維摩経 / 香積佛品第十(2)
時化菩薩即於會前昇于上方。舉眾皆見其去到眾香界禮彼佛足。又聞其言。維摩詰稽首世尊足下。致敬無量問訊起居少病少惱氣力安不。願得世尊所食之餘。欲於娑婆世界施作佛事。使此樂小法者得弘大道。亦使如來名聲普聞。 彼諸大士見化菩薩歎未曾有。今此上人從何所來。娑婆世界為在何許。云何名為樂小法者。即以問佛。佛告之曰。下方度如四十二恒河沙佛土。有世界名娑婆。佛號釋迦牟尼。今現在於五濁惡世。為樂小法眾生敷演道教。彼有菩薩名維摩詰。住不可思議解脫。為諸菩薩說法。故遣化來稱揚我名并讚此土。令彼菩薩增益功德。彼菩薩言。其人何如乃作是化。德力無畏神足若斯。佛言。甚大。一切十方皆遣化往施作佛事饒益眾生。於是香積如來。以眾香鉢盛滿香飯與化菩薩。時彼九百萬菩薩俱發聲言。我欲詣娑婆世界供養釋迦牟尼佛。并欲見維摩詰等諸菩薩眾。佛言可往。攝汝身香。無令彼諸眾生起惑著心。又當捨汝本形。勿使彼國求菩薩者而自鄙恥。又汝於彼莫懷輕賤而作礙想。所以者何。十方國土皆如虛空。又諸佛為欲化諸樂小法者。不盡現其清淨土耳。時化菩薩既受鉢飯。與彼九百萬菩薩俱。承佛威神及維摩詰力。於彼世界忽然不現。
新字:時化菩薩即於会前昇于上方。舉衆皆見其去到衆香界礼彼仏足。又聞其言。維摩詰稽首世尊足下。致敬無量問訊起居少病少悩気力安不。願得世尊所食之余。欲於娑婆世界施作仏事。使此楽小法者得弘大道。亦使如来名声普聞。 彼諸大士見化菩薩嘆未曽有。今此上人従何所来。娑婆世界為在何許。云何名為楽小法者。即以問仏。仏告之曰。下方度如四十二恒河沙仏土。有世界名娑婆。仏号釈迦牟尼。今現在於五濁悪世。為楽小法衆生敷演道教。彼有菩薩名維摩詰。住不可思議解脱。為諸菩薩説法。故遣化来称揚我名并讃此土。令彼菩薩增益功徳。彼菩薩言。其人何如乃作是化。徳力無畏神足若斯。仏言。甚大。一切十方皆遣化往施作仏事饒益衆生。於是香積如来。以衆香鉢盛満香飯与化菩薩。時彼九百万菩薩倶発声言。我欲詣娑婆世界供養釈迦牟尼仏。并欲見維摩詰等諸菩薩衆。仏言可往。摂汝身香。無令彼諸衆生起惑著心。又当捨汝本形。勿使彼国求菩薩者而自鄙恥。又汝於彼莫懐軽賤而作礙想。所以者何。十方国土皆如虚空。又諸仏為欲化諸楽小法者。不尽現其清浄土耳。時化菩薩既受鉢飯。与彼九百万菩薩倶。承仏威神及維摩詰力。於彼世界忽然不現。
書き下し
時に化菩薩、即ち会前に於いて上方に昇る。挙衆皆其の去りて衆香界に到り、彼の仏の足を礼するを見る。又其の言を聞く、維摩詰、世尊の足下に稽首し、敬いを致すこと無量にして、起居を問訊し、少病少悩、気力安きや不や。願わくは世尊の食する所の餘を得て、娑婆世界に於いて仏事を施作せんと欲し、此の小法を楽う者をして弘大の道を得しめ、亦た如来の名声をして普く聞かしめん、と。 彼の諸の大士、化菩薩を見て未曾有なりと歎ず。今此の上人は何れの所より来る。娑婆世界は何れの許に在りと為す。云何なるを名づけて小法を楽う者と為す、と。即ち以て仏に問う。仏之に告げて曰わく、下方に四十二恒河沙の仏土を度りて、世界有り、娑婆と名づく。仏を釈迦牟尼と号し、今現在して五濁悪世に於いて、小法を楽う衆生の為に道教を敷演す。彼に菩薩有り、維摩詰と名づく。不可思議解脱に住し、諸の菩薩の為に法を説く。故に化を遣わして来らしめ、我が名を称揚し并びに此の土を讃え、彼の菩薩をして功徳を増益せしむ、と。彼の菩薩の言わく、其の人は何如にして乃ち是の化を作す。徳力無畏神足斯くの若し、と。仏の言わく、甚だ大なり。一切十方に皆化を遣わして往かしめ、仏事を施作して衆生を饒益す、と。是に於いて香積如来、衆香の鉢を以て香飯を盛り満たして化菩薩に与う。時に彼の九百万の菩薩、俱に声を発して言わく、我れ娑婆世界に詣りて釈迦牟尼仏を供養し、并びに維摩詰等の諸の菩薩衆を見んと欲す、と。仏の言わく、往くべし。汝が身の香を摂めて、彼の諸の衆生をして惑著の心を起こさしむること無かれ。又当に汝が本形を捨てて、彼の国の菩薩を求むる者をして自ら鄙恥せしむること勿かれ。又汝彼に於いて軽賎を懐きて礙想を作すこと莫かれ。所以は何ん。十方の国土は皆虚空の如し。又諸仏は小法を楽う者を化せんと欲するが為に、尽くは其の清浄の土を現さざるのみ、と。時に化菩薩既に鉢飯を受け、彼の九百万の菩薩と俱に、仏の威神及び維摩詰の力を承けて、彼の世界に於いて忽然として現ぜず。
現代語訳
そのとき化作された菩薩は、会衆の前から上方へ昇っていきました。会衆は皆、その菩薩が去って衆香の世界に着き、あの仏の足を礼拝するのを見ました。また、その言葉も聞こえました。維摩詰は世尊の足元に頭を下げ、限りない敬意を示し、お変わりなく、軽い病気や悩みもなく、お元気でおられますかと伺っています。願わくは、世尊の召し上がった残りの飯をいただき、娑婆世界で仏事を行い、小さな教えを好む者に広大な道を得させ、如来の名が広く聞こえるようにしたいと思います、と。 あの国の大士たちは、化作の菩薩を見て、これまでにないことだと感嘆しました。この上人はどこから来たのですか。娑婆世界はどのあたりにありますか。小さな教えを好む者とは、どういう人ですか。そこで仏に尋ねました。仏は告げました。下方に、四十二の恒河の砂の数ほどの仏土を過ぎたところに、娑婆という世界があります。仏は釈迦牟尼と号し、今おられて、五濁の悪世で、小さな教えを好む衆生のために道を説いておられます。そこに維摩詰という菩薩がいます。不可思議解脱に住し、菩薩たちのために法を説いています。だから化作の者を遣わし、私の名を称え、この土を讃えさせて、あの菩薩たちの功徳を増やしているのです。あの菩薩たちは言いました。その人はどれほどの方で、このような化作をするのですか。徳、力、畏れなさ、神通がこれほどとは。仏は言いました。非常に大きい。十方のすべてに化作の者を遣わし、仏事を行って衆生を利益しています。そこで香積如来は、衆香の鉢に香りのよい飯を盛り満たして、化作の菩薩に与えました。そのとき、あの九百万の菩薩たちがみな声をそろえて言いました。私たちは娑婆世界に行き、釈迦牟尼仏を供養し、維摩詰ら菩薩たちにお会いしたいと思います。仏は言いました。行きなさい。ただし、自分の身の香りを収めて、あの衆生に迷いや執着の心を起こさせてはなりません。また、あなたの本来の姿を捨てて、あの国の菩薩を求める者を恥じ入らせてはなりません。また、あなたはあの国で、軽んじ見下して隔てをつくってはなりません。なぜなら、十方の国土は皆、虚空のようだからです。また、諸仏は小さな教えを好む者を教化しようとして、清浄な土をすべて現してはいないだけなのです。そのとき化作の菩薩は、鉢の飯を受け取り、九百万の菩薩とともに、仏の威神力と維摩詰の力を受けて、あの世界から忽然と姿を消しました。
解説

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維摩経・香積佛品第十(1)是に於いて舎利弗、心に念ず、日の時至らんと欲す、此の諸の菩薩は当に何れの所に食すべき、と。 時に維摩詰、其の意を知りて語りて言わく、仏は八解脱を説く、仁者受行せり。豈に欲食を雑えて法を聞かんや。若し食せんと欲せば且く須臾を待て、当に汝をして未曾有の食を得しめん、と。 時に維摩詰、即ち三昧に入り、神通力を以て諸の大衆に示す。上方界分、四十二恒河沙の仏土を過ぎて、国有り、衆香と名づく。仏を香積と号し、今現在す。其の国の香気は、十方の諸仏の世界の人天の香に比ぶるに最も第一なり。彼の土には声聞・辟支仏の名有ること無く、唯だ清浄の大菩薩衆有りて、仏の為に法を説く。其の界は一切皆香を以て楼閣を作り、経行する香地、苑園皆香なり。其の食の香気は十方無量の世界に周流す。時に彼の仏、諸の菩薩と方に共に坐して食す。諸の天子有り、皆香厳と号し、悉く阿耨多羅三藐三菩提の心を発し、彼の仏及び諸の菩薩を供養す。此の諸の大衆、目に見ざる莫し。 時に維摩詰、衆の菩薩に問うて言わく、諸の仁者よ、誰か能く彼の仏の飯を致さん、と。文殊師利の威神力を以ての故に、咸皆默然たり。維摩詰の言わく、仁者の此の大衆、乃ち恥ずべきこと無からんや、と。 文殊師利の曰わく、仏の言う所の如し、未学を軽んずること勿かれ、と。 是に於いて維摩詰、座を起たずして衆会の前に居り、化して菩薩を作す。相好光明威徳殊勝にして、衆会を蔽う。而して之に告げて曰わく、汝、上方界分に往け。四十二恒河沙の仏土を度りて、国有り、衆香と名づく。仏を香積と号し、諸の菩薩と方に共に坐して食す。汝彼に往き到りて我が辞の如く曰え、維摩詰、世尊の足下に稽首し、敬いを致すこと無量にして、起居を問訊し、少病少悩、気力安きや不や。願わくは世尊の食する所の餘を得て、当に娑婆世界に於いて仏事を施作し、此の小法を楽う者をして弘大の道を得しめ、亦た如来の名声をして普く聞かしめん、と。
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維摩経・香積佛品第十(3)須臾の間に維摩詰の舎に至る。時に維摩詰、即ち九百万の師子の座を化作す。厳好なること前の如し。諸の菩薩皆其の上に坐す。是の化菩薩、満鉢の香飯を以て維摩詰に与う。飯の香り普く毘耶離城及び三千大千世界に熏ず。時に毘耶離の婆羅門・居士等、是の香気を聞ぎて身意快然とし、未曾有なりと歎ず。是に於いて長者の主月蓋、八万四千人より来りて維摩詰の舎に入る。其の室中の菩薩甚だ多く、諸の師子座の高広厳好なるを見て、皆大いに歓喜し、衆の菩薩及び大弟子を礼し、却きて一面に住す。諸の地神・虚空神及び欲色界の諸天も、此の香気を聞ぎて亦た皆来りて維摩詰の舎に入る。時に維摩詰、舎利弗等の諸の大声聞に語る、仁者よ、如来の甘露味の飯を食すべし。大悲の熏ずる所なり。意を限るに無かれ、之を食して消えざらしむること勿かれ、と。異なる声聞有りて念ず、是の飯は少なく、而も此の大衆は人人当に食すべし、と。化菩薩の曰わく、声聞の小徳小智を以て、如来の無量の福慧を称量すること勿かれ。四海は竭くること有るも、此の飯は尽くること無し。一切の人をして食することを揣して須弥の若くならしめ、乃至一劫するも猶お尽くすこと能わず。所以は何ん。無尽の戒・定・智慧・解脱・解脱知見の功徳を具足する者の、食する所の餘は、終に尽くすべからず、と。是に於いて鉢の飯は悉く衆会を飽かしめ、猶お故のごとく儩きず。其の諸の菩薩・声聞・天人の此の飯を食する者は、身安らかに快楽なること、譬えば一切楽荘厳国の諸の菩薩の如し。又諸の毛孔より皆妙香を出だすこと、亦た衆香国土の諸樹の香の如し。 爾の時、維摩詰、衆香の菩薩に問う、香積如来は何を以て法を説く、と。 彼の菩薩の曰わく、我が土の如来は文字の説無し。但だ衆香を以て諸の天人をして律行に入るを得しむ。菩薩各各香樹の下に坐して、斯の妙香を聞げば、即ち一切徳蔵三昧を獲。是の三昧を得る者は、菩薩の所有の功徳、皆悉く具足す、と。
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維摩経・菩薩行品第十一(1)是の時、仏、菴羅樹園に法を説きたまう。其の地忽然として広博に厳事し、一切の衆会、皆金色と作る。阿難、仏に白して言わく、世尊、何の因縁を以て、此の瑞応有る。是の処、忽然として広博に厳事し、一切の衆会、皆金色と作ると。仏、阿難に告げたまわく、是れ維摩詰・文殊師利、諸の大衆と恭敬し囲繞して、意を発して来たらんと欲す。故に先ず此の瑞応を為すなり。是に於いて維摩詰、文殊師利に語る、共に仏を見たてまつり、諸の菩薩と礼事し供養すべしと。文殊師利言わく、善きかな、行かん。今正に是れ時なりと。維摩詰、即ち神力を以て、諸の大衆并びに師子座を持ちて、右の掌に置き、仏の所に往詣し、到り已りて地に著く。仏足に稽首し、右に遶ること七匝、一心に合掌して一面に在りて立つ。其の諸の菩薩、即ち皆座を避け、仏足に稽首し、亦七匝を繞りて一面に立つ。諸の大弟子・釈・梵・四天王等も、亦皆座を避け、仏足に稽首して一面に在りて立つ。是に於いて世尊、法の如く諸の菩薩を慰問し已りて、各おの復た坐せしむ。即ち皆教えを受けて、衆坐し已りて定まる。仏、舎利弗に語りたまわく、汝、菩薩大士の自在神力の為す所を見るや。唯然り、已に見たり。汝が意に於いて云何。世尊、我、其の為すを覩るに、不可思議にして、意の図る所に非ず、度の測る所に非ず。爾の時、阿難、仏に白して言わく、世尊、今聞ぐ所の香、昔より有らず。是れ何の香ぞ。仏、阿難に告げたまわく、是れ彼の菩薩の毛孔の香なり。是に於いて舎利弗、阿難に語りて言わく、我等が毛孔も亦是の香を出だす。阿難言わく、此れ従り来たる所は。曰く、是の長者維摩詰、衆香国より仏の余飯を取りて舎に食する者、一切の毛孔、皆香ること此くの若し。阿難、維摩詰に問う、是の香気の住すること、当に久しきこと如何ばかりなるべき。維摩詰言わく、此の飯の消ゆるに至る。曰く、此の飯、久しきこと如何ばかりにして当に消ゆべき。
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法華経・如來神力品第二十一(2)即時に諸天、虚空の中において、高声に唱えて言わく、「この無量無辺百千万億阿僧祇の世界を過ぎて、国有り、娑婆と名づく。この中に仏有り、釈迦牟尼と名づく。今、諸の菩薩摩訶薩のために、大乗経の、妙法蓮華、菩薩を教うる法、仏の護念したまう所なるを説きたもう。汝等、当に深心に随喜すべし。亦当に釈迦牟尼仏を礼拝し供養すべし。」かの諸の衆生、虚空の中の声を聞き已りて、合掌して娑婆世界に向かい、かくの如き言をなさく、「南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏。」種種の華・香・瓔珞・幡蓋、及び諸の厳身の具、珍宝妙物を以て、皆共に遙かに娑婆世界に散ず。散ずる所の諸物、十方より来たること、譬えば雲の集まるが如く、変じて宝帳と成り、遍くこの間の諸仏の上を覆う。時に十方世界、通達して無礙なること、一仏土の如し。 その時、仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、「諸仏の神力は、かくの如く無量無辺にして不可思議なり。もし我、この神力を以て、無量無辺百千万億阿僧祇劫において、嘱累のための故に、この経の功徳を説かんに、猶お尽くすこと能わず。要を以てこれを言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆この経において宣示顕説す。この故に汝等、如来の滅後において、応当に一心に受持し、読誦し、解説し、書写し、説の如く修行すべし。所在の国土に、もし受持し、読誦し、解説し、書写し、説の如く修行すること有り、もしは経巻の住する処、もしは園の中においても、もしは林の中においても、もしは樹の下においても、もしは僧坊においても、もしは白衣の舎においても、もしは殿堂にても、もしは山谷曠野にても、この中に皆、応に塔を起てて供養すべし。所以は何ん。当に知るべし、この処は即ちこれ道場なり。諸仏ここにおいて阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏ここにおいて法輪を転じ、諸仏ここにおいて般涅槃したまえばなり。」 その時世尊、重ねてこの義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、