山鹿語類 / 士道附錄・先生子弟警戒
爾子弟檢身。專在愼視聽。視聽者。心之所先動也。故正容貌顏色。而不可輕視傾聽。眼睛數轉。而所視不正。聽形傾側。而所聽非禮。則心爲之動。言語者。以寡爲箴。以顧爲愼。可言而言。可答而答。其間存辭讓。色容左右。而後發之。色容亦不以實。則人之所受虛也。凡辭之易發。先利口事辨才。是立己輕卒之失也。平生愼卑劣懦弱悠艶利害賣買色欲淫樂。政之非。人之惡。不須談笑也。凡書札往來。不可必古案。不可用奇文異字。詳時宜厚禮樣。依己之文才。不可容易改俗禮。是禮樂不私議之謂也。常自省。而認我生質之輕重。所長所短。退其所過。進其所不及。凡佚事則先人。勞事則自先。且武之所義。尤在此一事。急警戰事不可讓他。
新字:爾子弟検身。専在慎視聴。視聴者。心之所先動也。故正容貌顔色。而不可軽視傾聴。眼睛数転。而所視不正。聴形傾側。而所聴非礼。則心為之動。言語者。以寡為箴。以顧為慎。可言而言。可答而答。其間存辞譲。色容左右。而後発之。色容亦不以実。則人之所受虚也。凡辞之易発。先利口事弁才。是立己軽卒之失也。平生慎卑劣懦弱悠艶利害売買色欲淫楽。政之非。人之悪。不須談笑也。凡書札往来。不可必古案。不可用奇文異字。詳時宜厚礼様。依己之文才。不可容易改俗礼。是礼楽不私議之謂也。常自省。而認我生質之軽重。所長所短。退其所過。進其所不及。凡佚事則先人。労事則自先。且武之所義。尤在此一事。急警戦事不可譲他。
書き下し
爾子弟の身を検するは、専ら視聴を慎むに在り。視聴は、心の先づ動く所なり。故に容貌顔色を正しくして、軽々しく視、傾けて聴くべからず。眼睛数々転じて視る所正しからず、聴く形傾側して聴く所礼に非ざれば、則ち心之が為に動く。言語は、寡きを以て箴と為し、顧みるを以て慎みと為す。言ふべくして言ひ、答ふべくして答ふ。其の間に辞譲を存し、色容左右して、而る後に之を発す。色容も亦実を以てせざれば、則ち人の受くる所虚なり。凡そ辞の易く発するは、利口を先にし弁才を事とするなり。是れ己を立つる軽卒の失なり。平生、卑劣懦弱、悠艶、利害売買、色欲淫楽を慎み、政の非、人の悪は、談笑すべからざるなり。凡そ書札の往来は、必ずしも古案にすべからず。奇文異字を用ふべからず。時宜を詳らかにし礼様を厚くし、己の文才に依りて、容易に俗礼を改むべからず。是れ礼楽を私議せざるの謂なり。常に自ら省みて、我が生質の軽重、長ずる所短なる所を認め、其の過ぐる所を退け、其の及ばざる所を進む。凡そ佚事は則ち人を先にし、労事は則ち自ら先んず。且つ武の義とする所、尤も此の一事に在り。急警戦事は他に譲るべからず。
現代語訳
子弟たちが身を引き締めるのは、もっぱら見ること聞くことを慎むことにある。見聞きすることは、心がまっ先に動くところである。だから顔かたちや顔色を正して、軽々しく見たり、耳を傾けて聞き耳を立てたりしてはならない。目玉がしきりに動いて見るものが正しくなく、聞く姿が傾いて聞くものが礼にかなわなければ、心はそのために動かされる。言葉は、少ないことを戒めとし、振り返って考えることを慎みとする。言うべきときに言い、答えるべきときに答える。その間に譲る心を保ち、相手の顔色や周りの様子を見て、それから口にする。顔色や態度にも誠実さがなければ、相手が受け取るものは空虚になる。およそ言葉が軽々しく出るのは、口先の巧みさを先にし、弁舌の才を事とするからである。これは自分を立てようとする軽率なあやまちである。ふだんから、卑しく臆病な話、なよやかで色めいた話、損得や売り買いの話、色欲や淫らな楽しみの話を慎み、政治の非や他人の悪事は笑い話にしてはならない。およそ手紙のやりとりは、必ずしも古い文例どおりにする必要はないが、奇抜な文や珍しい字を使ってはならない。時に合った作法をよく調べ礼の形を厚くし、自分の文才をたのんで軽々しく世の礼法を改めてはならない。これが「礼楽を私に論じない」ということである。常に自ら省みて、自分の生まれつきの重い軽い、長所と短所をわきまえ、行き過ぎるところは退け、足りないところは進める。およそ楽な事は人を先にし、骨の折れる事は自分が先に立つ。しかも武士が義とするところは、とりわけこの一事にある。急な警報や戦の事は他人に譲ってはならない。
解説
この章句が説くこと
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『弁名』義人多く礼の先王の礼為るを知りて、義も亦た先王の義為るを知らず。故に其の解皆通ぜず。蓋し義は道の分なり。千差万別、各〻宜しき所有り。故に曰く、「義は宜なり」と。先王既に其の千差万別なる者を以て、制して以て礼と為す。学者猶ほ其の之を制する所以の意を伝ふ。是れ所謂礼の義なり。而して其の空言を以て伝ふる者、是れ所謂義なり。故に礼義は皆古より之を伝ふ。豈に先王の義に非ずや。
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『五常訓』巻之四・義一子曰く、君子は義以て質と為し、礼以て之を行ひ、孫以て之を出し、信以て之を成す、君子なるかな。云ふ意は君子の事を行ふは、義を以てした地とすべし。義は事を制する本なれば也。万の事を行ふに、まづ義か不義かをかへり見るべし。義にあらずんば、行ふべからず。義に合はば行ふべし。是義を以てしたぢとする也。其上は、礼を以てすべ、よく行ひ、孫を以てへりくだりて、人にたかぶらず、信を以て、始終真実に行ふべし。是君子の行なり。然れども義なければ、其事の主なし。故に礼孫信の三そなはりても、非義なれば見るに足らず。尚書に、以義制事といへるも、此意なり。
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『翁問答』下卷之末偸盗戒を義なりといへるは可なりしかれ共義は天徳の利にして、人間果断の神理天下の故に感通して天下の務をなす本なれば不盗の粗迹一いろをもて高明広大の義なりと云はみかみ山を富士山なりと云にことならず、邪婬戒を礼なりと云に似たり、しかれども礼は天徳の亨にして、人間恭敬樽節の神理天下の故に通じて、上宗廟朝廷より下民間に至まで、人倫の交、冠婚喪祭飲食軍陳等、万事の天理儀則を履をこなふ主宰なれば、不邪婬一色を礼なりと云は、一勺の水を大海なりと云が如し、
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『弁名』義義も亦た先王の立つる所、道の名なり。蓋し先王の礼を立つる、其の教為ること亦た周きかな。然れども礼は一定の体有りて、天下の事は窮まり無し。故に又義を立つ。伝に曰く、「詩書は義の府なり。礼楽は之が則なり」と。礼楽は相須ち、楽は未だ礼を離れて孤行する者有らず。故に曰く、「礼義なる者は人の大端なり」と。礼は以て心を制し、義は以て事を制す。礼は以て常を守り、義は以て変に応ず。此の二者を挙ぐれば、先王の道以て之を尽くすに庶し。故に古は多く礼義を以て対言す。是が為の故なり。
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『五常訓』巻之四・礼賢を尊ぶは義なり。人に大賢あり、小賢あり、才能ある人あり、旧識恩徳ある人あり。其内に、大小高下の品あり。是賢を尊ぶの等なり。親類の品に応じてしたしみ、大賢小賢の品によりて敬ふは、是即礼の生ずる所なり。しかれば礼は仁義を行ふに、各其品にしたがひて、程よきをいへり。
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司馬法・仁本天下既に平らぎ、天子大いに愷(がい)し、春は蒐(しゅう)し秋は獮(せん)す。諸侯は春に旅を振い、秋に兵を治む。戦を忘れざる所以なり。古は、奔るを逐うこと百歩を過ぎず、綏(すい)を縦(お)うこと三舎を過ぎず、是を以て其の礼を明らかにす。不能を窮めずして傷病を哀憐す、是を以て其の義を明らかにす。列を成して皷(こ)す、是を以て其の信を明らかにす。
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