維摩経 / 佛國品第一(6)
禪定是菩薩淨土。菩薩成佛時攝心不亂眾生來生其國。智慧是菩薩淨土。菩薩成佛時正定眾生來生其國。四無量心是菩薩淨土。菩薩成佛時成就慈悲喜捨眾生來生其國。四攝法是菩薩淨土。菩薩成佛時解脫所攝眾生來生其國。方便是菩薩淨土。菩薩成佛時於一切法方便無礙眾生來生其國。三十七道品是菩薩淨土。菩薩成佛時念處正勤神足根力覺道眾生來生其國。迴向心是菩薩淨土。菩薩成佛時得一切具足功德國土。說除八難是菩薩淨土。菩薩成佛時國土無有三惡八難。自守戒行不譏彼闕是菩薩淨土。菩薩成佛時國土無有犯禁之名。十善是菩薩淨土。菩薩成佛時命不中夭。大富梵行所言誠諦。常以軟語眷屬不離。善和諍訟言必饒益。不嫉不恚正見眾生來生其國。如是寶積。菩薩隨其直心則能發行。隨其發行則得深心。隨其深心。則意調伏。隨意調伏則如說行。隨如說行則能迴向。隨其迴向則有方便。隨其方便則成就眾生。隨成就眾生則佛土淨。隨佛土淨則說法淨。隨說法淨則智慧淨。隨智慧淨則其心淨。隨其心淨則一切功德淨。是故寶積。若菩薩欲得淨土當淨其心。隨其心淨則佛土淨。
新字:禅定是菩薩浄土。菩薩成仏時摂心不乱衆生来生其国。智慧是菩薩浄土。菩薩成仏時正定衆生来生其国。四無量心是菩薩浄土。菩薩成仏時成就慈悲喜捨衆生来生其国。四摂法是菩薩浄土。菩薩成仏時解脱所摂衆生来生其国。方便是菩薩浄土。菩薩成仏時於一切法方便無礙衆生来生其国。三十七道品是菩薩浄土。菩薩成仏時念処正勤神足根力覚道衆生来生其国。迴向心是菩薩浄土。菩薩成仏時得一切具足功徳国土。説除八難是菩薩浄土。菩薩成仏時国土無有三悪八難。自守戒行不譏彼闕是菩薩浄土。菩薩成仏時国土無有犯禁之名。十善是菩薩浄土。菩薩成仏時命不中夭。大富梵行所言誠諦。常以軟語眷属不離。善和諍訟言必饒益。不嫉不恚正見衆生来生其国。如是宝積。菩薩随其直心則能発行。随其発行則得深心。随其深心。則意調伏。随意調伏則如説行。随如説行則能迴向。随其迴向則有方便。随其方便則成就衆生。随成就衆生則仏土浄。随仏土浄則説法浄。随説法浄則智慧浄。随智慧浄則其心浄。随其心浄則一切功徳浄。是故宝積。若菩薩欲得浄土当浄其心。随其心浄則仏土浄。
書き下し
禅定は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、心を摂めて乱れざる衆生、其の国に来生す。智慧は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、正定の衆生、其の国に来生す。四無量心は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、慈悲喜捨を成就せる衆生、其の国に来生す。四摂法は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、解脱して摂せらるる所の衆生、其の国に来生す。方便は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、一切の法に於て方便無礙なる衆生、其の国に来生す。三十七道品は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、念処・正勤・神足・根・力・覚・道の衆生、其の国に来生す。廻向心は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、一切具足の功徳の国土を得。八難を除くことを説くは是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、国土に三悪八難有ること無し。自ら戒行を守りて彼の闕を譏らざるは是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、国土に犯禁の名有ること無し。十善は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、命は中夭せず、大富にして梵行あり、言う所は誠諦なり。常に軟語を以てし、眷属離れず、善く諍訟を和し、言は必ず饒益あり。嫉まず恚らず、正見の衆生、其の国に来生す。是くの如し宝積、菩薩は其の直心に随いて則ち能く発行し、其の発行に随いて則ち深心を得、其の深心に随いて則ち意調伏す。意の調伏に随いて則ち説の如く行じ、説の如く行ずるに随いて則ち能く廻向し、其の廻向に随いて則ち方便有り、其の方便に随いて則ち衆生を成就し、衆生を成就するに随いて則ち仏土浄し。仏土の浄きに随いて則ち説法浄く、説法の浄きに随いて則ち智慧浄く、智慧の浄きに随いて則ち其の心浄く、其の心の浄きに随いて則ち一切の功徳浄し。是の故に宝積、若し菩薩、浄土を得んと欲せば、当に其の心を浄くすべし。其の心の浄きに随いて則ち仏土浄し。
現代語訳
禅定は菩薩の浄土です。菩薩が成仏するとき、心を収めて乱れない衆生がその国に生まれます。智慧は菩薩の浄土です。菩薩が成仏するとき、正しく定まった衆生がその国に生まれます。四無量心は菩薩の浄土です。菩薩が成仏するとき、慈悲喜捨を成就した衆生がその国に生まれます。四摂法は菩薩の浄土です。菩薩が成仏するとき、解脱して人を摂め導く衆生がその国に生まれます。方便は菩薩の浄土です。菩薩が成仏するとき、あらゆる法において方便に妨げのない衆生がその国に生まれます。三十七道品は菩薩の浄土です。菩薩が成仏するとき、念処、正勤、神足、根、力、覚、道を修めた衆生がその国に生まれます。廻向心は菩薩の浄土です。菩薩が成仏するとき、あらゆる功徳を備えた国土を得ます。八難を除くことを説くのは菩薩の浄土です。菩薩が成仏するとき、国土に三悪道も八難もありません。自ら戒を守り、他人の欠点をとがめないのは菩薩の浄土です。菩薩が成仏するとき、国土には戒を犯すという名さえありません。十善は菩薩の浄土です。菩薩が成仏するとき、命は途中で絶えず、大いに富み、清らかな行いがあり、言葉は真実です。いつもやわらかい言葉を使い、親族は離れず、争いをよく和らげ、言葉は必ず人の益となります。嫉まず怒らず、正しい見方をもつ衆生が、その国に生まれます。このように宝積よ、菩薩は直心に従って行いを起こし、行いを起こすに従って深心を得、深心に従って心が調います。心が調うに従って教えのとおり行い、教えのとおり行うに従って功徳を廻らし向け、功徳を廻らし向けるに従って方便が生まれ、方便に従って衆生を成就させ、衆生を成就させるに従って仏土が清らかになります。仏土が清らかになるに従って説法が清らかになり、説法が清らかになるに従って智慧が清らかになり、智慧が清らかになるに従って心が清らかになり、心が清らかになるに従ってあらゆる功徳が清らかになります。ですから宝積よ、菩薩が浄土を得ようと思うなら、その心を清めなさい。心が清らかになるに従って、仏土も清らかになります。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
維摩経・佛國品第一(5)爾の時、長者の子宝積、此の偈を説き已りて仏に白して言さく、世尊、是の五百の長者の子は、皆已に阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。仏国土の清浄なるを得んことを願い聞く。唯願わくは世尊、諸の菩薩の浄土の行を説きたまえ。仏の言わく、善いかな宝積、乃ち能く諸の菩薩の為に如来に浄土の行を問えり。諦かに聴け、諦かに聴け、善く之を思念せよ。当に汝が為に説くべし。是に於て宝積及び五百の長者の子、教えを受けて聴く。仏の言わく、宝積、衆生の類は是れ菩薩の仏土なり。所以は何ん。菩薩は化する所の衆生に随いて仏土を取り、調伏する所の衆生に随いて仏土を取り、諸の衆生の応に何れの国を以て仏の智慧に入るべきかに随いて仏土を取り、諸の衆生の応に何れの国を以て菩薩の根を起こすべきかに随いて仏土を取る。所以は何ん。菩薩の浄国を取るは、皆諸の衆生を饒益せんが為の故なり。譬えば人有りて空地に於て宮室を造立せんと欲するに、意に随いて礙げ無きが如し。若し虚空に於てせば、終に成ずること能わず。菩薩も是くの如し。衆生を成就せんが為の故に仏国を取らんと願う。仏国を取らんと願うは、空に於てするに非ず。宝積、当に知るべし、直心は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、諂わざる衆生、其の国に来生す。深心は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、功徳を具足せる衆生、其の国に来生す。菩提心は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、大乗の衆生、其の国に来生す。布施は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、一切能く捨つる衆生、其の国に来生す。持戒は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、十善道を行じて願を満たせる衆生、其の国に来生す。忍辱は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、三十二相をもて荘厳せる衆生、其の国に来生す。精進は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、勤めて一切の功徳を修する衆生、其の国に来生す。
-
維摩経・香積佛品第十(5)彼の諸の菩薩、是を説くを聞き已りて、皆曰く、未曾有なりと。世尊釈迦牟尼仏の如きは、其の無量自在の力を隠して、乃ち貧しき者の楽う所の法を以て衆生を度脱したまう。斯の諸の菩薩も亦能く労謙にして、無量の大悲を以て是の仏土に生ずと。維摩詰言わく、此の土の菩薩は諸の衆生に於いて大悲堅固なること、誠に言う所の如し。然れども其の一世に衆生を饒益すること、彼の国の百千劫の行よりも多し。所以は何ん。此の娑婆世界に十事の善法有り、諸余の浄土の有ること無き所なり。何等をか十と為す。布施を以て貧窮を摂し、浄戒を以て毀禁を摂し、忍辱を以て瞋恚を摂し、精進を以て懈怠を摂し、禅定を以て乱意を摂し、智慧を以て愚癡を摂し、難を除く法を説きて八難の者を度し、大乗の法を以て小乗を楽う者を度し、諸の善根を以て無徳の者を済い、常に四摂を以て衆生を成就す。是を十と為す。彼の菩薩曰く、菩薩、幾の法を成就すれば、此の世界に於いて行じて瘡疣無く、浄土に生ずるや。維摩詰言わく、菩薩、八法を成就すれば、此の世界に於いて行じて瘡疣無く、浄土に生ず。何等をか八と為す。衆生を饒益して報いを望まず。一切衆生に代わりて諸の苦悩を受く。作す所の功徳、尽く以て之に施す。心を等しくして衆生に謙下し、無礙なり。諸の菩薩に於いては、之を視ること仏の如くす。未だ聞かざる所の経は、之を聞きて疑わず。声聞と相違背せず。彼の供を嫉まず、己が利を高ぶらず、而も其の中に於いて其の心を調伏す。常に己が過ちを省みて、彼の短を訟えず。恒に一心を以て諸の功徳を求む。是を八法と為す。維摩詰・文殊師利、大衆の中に於いて是の法を説きたまう時、百千の天人、皆阿耨多羅三藐三菩提の心を発し、十千の菩薩、無生法忍を得たり。
-
維摩経・菩薩品第四(3)仏、光厳童子に告げたまわく、「汝、行きて維摩詰に詣りて疾を問え」と。光厳、仏に白して言さく、「世尊、我は彼に詣りて疾を問うに堪任せず。所以は何ん。憶念するに我れ昔、毘耶離大城を出づるに、時に維摩詰方に城に入る。我即ち為に礼を作して問いて言わく、『居士、何れの所より来たる』と。我に答えて言わく、『吾れ道場より来たる』と。我れ問う、『道場とは何れの所ぞ是れなる』と。答えて曰わく、『直心は是れ道場なり、虚仮無きが故に。発行は是れ道場なり、能く事を辦ずるが故に。深心は是れ道場なり、功徳を増益するが故に。菩提心は是れ道場なり、錯謬無きが故に。布施は是れ道場なり、報いを望まざるが故に。持戒は是れ道場なり、願を得て具うるが故に。忍辱は是れ道場なり、諸の衆生に於いて心に礙無きが故に。精進は是れ道場なり、懈退せざるが故に。禅定は是れ道場なり、心調柔なるが故に。智慧は是れ道場なり、諸法を現見するが故に。慈は是れ道場なり、衆生に等しきが故に。悲は是れ道場なり、疲苦を忍ぶが故に。喜は是れ道場なり、法を悦楽するが故に。捨は是れ道場なり、憎愛断ずるが故に。神通は是れ道場なり、六通を成就するが故に。解脱は是れ道場なり、能く背捨するが故に。方便は是れ道場なり、衆生を教化するが故に。四摂は是れ道場なり、衆生を摂するが故に。多聞は是れ道場なり、聞くが如く行ずるが故に。伏心は是れ道場なり、正しく諸法を観ずるが故に。三十七品は是れ道場なり、有為の法を捨つるが故に。諦は是れ道場なり、世間を誑かさざるが故に。縁起は是れ道場なり、無明乃至老死皆尽くること無きが故に。諸の煩悩は是れ道場なり、如実を知るが故に。衆生は是れ道場なり、無我を知るが故に。一切法は是れ道場なり、諸法の空なることを知るが故に。降魔は是れ道場なり、傾動せざるが故に。三界は是れ道場なり、趣く所無きが故に。師子吼は是れ道場なり、畏るる所無きが故に。力・無畏・不共法は是れ道場なり、諸の過無きが故に。三明は是れ道場なり、余の礙無きが故に。一念に一切法を知るは是れ道場なり、一切智を成就するが故に。是の如し、善男子。菩薩若し諸の波羅蜜に応じて衆生を教化せば、諸の所作有り、足を挙げ足を下ろすも、当に知るべし、皆道場より来たりて仏法に住するなり』と。是の法を説きし時、五百の天人、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発しき。故に我は彼に詣りて疾を問うに任せず」と。
-
維摩経・文殊師利問疾品第五(7)六通を行ずと雖も、而も漏を尽くさざるは、是れ菩薩の行なり。四無量心を行ずと雖も、而も梵世に生ずることを貪著せざるは、是れ菩薩の行なり。禅定・解脱・三昧を行ずと雖も、而も禅に随いて生ぜざるは、是れ菩薩の行なり。四念処を行ずと雖も、而も永く身・受・心・法を離れざるは、是れ菩薩の行なり。四正勤を行ずと雖も、而も身心の精進を捨てざるは、是れ菩薩の行なり。四如意足を行ずと雖も、而も自在の神通を得るは、是れ菩薩の行なり。五根を行ずと雖も、而も衆生の諸根の利鈍を分別するは、是れ菩薩の行なり。五力を行ずと雖も、而も仏の十力を楽求するは、是れ菩薩の行なり。七覚分を行ずと雖も、而も仏の智慧を分別するは、是れ菩薩の行なり。八聖道を行ずと雖も、而も無量の仏道を楽行するは、是れ菩薩の行なり。止観の助道の法を行ずと雖も、而も畢竟して寂滅に墮せざるは、是れ菩薩の行なり。諸法の不生不滅を行ずと雖も、而も相好を以て其の身を荘厳するは、是れ菩薩の行なり。声聞・辟支仏の威儀を現ずと雖も、而も仏法を捨てざるは、是れ菩薩の行なり。諸法の究竟浄相に随うと雖も、而も応ずる所に随いて為に其の身を現ずるは、是れ菩薩の行なり。諸仏の国土の永く寂なること空の如しと観ずと雖も、而も種種の清浄の仏土を現ずるは、是れ菩薩の行なり。仏道を得、法輪を転じ、涅槃に入ると雖も、而も菩薩の道を捨てざるは、是れ菩薩の行なり。 是の語を説く時、文殊師利の将いる所の大衆、其の中の八千の天子、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発しき。
-
『十善法語』巻第一・不殺生戒華厳経ノ中ニ。仏子。菩薩摩訶薩如是護持十善業道。常無間断。復作是念。一切衆生堕悪趣者。莫不皆以十不善業。是故我当自修正行。亦勧於他令修正行。何以故。若自不能修行正行令他修者。無有是処トアル。コレハ離垢地菩薩ノ行スル処シヤ。菩薩ハ衆生ヲ以テ自心トスルシヤ。菩薩ハ善事ヲ以テ自ノ作業トスルシヤ。衆生ヲ以テ心トスルニ由テ。衆生ノ有リ通リヲ全クシテ。常ニ世間ニ在ルシヤ。此衆生ノ悪業ヲ行シテ悪趣ニ堕スルヲ見ルコト。父母ノ愛子ノ家法ニソムキテ流浪スルヲ見ル如ク。嬰孩ノ乳母ノ手ヲ離レテ。水火ニ入ルヲ見ル如クシヤ。作業必ス善事ナルニ由テ。身ニ行スル所ハ不殺生不偸盗不邪婬シヤ。口ニ行スル所ハ不妄語不綺語不悪口不両舌シヤ。意ニ行スル所ハ不貪欲不瞋恚不邪見シヤ。此ヲ自ラ正行ヲ修スト名クル。此次ノ文ニ。十善業道是人天乃至有頂処受生因トアル。十善ヲ上品ニ護持スレハ諸天及金輪王ノ位ヲ得ル。中品ニ護持スレハ人中諸ノ王位ヲ得ル。下品ニ護持スルハ人中ノ豪貴トナルシヤ。乃至分受護持ノ者モ人中ニ在テ其果報ムナシカラヌシヤ。是ニハ異説モ有。又此上中下品ト云ニ。各浅深ノ有コトナレトモ。先ツ大抵ハ上ノ如クニ憶念スヘキシヤ。
-
維摩経・佛國品第一(8)即時に三千大千世界、若干百千の珍宝もて厳飾せらる。譬えば宝荘厳仏の無量功徳宝荘厳土の如し。一切の大衆、未曾有なりと歎じ、而も皆自ら宝蓮華に坐せるを見る。仏、舎利弗に告げたまわく、汝、且く是の仏土の厳浄なるを観よ。舎利弗の言わく、唯然り世尊。本より見ざる所、本より聞かざる所なり。今、仏の国土の厳浄、悉く現ぜり。仏、舎利弗に語りたまわく、我が仏国土は常に浄きこと此くの若し。斯の下劣の人を度せんと欲するが為の故に、是の衆悪不浄の土を示すのみ。譬えば諸天の宝器を共にして食するに、其の福徳に随いて飯の色に異なること有るが如し。是くの如し舎利弗、若し人の心浄ければ便ち此の土の功徳荘厳を見る。仏、此の国土の厳浄を現じたもう時、宝積の将いる所の五百の長者の子、皆無生法忍を得、八万四千人、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発す。仏、神足を摂めたもう。是に於て世界、還た復た故の如し。声聞乗を求むる三万二千の天及び人、有為の法は皆悉く無常なりと知り、塵を遠ざけ垢を離れて法眼浄を得。八千の比丘は諸法を受けず、漏尽きて意解く。