法句経 / 第二十六 婆羅門の部 四二二・四二三 円満せる智者
四二二 最上勇猛なる牛(王)、大仙、已服者、無欲者、沐浴者、覺悟者を我は婆羅門と謂ふ。 四二三 人あり前世の生存を知り、又神と惡趣とを見、又生の盡を得、神通圓滿せる智者となり、一切圓滿せる圓滿を有する彼を我は婆羅門と謂ふ。
新字:四二二 最上勇猛なる牛(王)、大仙、已服者、無欲者、沐浴者、覚悟者を我は婆羅門と謂ふ。 四二三 人あり前世の生存を知り、又神と悪趣とを見、又生の尽を得、神通円満せる智者となり、一切円満せる円満を有する彼を我は婆羅門と謂ふ。
書き下し
四二二 最上勇猛なる牛(王)、大仙、已服者、無欲者、沐浴者、覚悟者を我は婆羅門と謂ふ。 四二三 人あり前世の生存を知り、又神と悪趣とを見、又生の尽を得、神通円満せる智者となり、一切円満せる円満を有する彼を我は婆羅門と謂ふ。
現代語訳
最も優れ勇猛な牛(の王)、大いなる仙人、(煩悩に)打ち勝った者、欲のない者、(罪を)洗い清めた者、目覚めた者を、私は婆羅門と呼ぶ。人があって、前世の生存を知り、また天界と悪趣(地獄などの苦しい境涯)とを見、また生まれることの尽きたのを得て、神通を完成した智者となり、一切が円満した円満を持つならば、その人を私は婆羅門と呼ぶ。
解説
『法句経』全四百二十三偈の結びである。四二二偈は呼び名を六つ重ねる。牛王は群れを率いる雄牛で、力強さと落ち着きを兼ねた者の象徴として古代インドでしばしば用いられた。大仙、已服者(煩悩に打ち勝った者)、無欲者、沐浴者、覚悟者と続く。沐浴者は、婆羅門が儀礼として行う沐浴を、罪を洗い落とした者の意に読み替えたものである。四二三偈は前世を知り、天界と悪趣を見、生の尽きることを得たと言い、最後に「一切円満せる円満」という重ねた言葉で閉じる。巻頭の「諸事意を以て先とし」から始まった心の話が、ここで完成した人の姿として着地する。生まれではなく行いで人を呼ぶこの章の語り方は、評価の物差しを何に置くかという問いとして、今の組織にも差し出されている。
関連する章句
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