慎思録 / 巻之一
爲學之道。以爲仁爲本。以忠信爲主。以孝弟爲先。以博文約禮爲勤。以爲君子爲志。是孔門敎人之規模也。仁也者何也。是爲善之惣稱。慈愛之理也。孟子以求放心爲學問之道。求放心者。乃求仁也。
新字:為学之道。以為仁為本。以忠信為主。以孝弟為先。以博文約礼為勤。以為君子為志。是孔門教人之規模也。仁也者何也。是為善之惣称。慈愛之理也。孟子以求放心為学問之道。求放心者。乃求仁也。
書き下し
学を為すの道は、仁を為すを以て本と為し、忠信を以て主と為し、孝弟を以て先と為し、博文約礼を以て勤めと為し、君子為るを以て志と為す。是れ孔門人を教ふるの規模なり。仁なる者は何ぞや。是れ善を為すの総称、慈愛の理なり。孟子、放心を求むるを以て学問の道と為す。放心を求むる者は、乃ち仁を求むるなり。
現代語訳
学問の道は、仁を行うことを根本とし、忠と信を主とし、孝と弟を先とし、広く学んで礼で締めくくることを務めとし、君子になることを志とします。これが孔子の門で人を教えた骨組みです。仁とは何でしょうか。善を行うことの総称であり、慈しみ愛する道理です。孟子は、失った心を探し求めることを学問の道としました。失った心を求めるとは、つまり仁を求めることです。
解説
学問の全体像を五つの柱で簡潔に示した条です。本・主・先・勤め・志と役割を割り振るところに、益軒の整理の上手さが表れています。「博文約礼」は『論語』雍也篇、「放心を求む」は『孟子』告子上篇の「学問の道は他無し、其の放心を求むるのみ」に拠ります。仁を「慈愛の理」と説くのは朱子の定義を受けたものです。何のために学ぶのかが曖昧になったとき、根本と順序を確かめ直すための見取り図として使えます。
この章句が説くこと
仁忠信学問礼志
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