘に送った。陳餘はそこで兵を送って漢を助けた。ところが漢が彭城の西で敗れると、陳餘もまた張耳が死んでいないことに気づき、すぐに漢に背いた。漢の三年、韓信は魏の地を平定したあと、漢王は張耳と韓信を遣わして井陘で趙を打ち破り、陳餘を泜水のほとりで斬り、趙王歇を襄国まで追って殺した。漢は張耳を趙王に立てた。
解説
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史記 張耳陳余列伝今陳将軍君に印を与ふるに、君受けずんば、天に反きて不祥なり。急ぎ之を取れ」と。張耳乃ち其の印を佩び、其の麾下を収む。而して陳餘還り、亦張耳の譲らざるを望み、遂に趨り出づ。張耳遂に其の兵を収む。陳餘独り麾下の善くする所の数百人と河上の沢中に之きて漁猟す。此に由りて陳餘・張耳遂に卻有り。趙王歇復た信都に居る。張耳項羽・諸侯に従ひて関に入る。漢の元年二月、項羽諸侯王を立つ。張耳雅より游び、人多く之が為に言ふ。項羽も亦素より数々張耳の賢を聞く。乃ち趙を分かちて張耳を立てて常山王と為し、信都に治めしむ。信都更めて襄国と名づく。陳餘の客多く項羽に説きて曰く、「陳餘・張耳一体にして趙に功有り」と。項羽、陳餘の従ひて関に入らざるを以て、其の南皮に在るを聞き、即ち南皮の旁の三県を以て之を封じ、而して趙王歇を徙して代に王たらしむ。張耳国に之く。陳餘愈々益々怒りて曰く、「張耳と餘とは功等しきなり。今張耳は王にして、餘独り侯たり。此れ項羽の不平なり」と。斉王田栄楚に畔くに及び、陳餘乃ち夏説をして田栄に説かしめて曰く、「項羽天下の宰と為りて不平なり。尽く諸将を善地に王とし、故の王を徙して悪地に王とす。今趙王乃ち代に居る。願はくは王臣に兵を仮せ。請ふ南皮を以て捍蔽と為さん」と。田栄党を趙に樹てて以て楚に反かんと欲し、乃ち兵を遣はして陳餘に従はしむ。
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史記 張耳陳余列伝張耳数々人をして前みて陳餘を召さしむ。陳餘自ら兵少なく、秦に敵せずと度り、敢て前まず。数月、張耳大いに怒り、陳餘を怨み、張黶・陳沢をして往きて陳餘を讓めしめて曰く、「始め吾公と刎頸の交はりを為す。今王と耳と旦暮に且に死せんとす。而るに公は兵数万を擁し、肯へて相救はず。安くにか其の相為に死するに在らんや。茍くも必ず信ならば、胡ぞ秦軍に赴きて倶に死せざる。且つ十に一二の相全うする有らん」と。陳餘曰く、「吾度るに、前むとも終に趙を救ふ能はず、徒らに尽く軍を亡はん。且つ餘の倶に死せざる所以は、趙王・張君の為に秦に報ぜんと欲すればなり。今必ず倶に死せば、肉を以て餓虎に委ぬるが如し。何の益かあらん」と。張黶・陳沢曰く、「事已に急なり。要するに倶に死して以て信を立てん。安くんぞ後の慮りを知らん」と。陳餘曰く、「吾死すとも顧って以て益無しと為す。必ず公の言の如くせん」と。乃ち五千人をして張黶・陳沢に令して先づ秦軍を嘗みしむ。至りて皆没す。是の時に当り、燕・斉・楚、趙の急なるを聞き、皆来たり救ふ。張敖も亦北のかた代の兵を収め、万余人を得て、来たる。皆餘の旁に壁し、未だ敢て秦を撃たず。項羽の兵数々章邯の甬道を絶ち、王離の軍食に乏し。項羽悉く兵を引きて河を渡り、遂に章邯を破る。章邯兵を引きて解く。諸侯の軍乃ち敢て鉅鹿を囲む秦軍を撃ち、遂に王離を虜にす。渉間自殺す。卒に鉅鹿を存する者は、楚の力なり。是に於て趙王歇・張耳乃ち鉅鹿を出づるを得て、諸侯に謝す。張耳陳餘と相見え、陳餘を責讓するに趙を救ふを肯ぜざるを以てし、及び張黶・陳沢の所在を問ふ。陳餘怒りて曰く、「張黶・陳沢は必死を以て臣を責む。臣将をして五千人を将ゐて先づ秦軍を嘗みしむ。皆没して出でず」と。張耳信ぜず、以て之を殺せりと為し、数々陳餘に問ふ。陳餘怒りて曰く、「意はざりき、君の臣を望むことの深きや。豈に臣を以て将を去るを重んずと為さんや」と。乃ち印綬を脱解し、推して張耳に予ふ。張耳も亦愕きて受けず。陳餘起ちて廁に如く。客に張耳に説く有りて曰く、「臣聞く『天与ふるに取らずんば、反って其の咎を受く』と。
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史記 張耳陳余列伝人をして陳王に報ぜしむ。陳王大いに怒り、尽く武臣等の家を族し、而して兵を発して趙を撃たんと欲す。陳王の相国房君諫めて曰く、「秦未だ亡びずして武臣等の家を誅せば、此れ又一秦を生ずるなり。因りて之を賀し、急ぎ兵を引きて西のかた秦を撃たしむるに如かず」と。陳王之を然りとし、其の計に従ひ、武臣等の家を宮中に徙系し、張耳の子敖を封じて成都君と為す。陳王使者をして趙を賀せしめ、趣やかに兵を発して西のかた関に入らしむ。張耳・陳餘武臣に説きて曰く、「王の趙に王たるは、楚の意に非ず。特だ計を以て王を賀するのみ。楚已に秦を滅ぼさば、必ず兵を趙に加へん。願はくは王西に兵する毋く、北のかた燕・代を徇へ、南のかた河内を収めて以て自ら広くせよ。趙南に大河に拠り、北に燕・代有らば、楚秦に勝つと雖も、必ず敢て趙を制せず」と。趙王以て然りと為し、因りて西に兵せず、而して韓広をして燕を略し、李良をして常山を略し、張黶をして上党を略せしむ。韓広燕に至る。燕人因りて広を立てて燕王と為す。趙王乃ち張耳・陳餘と北のかた地を燕の界に略す。趙王間に出で、燕軍の得る所と為る。燕将之を囚へ、与に趙の地の半ばを分かたんと欲し、乃ち王を帰さんとす。使者往けば、燕輒ち之を殺して以て地を求む。張耳・陳餘之を患ふ。廝養の卒有りて其の舎中に謝して曰く、「吾公の為に燕に説き、趙王と載せて帰らん」と。舎中皆笑ひて曰く、「使者往くこと十余輩、輒ち死す。若何を以て能く王を得ん」と。乃ち燕の壁に走る。燕将之を見る。燕将に問ひて曰く、「臣が何をか欲するを知るか」と。燕将曰く、「若は趙王を得んと欲するのみ」と。曰く、「君は張耳・陳餘の何如なる人なるかを知るか」と。燕将曰く、「賢人なり」と。曰く、「其の志の何をか欲するかを知るか」と。曰く、「其の王を得んと欲するのみ」と。趙の養卒乃ち笑ひて曰く、「君は未だ此の両人の欲する所を知らざるなり。夫れ武臣・張耳・陳餘は馬箠を杖つきて趙の数十城を下す。此れ亦各々南面して王たらんと欲す。豈に卿相と為りて己を終へんと欲せんや。
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『長短経』覇図韓信と張耳と、兵数万を以て、東のかた井陘を下りて趙を撃ち、之を破る。乃ち漢に報じ、因りて張耳を立てて趙王と為し、以て其の国を撫せんことを請う。漢王、之に従う。〈初め、趙王と成安君陳余と、漢の且に之を襲わんとするを聞き、兵を井陘口に聚む。広武君李左車、説きて曰く「聞く、漢将韓信、西河を渉り、魏王を虜にし、夏悦を擒にし、新たに閼与に喋血す、と。今、乃ち輔くるに張耳を以てし、議して趙を下さんと欲す。此れ勝ちに乗じて国を去り遠く闘う。其の鋒、当たる可からず。臣聞く、千里に糧を餽れば、士に飢色有り。樵蘇して後に爨げば、師は宿として飽かず、と。今、井陘の道は、車は軌を方ぶるを得ず、騎は列を成すを得ず。行くこと数百里、其の勢い糧食は必ず後に在らん。願わくは足下、臣に奇兵三万人を仮し、間道より出でて、其の輜重を絶たしめよ。足下は溝を深くし塁を高くし、営を堅くして与に戦う勿かれ。前は闘うを得ず、退くは還るを得ざらしむ。吾が奇兵、其の後を絶たば、野に掠鹵する所無し。十日に至らずして、両将の首、戯下に致す可し。願わくは足下、臣の計に意を留めよ。否ずんば、必ず二子の禽とする所と為らん」と。成安君、広武君に聴かず。広武君の策、用いられず。
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史記 淮陰侯列伝広武君対へて曰く、「方今将軍の為に計るに、甲を案じ兵を休め、趙を鎮めて其の孤を撫し、百里の内、牛酒日に至り、以て士大夫を饗し兵を醳ひ、燕の路に北首し、而る後に弁士を遣はして咫尺の書を奉じ、其の長ずる所を燕に暴さしむるに如くは莫し。燕必ず敢へて聴従せずんばあらず。燕已に従はば、諠言する者をして東のかた斉に告げしめば、斉必ず風に従ひて服せん。智者有りと雖も、亦斉の為に計るを知らざらん。是くの如くんば、則ち天下の事皆図るべきなり。兵には固より声を先にして実を後にする者有り。此の謂なり」と。韓信曰く、「善し」と。其の策に従ひ、使を発して燕に使はしむ。燕風に従ひて靡く。乃ち使を遣はして漢に報じ、因りて張耳を立てて趙王と為し、以て其の国を鎮撫せんことを請ふ。漢王之を許し、乃ち張耳を立てて趙王と為す。楚数しば奇兵をして河を渡りて趙を撃たしむ。趙王耳・韓信往来して趙を救ひ、因りて行きて趙の城邑を定め、兵を発して漢に詣らしむ。楚方に急に漢王を滎陽に囲む。漢王南に出で、宛・葉の間に之き、黥布を得て、走りて成皋に入る。楚又復た急に之を囲む。六月、漢王成皋を出で、東のかた河を渡り、独り滕公と倶にし、張耳の軍に修武に従ふ。至りて、伝舎に宿す。晨に自ら漢使と称し、馳せて趙の壁に入る。張耳・韓信未だ起きず。即ち其の臥内に上りて其の印符を奪ひ、麾を以て諸将を召し、易へて之を置く。信・耳起きて、乃ち漢王の来たるを知り、大いに驚く。漢王両人の軍を奪ひ、即ち張耳をして趙の地を備守せしむ。韓信を拝して相国と為し、趙の兵の未だ発せざる者を収めて斉を撃たしむ。信兵を引きて東し、未だ平原を渡らざるに、漢王酈食其をして已に斉を説き下さしむと聞き、韓信止まらんと欲す。范陽の弁士蒯通信に説きて曰く、「将軍詔を受けて斉を撃つ。而るに漢独り間使を発して斉を下す。寧ぞ詔有りて将軍を止めんや。何を以て行く毋きを得んや。
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史記 張耳陳余列伝夫れ臣と主と豈に日を同じくして道ふべけんや。顧だ其の勢初めて定まり、未だ敢て参分して王たらず。且く少長を以て先づ武臣を立てて王と為し、以て趙の心を持す。今趙の地已に服す。此の両人も亦趙を分かちて王たらんと欲するも、時未だ可ならざるのみ。今君乃ち趙王を囚ふ。此の両人名は趙王を求むと為すも、実は燕の之を殺さんことを欲す。此の両人趙を分かちて自ら立たん。夫れ一趙を以てするすら尚ほ燕を易しとす。況んや両賢王の左提右挈して、王を殺すの罪を責むるをや。燕を滅ぼすは易し」と。燕将以て然りと為し、乃ち趙王を帰す。養卒御と為りて帰る。李良已に常山を定め、還りて報ず。趙王復た良をして太原を略せしむ。石邑に至る。秦兵井陘を塞ぎ、未だ前む能はず。秦将詐りて二世の使と称し、人をして李良に書を遺らしむ。封ぜずして曰く、「良嘗て我に事へて顕幸を得たり。良誠に能く趙に反きて秦の為にせば、良の罪を赦し、良を貴くせん」と。良書を得て、疑ひて信ぜず。乃ち還りて邯鄲に之き、益々兵を請はんとす。未だ至らずして、道に趙王の姊の出でて飲むに逢ふ。従ふこと百余騎。李良望み見て、以て王と為し、道の旁に伏謁す。王の姊酔ひ、其の将を知らず、騎をして李良に謝せしむ。李良素より貴し。起ちて、其の従官に慚づ。従官に一人有りて曰く、「天下秦に畔き、能ある者先づ立つ。且つ趙王は素より将軍の下に出づ。今女児乃ち将軍の為に車を下らず。請ふ追ひて之を殺さん」と。李良已に秦の書を得て、固より趙に反かんと欲するも、未だ決せず。此に因りて怒り、人を遣はして追ひて王の姊を道中に殺さしめ、乃ち遂に其の兵を将ゐて邯鄲を襲ふ。邯鄲知らず、竟に武臣・邵騒を殺す。趙人多く張耳・陳餘の耳目為る者あり。故を以て脱出するを得たり。其の兵を収め、数万人を得。客に張耳に説く有りて曰く、「両君は羈旅にして、趙に附かんと欲するは難し。独り趙の後を立て、扶くるに義を以てせば、功を就すべし」と。乃ち求めて趙歇を得、立てて趙王と為し、信都に居らしむ。李良兵を進めて陳餘を撃つ。陳餘李良を敗る。李良走りて章邯に帰す。
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