維摩経 / 菩薩品第四(3)
佛告光嚴童子。汝行詣維摩詰問疾。光嚴白佛言。世尊。我不堪任詣彼問疾。所以者何。憶念我昔出毘耶離大城。時維摩詰方入城。我即為作禮而問言。居士從何所來。答我言。吾從道場來。我問道場者何所是。答曰。直心是道場無虛假故。發行是道場能辦事故。深心是道場增益功德故。菩提心是道場無錯謬故。布施是道場不望報故。持戒是道場得願具故。忍辱是道場於諸眾生心無礙故。精進是道場不懈退故。禪定是道場心調柔故。智慧是道場現見諸法故。慈是道場等眾生故。悲是道場忍疲苦故。喜是道場悅樂法故。捨是道場憎愛斷故。神通是道場成就六通故。解脫是道場能背捨故。方便是道場教化眾生故。四攝是道場攝眾生故。多聞是道場如聞行故。伏心是道場正觀諸法故。三十七品是道場捨有為法故。諦是道場不誑世間故。緣起是道場無明乃至老死皆無盡故。諸煩惱是道場知如實故。眾生是道場知無我故。一切法是道場知諸法空故。降魔是道場不傾動故。三界是道場無所趣故。師子吼是道場無所畏故。力無畏不共法是道場無諸過故。三明是道場無餘礙故。一念知一切法是道場成就一切智故。如是善男子。菩薩若應諸波羅蜜教化眾生。諸有所作舉足下足。當知皆從道場來住於佛法矣。說是法時五百天人皆發阿耨多羅三藐三菩提心。故我不任詣彼問疾。
新字:仏告光厳童子。汝行詣維摩詰問疾。光厳白仏言。世尊。我不堪任詣彼問疾。所以者何。憶念我昔出毘耶離大城。時維摩詰方入城。我即為作礼而問言。居士従何所来。答我言。吾従道場来。我問道場者何所是。答曰。直心是道場無虚仮故。発行是道場能辦事故。深心是道場增益功徳故。菩提心是道場無錯謬故。布施是道場不望報故。持戒是道場得願具故。忍辱是道場於諸衆生心無礙故。精進是道場不懈退故。禅定是道場心調柔故。智慧是道場現見諸法故。慈是道場等衆生故。悲是道場忍疲苦故。喜是道場悦楽法故。捨是道場憎愛断故。神通是道場成就六通故。解脱是道場能背捨故。方便是道場教化衆生故。四摂是道場摂衆生故。多聞是道場如聞行故。伏心是道場正観諸法故。三十七品是道場捨有為法故。諦是道場不誑世間故。縁起是道場無明乃至老死皆無尽故。諸煩悩是道場知如実故。衆生是道場知無我故。一切法是道場知諸法空故。降魔是道場不傾動故。三界是道場無所趣故。師子吼是道場無所畏故。力無畏不共法是道場無諸過故。三明是道場無余礙故。一念知一切法是道場成就一切智故。如是善男子。菩薩若応諸波羅蜜教化衆生。諸有所作舉足下足。当知皆従道場来住於仏法矣。説是法時五百天人皆発阿耨多羅三藐三菩提心。故我不任詣彼問疾。
書き下し
仏、光厳童子に告げたまわく、「汝、行きて維摩詰に詣りて疾を問え」と。光厳、仏に白して言さく、「世尊、我は彼に詣りて疾を問うに堪任せず。所以は何ん。憶念するに我れ昔、毘耶離大城を出づるに、時に維摩詰方に城に入る。我即ち為に礼を作して問いて言わく、『居士、何れの所より来たる』と。我に答えて言わく、『吾れ道場より来たる』と。我れ問う、『道場とは何れの所ぞ是れなる』と。答えて曰わく、『直心は是れ道場なり、虚仮無きが故に。発行は是れ道場なり、能く事を辦ずるが故に。深心は是れ道場なり、功徳を増益するが故に。菩提心は是れ道場なり、錯謬無きが故に。布施は是れ道場なり、報いを望まざるが故に。持戒は是れ道場なり、願を得て具うるが故に。忍辱は是れ道場なり、諸の衆生に於いて心に礙無きが故に。精進は是れ道場なり、懈退せざるが故に。禅定は是れ道場なり、心調柔なるが故に。智慧は是れ道場なり、諸法を現見するが故に。慈は是れ道場なり、衆生に等しきが故に。悲は是れ道場なり、疲苦を忍ぶが故に。喜は是れ道場なり、法を悦楽するが故に。捨は是れ道場なり、憎愛断ずるが故に。神通は是れ道場なり、六通を成就するが故に。解脱は是れ道場なり、能く背捨するが故に。方便は是れ道場なり、衆生を教化するが故に。四摂は是れ道場なり、衆生を摂するが故に。多聞は是れ道場なり、聞くが如く行ずるが故に。伏心は是れ道場なり、正しく諸法を観ずるが故に。三十七品は是れ道場なり、有為の法を捨つるが故に。諦は是れ道場なり、世間を誑かさざるが故に。縁起は是れ道場なり、無明乃至老死皆尽くること無きが故に。諸の煩悩は是れ道場なり、如実を知るが故に。衆生は是れ道場なり、無我を知るが故に。一切法は是れ道場なり、諸法の空なることを知るが故に。降魔は是れ道場なり、傾動せざるが故に。三界は是れ道場なり、趣く所無きが故に。師子吼は是れ道場なり、畏るる所無きが故に。力・無畏・不共法は是れ道場なり、諸の過無きが故に。三明は是れ道場なり、余の礙無きが故に。一念に一切法を知るは是れ道場なり、一切智を成就するが故に。是の如し、善男子。菩薩若し諸の波羅蜜に応じて衆生を教化せば、諸の所作有り、足を挙げ足を下ろすも、当に知るべし、皆道場より来たりて仏法に住するなり』と。是の法を説きし時、五百の天人、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発しき。故に我は彼に詣りて疾を問うに任せず」と。
現代語訳
仏は光厳童子に告げられました。「あなたが維摩詰のところへ行って、病気を見舞いなさい。」光厳は仏に申し上げました。「世尊、私は彼のもとへ見舞いに行くことに堪えません。なぜなら、昔のことを思い出すからです。私が毘耶離の大きな城を出たとき、ちょうど維摩詰が城に入ってきました。私は礼をして尋ねました。『居士はどちらから来られましたか。』彼は答えました。『私は道場から来ました。』私は尋ねました。『道場とは、どこのことですか。』彼は答えました。『まっすぐな心が道場です。いつわりがないからです。行いを起こすことが道場です。よく物事を成し遂げるからです。深い心が道場です。功徳を増し加えるからです。菩提心が道場です。誤りがないからです。布施が道場です。見返りを望まないからです。持戒が道場です。願いがかなって備わるからです。忍辱が道場です。多くの衆生に対して心にさわりがないからです。精進が道場です。怠けて退くことがないからです。禅定が道場です。心が調って柔らかくなるからです。智慧が道場です。あらゆる法をありのままに見るからです。慈が道場です。衆生を平等に見るからです。悲が道場です。疲れや苦しみに耐えるからです。喜が道場です。法を楽しむからです。捨が道場です。憎しみと愛着が断たれるからです。神通が道場です。六つの神通を成し遂げるからです。解脱が道場です。よく執着から背き離れるからです。方便が道場です。衆生を教え導くからです。四摂が道場です。衆生を引き寄せるからです。多聞が道場です。聞いたとおりに行うからです。心を調え伏することが道場です。正しくあらゆる法を観じるからです。三十七の修行項目が道場です。有為の法を捨てるからです。真理が道場です。世間をあざむかないからです。縁起が道場です。無明から老死に至るまで尽きることがないからです。もろもろの煩悩が道場です。ありのままを知るからです。衆生が道場です。無我を知るからです。すべての法が道場です。あらゆる法が空であると知るからです。魔を降すことが道場です。動じないからです。三界が道場です。向かうべき所がないからです。獅子吼が道場です。恐れる所がないからです。十力・四無畏・不共法が道場です。もろもろの過ちがないからです。三明が道場です。さわりが残らないからです。一念であらゆる法を知ることが道場です。一切智を成就するからです。このとおりです、善男子よ。菩薩がもし、もろもろの波羅蜜に応じて衆生を教化するなら、そのなすすべて、足を上げ足を下ろすことさえ、みな道場から来て仏法にとどまっているのだと知りなさい。』この法を説かれたとき、五百人の天人が、みな阿耨多羅三藐三菩提を求める心を起こしました。こうした次第で、私は彼のもとへ見舞いに行くことに堪えません。」
解説

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