仏遺教経 / 智慧
汝等比丘、若有智慧、則無貪著。常自省察、不令有失、是則於我法中、能得解脫。若不爾者、既非道人、又非白衣、無所名也。實智慧者、則是度老病死海堅牢船也、亦是無明黑暗大明燈也、一切病者之良藥也、伐煩惱樹之利斧也。是故汝等、當以聞思修慧而自增益。若人有智慧之照、雖無天眼、而是明見人也。是名智慧。
新字:汝等比丘、若有智慧、則無貪著。常自省察、不令有失、是則於我法中、能得解脫。若不爾者、既非道人、又非白衣、無所名也。実智慧者、則是度老病死海堅牢船也、亦是無明黒暗大明灯也、一切病者之良薬也、伐煩悩樹之利斧也。是故汝等、当以聞思修慧而自增益。若人有智慧之照、雖無天眼、而是明見人也。是名智慧。
書き下し
汝等比丘、若し智慧有らば、則ち貪著無し。常に自ら省察して、失有らしめざれ。是れ則ち我が法の中に於て、能く解脱を得ん。若し爾らずんば、既に道人に非ず、又た白衣に非ず、名づくる所無きなり。実の智慧は、則ち是れ老病死の海を度る堅牢の船なり。亦た是れ無明黒暗の大明灯なり。一切の病者の良薬なり。煩悩の樹を伐る利斧なり。是の故に汝等、当に聞思修慧を以て自ら増益すべし。若し人、智慧の照有らば、天眼無しと雖も、是れ明見の人なり。是を智慧と名づく。
現代語訳
比丘たちよ、智慧があれば貪り執着することがない。常に自ら省みて、過ちがないようにせよ。それでこそ、私の法のなかで解脱を得られる。そうでなければ、すでに道の人でもなく、また在家でもなく、呼びようのない者である。真の智慧は、老・病・死の海を渡る堅固な船である。また無明の暗闇を照らす大きな灯火である。あらゆる病者にとっての良薬である。煩悩の樹を伐る鋭い斧である。だからおまえたちは、聞・思・修の三つの慧によって自らを増やせ。もし人に智慧の照らしがあるなら、天眼がなくてもよく見える人である。これを智慧という。
解説
八大人覚の第七。智慧に四つの比喩が与えられる。海を渡る船、暗闇を照らす灯、病者の良薬、煩悩の樹を伐る斧。渡る・照らす・治す・伐る——すべて働きとして描かれ、静的な知識ではない。そして得る道も具体的だ。聞・思・修——聞いて、考えて、修める。読むだけでも考えるだけでも足りない。中ほどの一句が厳しい。智慧がなければ「既に道人に非ず、又た白衣に非ず、名づくる所無きなり」——出家者でも在家でもない、呼びようのない者になる。どっちつかずの状態を、この経は最も嫌う。
この章句が説くこと
智慧老病死の海を度る船無明黒暗の大明灯聞思修慧
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