維摩経 / 菩薩品第四(4)
佛告持世菩薩。汝行詣維摩詰問疾。持世白佛言。世尊。我不堪任詣彼問疾。所以者何。憶念我昔住於靜室。時。魔波旬從萬二千天女。狀如帝釋鼓樂絃歌來詣我所。與其眷屬稽首我足。合掌恭敬於一面立。我意謂是帝釋。而語之言。善來憍尸迦。雖福應有不當自恣。當觀五欲無常以求善本。於身命財而修堅法。即語我言。正士。受是萬二千天女可備掃灑。我言。憍尸迦。無以此非法之物要我沙門釋子此非我宜。所言未訖時維摩詰來謂我言。非帝釋也。是為魔來嬈固汝耳。即語魔言。是諸女等可以與我。如我應受。魔即驚懼念。維摩詰將無惱我。欲隱形去而不能隱。盡其神力亦不得去。即聞空中聲曰。波旬。以女與之乃可得去。魔以畏故俛仰而與。爾時維摩詰語諸女言。魔以汝等與我。今汝皆當發阿耨多羅三藐三菩提心。即隨所應而為說法令發道意。復言。汝等已發道意。有法樂可以自娛。不應復樂五欲樂也。天女即問。何謂法樂。答言。樂常信佛。樂欲聽法。樂供養眾。樂離五欲。樂觀五陰如怨賊。樂觀四大如毒蛇。樂觀內入如空聚。樂隨護道意。樂饒益眾生。樂敬養師。樂廣行施。樂堅持戒。
新字:仏告持世菩薩。汝行詣維摩詰問疾。持世白仏言。世尊。我不堪任詣彼問疾。所以者何。憶念我昔住於静室。時。魔波旬従万二千天女。状如帝釈鼓楽絃歌来詣我所。与其眷属稽首我足。合掌恭敬於一面立。我意謂是帝釈。而語之言。善来憍尸迦。雖福応有不当自恣。当観五欲無常以求善本。於身命財而修堅法。即語我言。正士。受是万二千天女可備掃灑。我言。憍尸迦。無以此非法之物要我沙門釈子此非我宜。所言未訖時維摩詰来謂我言。非帝釈也。是為魔来嬈固汝耳。即語魔言。是諸女等可以与我。如我応受。魔即驚懼念。維摩詰将無悩我。欲隠形去而不能隠。尽其神力亦不得去。即聞空中声曰。波旬。以女与之乃可得去。魔以畏故俛仰而与。爾時維摩詰語諸女言。魔以汝等与我。今汝皆当発阿耨多羅三藐三菩提心。即随所応而為説法令発道意。復言。汝等已発道意。有法楽可以自娯。不応復楽五欲楽也。天女即問。何謂法楽。答言。楽常信仏。楽欲聴法。楽供養衆。楽離五欲。楽観五陰如怨賊。楽観四大如毒蛇。楽観内入如空聚。楽随護道意。楽饒益衆生。楽敬養師。楽広行施。楽堅持戒。
書き下し
仏、持世菩薩に告げたまわく、「汝、行きて維摩詰に詣りて疾を問え」と。持世、仏に白して言さく、「世尊、我は彼に詣りて疾を問うに堪任せず。所以は何ん。憶念するに我れ昔、静室に住せり。時に魔波旬、万二千の天女を従え、帝釈の如き状にして鼓楽絃歌して我が所に来詣す。其の眷属と与に我が足に稽首し、合掌恭敬して一面に立つ。我が意に是れ帝釈なりと謂いて、之に語りて言わく、『善来、憍尸迦。福有るべしと雖も、当に自ら恣にすべからず。当に五欲は無常なりと観じて、以て善本を求むべし。身命財に於いて堅法を修せよ』と。即ち我に語りて言わく、『正士、是の万二千の天女を受けよ。掃灑に備うべし』と。我言わく、『憍尸迦、此の非法の物を以て、沙門釈子たる我に要むること無かれ。此れ我が宜しき所に非ず』と。言う所未だ訖らざる時、維摩詰来たりて我に謂いて言わく、『帝釈に非ざるなり。是れ魔の来たりて汝を嬈固するなるのみ』と。即ち魔に語りて言わく、『是の諸の女らは、以て我に与うべし。我が如きは応に受くべし』と。魔即ち驚き懼れて念う、維摩詰、将に我を悩ますこと無からんやと。形を隠して去らんと欲すれども隠すこと能わず。其の神力を尽くすも亦去ることを得ず。即ち空中の声を聞くに曰わく、『波旬、女を以て之に与えよ。乃ち去ることを得べし』と。魔、畏るるを以ての故に、俛仰して与う。爾の時維摩詰、諸の女に語りて言わく、『魔、汝らを以て我に与えたり。今、汝ら皆当に阿耨多羅三藐三菩提心を発すべし』と。即ち応ずる所に随いて為に法を説き、道意を発さしむ。復た言わく、『汝ら已に道意を発せり。法楽有りて以て自ら娯しむべし。復た五欲の楽を楽しむべからず』と。天女即ち問う、『何をか法楽と謂う』と。答えて言わく、『常に仏を信ずるを楽しみ、法を聴かんと欲するを楽しみ、衆を供養するを楽しみ、五欲を離るるを楽しみ、五陰を怨賊の如しと観ずるを楽しみ、四大を毒蛇の如しと観ずるを楽しみ、内入を空聚の如しと観ずるを楽しみ、道意を随護するを楽しみ、衆生を饒益するを楽しみ、師を敬養するを楽しみ、広く施を行ずるを楽しみ、堅く戒を持つを楽しむ。
現代語訳
仏は持世菩薩に告げられました。「あなたが維摩詰のところへ行って、病気を見舞いなさい。」持世は仏に申し上げました。「世尊、私は彼のもとへ見舞いに行くことに堪えません。なぜなら、昔のことを思い出すからです。私は以前、静かな部屋にいました。そこへ魔の波旬が、一万二千の天女を連れ、帝釈天のような姿で、楽器を鳴らし歌いながら私のところへやって来ました。波旬は眷属とともに私の足に頭を下げ、合掌して敬い、傍らに立ちました。私は帝釈天だと思い込み、こう語りかけました。『よく来られました、憍尸迦よ。福があるとはいえ、気ままにふるまってはなりません。五欲は無常であると観じて、善の根本を求めなさい。身体と命と財において、堅固な法を修めなさい。』すると波旬は私に言いました。『正士よ、この一万二千の天女をお受けください。掃除や水まきの用にお使いください。』私は言いました。『憍尸迦よ、このような法にかなわないものを、沙門である私に求めてはいけません。これは私にふさわしいものではありません。』私がまだ言い終わらないうちに、維摩詰が来て私に言いました。『それは帝釈天ではありません。魔があなたを悩まそうとして来たのです。』そして魔に向かって言いました。『この女性たちを私にくれてよい。私のような者こそ受けるべきだ。』魔はたちまち驚き恐れて思いました。維摩詰は私を悩ませるつもりではないか、と。姿を隠して去ろうとしましたが、隠れることができません。神通力をすべて尽くしても、去ることができませんでした。すると空中から声がして言いました。『波旬よ、女性たちを彼に与えなさい。そうすれば去ることができる。』魔は恐れたために、しぶしぶ女性たちを与えました。そのとき維摩詰は、女性たちに語りました。『魔はあなたがたを私に与えました。いま、あなたがたはみな、阿耨多羅三藐三菩提を求める心を起こしなさい。』そして相手に応じて法を説き、道を求める心を起こさせました。さらに言いました。『あなたがたはすでに道を求める心を起こしました。法の楽しみがあるのですから、それで自ら楽しみなさい。もう五欲の楽しみを楽しんではいけません。』天女たちはすぐに尋ねました。『法の楽しみとは何ですか。』維摩詰は答えました。『いつも仏を信じることを楽しみ、法を聴こうと願うことを楽しみ、僧衆に供養することを楽しみ、五欲を離れることを楽しみ、五陰を怨みある賊のようだと観じることを楽しみ、四大を毒蛇のようだと観じることを楽しみ、身体の内なる感覚の入り口を、誰もいない村のようだと観じることを楽しみ、道を求める心を守り従うことを楽しみ、衆生に利益を与えることを楽しみ、師を敬い養うことを楽しみ、広く施しを行うことを楽しみ、堅く戒を保つことを楽しみます。
解説

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維摩経・菩薩品第四(6)仏、長者の子善徳に告げたまわく、「汝、行きて維摩詰に詣りて疾を問え」と。善徳、仏に白して言さく、「世尊、我は彼に詣りて疾を問うに堪任せず。所以は何ん。憶念するに我れ昔、自ら父の舎に於いて大施会を設け、一切の沙門・婆羅門及び諸の外道・貧窮・下賤・孤独・乞人を供養す。期は七日を満たす。時に維摩詰来たりて会の中に入り、我に謂いて言わく、『長者の子よ、夫れ大施会は、当に汝が設くる所の如くなるべからず。当に法施の会を為すべし。何ぞ是の財施の会を用いんや』と。我言わく、『居士、何をか法施の会と謂う』と。答えて曰わく、『法施の会とは、前無く後無く、一時に一切衆生を供養す。是れを法施の会と名づく』と。曰わく、『何の謂ぞや』と。『謂わく、菩提を以て慈心を起こし、衆生を救うを以て大悲心を起こし、正法を持つを以て喜心を起こし、智慧を摂するを以て捨心を行ず。慳貪を摂するを以て檀波羅蜜を起こし、犯戒を化するを以て尸羅波羅蜜を起こし、無我法を以て羼提波羅蜜を起こし、身心の相を離るるを以て毘梨耶波羅蜜を起こし、菩提の相を以て禅波羅蜜を起こし、一切智を以て般若波羅蜜を起こす。衆生を教化して空を起こし、有為の法を捨てずして無相を起こし、受生を示現して無作を起こし、正法を護持して方便力を起こし、衆生を度するを以て四摂法を起こし、一切を敬事するを以て慢を除く法を起こし、身命財に於いて三堅法を起こし、六念の中に於いて思念の法を起こし、六和敬に於いて質直の心を起こし、正しく善法を行じて浄命を起こし、心浄く歓喜して賢聖に近づくを起こし、悪人を憎まずして調伏の心を起こし、出家の法を以て深心を起こし、説の如く行ずるを以て多聞を起こし、無諍の法を以て空閑処を起こし、仏慧に趣向して宴坐を起こす。
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