維摩経 / 佛國品第一(5)
爾時長者子寶積。說此偈已白佛言。世尊。是五百長者子。皆已發阿耨多羅三藐三菩提心。願聞得佛國土清淨。唯願世尊。說諸菩薩淨土之行。佛言。善哉寶積。乃能為諸菩薩問於如來淨土之行。諦聽諦聽善思念之。當為汝說。於是寶積及五百長者子。受教而聽。佛言。寶積。眾生之類是菩薩佛土。所以者何。菩薩隨所化眾生而取佛土。隨所調伏眾生而取佛土。隨諸眾生應以何國入佛智慧而取佛土。隨諸眾生應以何國起菩薩根而取佛土。所以者何。菩薩取於淨國。皆為饒益諸眾生故。譬如有人欲於空地造立宮室隨意無礙。若於虛空終不能成。菩薩如是。為成就眾生故願取佛國。願取佛國者非於空也。寶積。當知直心是菩薩淨土。菩薩成佛時不諂眾生來生其國。深心是菩薩淨土。菩薩成佛時具足功德眾生來生其國。菩提心是菩薩淨土。菩薩成佛時大乘眾生來生其國。布施是菩薩淨土。菩薩成佛時一切能捨眾生來生其國。持戒是菩薩淨土。菩薩成佛時行十善道滿願眾生來生其國。忍辱是菩薩淨土。菩薩成佛時三十二相莊嚴眾生來生其國。精進是菩薩淨土。菩薩成佛時勤修一切功德眾生來生其國。
新字:爾時長者子宝積。説此偈已白仏言。世尊。是五百長者子。皆已発阿耨多羅三藐三菩提心。願聞得仏国土清浄。唯願世尊。説諸菩薩浄土之行。仏言。善哉宝積。乃能為諸菩薩問於如来浄土之行。諦聴諦聴善思念之。当為汝説。於是宝積及五百長者子。受教而聴。仏言。宝積。衆生之類是菩薩仏土。所以者何。菩薩随所化衆生而取仏土。随所調伏衆生而取仏土。随諸衆生応以何国入仏智慧而取仏土。随諸衆生応以何国起菩薩根而取仏土。所以者何。菩薩取於浄国。皆為饒益諸衆生故。譬如有人欲於空地造立宮室随意無礙。若於虚空終不能成。菩薩如是。為成就衆生故願取仏国。願取仏国者非於空也。宝積。当知直心是菩薩浄土。菩薩成仏時不諂衆生来生其国。深心是菩薩浄土。菩薩成仏時具足功徳衆生来生其国。菩提心是菩薩浄土。菩薩成仏時大乗衆生来生其国。布施是菩薩浄土。菩薩成仏時一切能捨衆生来生其国。持戒是菩薩浄土。菩薩成仏時行十善道満願衆生来生其国。忍辱是菩薩浄土。菩薩成仏時三十二相荘厳衆生来生其国。精進是菩薩浄土。菩薩成仏時勤修一切功徳衆生来生其国。
書き下し
爾の時、長者の子宝積、此の偈を説き已りて仏に白して言さく、世尊、是の五百の長者の子は、皆已に阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。仏国土の清浄なるを得んことを願い聞く。唯願わくは世尊、諸の菩薩の浄土の行を説きたまえ。仏の言わく、善いかな宝積、乃ち能く諸の菩薩の為に如来に浄土の行を問えり。諦かに聴け、諦かに聴け、善く之を思念せよ。当に汝が為に説くべし。是に於て宝積及び五百の長者の子、教えを受けて聴く。仏の言わく、宝積、衆生の類は是れ菩薩の仏土なり。所以は何ん。菩薩は化する所の衆生に随いて仏土を取り、調伏する所の衆生に随いて仏土を取り、諸の衆生の応に何れの国を以て仏の智慧に入るべきかに随いて仏土を取り、諸の衆生の応に何れの国を以て菩薩の根を起こすべきかに随いて仏土を取る。所以は何ん。菩薩の浄国を取るは、皆諸の衆生を饒益せんが為の故なり。譬えば人有りて空地に於て宮室を造立せんと欲するに、意に随いて礙げ無きが如し。若し虚空に於てせば、終に成ずること能わず。菩薩も是くの如し。衆生を成就せんが為の故に仏国を取らんと願う。仏国を取らんと願うは、空に於てするに非ず。宝積、当に知るべし、直心は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、諂わざる衆生、其の国に来生す。深心は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、功徳を具足せる衆生、其の国に来生す。菩提心は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、大乗の衆生、其の国に来生す。布施は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、一切能く捨つる衆生、其の国に来生す。持戒は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、十善道を行じて願を満たせる衆生、其の国に来生す。忍辱は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、三十二相をもて荘厳せる衆生、其の国に来生す。精進は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、勤めて一切の功徳を修する衆生、其の国に来生す。
現代語訳
そのとき、長者の子の宝積は、この偈を説き終えて仏に申し上げました。世尊、この五百人の長者の子は、皆すでに阿耨多羅三藐三菩提を求める心を起こしています。仏の国土が清らかになるにはどうすればよいのかを、お聞きしたいと願っています。どうか世尊、菩薩の浄土を成す行を説いてください。仏は言われました。よいことです、宝積。菩薩のために、如来に浄土の行を問うとは。よく聴きなさい、よく聴いて、しっかり思い巡らせなさい。あなたのために説きましょう。そこで宝積と五百人の長者の子は、教えを受けて聴きました。仏は言われました。宝積よ、衆生の群れこそが、菩薩の仏土です。なぜかというと、菩薩は教え導く衆生に応じて仏土を取り、心を調え導く衆生に応じて仏土を取り、衆生がどの国によって仏の智慧に入れるかに応じて仏土を取り、衆生がどの国によって菩薩の素質を起こせるかに応じて仏土を取るからです。なぜかというと、菩薩が浄国を取るのは、すべて衆生に利益を与えるためだからです。たとえば、人が空き地に宮殿を建てようとすれば、思いのままに建てられますが、虚空に建てようとしても、決して成し遂げられません。菩薩もこれと同じです。衆生を成就させるために、仏国を取ろうと願うのであって、空に向かって願うのではありません。宝積よ、知りなさい。直心は菩薩の浄土です。菩薩が成仏するとき、へつらいのない衆生がその国に生まれます。深心は菩薩の浄土です。菩薩が成仏するとき、功徳を備えた衆生がその国に生まれます。菩提心は菩薩の浄土です。菩薩が成仏するとき、大乗の衆生がその国に生まれます。布施は菩薩の浄土です。菩薩が成仏するとき、すべてを捨てられる衆生がその国に生まれます。持戒は菩薩の浄土です。菩薩が成仏するとき、十善の道を行って願いを満たした衆生がその国に生まれます。忍辱は菩薩の浄土です。菩薩が成仏するとき、三十二相で飾られた衆生がその国に生まれます。精進は菩薩の浄土です。菩薩が成仏するとき、努めてあらゆる功徳を修める衆生がその国に生まれます。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
維摩経・佛國品第一(6)禅定は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、心を摂めて乱れざる衆生、其の国に来生す。智慧は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、正定の衆生、其の国に来生す。四無量心は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、慈悲喜捨を成就せる衆生、其の国に来生す。四摂法は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、解脱して摂せらるる所の衆生、其の国に来生す。方便は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、一切の法に於て方便無礙なる衆生、其の国に来生す。三十七道品は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、念処・正勤・神足・根・力・覚・道の衆生、其の国に来生す。廻向心は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、一切具足の功徳の国土を得。八難を除くことを説くは是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、国土に三悪八難有ること無し。自ら戒行を守りて彼の闕を譏らざるは是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、国土に犯禁の名有ること無し。十善は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、命は中夭せず、大富にして梵行あり、言う所は誠諦なり。常に軟語を以てし、眷属離れず、善く諍訟を和し、言は必ず饒益あり。嫉まず恚らず、正見の衆生、其の国に来生す。是くの如し宝積、菩薩は其の直心に随いて則ち能く発行し、其の発行に随いて則ち深心を得、其の深心に随いて則ち意調伏す。意の調伏に随いて則ち説の如く行じ、説の如く行ずるに随いて則ち能く廻向し、其の廻向に随いて則ち方便有り、其の方便に随いて則ち衆生を成就し、衆生を成就するに随いて則ち仏土浄し。仏土の浄きに随いて則ち説法浄く、説法の浄きに随いて則ち智慧浄く、智慧の浄きに随いて則ち其の心浄く、其の心の浄きに随いて則ち一切の功徳浄し。是の故に宝積、若し菩薩、浄土を得んと欲せば、当に其の心を浄くすべし。其の心の浄きに随いて則ち仏土浄し。
-
維摩経・香積佛品第十(5)彼の諸の菩薩、是を説くを聞き已りて、皆曰く、未曾有なりと。世尊釈迦牟尼仏の如きは、其の無量自在の力を隠して、乃ち貧しき者の楽う所の法を以て衆生を度脱したまう。斯の諸の菩薩も亦能く労謙にして、無量の大悲を以て是の仏土に生ずと。維摩詰言わく、此の土の菩薩は諸の衆生に於いて大悲堅固なること、誠に言う所の如し。然れども其の一世に衆生を饒益すること、彼の国の百千劫の行よりも多し。所以は何ん。此の娑婆世界に十事の善法有り、諸余の浄土の有ること無き所なり。何等をか十と為す。布施を以て貧窮を摂し、浄戒を以て毀禁を摂し、忍辱を以て瞋恚を摂し、精進を以て懈怠を摂し、禅定を以て乱意を摂し、智慧を以て愚癡を摂し、難を除く法を説きて八難の者を度し、大乗の法を以て小乗を楽う者を度し、諸の善根を以て無徳の者を済い、常に四摂を以て衆生を成就す。是を十と為す。彼の菩薩曰く、菩薩、幾の法を成就すれば、此の世界に於いて行じて瘡疣無く、浄土に生ずるや。維摩詰言わく、菩薩、八法を成就すれば、此の世界に於いて行じて瘡疣無く、浄土に生ず。何等をか八と為す。衆生を饒益して報いを望まず。一切衆生に代わりて諸の苦悩を受く。作す所の功徳、尽く以て之に施す。心を等しくして衆生に謙下し、無礙なり。諸の菩薩に於いては、之を視ること仏の如くす。未だ聞かざる所の経は、之を聞きて疑わず。声聞と相違背せず。彼の供を嫉まず、己が利を高ぶらず、而も其の中に於いて其の心を調伏す。常に己が過ちを省みて、彼の短を訟えず。恒に一心を以て諸の功徳を求む。是を八法と為す。維摩詰・文殊師利、大衆の中に於いて是の法を説きたまう時、百千の天人、皆阿耨多羅三藐三菩提の心を発し、十千の菩薩、無生法忍を得たり。
-
維摩経・佛國品第一(8)即時に三千大千世界、若干百千の珍宝もて厳飾せらる。譬えば宝荘厳仏の無量功徳宝荘厳土の如し。一切の大衆、未曾有なりと歎じ、而も皆自ら宝蓮華に坐せるを見る。仏、舎利弗に告げたまわく、汝、且く是の仏土の厳浄なるを観よ。舎利弗の言わく、唯然り世尊。本より見ざる所、本より聞かざる所なり。今、仏の国土の厳浄、悉く現ぜり。仏、舎利弗に語りたまわく、我が仏国土は常に浄きこと此くの若し。斯の下劣の人を度せんと欲するが為の故に、是の衆悪不浄の土を示すのみ。譬えば諸天の宝器を共にして食するに、其の福徳に随いて飯の色に異なること有るが如し。是くの如し舎利弗、若し人の心浄ければ便ち此の土の功徳荘厳を見る。仏、此の国土の厳浄を現じたもう時、宝積の将いる所の五百の長者の子、皆無生法忍を得、八万四千人、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発す。仏、神足を摂めたもう。是に於て世界、還た復た故の如し。声聞乗を求むる三万二千の天及び人、有為の法は皆悉く無常なりと知り、塵を遠ざけ垢を離れて法眼浄を得。八千の比丘は諸法を受けず、漏尽きて意解く。
-
維摩経・菩薩品第四(7)衆生の縛を解きて修行地を起こし、相好及び浄仏土を具うるを以て福徳の業を起こし、一切衆生の心念を知りて応ずるが如く法を説きて智業を起こし、一切法の取らず捨てざるを知りて一相門に入り慧業を起こし、一切の煩悩・一切の障礙・一切の不善法を断じて一切の善業を起こし、以て一切の智慧・一切の善法を得て、一切の仏道を助くる法を起こす。是の如し、善男子。是れを法施の会と為す。若し菩薩、是の法施の会に住せば、大施主と為り、亦一切世間の福田と為る」と。世尊、維摩詰の是の法を説きし時、婆羅門衆の中の二百人、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。我れ時に心清浄を得て、未曾有なりと歎じ、維摩詰の足を稽首して礼し、即ち瓔珞の価直百千なるを解きて、以て之に上る。取ることを肯んぜず。我言わく、「居士、願わくは必ず納受して、意に随いて与うる所にせよ」と。維摩詰乃ち瓔珞を受け、分けて二分と作し、一分を持して此の会の中の一最下の乞人に施し、一分を持して彼の難勝如来に奉る。一切の衆会、皆光明国土の難勝如来を見る。又、珠瓔の彼の仏の上に在りて、変じて四柱の宝台と成り、四面に厳飾して相い障蔽せざるを見る。時に維摩詰、神変を現じ已りて是の言を作す、「若し施主等、心を等しくして一最下の乞人に施すこと、猶お如来の福田の相の如くして分別する所無く、大悲に等しくして果報を求めざれば、是れ則ち名づけて具足せる法施と曰う」と。城中の一最下の乞人、是の神力を見、其の説く所を聞きて、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。故に我は彼に詣りて疾を問うに任せず」と。是の如く諸の菩薩、各各仏に向かいて其の本縁を説き、維摩詰の言う所を称述して、皆曰わく、彼に詣りて疾を問うに任せず、と。
-
維摩経・菩薩品第四(3)仏、光厳童子に告げたまわく、「汝、行きて維摩詰に詣りて疾を問え」と。光厳、仏に白して言さく、「世尊、我は彼に詣りて疾を問うに堪任せず。所以は何ん。憶念するに我れ昔、毘耶離大城を出づるに、時に維摩詰方に城に入る。我即ち為に礼を作して問いて言わく、『居士、何れの所より来たる』と。我に答えて言わく、『吾れ道場より来たる』と。我れ問う、『道場とは何れの所ぞ是れなる』と。答えて曰わく、『直心は是れ道場なり、虚仮無きが故に。発行は是れ道場なり、能く事を辦ずるが故に。深心は是れ道場なり、功徳を増益するが故に。菩提心は是れ道場なり、錯謬無きが故に。布施は是れ道場なり、報いを望まざるが故に。持戒は是れ道場なり、願を得て具うるが故に。忍辱は是れ道場なり、諸の衆生に於いて心に礙無きが故に。精進は是れ道場なり、懈退せざるが故に。禅定は是れ道場なり、心調柔なるが故に。智慧は是れ道場なり、諸法を現見するが故に。慈は是れ道場なり、衆生に等しきが故に。悲は是れ道場なり、疲苦を忍ぶが故に。喜は是れ道場なり、法を悦楽するが故に。捨は是れ道場なり、憎愛断ずるが故に。神通は是れ道場なり、六通を成就するが故に。解脱は是れ道場なり、能く背捨するが故に。方便は是れ道場なり、衆生を教化するが故に。四摂は是れ道場なり、衆生を摂するが故に。多聞は是れ道場なり、聞くが如く行ずるが故に。伏心は是れ道場なり、正しく諸法を観ずるが故に。三十七品は是れ道場なり、有為の法を捨つるが故に。諦は是れ道場なり、世間を誑かさざるが故に。縁起は是れ道場なり、無明乃至老死皆尽くること無きが故に。諸の煩悩は是れ道場なり、如実を知るが故に。衆生は是れ道場なり、無我を知るが故に。一切法は是れ道場なり、諸法の空なることを知るが故に。降魔は是れ道場なり、傾動せざるが故に。三界は是れ道場なり、趣く所無きが故に。師子吼は是れ道場なり、畏るる所無きが故に。力・無畏・不共法は是れ道場なり、諸の過無きが故に。三明は是れ道場なり、余の礙無きが故に。一念に一切法を知るは是れ道場なり、一切智を成就するが故に。是の如し、善男子。菩薩若し諸の波羅蜜に応じて衆生を教化せば、諸の所作有り、足を挙げ足を下ろすも、当に知るべし、皆道場より来たりて仏法に住するなり』と。是の法を説きし時、五百の天人、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発しき。故に我は彼に詣りて疾を問うに任せず」と。
-
維摩経・文殊師利問疾品第五(7)六通を行ずと雖も、而も漏を尽くさざるは、是れ菩薩の行なり。四無量心を行ずと雖も、而も梵世に生ずることを貪著せざるは、是れ菩薩の行なり。禅定・解脱・三昧を行ずと雖も、而も禅に随いて生ぜざるは、是れ菩薩の行なり。四念処を行ずと雖も、而も永く身・受・心・法を離れざるは、是れ菩薩の行なり。四正勤を行ずと雖も、而も身心の精進を捨てざるは、是れ菩薩の行なり。四如意足を行ずと雖も、而も自在の神通を得るは、是れ菩薩の行なり。五根を行ずと雖も、而も衆生の諸根の利鈍を分別するは、是れ菩薩の行なり。五力を行ずと雖も、而も仏の十力を楽求するは、是れ菩薩の行なり。七覚分を行ずと雖も、而も仏の智慧を分別するは、是れ菩薩の行なり。八聖道を行ずと雖も、而も無量の仏道を楽行するは、是れ菩薩の行なり。止観の助道の法を行ずと雖も、而も畢竟して寂滅に墮せざるは、是れ菩薩の行なり。諸法の不生不滅を行ずと雖も、而も相好を以て其の身を荘厳するは、是れ菩薩の行なり。声聞・辟支仏の威儀を現ずと雖も、而も仏法を捨てざるは、是れ菩薩の行なり。諸法の究竟浄相に随うと雖も、而も応ずる所に随いて為に其の身を現ずるは、是れ菩薩の行なり。諸仏の国土の永く寂なること空の如しと観ずと雖も、而も種種の清浄の仏土を現ずるは、是れ菩薩の行なり。仏道を得、法輪を転じ、涅槃に入ると雖も、而も菩薩の道を捨てざるは、是れ菩薩の行なり。 是の語を説く時、文殊師利の将いる所の大衆、其の中の八千の天子、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発しき。