童子問 / 卷中
問。程子曰。修養之所以引年。國祚之所以祈天永命。常人之所以至於聖人。皆工夫到這裏。則有此應。夫修養之引年。資質之變化。皆可勉而至焉。至所以祈天永命。則獨係於天。而非人力之所能致。何術可能致之。曰。祈天永命。豈有他哉。亦曰。仁而已矣。夫天無心。以民心爲心。民心悅焉。則天心悅矣。民心厭焉。則天心厭矣。書曰。天視自我民視。天聽自我民聽。好民之所好。惡民之所惡。民心悅豫。則可以祈天永命也。
新字:問。程子曰。修養之所以引年。国祚之所以祈天永命。常人之所以至於聖人。皆工夫到這裏。則有此応。夫修養之引年。資質之変化。皆可勉而至焉。至所以祈天永命。則独係於天。而非人力之所能致。何術可能致之。曰。祈天永命。豈有他哉。亦曰。仁而已矣。夫天無心。以民心為心。民心悦焉。則天心悦矣。民心厭焉。則天心厭矣。書曰。天視自我民視。天聴自我民聴。好民之所好。悪民之所悪。民心悦予。則可以祈天永命也。
書き下し
問ふ。程子曰く、修養の年を引く所以、国祚の天に祈りて命を永くする所以、常人の聖人に至る所以は、皆工夫這裏に到らば、則ち此の応有り、と。夫れ修養の年を引き、資質の変化するは、皆勉めて至るべし。天に祈りて命を永くする所以に至りては、則ち独り天に係りて、人力の能く致す所に非ず。何の術か能く之を致すべき。曰く、天に祈りて命を永くするは、豈に他有らんや。亦仁と曰ふのみ。夫れ天は心無く、民の心を以て心と為す。民の心悦べば、則ち天の心悦ぶ。民の心厭へば、則ち天の心厭ふ。書に曰く、天の視るは我が民の視るに自り、天の聴くは我が民の聴くに自る、と。民の好む所を好み、民の悪む所を悪めば、民の心悦豫して、則ち以て天に祈りて命を永くすべし。
現代語訳
問う。程子は「養生によって寿命を延ばすこと、国運が天に祈って命を永くすること、普通の人が聖人に至ることは、みな工夫がそこまで至れば、それに応じた効果がある」と言った。養生によって寿命を延ばすことや、資質を変えることは、どれも努力すれば到達できる。しかし天に祈って国の命を永くすることは、ただ天にかかっていて、人の力でできることではない。どんな方法でそれを実現できるのか。答える。天に祈って命を永くすることに、ほかの方法などあろうか。仁と言うだけである。そもそも天には心がなく、民の心を心とする。民の心が喜べば天の心も喜び、民の心が嫌えば天の心も嫌う。書経に「天が見るのはわが民が見るのにより、天が聞くのはわが民が聞くのによる」とある。民の好むものを好み、民の嫌うものを嫌えば、民の心は喜び楽しみ、そうして天に祈って命を永くすることができるのである。
解説
この章句が説くこと
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『囲炉夜話』第九十六則・木訥は仁に近く巧令は仁鮮し易に居て命を俟ち、危を見て命を授く。命を言ふ者は、總て其の正を順受するに外ならず。 木訥は仁に近く、巧令は仁鮮し。仁を求むる者は、即ち從りて入るの方を知るべし。
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『慎思録』巻之三師尚父曰く、不仁を以て之を得、不仁を以て之を守れば、必ず其の世に及ぶ、と。篤信謂ふ、所謂其の世に及ぶとは、一世にして亡ぶを言ふなり。本邦豊臣氏の起るは、所謂不仁を以て之を得、不仁を以て之を守る者なり。故に一世にして亡ぶ。夫れ不仁なれば則ち天怒り人悪む。故に得ると雖も必ず之を失ふ者は、天意人心の与せざる所なり。足利尊氏の簒奪の如きは、固より不仁を以て之を得と謂ふべし。然れども寛宥容物の度有り。不仁を以て之を守る者は、未だ秀吉の甚しきが如きに至らず。故に其の子孫綿綿として、十三世二百余年に至る。其の間存するが若く亡ぶるが若く、危乱熄まず。是れ亦天人の与せざる所以なり。
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『都鄙問答』卷之四・醫ノ志ヲ問ノ段療治すべきことなり。薬礼を思はずといへども、病家よりは、一命を頼むことなれば、身分相応の謝礼は有ることなり。或人云へることあり、渡世の為ならば、医者はすべき者にあらずといへり。薬をほどこすと云ふ所より見れば、左も有るべきこと哉。渡世のためにせば、薬礼の滞る所へは、往きがたき心も出づべきことなり。追付け見舞はんと云ひて延引致し、其の病人若し死にも至らば、天命とは云ひながら、其の医の心に成りて見ば、我より不仁の私欲を以て、かくなし行ひ、天命と片づけては置きがたかるべし。孟子曰く、人を殺すに刃と政とを以てす、以て異なること有るか、以て異なること無きなりと。殺す品は替るとも、罪にかはりは有るべからず。恐るべきことなり。心一杯をつくし、人の命を惜しむ仁心ありて、薬をほどこし、
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『五常訓』巻之三・仁之下幼きを慈むは、わが弟を愛するなり。凡天下の病者、かたわ、子なき老人、父なきみなし子、やもめなどの、貧窮にしてたよりなき者は、皆我が兄弟の内にて、不幸なる人なり。とりわき憐むべし。人たる者は天の子にして、天下の人は、皆わが兄弟なる事かくの如し。故におよそ人となる者は、天地につかへて、おそれつつしみ、天地の道にしたがひ行はずんばあるべからず。人の子として、親に孝するが如くなるべし。天理にそむくは、子として父母にそむく、悖徳の子の如し。仁を害するは、天のため賊子なり。賊子とは、親の仇敵となる子を云ふ。天につかふる道をつくして、天心にかなへる人は、子として舜の如き大孝の人なり。天災にあひて、難儀に及ぶといへども、つつしみて天命を畏れしたがひ、天を怨みざるは、人の子としては、申生が継母の讒にあひて、父献公より殺されしかど、父母をうらみざるが如し。
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尚書・太甲下伊尹申(かさ)ねて王に誥(つ)げて曰く、「嗚呼(ああ)、
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孟子・梁惠王章句下魯の平公將に出でんとす。嬖人臧倉なる者請うて曰く、「他日、君出づれば、則ち必ず有司に之く所を命ず。今、輿に乘り已に駕す。有司未だ之く所を知らず。敢て請う。」公曰く、「將に孟子を見んとす。」曰く、「何ぞや。君の為す所、身を輕んじて以て匹夫に先だつとは。以て賢と為すか。禮義は賢者由り出づ。而るに孟子の後喪は前喪に踰えたり。君、見る無かれ。」公曰く、「諾。」樂正子、入り見えて曰く、「君、奚為れぞ孟軻を見ざるや。」曰く、「或ひと寡人に告げて曰く、『孟子の後喪は前喪を踰えたり。』是を以て往きて見ざるなり。」曰く、「何ぞや。君の所謂踰ゆとは。前には士を以てし、後には大夫を以てし、前には三鼎を以てし、後には五鼎を以てしたるか。」曰く、「否。棺槨衣衾の美を謂うなり。」曰く、「所謂踰ゆるには非ざるなり。貧富同じからざればなり。」樂正子、孟子に見えて曰く、「克、君に告ぐ。君、來たり見んと為す。嬖人に臧倉なる者有り、君を沮む。君是を以て來たることを果たさざるなり。」曰く、「行くも之を使しむる或り、止まるも之を尼むる或り。行止は人の能くする所に非ざるなり。吾の魯侯に遇わざるは、天なり。臧氏の子、焉ぞ能く予をして遇わしめざらんや。」
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