弁名 / 天命帝鬼神
命者。謂天之命於我也。或以有生之初言之。或以今日言之。中庸曰。天命之謂性。是以有生之初言之者也。書曰。惟命不于常。是以今日言之者也。仁齋先生引子夏孟子之言。必以命定於有生之初者非矣。殊不知子夏孟子。皆以在彼者爲天。以至于是者爲命。其實則命是天之所命。天與命豈可岐乎。因是而遂以五十而知天命爲知天與命。豈有是乎。且孟子所謂莫之致而至者。亦以貧賤言之耳。孔子曰。富與貴。是人之所欲也。不以其道得之不處也。貧與賤。是人之所惡也。不以其道得之不去也。是得富貴之道仁。而得貧賤之道不仁也。君子行仁以致命。故書曰。祈天永命。易曰。致命遂志。又曰。正位凝命。唯君子無致貧賤之道。故孟子云爾。
新字:命者。謂天之命於我也。或以有生之初言之。或以今日言之。中庸曰。天命之謂性。是以有生之初言之者也。書曰。惟命不于常。是以今日言之者也。仁斎先生引子夏孟子之言。必以命定於有生之初者非矣。殊不知子夏孟子。皆以在彼者為天。以至于是者為命。其実則命是天之所命。天与命豈可岐乎。因是而遂以五十而知天命為知天与命。豈有是乎。且孟子所謂莫之致而至者。亦以貧賤言之耳。孔子曰。富与貴。是人之所欲也。不以其道得之不処也。貧与賤。是人之所悪也。不以其道得之不去也。是得富貴之道仁。而得貧賤之道不仁也。君子行仁以致命。故書曰。祈天永命。易曰。致命遂志。又曰。正位凝命。唯君子無致貧賤之道。故孟子云爾。
書き下し
命とは、天の我に命ずるを謂ふなり。或いは有生の初めを以て之を言ひ、或いは今日を以て之を言ふ。中庸に曰く、「天の命ずる之を性と謂ふ」と。是れ有生の初めを以て之を言ふ者なり。書に曰く、「惟れ命は常に于てせず」と。是れ今日を以て之を言ふ者なり。仁斎先生、子夏・孟子の言を引きて、必ず命を以て有生の初めに定まると為す者は非なり。殊に知らず、子夏・孟子は皆彼に在る者を以て天と為し、是に至る者を以て命と為すことを。其の実は則ち命は是れ天の命ずる所なり。天と命と豈に岐つべけんや。是に因りて遂に「五十にして天命を知る」を以て天と命とを知ると為す。豈に是れ有らんや。且つ孟子の所謂「之を致す莫くして至る」者も、亦た貧賤を以て之を言ふのみ。孔子曰く、「富と貴とは、是れ人の欲する所なり。其の道を以てせずして之を得れば処らざるなり。貧と賤とは、是れ人の悪む所なり。其の道を以てせずして之を得るも去らざるなり」と。是れ富貴を得るの道は仁にして、貧賤を得るの道は不仁なり。君子は仁を行ひて以て命を致す。故に書に曰く、「天に永命を祈る」と。易に曰く、「命を致し志を遂ぐ」と。又た曰く、「位を正し命を凝らす」と。唯だ君子は貧賤を致すの道無し。故に孟子云ふのみ。
現代語訳
「命」とは、天が私に命じることをいう。生まれた初めについて言う場合もあり、今日について言う場合もある。『中庸』に「天の命じたもの、これを性という」とあるのは、生まれた初めについて言ったものである。『書経』に「命は一定ではない」とあるのは、今日について言ったものである。仁斎先生が子夏や孟子の言葉を引いて、命は必ず生まれた初めに定まるとしたのは誤りである。子夏も孟子も、向こう側にあるものを天とし、こちらに至ったものを命としたのであって、実際には命は天の命じたものであることを、まったく知らないのである。天と命を分けられようか。それで先生は「五十にして天命を知る」を「天と命とを知る」と解したが、そんなことがあろうか。また孟子のいう「招いたわけでもないのにやって来る」というのも、貧賤について言ったにすぎない。孔子は「富と貴さは人の欲するものである。正しい道によらずに得たのならそこに居座らない。貧と賤しさは人の嫌うものである。正しい道によらずにそうなったのでも逃げ出さない」と言った。つまり富貴を得る道は仁であり、貧賤を得る道は不仁なのである。君子は仁を行って命を招き寄せる。だから『書経』に「天に命の永からんことを祈る」とあり、易に「命を致して志を遂げる」、また「位を正して命を固める」とある。ただ君子には貧賤を招くような道がない。だから孟子はそう言ったのである。
解説
この章句が説くこと
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『童子問』卷中問ふ。程子曰く、修養の年を引く所以、国祚の天に祈りて命を永くする所以、常人の聖人に至る所以は、皆工夫這裏に到らば、則ち此の応有り、と。夫れ修養の年を引き、資質の変化するは、皆勉めて至るべし。天に祈りて命を永くする所以に至りては、則ち独り天に係りて、人力の能く致す所に非ず。何の術か能く之を致すべき。曰く、天に祈りて命を永くするは、豈に他有らんや。亦仁と曰ふのみ。夫れ天は心無く、民の心を以て心と為す。民の心悦べば、則ち天の心悦ぶ。民の心厭へば、則ち天の心厭ふ。書に曰く、天の視るは我が民の視るに自り、天の聴くは我が民の聴くに自る、と。民の好む所を好み、民の悪む所を悪めば、民の心悦豫して、則ち以て天に祈りて命を永くすべし。
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