維摩経 / 香積佛品第十(5)
彼諸菩薩聞說是已。皆曰未曾有也。如世尊釋迦牟尼佛。隱其無量自在之力。乃以貧所樂法度脫眾生。斯諸菩薩亦能勞謙。以無量大悲生是佛土。維摩詰言。此土菩薩於諸眾生大悲堅固。誠如所言。然其一世饒益眾生。多於彼國百千劫行。所以者何。此娑婆世界有十事善法。諸餘淨土之所無有。何等為十。以布施攝貧窮。以淨戒攝毀禁。以忍辱攝瞋恚。以精進攝懈怠。以禪定攝亂意。以智慧攝愚癡。說除難法度八難者。以大乘法度樂小乘者。以諸善根濟無德者。常以四攝成就眾生。是為十。彼菩薩曰。菩薩成就幾法。於此世界行無瘡疣生于淨土。維摩詰言。菩薩成就八法。於此世界行無瘡疣生于淨土。何等為八。饒益眾生而不望報。代一切眾生受諸苦惱。所作功德盡以施之。等心眾生謙下無礙。於諸菩薩視之如佛。所未聞經聞之不疑。不與聲聞而相違背。不嫉彼供不高己利。而於其中調伏其心。常省己過不訟彼短。恒以一心求諸功德。是為八法。維摩詰文殊師利。於大眾中說是法時。百千天人皆發阿耨多羅三藐三菩提心。十千菩薩得無生法忍。
新字:彼諸菩薩聞説是已。皆曰未曽有也。如世尊釈迦牟尼仏。隠其無量自在之力。乃以貧所楽法度脱衆生。斯諸菩薩亦能労謙。以無量大悲生是仏土。維摩詰言。此土菩薩於諸衆生大悲堅固。誠如所言。然其一世饒益衆生。多於彼国百千劫行。所以者何。此娑婆世界有十事善法。諸余浄土之所無有。何等為十。以布施摂貧窮。以浄戒摂毀禁。以忍辱摂瞋恚。以精進摂懈怠。以禅定摂乱意。以智慧摂愚痴。説除難法度八難者。以大乗法度楽小乗者。以諸善根済無徳者。常以四摂成就衆生。是為十。彼菩薩曰。菩薩成就幾法。於此世界行無瘡疣生于浄土。維摩詰言。菩薩成就八法。於此世界行無瘡疣生于浄土。何等為八。饒益衆生而不望報。代一切衆生受諸苦悩。所作功徳尽以施之。等心衆生謙下無礙。於諸菩薩視之如仏。所未聞経聞之不疑。不与声聞而相違背。不嫉彼供不高己利。而於其中調伏其心。常省己過不訟彼短。恒以一心求諸功徳。是為八法。維摩詰文殊師利。於大衆中説是法時。百千天人皆発阿耨多羅三藐三菩提心。十千菩薩得無生法忍。
書き下し
彼の諸の菩薩、是を説くを聞き已りて、皆曰く、未曾有なりと。世尊釈迦牟尼仏の如きは、其の無量自在の力を隠して、乃ち貧しき者の楽う所の法を以て衆生を度脱したまう。斯の諸の菩薩も亦能く労謙にして、無量の大悲を以て是の仏土に生ずと。維摩詰言わく、此の土の菩薩は諸の衆生に於いて大悲堅固なること、誠に言う所の如し。然れども其の一世に衆生を饒益すること、彼の国の百千劫の行よりも多し。所以は何ん。此の娑婆世界に十事の善法有り、諸余の浄土の有ること無き所なり。何等をか十と為す。布施を以て貧窮を摂し、浄戒を以て毀禁を摂し、忍辱を以て瞋恚を摂し、精進を以て懈怠を摂し、禅定を以て乱意を摂し、智慧を以て愚癡を摂し、難を除く法を説きて八難の者を度し、大乗の法を以て小乗を楽う者を度し、諸の善根を以て無徳の者を済い、常に四摂を以て衆生を成就す。是を十と為す。彼の菩薩曰く、菩薩、幾の法を成就すれば、此の世界に於いて行じて瘡疣無く、浄土に生ずるや。維摩詰言わく、菩薩、八法を成就すれば、此の世界に於いて行じて瘡疣無く、浄土に生ず。何等をか八と為す。衆生を饒益して報いを望まず。一切衆生に代わりて諸の苦悩を受く。作す所の功徳、尽く以て之に施す。心を等しくして衆生に謙下し、無礙なり。諸の菩薩に於いては、之を視ること仏の如くす。未だ聞かざる所の経は、之を聞きて疑わず。声聞と相違背せず。彼の供を嫉まず、己が利を高ぶらず、而も其の中に於いて其の心を調伏す。常に己が過ちを省みて、彼の短を訟えず。恒に一心を以て諸の功徳を求む。是を八法と為す。維摩詰・文殊師利、大衆の中に於いて是の法を説きたまう時、百千の天人、皆阿耨多羅三藐三菩提の心を発し、十千の菩薩、無生法忍を得たり。
現代語訳
香積仏の国から来た菩薩たちは、この話を聞き終えて、みな「かつてないことだ」と言いました。「釈迦牟尼仏は、限りなく自在な力を隠し、貧しい人々が好む教えによって衆生を救っておられる。この娑婆世界の菩薩たちも、へりくだりながら、限りない大悲の心でこの仏の国に生まれているのだ」と。維摩詰は言いました。「この国の菩薩が衆生に対して大悲の心を堅く保っていることは、おっしゃるとおりです。しかも、この世で衆生に利益を与える働きは、あなたがたの国で百千劫修行するよりも大きいのです。なぜでしょうか。この娑婆世界には十の善い教えがあり、ほかの浄土にはないからです。その十とは、施しによって貧しい人を導き、清らかな戒めによって戒めを破る人を導き、忍耐によって怒りの人を導き、努力によって怠ける人を導き、禅定によって心の乱れた人を導き、智慧によって愚かさに沈む人を導き、八つの難に遭う人には難を除く教えを説いて救い、小乗を好む人には大乗の教えで救い、功徳のない人には善い根を植えさせて救い、いつも四摂法で衆生を成就させることです。これが十です。」かの菩薩は尋ねました。「菩薩がいくつの法を成し遂げれば、この世界で行を修めながら傷や汚れなく、浄土に生まれることができるのですか。」維摩詰は答えました。「菩薩が八つの法を成し遂げれば、この世界で行じて傷や汚れなく浄土に生まれます。その八とは、衆生に利益を与えて見返りを望まないこと。すべての衆生に代わって、もろもろの苦しみを引き受けること。自分の積んだ功徳をすべて人に施すこと。分け隔てのない心で衆生にへりくだり、こだわりがないこと。ほかの菩薩を仏のように敬うこと。まだ聞いたことのない経を聞いても疑わないこと。声聞たちと対立しないこと。他人が供養を受けても妬まず、自分の利益を誇らず、そのなかで自分の心を調え整えること。いつも自分の過ちを省みて、他人の短所をあげつらわないこと。常に一心に、もろもろの功徳を求めること。これが八つの法です。」維摩詰と文殊師利が大衆の中でこの教えを説いたとき、百千の天人がみな阿耨多羅三藐三菩提を求める心を起こし、一万の菩薩が無生法忍を得ました。
解説

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