維摩経 / 菩薩品第四(2)
諸佛知一切眾生畢竟寂滅即涅槃相不復更滅。是故彌勒。無以此法誘諸天子。實無發阿耨多羅三藐三菩提心者。亦無退者。彌勒當令此諸天子捨於分別菩提之見。所以者何。菩提者。不可以身得。不可以心得。寂滅是菩提。滅諸相故。不觀是菩提離諸緣故。不行是菩提無憶念故。斷是菩提捨諸見故。離是菩提離諸妄想故。障是菩提障諸願故。不入是菩提無貪著故。順是菩提順於如故。住是菩提住法性故。至是菩提至實際故。不二是菩提離意法故。等是菩提等虛空故。無為是菩提無生住滅故。知是菩提了眾生心行故。不會是菩提諸入不會故。不合是菩提離煩惱習故。無處是菩提無形色故。假名是菩提名字空故。如化是菩提無取捨故。無亂是菩提常自靜故。善寂是菩提性清淨故。無取是菩提離攀緣故。無異是菩提諸法等故。無比是菩提無可喻故。微妙是菩提諸法難知故。世尊。維摩詰說是法時。二百天子得無生法忍。故我不任詣彼問疾。
新字:諸仏知一切衆生畢竟寂滅即涅槃相不復更滅。是故弥勒。無以此法誘諸天子。実無発阿耨多羅三藐三菩提心者。亦無退者。弥勒当令此諸天子捨於分別菩提之見。所以者何。菩提者。不可以身得。不可以心得。寂滅是菩提。滅諸相故。不観是菩提離諸縁故。不行是菩提無憶念故。断是菩提捨諸見故。離是菩提離諸妄想故。障是菩提障諸願故。不入是菩提無貪著故。順是菩提順於如故。住是菩提住法性故。至是菩提至実際故。不二是菩提離意法故。等是菩提等虚空故。無為是菩提無生住滅故。知是菩提了衆生心行故。不会是菩提諸入不会故。不合是菩提離煩悩習故。無処是菩提無形色故。仮名是菩提名字空故。如化是菩提無取捨故。無乱是菩提常自静故。善寂是菩提性清浄故。無取是菩提離攀縁故。無異是菩提諸法等故。無比是菩提無可喩故。微妙是菩提諸法難知故。世尊。維摩詰説是法時。二百天子得無生法忍。故我不任詣彼問疾。
書き下し
諸仏は一切衆生の畢竟寂滅にして即ち涅槃の相なり、復更に滅せざることを知りたまえり。是の故に弥勒、此の法を以て諸の天子を誘うこと無かれ。実には阿耨多羅三藐三菩提心を発す者無く、亦退く者も無し。弥勒、当に此の諸の天子をして、菩提を分別する見を捨てしむべし。所以は何ん。菩提とは、身を以て得べからず、心を以て得べからず。寂滅は是れ菩提なり、諸相を滅するが故に。観ざるは是れ菩提なり、諸縁を離るるが故に。行ぜざるは是れ菩提なり、憶念無きが故に。断は是れ菩提なり、諸見を捨つるが故に。離は是れ菩提なり、諸の妄想を離るるが故に。障は是れ菩提なり、諸願を障うるが故に。入らざるは是れ菩提なり、貪著無きが故に。順は是れ菩提なり、如に順ずるが故に。住は是れ菩提なり、法性に住するが故に。至は是れ菩提なり、実際に至るが故に。不二は是れ菩提なり、意と法を離るるが故に。等は是れ菩提なり、虚空に等しきが故に。無為は是れ菩提なり、生住滅無きが故に。知は是れ菩提なり、衆生の心行を了するが故に。会せざるは是れ菩提なり、諸入会せざるが故に。合せざるは是れ菩提なり、煩悩の習を離るるが故に。無処は是れ菩提なり、形色無きが故に。仮名は是れ菩提なり、名字空なるが故に。化の如きは是れ菩提なり、取捨無きが故に。無乱は是れ菩提なり、常に自ら静かなるが故に。善寂は是れ菩提なり、性清浄なるが故に。無取は是れ菩提なり、攀縁を離るるが故に。無異は是れ菩提なり、諸法等しきが故に。無比は是れ菩提なり、喩うべきこと無きが故に。微妙は是れ菩提なり、諸法知り難きが故に。世尊、維摩詰、是の法を説きし時、二百の天子、無生法忍を得たり。故に我は彼に詣りて疾を問うに任せず。
現代語訳
諸仏は、すべての衆生が究極のところ静まり滅していて、そのままが涅槃のすがたであり、もう一度滅することはない、と知っておられます。ですから弥勒よ、この教えによって天子たちを誘ってはいけません。実際には、阿耨多羅三藐三菩提を求める心を起こす者もなく、そこから退く者もいないのです。弥勒よ、これらの天子たちに、菩提を分別して捉える見方を捨てさせなさい。なぜなら、菩提は身によって得られず、心によっても得られないからです。寂滅が菩提です。あらゆる相を滅しているからです。観じないことが菩提です。あらゆる縁を離れているからです。行じないことが菩提です。思い込みがないからです。断つことが菩提です。あらゆる見解を捨てているからです。離れることが菩提です。あらゆる妄想を離れているからです。妨げることが菩提です。あらゆる願いをさえぎるからです。入らないことが菩提です。貪りや執着がないからです。従うことが菩提です。如に従っているからです。とどまることが菩提です。法の本性にとどまっているからです。至ることが菩提です。真実の際に至っているからです。二つでないことが菩提です。心と対象とを離れているからです。等しいことが菩提です。虚空に等しいからです。無為が菩提です。生じ、とどまり、滅することがないからです。知ることが菩提です。衆生の心の動きを見通しているからです。出会わないことが菩提です。感覚の入り口が出会うことがないからです。結びつかないことが菩提です。煩悩の習気を離れているからです。居場所がないことが菩提です。形も色もないからです。仮の名であることが菩提です。名前も空だからです。幻のようであることが菩提です。取ることも捨てることもないからです。乱れないことが菩提です。常に自ずから静かだからです。よく静まっていることが菩提です。本性が清らかだからです。取らないことが菩提です。しがみつきを離れているからです。異ならないことが菩提です。あらゆる法が等しいからです。比べるものがないことが菩提です。たとえようがないからです。微妙であることが菩提です。あらゆる法は知りがたいからです。世尊、維摩詰がこの法を説いたとき、二百人の天子が、生じることのない真理を受け入れる悟りの境地(無生法忍)を得ました。こうした次第で、私は彼のもとへ見舞いに行くことに堪えません。」
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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