大和俗訓 / 巻之二・為学下
一學問の道は、師を尊ぶにあり。師尊くして道尊ぶべし。道尊くして民道をうやまふ。故に君として位高しといへども、師をば臣として賤しめず。いにしへ大學にしては、天子にをしふるにも北面せず。師をたつとべばなり。
新字:一学問の道は、師を尊ぶにあり。師尊くして道尊ぶべし。道尊くして民道をうやまふ。故に君として位高しといへども、師をば臣として賤しめず。いにしへ大学にしては、天子にをしふるにも北面せず。師をたつとべばなり。
書き下し
一学問の道は、師を尊ぶにあり。師尊くして道尊ぶべし。道尊くして民道をうやまふ。故に君として位高しといへども、師をば臣として賤しめず。いにしへ大学にしては、天子にをしふるにも北面せず。師をたつとべばなり。
現代語訳
学問の道は、師を尊ぶことにあります。師が尊ければ道は尊ばれるべきものになります。道が尊ければ民は道を敬います。ですから君主として位が高くても、師を臣下として卑しめることはしません。昔、大学では、天子に教えるときでも師は北面しませんでした。師を尊んだからです。
解説
『礼記』学記篇にある「師厳にして然る後に道尊し」という考え方を踏まえた条です。臣下は君主に対して北を向いて座るのが礼ですが、師は天子に教えるときでもそうしなかったと述べ、師の地位の特別さを示しています。教える人が尊重されてこそ、教えの中身も重んじられるという道理です。家庭で親が先生を軽んじれば子も学びを軽んじます。学ぶ場を大切にするには、まず教える人を敬う姿勢からだと教えています。
この章句が説くこと
師学問礼敬教育
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