山鹿語類 / 士道附錄・先生御僕之警戒
同是人。而其爲上下主從也。天之命也。天下皆主也。彼來爲家僕。其命尤可畏。非我所能。皆天也。僕隷豈可慢褻乎。彼亦有性情。唯其所習。皆從氣專利。今待彼以君子之道。亦急不可通。在以愚使愚。利其利。家僕之戒。示公禁次家禮天下之大禁者。定契狀。質證人。因他止彼之暴惡。契狀證人詳可致之。不然則有奸曲之起。
新字:同是人。而其為上下主従也。天之命也。天下皆主也。彼来為家僕。其命尤可畏。非我所能。皆天也。僕隷豈可慢褻乎。彼亦有性情。唯其所習。皆従気専利。今待彼以君子之道。亦急不可通。在以愚使愚。利其利。家僕之戒。示公禁次家礼天下之大禁者。定契状。質証人。因他止彼之暴悪。契状証人詳可致之。不然則有奸曲之起。
書き下し
同じく是れ人にして、其の上下主従たるは、天の命なり。天下は皆主なり。彼来りて家僕と為る、其の命尤も畏るべし。我が能くする所に非ず、皆天なり。僕隷豈に慢褻すべけんや。彼も亦性情有り。唯だ其の習ふ所、皆気に従ひて利を専らにす。今彼を待つに君子の道を以てするも、亦急には通ずべからず。愚を以て愚を使ひ、其の利を利するに在り。家僕の戒めは、公禁を示し、家礼を次にし、天下の大禁は、契状を定め、証人を質とし、他に因りて彼の暴悪を止む。契状証人詳らかに之を致すべし。然らざれば則ち奸曲の起こる有り。
現代語訳
同じ人間でありながら、上下・主従の別があるのは天の命である。天下の人はもとはみな主となりうる身である。その彼が来て自分の家僕となったのは、その命がとりわけ畏れ多いことである。私の力でそうしたのではなく、すべて天のはからいである。召使いをどうして侮り、なれなれしく扱ってよかろうか。彼らにもまた本性と情がある。ただ習ってきたところが、みな気のままに従って利ばかりを求めるのである。いま君子の道で彼らに接しても、すぐには通じない。相手の愚かさに見合ったやり方で使い、彼らが利とするものによって利してやることが大切である。家僕への戒めは、まず公の禁令を示し、次に家の礼法を示し、天下の大きな禁令については、誓約書を定め、保証人を立て、他の者を通じて彼らの乱暴や悪事を止める。誓約書と保証人は詳しく整えておくべきである。そうしなければ、悪だくみが起こる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『弁道』第七則孔門の教へ、仁を至大と為すは何ぞや。能く先王の道を挙げて之を体する者は仁なればなり。先王の道は天下を安んずるの道なり。其の道多端なりと雖も、要は天下を安んずるに帰す。其の本は天命を敬するに在り。天我に命じて天子と為し、諸侯と為し、大夫と為せば、則ち臣民の在る有り。士と為れば則ち宗族妻子の在る有り。皆我を待ちて而る後に安んずる者なり。且つや士大夫は皆其の君と天職を共にする者なり。故に君子の道は、唯仁を大と為す。且つや相親しみ相愛し、相生じ相成し、相輔け相養ひ、相匡し相救ふ者は、人の性然りと為す。故に孟子曰く、「仁なる者は人なり。合はせて之を言へば道なり」と。荀子称す、「君なる者は群なり」と。故に人の道は一人を以て言ふに非ざるなり。必ず億万人を合はせて言を為す者なり。
-
『童子問』卷中問ふ。程子曰く、修養の年を引く所以、国祚の天に祈りて命を永くする所以、常人の聖人に至る所以は、皆工夫這裏に到らば、則ち此の応有り、と。夫れ修養の年を引き、資質の変化するは、皆勉めて至るべし。天に祈りて命を永くする所以に至りては、則ち独り天に係りて、人力の能く致す所に非ず。何の術か能く之を致すべき。曰く、天に祈りて命を永くするは、豈に他有らんや。亦仁と曰ふのみ。夫れ天は心無く、民の心を以て心と為す。民の心悦べば、則ち天の心悦ぶ。民の心厭へば、則ち天の心厭ふ。書に曰く、天の視るは我が民の視るに自り、天の聴くは我が民の聴くに自る、と。民の好む所を好み、民の悪む所を悪めば、民の心悦豫して、則ち以て天に祈りて命を永くすべし。
-
『囲炉夜話』第九十六則・木訥は仁に近く巧令は仁鮮し易に居て命を俟ち、危を見て命を授く。命を言ふ者は、總て其の正を順受するに外ならず。 木訥は仁に近く、巧令は仁鮮し。仁を求むる者は、即ち從りて入るの方を知るべし。
-
『弁名』天命帝鬼神命とは、天の我に命ずるを謂ふなり。或いは有生の初めを以て之を言ひ、或いは今日を以て之を言ふ。中庸に曰く、「天の命ずる之を性と謂ふ」と。是れ有生の初めを以て之を言ふ者なり。書に曰く、「惟れ命は常に于てせず」と。是れ今日を以て之を言ふ者なり。仁斎先生、子夏・孟子の言を引きて、必ず命を以て有生の初めに定まると為す者は非なり。殊に知らず、子夏・孟子は皆彼に在る者を以て天と為し、是に至る者を以て命と為すことを。其の実は則ち命は是れ天の命ずる所なり。天と命と豈に岐つべけんや。是に因りて遂に「五十にして天命を知る」を以て天と命とを知ると為す。豈に是れ有らんや。且つ孟子の所謂「之を致す莫くして至る」者も、亦た貧賤を以て之を言ふのみ。孔子曰く、「富と貴とは、是れ人の欲する所なり。其の道を以てせずして之を得れば処らざるなり。貧と賤とは、是れ人の悪む所なり。其の道を以てせずして之を得るも去らざるなり」と。是れ富貴を得るの道は仁にして、貧賤を得るの道は不仁なり。君子は仁を行ひて以て命を致す。故に書に曰く、「天に永命を祈る」と。易に曰く、「命を致し志を遂ぐ」と。又た曰く、「位を正し命を凝らす」と。唯だ君子は貧賤を致すの道無し。故に孟子云ふのみ。
-
『慎思録』巻之三師尚父曰く、不仁を以て之を得、不仁を以て之を守れば、必ず其の世に及ぶ、と。篤信謂ふ、所謂其の世に及ぶとは、一世にして亡ぶを言ふなり。本邦豊臣氏の起るは、所謂不仁を以て之を得、不仁を以て之を守る者なり。故に一世にして亡ぶ。夫れ不仁なれば則ち天怒り人悪む。故に得ると雖も必ず之を失ふ者は、天意人心の与せざる所なり。足利尊氏の簒奪の如きは、固より不仁を以て之を得と謂ふべし。然れども寛宥容物の度有り。不仁を以て之を守る者は、未だ秀吉の甚しきが如きに至らず。故に其の子孫綿綿として、十三世二百余年に至る。其の間存するが若く亡ぶるが若く、危乱熄まず。是れ亦天人の与せざる所以なり。
-
『洗心洞箚記』卷上・第百四十五條雨余池満ち、一魚潑剌として、誤りて身を地に投じ、展転反側す、蟻既に之を攻む。予飯を喫し了りて、偶々池辺に歩み、其の状を看て、憫みて爾ち蟻を駆り、手づから諸を池に帰す。圉圉洋洋として以て沈没す。喟然として嘆ずること之を久しうし、因りて遂に心に所謂命数の命を悟れり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る