洗心洞箚記 / 卷上・第九十一條
學者雖明心性之理、知天人之義云、然不精通於儀禮喪服、及卜氏之傳、則於人倫之差等微妙處、不能分曉明白焉、如不分曉明白、則其行事未免妄行恣睢陷空與俗也、是不知背于聖敎而自背之、故禮不可不講究也、然徒講究而雖精通於經傳、不明心性之理、知天人之義、則是乃無源之學、而終乎章句訓詁之陋焉、是亦非先聖敎也、要偏于一不可矣、吁、聖敎圓而方、方而圓、無志則難擔當、不亦宜乎、
新字:学者雖明心性之理、知天人之義云、然不精通於儀礼喪服、及卜氏之伝、則於人倫之差等微妙処、不能分暁明白焉、如不分暁明白、則其行事未免妄行恣睢陥空与俗也、是不知背于聖教而自背之、故礼不可不講究也、然徒講究而雖精通於経伝、不明心性之理、知天人之義、則是乃無源之学、而終乎章句訓詁之陋焉、是亦非先聖教也、要偏于一不可矣、吁、聖教円而方、方而円、無志則難担当、不亦宜乎、
書き下し
学者は心性の理に明らかにし、天人の義を知ると云ふと雖も、然れども儀礼の喪服、及び卜氏の伝に精通せずんば、則ち人倫の差等の微妙なる処に於て、分暁明白なる能はず。如し分暁明白ならずんば、則ち其の行事は未だ妄行恣睢、空と俗とに陥るを免れざるなり。是れ聖教に背くを知らずして自ら之に背くなり。故に礼は講究せざるべからざるなり。然れども徒らに講究して経伝に精通すと雖も、心性の理に明らかならず、天人の義を知らずんば、則ち是れ乃ち源無きの学にして、章句訓詁の陋に終る。是れ亦先聖の教に非ざるなり。要するに一に偏るは不可なり。吁、聖教は円にして方、方にして円なり。志無くんば則ち担当し難し、亦宜ならずや。
現代語訳
学ぶ者が心性の理に明らかで、天と人の義を知っていると言っても、『儀礼』の喪服篇と卜氏(子夏)の伝に精通していなければ、人倫の等級の微妙なところで、はっきりと見分けることができない。はっきり見分けられなければ、その行いはでたらめで勝手気ままになり、空虚か俗悪かに陥るのを免れない。これは聖人の教えに背くと知らずに自ら背いているのである。だから礼は講究しなければならない。しかしいたずらに講究して経伝に精通しても、心性の理に明らかでなく天人の義を知らなければ、それは源のない学問であり、章句訓詁の狭さに終わる。これもまた昔の聖人の教えではない。要するに一方に偏ってはならない。ああ、聖人の教えは円くて方正、方正にして円い。志がなければ担いきれないのも、もっともではないか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之一学を為すの道は、仁を為すを以て本と為し、忠信を以て主と為し、孝弟を以て先と為し、博文約礼を以て勤めと為し、君子為るを以て志と為す。是れ孔門人を教ふるの規模なり。仁なる者は何ぞや。是れ善を為すの総称、慈愛の理なり。孟子、放心を求むるを以て学問の道と為す。放心を求むる者は、乃ち仁を求むるなり。
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『慎思録』巻之六古来本邦の文学の士、往往詩文を作為することを喜ぶ。其の工夫甚だ苦し。然れども其の文字多しと雖も、中華の作に似ず、作文の法度無き者多し。惜しむべし、箇の無益の閑労擾を做し、枉げて心力を費やすことを。若し果たして道を求むるの志有らば、断じて此に到らじ。
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『文武訓』文訓下一世の中に、生れつきすなほなれども書を読まず、又書は読めど道に志なき人あり、をしむべし。つとめて書を読み、道に志あれども、正学のすぢを知らずして、身ををはるまで大道にうとき人あり。是亦をしむべし。是皆聰明の足らざる故なり。
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『慎思録』巻之四善く学ぶ者は、志倦まず、心盈たず。一善の聞かず、一理の知らざること、歉然として飲食の飽かざるが如し。此れ何に繇りて然るや。誠に道は限り無くして、事は尽くること無きを以てなり。君子の平居無事の時に当たりては、大率衆人と異なること無し。艱難多事に遇ひて、而る後に其の才器の蘊蓄する所、優れて且つ長ずることを見る。所謂盤根錯節に遇はざれば、以て利器を別つに足ること無きなり。
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『講孟余話』附尾 讀保建大記一條跋。講孟劄記成る。因りて復た瀏覧すること一周、遂に名を講孟余話と改む。蓋し劄は鍼刺なり。凡そ其の記す所、精義を発し、文藻を摛ぶること、鍼の膚を刺して鮮血迸り出づるが如く、鍼の衣を刺して彩線絺繍するが如くにして、而る後以て称名と為すに足るのみ。而して余の此の著、豈に其れ然らんや。余の獄に在るや、囚徒胥ひ居り、其の已に家に帰るや、親戚盍簪す。時に乃ち孟子を把りて之れを講ず。其の訓詁を精しくするに非ず、其の文字を喜ぶに非ず、唯だ其の一憂一楽、一喜一怒、尽く諸を孟子に寓するのみ。故に其の喜楽に当りてや、孟子を講じて、復た益々喜楽し、其の憂怒に当りてや、孟子を講じて、復た益々憂怒す。憂怒の抑ふべからず、喜楽の歇むべからず、話に随ひ話に随ひ、稍積みて巻を成す者、即ち此の著なり。然らば則ち是れ特に講孟の余話のみ、何ぞ劄記と為すことを得んや。余已に囚徒親戚と、其の憂楽を同じくし、其の喜怒を共にす、亦已に足れり。而るに又之れを録して巻を成し以て世に問ふ、太だ贅ならずや。且つ此れを持して経学先生に問はんか、経学先生将に其の雑駁麁豪を罵らんとす。此れを持して文章博士に問はんか、文章博士将に其の鄙俚蕪陋を笑はんとす。然らば則ち当今の世、孰れか問ひ孰れか答へんや。噫、是れ吾が余話の録に已む能はざる所以なり。夫れ天下経学文章を以て教へと為す、蓋し亦久しいかな。経学益々明らかに、文章益々美にして、国威日に細く、外夷日に熾んなり。斯の道の道たる所以の者は、果して何くにか在る。則ち天下吾と憂楽を同じくし喜怒を共にする者、亦何ぞ独り一二の囚徒親戚のみならんや。而るに余屏居して世を謝す、世其の人有りと雖も、相従ひて晤言するに由なし。則ち余話の録、吾益々已む能はざるなり。噫、天下の士、其れ何を以て之れを教へん。安政三年、歳丙辰に次る、季夏の日、二十一回猛士藤寅、諸を松陰の囚室に書す。此の編、業を去年六月十三日に起し、今年六月十三日に卒る。中間或は作り或は輟め、居処已に変じ、会する者又異なり、而して正に期月に当りて、方に乃ち編を成す、亦奇ならずや。寅重ねて書す。
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