囲炉夜話 / 第九十六則・木訥は仁に近く巧令は仁鮮し
居易俟命,見危授命。言命者,總不外順受其正。 木訥近仁,巧令鮮仁。求仁者,即可知從入之方。
新字:居易俟命,見危授命。言命者,総不外順受其正。 木訥近仁,巧令鮮仁。求仁者,即可知従入之方。
書き下し
易に居て命を俟ち、危を見て命を授く。命を言ふ者は、總て其の正を順受するに外ならず。 木訥は仁に近く、巧令は仁鮮し。仁を求むる者は、即ち從りて入るの方を知るべし。
現代語訳
平穏な境遇にいて天命を待ち、危難を見れば命を投げ出します。天命を語る者は、結局のところ正しい命を素直に受け入れることにほかなりません。飾り気がなく口下手なのは仁に近く、口先がうまく顔つきを取り繕うのは仁が少ないのです。仁を求める者は、ここからどこを入り口にすればよいかを知ることができます。
解説
命と仁という儒学の二つの大きな主題を、経書の言葉を組み合わせて要約した則です。居易俟命は中庸、見危授命は論語憲問篇、順受其正は孟子尽心上篇の言葉です。平時には運命を静かに待ち、危急には命を惜しまないという二つを合わせ、命とは正しい天命を素直に受けることだとまとめています。後半の木訥近仁は論語子路篇、巧令鮮仁は学而篇の巧言令色鮮なし仁を踏まえます。仁への入口は、口のうまさではなく飾らない誠実さにあるというのです。前半は受け入れ方、後半は入り方を示し、どちらも作為を捨てる方向でつながっています。今日でも、弁の立つ人より訥々と誠実な人が信頼されることはよくあります。
この章句が説くこと
仁天命立命誠実論語
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