山鹿語類 / 士道附錄・先生子弟警戒
平生愼思我所業我所職。家旣列武門。生茲長士手。所思在守此義。冠婚喪祭之大禮。不可以私。能通古今聖賢之法。隨時代之風俗。在不失其大要。凡事物之用。各究其理。詳其實。以天地之常經。可糾明焉。致知之極。在學問。唯學問。而不致知。則文是害而已矣。
新字:平生慎思我所業我所職。家既列武門。生茲長士手。所思在守此義。冠婚喪祭之大礼。不可以私。能通古今聖賢之法。随時代之風俗。在不失其大要。凡事物之用。各究其理。詳其実。以天地之常経。可糾明焉。致知之極。在学問。唯学問。而不致知。則文是害而已矣。
書き下し
平生我が業とする所、我が職とする所を慎思せよ。家既に武門に列し、茲に生まれて士の手に長ず。思ふ所は此の義を守るに在り。冠婚喪祭の大礼は、私を以てすべからず。能く古今聖賢の法に通じ、時代の風俗に随ひて、其の大要を失はざるに在り。凡そ事物の用は、各々其の理を究め、其の実を詳らかにし、天地の常経を以て糾明すべし。致知の極は学問に在り。唯だ学問して知を致さざれば、則ち文是れ害あるのみ。
現代語訳
ふだんから、自分の業とすること、自分の職とすることを慎んで考えよ。家はすでに武門に連なり、そこに生まれて武士の手で育てられた。思うべきは、この義を守ることにある。元服・婚礼・葬儀・祭祀という大きな礼は、自分勝手に行ってはならない。古今の聖人賢者の法によく通じ、その時代の風俗に従いながら、その大事な要点を失わないことにある。およそ事物の用い方は、それぞれその理を究め、その実際を詳しく調べ、天地の変わらない道理によって正し明らかにすべきである。知を極めることの究極は学問にある。ただ学問するだけで知を極めなければ、文章はただ害になるだけである。
解説
この章句が説くこと
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史記 孔子世家吾は周に従はん」と。故に書伝・礼記は孔氏よりす。孔子魯の大師に語る、「楽は其れ知るべきなり。始め作すに翕如たり、之を縦てば純如たり、皦如たり、繹如たり、以て成る」と。「吾衛より魯に反り、然る後に楽正しく、雅頌各々其の所を得たり」と。古者詩三千余篇、孔子に至るに及び、其の重なるを去り、礼義に施すべきを取り、上は契・后稷を采り、中は殷周の盛んなるを述べ、幽厲の缺くるに至る、衽席に始まる、故に曰く「関雎の乱以て風の始めと為し、鹿鳴を小雅の始めと為し、文王を大雅の始めと為し、清廟を頌の始めと為す」と。三百五篇孔子皆之を弦歌し、以て韶武雅頌の音に合はんことを求む。礼楽此より得て述ぶべく、以て王道を備へ、六芸を成す。孔子晩にして易を喜み、彖・繫・象・説卦・文言を序す。易を読み、韋編三たび絶つ。曰く、「我に数年を仮さば、是くの若くして、我易に於て則ち彬彬たらん」と。孔子詩書礼楽を以て教ふ、弟子蓋し三千、身六芸に通ずる者七十有二人。顔濁鄒の徒の如き、頗る業を受くる者甚だ衆し。孔子四を以て教ふ、文・行・忠・信。四を絶つ、意毋く、必毋く、固毋く、我毋し。慎む所は、斉・戦・疾。子罕に利と命と仁とを言ふ。憤せざれば啓せず、一隅を挙げて三隅を以て反さざれば、則ち復たせざるなり。其の郷党に於ては、恂恂として言ふ能はざる者に似たり。其の宗廟朝廷に於ては、辯辯として言ふ、唯謹むのみ。朝にて、上大夫と言ふには、誾誾如たり。下大夫と言ふには、侃侃如たり。公門に入るには、鞠躬如たり。趨り進むには、翼如たり。君召して儐せしむれば、色勃如たり。君命じて召せば、駕を俟たずして行く。魚餒れ、肉敗れ、割正しからざれば、食はず。席正しからざれば、坐せず。喪有る者の側に食するときは、未だ嘗て飽かざるなり。是の日哭すれば、則ち歌はず。斉衰・瞽者を見れば、童子と雖も必ず変ず。「三人行へば、必ず我が師を得」と。
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『大和俗訓』巻之二・為学下一学問の道は、師を尊ぶにあり。師尊くして道尊ぶべし。道尊くして民道をうやまふ。故に君として位高しといへども、師をば臣として賤しめず。いにしへ大学にしては、天子にをしふるにも北面せず。師をたつとべばなり。
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『洗心洞箚記』卷上・第九十一條学者は心性の理に明らかにし、天人の義を知ると云ふと雖も、然れども儀礼の喪服、及び卜氏の伝に精通せずんば、則ち人倫の差等の微妙なる処に於て、分暁明白なる能はず。如し分暁明白ならずんば、則ち其の行事は未だ妄行恣睢、空と俗とに陥るを免れざるなり。是れ聖教に背くを知らずして自ら之に背くなり。故に礼は講究せざるべからざるなり。然れども徒らに講究して経伝に精通すと雖も、心性の理に明らかならず、天人の義を知らずんば、則ち是れ乃ち源無きの学にして、章句訓詁の陋に終る。是れ亦先聖の教に非ざるなり。要するに一に偏るは不可なり。吁、聖教は円にして方、方にして円なり。志無くんば則ち担当し難し、亦宜ならずや。
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孔子家語・致思孔子伯魚に謂いて曰わく、「鯉よ、吾聞く、以て人と終日倦まざる者は、其れ唯だ学のみと。其の容体は観るに足らず、其の勇力は憚るに足らず、其の先祖は称するに足らず、其の族姓は道うに足らず。終わりて大名有り、以て四方に顕聞し、声を後裔に流す者は、豈に学の効に非ずや。故に君子は学ばずんばある可からず。其の容は飭らずんばある可からず、飭らざれば類無く、類無ければ親を失い、親を失えば忠ならず、忠ならざれば礼を失い、礼を失えば立たず。夫れ遠くして光有る者は、飭なり。近くして愈々明らかなる者は、学なり。之を汙池に譬うるに、水潦焉に注ぎ、雚葦焉に生ず。之を観る者有りと雖も、孰か其の源を知らんや。」
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『慎思録』巻之一学を為すの道は、仁を為すを以て本と為し、忠信を以て主と為し、孝弟を以て先と為し、博文約礼を以て勤めと為し、君子為るを以て志と為す。是れ孔門人を教ふるの規模なり。仁なる者は何ぞや。是れ善を為すの総称、慈愛の理なり。孟子、放心を求むるを以て学問の道と為す。放心を求むる者は、乃ち仁を求むるなり。
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『学則』答屈景山書夫れ学問なる者は君子の事なり。君子は争ふ所無し。争へば斯ち徳を害す。問ふ者は弟子の事なり。弟子の礼を秉りて訟ふる者の鬩ぎを用ふ。鬩げば斯ち礼を害す。徳と礼とを害する者は、君子由らざるなり。孟子の弁を好みて楊墨を闢けしより、其の時の已むを得ざるに由ると雖も、亦た古の道に非ざるなり。不佞窃かに焉を惜しむ。爾後、稷下の市学、田巴一日に千人を服す。流風の扇ぐ所、是非蜂涌し、百世に紛呶たり。悲しいかな。彼の浮屠の勘弁有るが若きは、則ち亦た訟へを聴く者の道なり。儒の黠き者、陰かに其の術を操り、以て人を窺ひて自ら憙ぶ。乃ち名教の罪人なり。
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